第4話 南の村
試しに地図を挿入してみました。
ただ、縮尺とかはいい加減です。というか、きっちり作ろうとすると大変すぎて……
あくまでレンが頭の中で想像した地図ということで、だいたいの位置関係がこうなっている、ぐらいに思っておいて下さい。
広い、というのが外に出たレンの第一印象だった。屋敷の庭も広いと思っていたが、外の広さは次元が違った。
屋敷は小高い丘の上に建っていたので、見晴らしは非常によかった。レンの部屋は屋敷の二階にあったが、そこからだと屋敷の壁が邪魔して空しか見えなかった。しかしここからなら周囲の景色がよく見える。
方角はこっちが北だったな、とレンはマーカスから教えられたことを確認する。
屋敷の正門はほぼ北に向いているので、そこからまっすぐ見た先が北だ。そして屋敷から少し北に行ったところには小さな家が何十軒か建ち並んでいた。家の周囲には畑も広がり、近くには川も流れている。
あれが南の村かとレンは思った。屋敷の北にあるのに南の村。それは南の村がこの屋敷ではなく、別のものを基準にして南に存在しているからだ。
南の村のさらに北、目測で何十キロも向こうに木々が生い茂る広大な森が広がっている。あの森の南にあるから南の村なのだ。
「あれが黒の大森林……本当に広いなあ」
レンの口から感嘆の言葉が漏れる。
グラウデン王国最大どころか、大陸最大とも言われる大森林だと聞いてはいたが、確かに広い。屋敷は小高い丘の上に建っているため見晴らしがいいが、ここから見ても森の果てが見えない。とにかく見える範囲でずっと向こうまで森が続いているのだ。
全体でどれほどの広さなのか見当もつかない圧倒的なスケールである。
「この黒の大森林が全部うちの領地なんですよね?」
「はい。その通りでございます」
レンの父親であるオーバンス伯爵は、正しくは「オーバンス伯爵にして黒の森辺境伯」らしい。つまりオーバンス伯爵家は本領に加え、この黒の大森林とその周辺の土地も領地として保有しているのだ。本領はここから西に離れており、黒の大森林一帯は飛び地なのだが、広さだけで見れば飛び地の方が圧倒的に広い。その広さは他の貴族どころか国王の直轄地をも上回り王国一だった。
それだけ聞けばオーバンス伯爵家はグラウデン王国でもかなり有力な貴族のような気がするが、実際の伯爵家の立ち位置は中堅、せいぜい中の上ぐらいなのだ。
広大な黒の大森林はオーバンス伯爵家に利益をもたらすどころか、負担ばかり大きいお荷物だった。
原因は黒の大森林に生息する生物――魔獣だ。黒の大森林は魔獣の巣窟なのだ。
魔獣。
その言葉を最初にマーカスから聞いたとき、レンはそれほど驚かなかった。竜がいるんだから魔獣もいるよね、ぐらいの気持ちだった。
魔獣と聞いて思い浮かべたのはロールプレイングゲームのモンスターだが、この世界の魔獣もそれとあまり変わらないと思ってよさそうだ。
マーカスが言うには、
凶暴、凶悪で人間に対しても敵対的。
種類は様々で姿形も保有する能力も千差万別。
総じてその戦闘能力は高く、弱い魔獣であっても武装した兵士と同じくらいの力を持っている。
強力な魔獣の中には不可思議な能力――まるで魔法のような能力を持つ個体も存在する。
基本は単体で行動するが、超個体と呼ばれる強力な個体がリーダーとなって群れを形成する場合もある。
どこにでも出現する。突然、街中に現れることすらある。
等々、この世界に生きる人間にとって最悪の敵、それが魔獣だった。
目の前に広がる黒の大森林は、そんな魔獣が無数に生息する、まさに魔獣の巣窟といえる危険地帯であり、レンの屋敷はそこを監視する砦の役目を持っている。また南の村もそこを監視するために作られた監視村の一つだった。ここからは見えないが、他にも大森林を囲むように複数の監視村が置かれているとのことだ。
もし黒の大森林に何か大きな異常があれば、監視村からの急使がオーバンス伯爵家に向かうという手はずだ。
魔獣が出現したとなれば、オーバンス伯爵は軍勢を率いて討伐に向かわなければならない。それが黒の森辺境泊としての役目だからだ。伯爵だけでは対処できないほどの魔獣の群れが現れれば王国軍全体が動くが、それもまずは伯爵が動いてからのことだ。
結局、やっかい事を押しつけられたってことだよね、とレンは思った。
辺境伯という言葉は元の世界でもあったが、グラウデン王国での辺境伯は文字通り辺境の地を治める伯爵という意味だ。レンは元の世界の辺境伯を知らなかったから、素直にそういう意味だと受け取っていた。
広大な領地といっても魔獣の巣窟では手が出せない。それなのに何か問題が起きれば領主としての責任を問われる事になる。
いったいどんな経緯で黒の大森林がオーバンス伯爵家の領地になり、黒の森辺境伯となったのかはマーカスも知らなかった。とにかく昔に色々あったのだろう。
北にある黒の大森林から東の方へと目をやれば、そちらにはとんでもなく高い山々が連なっている。はっきりとした高さなどわからないが、目測で富士山の倍ぐらいは高そうだ。こちらも大陸有数の規模だと言われているダーンクラック山脈だ。山脈は北から南へとまるで壁のようにそびえ立ち、北の方では黒の大森林が山脈のふもとまで広がっている。ちなみにこのダーンクラック山脈もオーバンス伯爵家の領地なのだが、人跡未踏の険しい山脈なので、やはり伯爵家にはなんの利益ももたらしていない。黒の大森林と違って魔獣の生息数は少ないのが救いだったが。
これが現代日本なら観光地や避暑地として有望な土地だと思うのだが、こちらの世界ではどうすることもできない。
広大な黒の大森林とダーンクラック山脈が織り成す景色は雄大で、今まで見たことのないその巨大なスケールにレンは圧倒された。しばらくその景色を眺めていた。
ちなみに西の方には何もなく、なだらかな平原が地平線の彼方までずっと続いていた。こんな広々とした景色もレンは今まで見たことがなかった。
というより、日本ではこんな平原が続く広々とした土地はないだろう。モンゴルあたりならありそうな気もするが。
今、僕がいるのがグラウデン王国で、目の前に広がる黒の大森林が王国の東の端。
ここから黒の大森林を挟んだ北側にあるのが、ザウス帝国とターベラス王国だったっけ。
レンはハンソンから学んだ地理の内容と、目の前の景色を照らし合わせ、頭の中に簡単な地図を描いてみた。
「レン様?」
「ああ、すみません」
怪訝そうな顔をしているマーカスにレンは謝る。
レンにとっては心奪われる景色も、彼にとっては当たり前の景色なのだろう。
そして今は景色を楽しむよりも大事なことがある。
二人は屋敷の門から続く道を歩き出した。土を踏み固めただけの道は、しばらく行ったところで二つに分かれていた。
道は西と北に分かれている。
西へ進めば隣接する他の貴族の領地へと向かい、北へ進めば南の村だ。
二人は南の村へと向かった。
南の村は小さな村だった。
何十軒かの家が固まるようにして建ち並び、その周囲は木でできた簡素な柵で囲われている。そして柵の外には畑が広がっていた。少し離れたところには川が流れており、南の山から来た水が北の黒の大森林に向かって流れている。
最初、レンは土地はまだまだあるんだからもっと離れて家を建ててもいいんじゃないかと思ったのだが、後で聞いた話ではこれは魔獣対策だった。離れたところに家があると、魔獣が現れた際の知らせが届きにくいからだ。近くに家があれば、情報はすぐに村人全員に行き渡る。
村の家はレンの予想とは違っていた。彼はなんとなく日本の古い民家のような茅葺きの家を想像していたのだが、村の家は丸太を組んで建てられたログハウスのような家だった。
材料の木は黒の大森林から運んできたのだろうか。
畑では村人たちが農作業をしていたが、その中の一人がレンに気付くと、慌てた様子で村の方へと走っていった。すぐに村の中があわただしくなるのがわかった。
「大騒ぎですね……」
「レン様の言葉一つに、村の命運がかかっていると言っても過言ではありませんから」
そう言われてもぴんとこない。
レンは日本では平凡な社員だった。多くの人たちの命運を左右するような立場に立ったことはなく、せいぜい新人の面倒をみたことがあるぐらいだ。それがいきなり貴族と言われ、あなたの言葉が他人の運命を決めると言われても実感できなかった。
もちろんレンには村人たちを罰しようという気はない。逆に今回の事件を水に流すことを契機として、これからは村人たちと良好な関係を築いていければと思っていた。
だがそんな考えがお気楽すぎたことに、レンはすぐに気付くことになる。
レンが村の入り口までやって来る頃には、そこに村人たちが集まって彼のことを待ち構えていた。
「これは少しまずい状況かもしれません」
「やっぱりそう思います?」
眉をしかめるマーカスに、レンは不安そうな顔で訊ねる。
南の村を囲う木の柵には何ヶ所か出入り口が作られていたが、レンたちが歩く道はその一つへと続いている。だがレンは出入り口に後少しというところで、それ以上進めなくなった。
出入り口付近に集まり、待ち構えている村人たちが恐ろしかったからだ。
人数は三十人ほどだろうか。
若者から老人までいるが、全員が男で女子供の姿は見えない。
人付き合いの苦手なレンにとって、それだけの男たちが待ち構えているというだけで気後れしてしまうのだが、さらに問題なのが村人たちの剣呑な雰囲気だった。
鍬などの農作業に使う道具を持ち、思い詰めた目付きでレンの方をじっと見ている。歴史で習った百姓一揆のような様子だったが、レンにはそんなことを思っている余裕はなかった。
平和な日本で暴力とは無縁に生きてきたレンだから、修羅場をくぐった経験などない。そんなレンでも、村人たちの一種異様な気配を感じ取った。一方のマーカスは若いときは兵士として戦場に出たこともある男だから、村人たちの目を見ただけですぐに彼らの思いを読み取った。
これはいよいよ追い詰められて、決意を固めた者たちの目付きだと。
尋常ではない村人たちの目付きを見て、マーカスはレンに注意をうながそうとしたが、その前にレンの方が村人たちに話しかけた。
「ど、どうもみなさん」
レンの声は明らかに震えていた。冷静にしゃべろうとしたが無理だったのだ。だが元より人前でしゃべることが苦手なレンである。ここは異様な雰囲気の村人たちを相手にちゃんと声が出ただけでもほめるべきなのかもしれない。
「今日はみなさんに伝えたいことがあって来ました。僕が落馬したことで、みなさんは何か処罰があるのではないかと心配していると思いますが、僕はこのとおり元気ですし、誰かを罰したりするつもりもありません。それだけを伝えに来ました」
早口で一気にそれだけ言うと、レンは「それでは」と軽く一礼し、足早に立ち去った、というか逃げ出した。慌ててマーカスがその後を追い、後には呆気にとられた顔の村人たちだけが残された。
レンは村からだいぶ離れたところで歩く速度を落とし、後ろを振り返ってみた。もう村人たちがどんな顔をしているかは見えなかったが、喜んでいる様子はうかがえた。おそらく嫌な奴を追い払ってやったと喜んでいるのだろう。追いかけてこられたらどうしようかと心配していたのだが、その様子はなさそうなので少し安心した。
「大丈夫ですかレン様?」
横に並んだマーカスが声をかける。
「ええ、どうにか」
まだ心臓はバクバクしているし、額には汗も浮かんでいるが、だいぶ落ち着いてきた。
「すみません。勝手に逃げ出してしまって」
話し合いをするとか言っておいてこれだ。恥ずかしかったが、恐怖の方が大きい。あそこへ戻るのは無理だと思った。
「あれでよかったのかもしれません」
「そうでしょうか?」
「はい。村人たちの様子は尋常ではありませんでした。あれはまるで――」
「まるで?」
「追い詰められて牙を剥く動物でしょうか」
「窮鼠猫を噛む……」
こちらの言葉ではなく日本語でレンはつぶやいた。
「は?」
「いえ、なんでもありません。あの人たち、僕たちに反抗する気満々でしたよね?」
「逆らうどころか、レン様を亡き者にするつもりだったのかもしれません」
「まさか」
「確信はありませんが、彼らの目は普通ではありませんでした」
そう言われても簡単には受け止められない。村人たちの目に敵意があったのは明らかだが、それが殺意だったかどうかはわからない。
平和な日本で、あまり他人と関わらずに生きてきたレンだから、強い敵意を向けられたこともほとんどない。ましてや殺意を向けられた経験など皆無だし、逆に本気で殺してやりたいほど誰かを憎んだこともない。
おそらく交通事故で死んでこの世界に来たわけだから、そういう意味では車を運転していた人物に殺されたことになるが、あれは事故だったはずだ。誰かに命を狙われて殺されたわけではない。
そんなレンだから、村人たちがレンを殺すつもりだった、と言われてもまさかと思ってしまう。
村人たちが恐かったのは確かだが、そこまでやるつもりだったのか、と。
「でも僕を殺したりしたら、あの人たちも無事ではすまないのでは?」
今のレンは村を治める貴族の息子なのだから。
「すまないでしょう。おそらく村人たちはレン様と伯爵様を甘く見ているのです。レン様がここに来られた経緯も、それとなく察しているでしょうし」
「勘当されたバカ息子だから、殺しても大丈夫だろうってことですか?」
マーカスはレンのぶっちゃけた言い方にどう答えるべきか迷ったようだが、結局明確には答えず話を続けた。
「加えてレン様と私を一緒に殺せば目撃者はいなくなります。それで魔獣の仕業ということにでもしてしまえば、言い逃れできると考えたのでしょう」
この世界は日本と比べれば司法機関は未発達だし、科学捜査なんてものも存在しない。口裏を合わせてしまえば簡単にごまかせそうな気もするが、逆にそういう世界なので村人たちが何を言おうが厳しい処罰が下されるような気もする。
「そう上手くいくでしょうか?」
「いかないでしょう。レン様が殺されたとなれば、伯爵様は決して容赦なさらないはずです。それこそ村人全員が処刑されるかもしれません」
「そんな危険な賭に出るほど、僕は嫌われていたというわけですか……」
「さらに付け加えると、監視村の気風というのも影響しております。以前にもお話ししましたが、黒の大森林周辺の監視村は、魔獣が現れれば真っ先に襲われる危険な村です。死ぬことを覚悟の監視役というわけで、実際に数年に一度ぐらいで、どこかの村が魔獣に襲われて大きな被害を出したりしています。その代償として監視村では税が免除され、村人による自治も許されておりますが。結果、村人たちの中に領主様を軽んじるような空気が生まれてしまったのです。それは困ったことではありますが、ここで魔獣に襲われることも覚悟して暮らすには、それくらいの気概が必要なのかもしれません」
「つまりどこかの監視村が黒の大森林から出てきた魔獣に襲われたら、そこを見捨てて時間を稼ぎ、その間に軍隊なんかを呼んで迎え撃つ準備を整えるってことですか?」
「はい。一応の手順としては、魔獣を発見した場合は村人たちはすみやかに村から待避し、レン様のいる屋敷に避難することになっております。そしてそこで立てこもり、伯爵様が率いてくるであろう討伐隊を待つことになります。ただそれは建前であり、実際に魔獣から逃げられるかといえば難しいでしょう」
レンは自分の暮らす屋敷が砦のようだったことを思い出す。あそこは普段兵士たちが駐屯していないが、魔獣が襲ってくることを前提にした本当の砦なのだ。
「実際に屋敷が魔獣に襲われたこともあるんですか?」
「過去に何度もあります。あそこに魔獣たちを引きつけ、他の地域へ被害が拡大するのを防ぐのが、黒の森辺境伯としての伯爵様のつとめなのです」
レンはちょっと待ってくれと思った。今の話が本当なら、そう遠くない未来、レンはあの屋敷で魔獣と戦うことになるということだ。はっきり言って自分には無理だと思う。
前の体の持ち主は剣などを習っていたようだが、今のレンには戦う技術も覚悟も何もないのだ。
異世界転生といえばチート能力がセットになっていることが多いが、レンはそんなものは持っていない。もしかすると持っていてピンチになると発現するのかもしれないが――当然そういう妄想はレンも何度も経験済みだ――実際に命を賭けて確かめるなどごめんだ。
「そんな危険なことを、ここの村人たちは納得しているんですか?」
他への被害を防ぐためにお前たちは死ねと言われているようなもので、もしレンが村人ならさっさと逃げ出すと思ったのだが、
「完全にとはいかないでしょうが、ある程度は納得しているのでしょう。逃げ出す者たちがいませんから。彼らにしてみれば魔獣の危険はあるものの、それ以外は圧政もなく土地も豊かです。私の知る限り、監視村で魔獣による死者は出ても餓死者が出たことはありません」
「大きい危険があっても、それ以上に利益が大きいってことですか……」
きっとこの世界では単に生きるということが非常に難しいのだ。現代日本と比べれば、難易度はベリーハードというわけだ。貧しかった戦前の日本でも、腹一杯ご飯が食べられるという理由で軍隊に入った人たちがいたというのだから、飢えと魔獣を秤にかけて、ここで生きることを選ぶというのもありなのだろう。
「それでどうされますか?」
「どう、とは?」
「村人たちに反逆の意思があるのは明白です。それを伯爵様にお伝えするという手もありますが」
「伝えたら大事になりますよね? 事故のことや記憶喪失についても話さないといけないし」
「その通りです」
「もしこのまま放置したとして、何か問題はありますか?」
「今すぐどうこうということはないでしょう。先ほども申しましたが監視村は自治が約束されており、税の徴収も免除されています。レン様にその気がなければ、普段の生活で村と関わる必要はありません。こちらが手出ししようとしなければ、向こうも大人しくしていると思われます」
「じゃあそれでいきましょう」
レンにとっては恨みも何もない無関係の人々なのだ。自分に領主の仕事ができるとも思えないし、やりたいとも思えない。なにより人付き合いが苦手なのだから、村人たちと会わないでいられるならそれが双方にとって一番いいはずだ、と思うことにした。
「わかりました」
マーカスも反論することなくうなずいてくれた。
今のレンは貴族となってしまったわけで、村を治める領主として何かやらないといけないんだろうな、ぐらいには責任を感じていた。相手が赤の他人であっても、できるだけ迷惑をかけたくないという素朴な思いからの責任だ。しかし向こうがこちらを拒絶するなら仕方ないではないか。レンはもうあの村には近寄らず放っておこうと決めた。
そしてそう決めると心が少し軽くなった。
この南の村を訪れた際の経験はレンに大きな影響――トラウマといってもいい――を与え、この世界での彼のこれからに大きく影響していくことになる。