第58話 援助
手紙を用意するため、レンは屋敷にとんぼ返りすることになった。
集落で書けばいいのだが、ここには獣皮紙がなかった。また例えあったとしてもレン一人では書けなかった。
勉強してだいぶ文字を読めるようになってきたが、書くのはまだまだだ。家庭教師のハンソンに代筆を頼むつもりだった。
帰る途中で、後を追ってきたロゼたちと会ったので、一緒に屋敷へと帰る。とんだ無駄足を踏ませてしまったが、緊急事態なので許してもらおう。
「すみませんハンソンさん。また代筆をお願いしたいんですが」
この時代、庶民の識字率は低いが、貴族にとって読み書きは大切な素養の一つだったが、それでも文字を書けない貴族もいて、実は代筆でしたというのも珍しくない。
他にも、
「当家は武勇を尊ぶ」
などど公言し、戦士に読み書きなど不要と言って、代筆を使っていることを隠さない貴族もいる。
レンはそういう貴族社会の常識とは別に、現代日本人の感覚で、文字ぐらい書けなきゃダメだろうと思っていたので、今も勉強を続けている。
「後、すみませんが前の手紙と同じものを、もう一度書いてもらえますか?」
前の手紙というのは、ヴァイセン伯爵への手紙だ。前回の商隊が伯爵からの手紙を持ち帰ってきたので、その返信を書いてもらっていた。
向こうの手紙が、これから仲良くしていきましょうといった感じの内容だったので、返信も、こちらこそ仲良くしていただけるとありがたいです、といった当たり障りのないものになっている。
今回の商隊に運んでもらうつもりだったが、残念ながら他の荷物と一緒に川底へ沈んでしまった。
二通の手紙は、リゼットとレジーナに集落へ持ち帰ってもらう。今日はもう遅いので帰るのは明日の朝になるが、それまでには手紙も書き上がっているだろう。
これで手紙の方はよし。後は商隊の無事を祈るだけだ。
だがレンの方も商隊が帰ってくるまでじっと待っているわけではない。ジャガルの街まで行って、マルコに今回の事件を伝えねばならない。
行くなら早い方がいいだろう。問題なければ明日にでも出発しようと思い、準備に取りかかろうとしたのだが、ここで重要なことに気付いた。
そういえば、マルコさんはジャガルのどこに住んでるんだろう?
ジャガルに引っ越すことは聞いた。おそらく住む場所も用意したのだろうが、それがどこなのかわからない。
部屋を借りたのか、家を借りたのか、それとも買ったのか――そのあたりのことも何も聞いていない。
前に来た人たちに聞いておけばよかったと思った。
新しい荷馬車に乗ってきたダークエルフたちだ。彼らならマルコがジャガルのどこに住んでいるか知っていたはずだが、それを聞いていない。
あの時点では、緊急に連絡しなければならない事態になるとは思っていなかったのだが、ちゃんとそれを考えて聞いておくべきだった。
小さな街なら探せると思うけど、ジャガルは大きな街みたいだし……
レンはマーカスに訊ねてみることにした。
「見つけることはできると思います。ただ、かなり時間がかかるのではないかと」
それがマーカスの答えだった。彼はジャガルがどんな街か知っていた。本当ならレンも知っているはずなのだが、異世界に来る前のことなので、今のレンの記憶にはない。
ジャガルは人口一万人を超える大きな街だという。そこで人一人捜すとなると、なかなか大変だ。
「それにマルコ様がいるかどうかもわかりません」
マルコは活動的な商人だ。新たな商売のネタを探し、別の街に行っている可能性もある。そうなると完全な無駄足になってしまう。
どうしたものかと考えていると、レジーナが助け船を出してくれた。
「集落に戻って、一度ダールゼンに聞いてみます。もしかすると知っているかもしれません」
レンは聞き忘れていたが、ダールゼンはちゃんと居場所を聞いているかもしれない。
「もし知らなかったとしても、集落にはジャガルに住んでいた者もいます。領主様が行く前に、まずは彼らに探しに行かせるのはどうでしょう」
確かに、土地勘もないレンが行くより、ジャガルを知っているダークエルフに行ってもらう方が効率的だろう。ダークエルフなら、ジャガルに住む他のダークエルフの力も借りられるだろうし。
「じゃあ、すみませんが頼んでもいいですか?」
「はい。お任せ下さい」
レジーナは力強くうなずいた。
そして翌日。集落へと帰ったリゼットとレジーナは、ダールゼンに手紙を渡し、マルコについて聞いてみた。
残念ながらダールゼンもマルコの居場所を知らなかったが、ダークエルフを一人、ジャガルへ送ることにする。
しばらく前に集落は移住者を受け入れて住人を増やしたが、彼はそのうちの一人で、ここに来る前はジャガルに住んでいた。人捜しには適任だろう。
隠れ住んでいるならともかく、マルコは名前を売ろうとしている商人だ。多少時間がかかっても、見つけることはできるだろう、とダールゼンは楽観視していた。
これで問題が一つ片付いた。そしてもう一つの問題、誰をターベラス王国へ行かせるかだったが、これは今まで通りゼルドに任せることにした。
「具合はどうだ?」
「はい。世界樹のおかげですっかり回復しました」
ガングに襲われたゼルドだったが、運良く彼は軽傷だった。世界樹の下で一日寝た彼は、すっかり傷も体調も回復していた。
ゼルドは任務に失敗し、多くの部下を失った。人間社会なら厳しい処罰が下ってもおかしくない状況だが、ゼルドは何の処罰も受けていない。
元々ダークエルフの社会には罰という考え方がないのだ。
彼らの序列は生まれつき決まっているので、下の者が上になることはない。同時に序列が落ちることもない。上下関係が固定で、命令に絶対服従が原則の彼らにとって、責任を取るとか、処罰を下すとか、そういうことは必要ないのだ。
例え失敗を繰り返しても、序列と能力を考慮して、その人物が適任だと思えば何度でもやらせる。それがダークエルフにとっての当たり前だ。
「わかっていると思うが、我々は崖っぷちだ。いや、もう落ちているかもしれないが、無事だったその荷物が助けになるかもしれない」
「わかっています。今度こそ、届けます」
「届けて戻ってくる、だ。例え一人だけになっても、必ず生き残って集落まで戻ってこい」
「はい。わかりました」
今回の商隊はゼルドを含めて三人だ。助かった荷物はかさばらない宝石や貴金属だったため、運ぶだけなら一人でも十分だったが、やはり一人では不安なので三人となった。
ゼルド以外の二人も商隊の経験者だったが、彼が一番信頼していた部下たちは、ガングの襲撃で全員死んでしまった。そこに小さな不安があったが、やはり経験者というのは大きい。
集落を出た三人は、まず川を渡る。
壊された見張り台の復旧はまだだったが、残り二つで見張りは可能との判断だった。前回までとは違い、もしガングが来れば、元の岸に戻るのではなく、近い岸に向かって進むか戻るかゼルドが判断することになっている。
イカダに乗ったときは、さすがにゼルドも緊張した。だが幸いなことにガングの襲撃はなく、無事に対岸へと渡れた。
これで一気に気が楽になったが、気を抜くわけにはいかない。
「よしッ」
と気合いを入れ直し、ゼルドは足を踏み出した。
出発からおよそ一ヶ月の道のりは、はやる気持ちを抑えてのものになった。
できるだけ急がなくてはと思い、ついつい足が速くなりそうになるが、それで疲れが出て失敗を招いては本末転倒だ。黒の大森林では些細なミスが命に直結する。
確実さを優先しろ――他でもない自分に言い聞かせつつ、ゼルドは進んだ。その甲斐あってか、三人は無事に森を抜けることに成功した。
これで何度目か。ガゼの街に到着する度、ゼルドは安心感と達成感を覚えていた。最初の時が一番大きかったが、毎回、それを感じていた。
だが今回に限ってはない。苦い後悔が頭をよぎっただけだ。
前回までは、街に入る際はできるだけ目立たないようにしていたが、今回は自分の方から、門の側に立つ見張りの兵士に挨拶した。
「お久しぶりです」
「お前たちか。またラフマンのところに商品を持ってきたのか?」
見張りの兵士もゼルドの顔を覚えていたようで、そんなことを聞き返してきた。
「はい。ただ、それとは別に向こうの領主様から手紙を預かって参りました。よろしければ伯爵様に渡していただけないでしょうか?」
ゼルドがレンから預かった手紙を取り出すと、兵士はそれを受け取ってくれた。やはりちゃんと話しが通っているとやりやすい。
街中へと入ったゼルドたちは、すぐにラフマンの店へ向かった。
まずゼルド一人が裏口から入ると、すぐに店の人間が出てきて、別の場所へ移動する。
ヴァイセン伯爵が黙認してくれたのだから、もうコソコソ隠れて取引する必要はない。だがそれとは別にラフマンはダークエルフたちを店の中に入れるつもりはないようで、取引はこれまで通り少し離れた場所にある別の家で行われた。
「これをお受け取り下さい」
持ってきた商品を、店の人間に手渡す。
「これはダージリアか。うん、なかなかいい品だ」
ダージリアは赤い宝石だ。グラウデン王国やその南の国でよく採掘される。ザウス帝国やここターベラス王国では産出されない。帝国を通る正規のルートで輸入すればかなりの関税をかけられるため、ターベラス王国では高値で取引されている。密輸なら関税がかからないから、その分の儲けが見込めた。
今回はこのダージリアがメインで、他にもいくつか宝石や貴金属を持ってきた。いずれもターベラス王国では希少なものばかりだ。
「すぐにでも鑑定しよう。値段は明日にでも」
「ではその値段分、ラドラを用意していただけますか?」
ラドラは青い宝石だ。ダージリアとは逆に、ターベラス王国では産出されるが、グラウデン王国では産出されない。当然のごとくグラウデン王国では高値で取引されている。
マルコからは、今回は売った金の全額でラドラを買ってくるように言われていた。
「わかった。では、それで用意する」
「それともう一つ。今回は向こうの領主様からの手紙を預かってきました」
レンからの手紙――借金の申し込みを店の者に手渡す。
これで借金することができれば、少なくとも当面は問題を先延ばしにできる。
そして翌日。
昨日と同じ場所にやってきたゼルドは、店の人間から、まず鑑定結果について教えられた。
「ダージリアや他の物を合わせた鑑定額は、全部で金貨五十五枚だ」
「おおっ」
という声がゼルドたち三人から上がった。
彼らの予想以上の高値である。
「そしてこれが値段分のラドラになる」
店の者が差し出した小さな革袋を受け取り、中を確認する。
入っていたのは五個というか、五粒の青い宝石だった。小さなこの宝石が、一つで金貨十枚以上するということだ。
「それと手紙の件だが、残念ながらお力になれないとのことだ。向こうのオーバンス様には、そのようにお伝えしてくれ」
つまり金は貸さないということだ。
「どうしてもダメでしょうか?」
「決してオーバンス様を信頼しないわけではないが、なにしろ黒の大森林を通しての取引なので、何かあったときのことを考えるとお受けできない。そうお伝えしてくれ」
簡単には金を貸してくれないだろうとは思っていたが、実際に断られると、やはりショックだった。
落胆したゼルドだったが、もう少し前向きなことを考えてみる。
金貨五十枚で購入したラドラは、グラウデン王国に持ち帰れば高値で売れるはずだ。どれぐらいの値がつくかわからないが、高値で売れればそれでマルコは借金を返せるかもしれない。
取引を終えたゼルドたちは、さっさとガゼの街を出ることにする。後は少しでも早く宝石を持ち帰らねばならない。
だがここでも焦りは禁物だ。今日は貧民街に住むダークエルフの家でゆっくり休み、明日の朝出発しようと思った。
外壁の門を通って街の外へと出たゼルドは、見張りの兵士に挨拶しようとしたが、その前に向こうから声をかけられた。
「話がある。ついて来い」
兵士に言われたゼルドたちは、おとなしく彼の後をついていく。
まさかヴァイセン伯爵の気が変わり、捕まえられるなんてことはないだろうな――などと少し不安に思いながら。
連れて行かれたのは兵士たちの詰め所だった。
そこには一人の役人が待っていた。
「あなたは……」
ゼルドは彼の顔を覚えていた。
前回捕らえられた際、最初にゼルドの尋問を行ったのが彼だった。ゼルドの不安が少し大きくなった。
「ラフマンに借金を頼んだそうだな?」
役人はいきなりそんなことを聞いてきた。
どうしてそれを、と思ったゼルドだったが、おそらくラフマンから報告がいったのだろう。当然といえば当然のことだ。
隠してもしょうがないので、ゼルドは素直に答えた。
「はい。向こうの領主様から手紙を預かってきました。残念ながら断られてしまいましたが」
「その借金だが、代わりに伯爵様が援助してもいいとおっしゃっている」
予想外の言葉に、ゼルドはしばらく言葉を返せなかった。