第49話 ミーナのパン屋
ダバンへの道中、もっとも心配していた魔獣との遭遇はなかった。
だが問題が皆無だったわけではなく、途中、カエデが勝手に隊列を離れて迷子になりかけたり、カエデがガー太と乱闘になって馬車を壊しかけたりしたが、どれも大事にはならずにすんで助かった。
後は、途中で立ち寄った村で少し騒ぎが起きた。
ジャガルへの道中には、街道沿いに小さな村が点在している。
マルコはジャガルへ行き来する際、そんな村に立ち寄っては、ちょっとした商売を行っていた。
魔獣が徘徊するこの世界では、別の街へ買い出しに行くだけで命がけだから、どこの街でも行商人は歓迎された。
マルコも歓迎され、どの村でもすっかり顔なじみになっていたのだが、今回はちょっと様子が違った。
「マルコさん、あの人はいったい? ガーガーに乗ってるように見えるんだが……?」
村人たちがまず注目したのは、やはりレンとガー太だった。
「いえ、実は私も詳しいことは知らないのです。とある貴族様から頼まれて、同行することになったのですが……」
などとマルコは言葉を濁した。
これはあらかじめ打ち合わせして決めておいた答えだ。
ガー太が目立つのは予想できたが、一々説明したりするのは面倒くさいと思ったので、マルコに適当にごまかしてくれるよう頼んでおいた。
別に嘘は言っていない。とある貴族様というのが、目の前にいる本人だと伝えていないだけだ。
貴族がらみだと説明すれば、村人たちも何か事情があるのだろうと察し、それ以上は聞いてこない。
レンが貴族だと明かし、余計なことは聞くなと命令することも考えたが、それはやめておいた。
他人に命令するのは気が引けたし、それで変に気を使われたりするのも嫌だった。関わり合いにならず、ひっそりと通り過ぎていくのが一番だ。
そしてレンとガー太の次に村人たちが気にしたのはダークエルフだった。
「ダークエルフを雇ったんですか?」
「はい。これまたとある貴族様から彼らを紹介されまして。試しに一度、使ってみようかと」
「しかし全員ダークエルフというのは……大丈夫なのですか?」
心配そうな顔で村人が訊ねる。
下働きにダークエルフを雇うというのは、それほど珍しくない。だが全員がダークエルフというのは珍しい。
ダークエルフは汚れた種族で信用ならない、というのが常識だから、村人たちは何かあったらどうするのかと心配したのだ。
横で会話を聞いていたレンは、人間の方が信用ならないと口を挟みそうになったが自重する。
「大丈夫ですよ。私はともかく、私の後ろにいる貴族様に逆らったりはしないでしょう」
村人たちはまだ納得していないようだったが、それ以上反対してもしょうがないと思ったようで、渋々ながら彼の言葉を受け入れていた。
このようなやりとりは、立ち寄った村で何回も繰り返されたが、さらに問題になったのが宿泊だった。
基本的にマルコは野宿をせず、どこかの村で泊まることにしている。これは彼に限らず、ほとんどの行商人に共通している。
魔獣が徘徊するこの世界では、野宿するのがとても危険だったからだ。
人が住んでいないような未開の場所を旅する場合などは仕方ないが、そうでなければ、例えば次の街までの時間を聞いたりして、可能な限り野宿を避けるようにしている。
村人たちの方もそんな都合をよくわかっているので、マルコが宿を用意してほしいと申し出れば、どこの村でも快く受け入れてくれた。
だが今回は少し違っていた。
「もちろんマルコさんは大歓迎だ。そっちの若い人も歓迎する。だがダークエルフどもを家に泊めるつもりはない」
夕方頃に到着した村で、マルコが村長に宿を用意してほしいと頼んだところ、返ってきた答えがそれだった。
いつもなら二つ返事で村長の家に泊めてくれていたのだが。
「ちょっと待って下さい村長さん。お気持ちは理解出来るのですが、実はこちらの方はオーバンス伯爵の――」
「あ、いいですマルコさん」
マルコはレンが貴族であることを告げ、ダークエルフたちも一緒に泊めてもらえるように頼もうとした。
レンがダークエルフたちに好意的だと知っていたからだ。ここでレンが怒ったらまずいと気を回したのだ。
だがレンはそれを止めた。
確かに村長の態度には腹が立ったし、自分が貴族だと明かせば、村長も態度を変え、ダークエルフにも泊まる場所を用意してくれるかもしれない。
だがそれで気が晴れたとしても、この先の付き合いがある。
一回きりの旅行ならともかく、マルコはこれからもこの村を何度も通ることになる。ごり押しして村人たちの気分を損ねれば、彼の商売に悪い影響が出るかもしれないし、それが回り回ってダークエルフの不利益につながるかもしれない。
すでにダークエルフ差別の根深さは理解している。ここは我慢した方がいいと判断したのだ。
「よろしいのですか?」
「ええ。僕も一緒に荷馬車で寝ますから」
結局、マルコだけが村長の家に泊まり、レンとダークエルフたちは村はずれに荷馬車を止め、そこで寝ることとなった。
ロゼたちも、それ以外の四人のダークエルフも、自分たちに付き合わせてしまったと恐縮していたが――カエデだけは単純に喜んでいた――レンはむしろ、こっちの方でよかったと思っていた。
もし村長の家に泊めてもらっていれば、きっと一緒に夕食をとることになり、話に付き合わねばならなかっただろう。
知らない人と食事して、会話を楽しめるような人ならいいが、レンはそういう人間ではない。ダークエルフたちといる方が気楽でよかった。
硬いパンだけの味気ない夕食をすませ、さっさと寝ることにしたが、最初、レンはガー太と一緒に荷馬車の外で寝るつもりだった。
だがカエデがやってきて、
「レンと一緒に寝る」
と言うので、彼女と一緒に寝ることに。
一応、ガー太の側で寝る? と聞いてみたのだが、イヤと即座に否定された。ガー太も迷惑そうだったので、これはあきらめた。
するとそこにロゼ、ディアナ、リゲルの三人もやってきて、結局、荷馬車の中で五人ひとかたまりで寝ることになった。
身を寄せ合って寝るとあったかかったし、なんだか旅をしているなあ、と実感できて少し楽しかった。
こうして一日目が終わったが、二日目も同じようなものだった。
立ち寄った村で注目され、家に泊めるのを断られ、荷馬車で寝たのも同じ。この時も五人一緒だった。
そして三日目の昼過ぎ。
レンの目的地であるダバンの街に到着した。
「ここは結構大きな街ですね」
これまで立ち寄ってきた村は、どこも監視村と同じような小さな村で、住民の数も少なかった。せいぜい百人とか二百人とかだった気がする。
それと比べればダバンは大きかった。街は高さ一メートルほどの石壁で囲まれており、壁の向こうには石造りの大きな建物も見えた。
街の周辺には畑が広がっていて、農民の姿が見えた。
「人口は千人ほどでしょうか。この近辺では唯一の街ですからね」
「そういえば、村と街の違いってどこにあるんですか?」
日本だと、確か法律で市町村が決まっていたはずだが。
「さあ、どうでしょうか……」
聞かれたマルコはちょっと考え込んだ。
「特に決まりがあるわけではなく、人が少なければ村、多ければ街、でしょうか? 人口でいえば、千人もいれば間違いなく街と呼ばれていると思いますが」
実は日本でも市町村の区別は曖昧なところがあるのだが、それを詳しく知らないレンは、やっぱり日本と違って適当なんだな、などと思っていた。
街へ入ると、やはりレンとガー太が注目を集めた。それはこれまでと同じなのだが、人の数が多い分、レンは居心地の悪さを感じる。
気のせいではなく、道行く人々が、みんなレンの方をじろじろ見てくるのだ。
ガー太は人の視線など気にせず堂々としている。それを見習いところだが、やはり気になってしまう。
「着きましたよ。ここがミーナのいるパン屋です」
「へえ……」
到着したパン屋は、レンの想像していた店とはずいぶん違った。
思い浮かべていたのは、現代日本にあるようなパン屋だった。店頭に焼きたてのパンが並べられて売られているイメージだ。
だが到着したパン屋では、ぱっと見たところパンが売られていない。一階は開けた作業場になっているようだが、なんだかパン屋というより工房といった方がしっくりくる。
「パンは売ってないんですか?」
レンの質問に、えっ? という顔をしたマルコだが、すぐに疑問に気付いたようで説明してくれた。
「売っていることは売っているのですが、商売とはちょっと違います。大都市と違って、これぐらいの街ですとパン屋は公共施設のようなものなのです」
流通網の発達していないこの世界において、小さな村や街では食糧の確保が最優先事項だった。そしてパン屋というのはまさにその食糧確保の一端を担う、住民にとっての命綱なのだ。
原料も豊富にあるわけではないから、きっちり数を管理して、ちゃんと住民に行き渡るように計画的にパンを焼く。これは商売というより配給に近い。パン屋が好き勝手にパンを焼くことはできないのだ。
その代わりパン屋は保護されている。多くのパン屋が世襲で、誰かが勝手にパン屋を始めることはできない。ダバンの街には二つのパン屋があったが、どちらも世襲だ。
「食材が豊富にある大都市なら、パン屋も自由競争なのですが、この街では違うのです」
というのがマルコの説明だった。
なるほど、とレンが納得していると声が聞こえた。
「あ、ガー太だ!」
道の向こうにミーナが立っていた。お使いにでも行ってきたのか、荷物の入った大きなカゴを抱えてる。ガー太を見て驚いてたミーナは、すぐに笑顔になってこちらに駆け寄ってきた。
「慌てると危ないよ」
言いながらガー太から降りたところに、ミーナがぶつかるように飛び込んできた。レンは荷物ごとミーナを抱き止める。
「どうしてお兄ちゃんがここにいるの!?」
「前に約束したよね。新しいミーナの家にガー太と一緒に行くって。だから来てみたんだ」
「そうなんだ!」
うれしそうにミーナが笑う。
「ガー太にも挨拶してみたら」
レンはミーナが持っていたカゴを受け取る。カゴの中身はなにかの木の実のようだった。自分たちで食べるのか、それともパンの材料になるのだろうか。
「ガー太!」
「ガー」
ガー太に抱きついたミーナが、声を上げて笑う。ガー太の方は、仕方ないなあ、といった様子だ。
元気そうでよかった、とレンも笑顔を浮かべる。
「ミーナ、どうかしたのかい?」
外の笑い声が聞こえたのだろう。店の中から一人の男が出てきた。
人の良さそうな、そしてちょっと気弱そうな感じの中年男性だった。
「なんだマルコか。また商売で――」
男はマルコを見てなにか言いかけたが、そこでガー太に抱きつくミーナに気付いて目を丸くする。
「これはガーガー……か?」
「そうですよ、おじさん。前にミーナが言ってたガー太ですよ」
「あの話、本当だったのか?」
これは後で聞いた話だが、ミーナがガー太と遊んだ話をしても、周囲の人間は、ガーガーが人になつくはずない、と誰もそれを信じなかったそうだ。マルコが本当ですよ、と言っても信じてくれなかったらしい。
「紹介しますよレン様。この人がミーナを引き取ってくれた伯父のゴードンです」
「初めまして」
少し緊張しながら、レンは頭を下げた。
「そしておじさん。こちらはレン様です。私が商売をさせてもらっている、黒の大森林一帯を治めるオーバンス伯爵家のご子息です」
「そうですか。いつもマルコがお世話に――えっ?」
軽く頭を下げて挨拶したところで、ゴードンは動きを止めた。
「オーバンス伯爵家のご子息様……?」
「はい。貴族様ですよ」
笑いながらマルコが言う。どうやらおもしろがっているようだ。
「こ、これは大変失礼いたしました!」
平伏しそうな勢いでゴードンが頭を下げる。
「あ、そんな気を使っていただかなくても。マルコさんも、笑ってないで何とかして下さい」
あせるレンに、横からミーナが聞いてくる。
「お兄ちゃん。ガー太と遊んできていい?」
「え? ああ、いいけど――」
「こらミーナ! 貴族様になんて口の利き方を!」
「あ、ゴードンさん。僕は気にしていませんから――」
「本当に申し訳ございません! この子はまだ子供なのです。どうかお許し下さい!」
この騒ぎに、いつの間にか店の周りには野次馬が集まり始めていた。
結局、ゴードンを落ち着かせるのにしばらく時間がかかり、レンの噂はあっという間に街中に広がってしまった。
ガーガーを引き連れてきた貴族がいるらしい、と。