第51話 銀の髪の価値
「こちらに黒の森辺境泊のご子息がいらっしゃると聞いて、ご挨拶に参りました」
レンがいることを聞き付けたのだろう。ダバンの街の町長が、パン屋にいるレンのところまで挨拶にやってきた。
町長はちょっと太り気味の中年男性でグレコと名乗った。一緒にいた若い男を、息子のダントンだと紹介する。
面倒くさいなあと思いつつ、レンも挨拶に応じる。無視したりすると角が立つので、これも仕事と割り切るしかない。
簡単な挨拶を交わすと、向こうは夕食に招待してきた。
「ささやかですが歓迎の席を用意いたしました。今夜はぜひ、我が家にお越しいただければ」
「せっかくなのですが、慣れない旅で体調を崩しまして」
あらかじめ用意しておいた言い訳を話す。
「それでは仕方ありませんね。では次の機会にということで」
あっさり引き下がったところを見ると、向こうも面倒だと思っていたのではないだろうか。挨拶に来なかったら、無礼だと怒り出す貴族がいるに違いない。レンとしては無視してもらって一向に構わないのだが。
話は終わり、町長は帰ろうとした。これで面倒ごとは片付いたと思ったのだが、店を出て行ったところで、息子のダントンの声が聞こえた。
「おいマルコ!」
ダントンはマルコを呼んで話し始めた。
レンに盗み聞きするつもりはなかったのだが、二人の話し声が聞こえてきた。その内容は聞き流せないものだった。
「あの銀髪はダークエルフか?」
「そうですが……」
銀髪のダークエルフといえばカエデしかいない。一瞬、カエデがまた何かやらかしたのかと思ったのだが、
「あれを俺に売ってくれ!」
「ダントン様。あのダークエルフは売り物ではありません。伯爵家のご子息の持ち物です」
「あっちのか……」
残念そうな声が聞こえたが、それでもあきらめきれなかったようで、
「お前の方から、それとなく聞いてみてくれないか? 売る気はないかって」
三人からはレンが見えなかったため、彼が聞いていることにも気付かず話を続ける。
「それはないと思います。あの方は、あのダークエルフをかなり気に入っているようですから」
「ダメ元でいいから、一度聞いてみてくれ」
「わかりました」
渋々といった声でマルコが答える。
「頼んだぞ。後で話を聞かせてくれ」
それで話は終わり、今度こそ町長親子は帰っていった。
マルコはふう、と一回大きく息を吐いてから店の中に入ったが、そこにレンがいたので驚いた。
「そ、そこにいらしたのですか」
「すみません。立ち聞きするつもりはなかったのですが、聞こえてしまって」
「お怒りとは思いますが、どうか許してやって下さい。ダントン様にも決して悪気があったわけではないのです」
「わかっていますよ」
カエデを売り物のように言われたのだ。かなり腹が立ったが、すぐにその場で出て行かなかったのは、それがこの世界の常識なのだと思ったからだった。
すでにダークエルフに対する差別は何度も見てきた。この世界の人間にとって、ダークエルフは家畜や奴隷のような存在なのだ。当たり前のように、金で売り買いが行われている。
また、それはダークエルフに限ったことでもない。人間でさえ、売買が行われている。詳しい制度がどうなっているのか知らないが、この世界には人間の奴隷も当たり前に存在しているそうだ。
決して驚くようなことではない。日本でさえ、つい何十年か前までは普通に人買いがいたのだ。むしろこの世界に奴隷や人身売買がないことの方が不自然だ。
現代日本人の感覚を持つレンにとっては、不快で受け入れがたい事実だが、だからといって闇雲に反発しても、余計な対立を生むだけだろう。だからこの場でも自重した。
「何しろ、あのダークエルフは銀髪ですからね。ダントン様も、どうしても欲しいと思ってしまったのでしょう」
「どういうことですか?」
「……もしかして、レン様は銀の髪のダークエルフについて、ご存じないのですか?」
「先祖返りのように、たまにそういうダークエルフがいると聞いたことはありますけど」
「それだけではありません。これは一般論として申し上げますが、銀の髪のダークエルフは非常に人気があるのです」
マルコは一通りのことを説明してくれた。
この世界ではダークエルフが差別されているのとは反対に、エルフは神聖視されている。しかもエルフは世界樹の森から出てこないため希少価値も高い。
そのため貴族とか商人の中には、なんとしてもエルフを手に入れたいと思っている者が多い。だがいくら金を積んでも、いない者は手に入らない。そこで彼らが目をつけたのが、エルフの特徴を持つダークエルフだ。
白い肌に白い髪、緑色の目というのがエルフの特徴だから、そういう特徴を持つダークエルフは、聖なるエルフの血を引く「汚れていないダークエルフ」として扱われており、手に入れたいと願っている者が多いのだ。
「申し訳ありません。てっきりレン様もそのようなお考えで、あのダークエルフの娘を側に置いているとばかり」
「そんなつもりはなかったんですけど……」
差別されないのはいいことにも思えるが、人気があるというのも考え物だ。
さっきの町長の息子のように、カエデを手に入れたいと思う者がたくさんいることになる。もしそれがレンより身分の高い人間、例えばレンの父親の伯爵が、カエデを寄越せと言ってきたら?
やっかいなことになると思った。
あれ? でもカエデは傭兵として集落の外に出ていたって話だったような?
そういうやっかいごとはなかったのかと思ったが、答えは単純だった。後で話を聞いてみたところ、集落の外へ出るときは、髪を黒く染めていたらしい。
結局、知らないのはレンだけで――本人のカエデもよくわかっていないようだったが――マルコだけでなく、ロゼたちまで、レンがカエデに甘いのは銀の髪を気に入っているからだと思っていたようだ。
確かにきれいな銀の髪だなあって思ってたけど……。
なんにせよ早いうちに気づけてよかったと思った。
これから先、カエデを外に連れ出すときは、髪を黒く染めてもらおうと思った。本人は面倒くさくて嫌なようだが、我慢してもらうしかないだろう。
ミーナの家で一泊した翌朝、レンたちは屋敷に帰るために街を出た。マルコもほぼ同時に出発した。彼はこのまま荷馬車でジャガルの街へ向かう。
「どうかお気をつけて」
そう言って、マルコは下働きとして雇ったダークエルフ四人と一緒にジャガルへと向かった。
彼らを見送ってすぐ、レンたちも出発した。ミーナ、それにゴードン一家も総出で見送ってくれたが、その中でも一番別れを惜しんでいたのはミーナだろう。
「ガー太。また遊びに来てね」
ガー太にぎゅっと抱きついて、そんなことを言っていた。そしてガー太との別れを惜しんでいたのはガー太だけではない。
昨日、ミーナと一緒になってガー太と遊んでいたゴードンの子供たちもそうだったし、他の家の子供たちまで集まってきていた。
「また来てね」
「また上に乗せてね」
子供たちは口々に言いながら、手を振ってガー太を見送ってくれた。
「大人気だな」
「ガー」
レンが笑って言うと、ガー太は微妙な鳴き声で答えた。
そこまで言うなら、また相手をしてやってもいいか――ぐらいの感じだろうか。
帰りの道中は、レンは行きと同じくガー太に乗っていたが、他の四人は全員歩きだ。
「領主様。今日の夜は本当に野宿でいいのですか?」
歩きながら、ロゼが聞いてきた。
「それでいいよ」
行きがそうだったように、帰りもダークエルフを泊めてくれる村はないだろう。だから帰りは全員で野宿すると決めたのだが、ロゼはレン一人だけでも村に泊まるべきだと思っているようだ。安全面からはその方がいいのだろうが、レンは野宿で問題ないと思っていた。
「ガー太の感覚は鋭敏だし、ロゼ達もいるし」
交代で見張りをする必要はあるだろうが、寝ているところをいきなり襲われることはないだろうと思っている。
それに行きは二泊の行程だったが、ダークエルフは健脚なので、帰りの方が足が速い。上手くいけば一泊だけで屋敷に帰れるだろうと思っていた。
村を出てから数時間。途中、小さな村を一つ素通りして歩き続け、そろそろお昼ということで休憩した。
昼食はゴードンにもらったパンだ。三日分もらったので、帰りはずっとこのパンだけになる。硬くて味気ないパンだが、贅沢は言えない。
ここまで特に問題はなく、パンを食べて少し休憩してから再出発――しようとしたところで、ロゼが遠くの人影に気付いた。
「誰かがこちらに向かってくるようです」
レンは全員に注意するように言って、自分もガー太にまたがったが、近付いてくる人物は一人だけで、しかも歩き方がふらふらしていた。
「ケガをしているみたいだな」
見捨ててはおけないと思い、その人物の方へと向かう。
「油断しないで下さいね」
ロゼはまだ警戒しているようだった。
レン達が近付いていくと、向こうもこちらに気付いたようだ。最初はギョッとして逃げようとしたようだが、体力が限界だったのか、その場に倒れるように座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
人影は中年の男性だった。あちこちに傷を負っているようで、疲れ果てていた。レンがガー太から降りて訊ねると、男はおびえた様子で聞き返してきた。
「あ、あんたらは?」
「僕はレンといいます。あやしい者じゃありません、と言っても信じられないかもしれませんが」
ガーガーに乗った男と、ダークエルフの子供達の集団だ。初対面の相手にしてみれば、得体の知れない集団だろう。
「助けがいりますか? もし僕たちが信じられないようでしたら、このまま立ち去りますが……」
「いや、すまない。助けてくれ」
見捨てられると思ったのか、男が慌てて言った。
「俺はザトワの村のジョルト。村が盗賊に襲われて、ここまで逃げてきたんだ」
盗賊という言葉を聞いて、レンが厳しい顔になる。
「詳しく聞かせて下さい。ですがその前に」
レンが水筒を渡すと、ジョルトと名乗った男はすごい勢いで飲み干した。
「ありがとう。助かった」
「いえいえ。それで、まず確認したいんですが、ザトワの村というのは、どのあたりにあるんですか?」
「あっちの方だ」
男が指差したのは南の方角だった。屋敷に帰るレンたちは、街道を東に向かって進んでいたところだ。
「昨日の夜中だ。突然、盗賊達が襲ってきたんだ」
寝ていたところに騒ぎが聞こえ、飛び起きて外へ出ると、すでに盗賊達が暴れ回っていた。知り合いの村人が、盗賊に斬り殺されるのも見た。ジョルトも盗賊に斬りつけられたが、運良くどれも軽傷で、闇に紛れて逃げ延びることができた、ということだった。
話を聞き終えたレンは、少し考えてから言った。
「リゲルとディアナは、この人をさっき通り過ぎてきた村まで送ってくれる?」
ここから一時間もあれば、村まで行けるだろう。
「わかりましたけど、領主様は?」
「そのザトワまで行ってみる」
「危険ではありませんか?」
どうやらロゼは反対のようだ。
「わかってるよ。でも他にもけが人がいるかもしれないし、このまま見捨てるわけにもいかないでしょ?」
「でしたら私一人で様子を見てきます」
「そっちの方が危ないよ。盗賊がどれだけいるかわからないけど、十人や二十人ぐらいなら、僕らだけで何とかなるでしょ。それ以上多かったら逃げればいいし」
「確かにそうだとは思いますが……」
レンはダークエルフ製の弓を持ってきている。ガー太に乗ってこれを射れば、例え盗賊が弓を持っていても、それより遠距離から狙い撃ちできる。ロゼの技量は並の兵士を超えるし、カエデの腕はそれ以上だ。
「戦うの? カエデはレンの敵を殺せばいい?」
ロゼと違い、カエデは積極的だった。
「向こうが襲ってきたらね。勝手に突っ込んじゃダメだからね」
「はーい!」
うれしそうに返事をするカエデを見て、レンは複雑な気分になった。本音を言えば、こんな小さな女の子を戦わせたくはないのだが、この危険な世界では子供でも戦わなければ生き残れない。戦うな、とは言えなかった。
「ロゼのことも頼りにしてるから」
「わかりました。領主様は私がお守りします」
彼女もそれ以上反対しなかった。
「じゃあ急ごう」
ガー太に乗ったレンは、ザトワの村の方へと走り出し、その後にカエデとロゼの二人が続いた。