第48話 ダバンの街へ
ダークエルフにバゼをもらって以来、レンはずっとそれを愛用してきた。だが冬になってからはバゼを使うのをやめ、夜はベッドで寝るようになった。
別にバゼに飽きたわけではない。単純に寒かったのだ。
つるを編んで作られたバゼは風通しがよく、夏は快適だったのだが、冬になると風通しがよすぎて寒かった。
ダークエルフたちは一年中バゼを使っているそうなので、冬はどうしているのかと聞いてみたところ、
「シーツなどにくるまって寝ています」
とのことだったが、残念ながらそれはもう試している。シーツにぐるぐる巻きになって寝てみて、それでもやっぱり寒かったのだ。
日本で使っていたあったかい毛布でもあれば話は別だっただろうが、今レンが使っている薄っぺらいシーツでは限界があった。
ダークエルフたちはもっと粗末なシーツを使って寝ているのだが、これはもう体のつくりが違うとしかいえない。彼らは人間と比べて寒さに強いようだ。逆に暑さには弱いらしいが。
とにかくバゼをあきらめてベッドに寝るようになったが、それでもやはり寒かった。石造りの部屋はよく冷えた。
ふかふかのあったかい布団が恋しいなあ、ゆたんぽでも自作してみようかな、なんて考えていたのだが、数日前からその問題は解決した。
「領主様。起きて下さい」
朝。本日のお世話係であるロゼがレンを起こしに来た。このお世話係、最初にやり始めた日からずっと一日交替で続いている。慣れというのは恐ろしいもので、最初は抵抗があったレンも、今ではもう当たり前のように受け入れてしまっていた。
ところがここ数日、朝起こしに来てくる三人の態度が微妙だった。今朝もそうで、
「おはようロゼ」
「おはようございます。領主様」
直立不動の姿勢から一礼したロゼだったが、少し視線を横にずらして厳しい表情になる。彼女の視線の先にあったのは、シーツからのぞく銀色のゆたんぽ――ではなく銀色の髪の毛だった。
「うー……」
もぞもぞとシーツが動くと、シーツから頭だけ出していた彼女が体を起こした。
「あ、おはよう、レン」
ニッコリ笑ってレンに抱きついてきたのはカエデだった。
「おはよう」
とレンは笑顔で挨拶を返したが、ロゼはますます厳しい顔になり、
「カエデ。前にも言いましたが、領主様にご迷惑です。一緒に寝るのはやめなさい」
と注意したが、カエデはそんな彼女の方をちらりと見ただけで、わざと無視するように、ぎゅっとレンに抱きつく。
「まあまあ」
とレンはロゼをなだめようとしたが、彼女の機嫌は直りそうになかった。
カエデがレンと一緒のベッドで寝ているのは、彼女がそうしたいと言い出したからだ。
屋敷にカエデを連れ帰ってきた日、レンはロゼたち三人も集めて、五人で一緒に話をしてみた。
「カエデの部屋だけど、今の三人部屋を四人部屋にした方がいいのかな?」
最初はロゼたち三人にもそれぞれ個室を用意しようとしたのだが、三人が一緒がいいと言うので三人部屋になった。だったらカエデも一緒にした方がいいのかなと思ったのだ。カエデもまだまだ子供だし、一人部屋は寂しいかもしれない、とも思ってのことだ。
「はい。私たちはそれで構いません」
ロゼがそう答え、ディアナもリゲルも賛成したので、それで決まりかと思ったのだが、カエデが別のことを言い出した。
「カエデ、レンと一緒がいい」
「それは許可できません」
「なんで?」
ロゼが即座に却下したと思ったら、カエデがさらに聞き返す。
珍しい光景だな、とレンは思った。序列に従うダークエルフの間では、普通、言い争いは起こらない。序列を持たない赤い目だからこそ、こうした言い争いが起きる。
「レン、一緒じゃダメ? やっぱりカエデは邪魔?」
「ダメじゃないよ」
悲しそうな顔で聞かれたレンは、思わずそう答えていた。
「やったあ! じゃあ一緒の部屋だね」
「ま、まあしばらくはそれでもいいかな……」
これまで孤独だったカエデの境遇を思えば、しばらくは一緒にいてあげてもいいかと思った。まだ十一才の子供だし、現状で唯一の理解者といっていい自分の近くにいたいのだろう。
これが日本なら間違いなく事案だが、ここでなら問題ない、と思ったのだが今度はロゼが異議を唱えた。
「待って下さい領主様。カエデがいいというなら、私たちも同じ部屋で――」
「君たちはダメ」
「なぜですか!?」
「また変なことされそうだし」
ロゼが言葉に詰まる。
最初に三人がやってきたとき、夜這いをかけられたことは忘れていない。近頃はおとなしいが、レンは油断していなかった。
彼女たちが純粋に好意を向けてくれているのなら、まだいい。というか、レンも真剣に考えなければならないと思う。だが上から命令されて誘惑してくるのだから、これはもう断固として拒否するしかない。
というわけでカエデはレンと一緒の部屋で暮らすようになり、寝るときも一緒のベッドで寝るようになった。
最初はカエデのことを思ってのことだったが、実際に一緒の布団に入ってみると、レンにとっても大きな利点があることがわかった。
暖かいのだ。カエデの体温が高かったので、一緒に寝ているととても暖かい。
少なくとも春まではこのままでいいか、なんてレンは思っていた。暖かいベッドというのは、あらがいがたい魅力を持っていた。
このようにカエデはレンにべったりくっついていたので、レンが外出することを告げると、即座に、
「カエデも行く!」
と答えた。
「私たちもご一緒します」
当然のごとくロゼ、ディアナ、リゲルの三人も一緒に行くと言った。
これまで外出といえば屋敷の周囲か、遠くへ行っても黒の大森林の集落だったが、今回はもう少し遠くへ泊まりがけで出かける予定だった。
目的地はミーナが暮らしているダバンの街である。
彼女がダバンにいる伯母の家に引き取られていったのが去年の春のことだ。それからすでに半年以上が経過している。
最後にミーナに会ったときには、
「ガー太と一緒に遊びに行くからね」
と約束していたのに、まだ一度も行っていない。忘れていたわけではなく、ミーナが元気で暮らしているのかも気になっていたのだが、ついつい先延ばしにしていた。
今回、行ってみようと思ったのは、昨日のマルコの言葉がきっかけだった。
マルコ、ダールゼンと三人で、密輸のことについて色々と話し合ったのは昨日のことだ。その席でマルコは、ジャガルに住まいを移すと言い出した。
仕事をするにはその方が都合がいいので、レンも賛成だったが、そうなるとマルコがこの屋敷に来る回数も減るだろう。
レンはいつかマルコに同行してミーナのところを訪れるつもりだったが、彼が来る回数が減ればそれが難しくなる。だったらその前に一度連れて行ってもらおうと思ったのだ。
幸い、マルコはこれからジャガルの街に向かうとのことだったので、昨日の最後に連れて行ってもらえないかと頼んでみた。
マルコは少し驚いたようだったが、すぐに笑顔になって「わかりました」とうなずいてくれたので、これでダバンの街へ行くことが決まった。
自分で言い出しておいてなんだが、正直、行きたくないなあという思いもあった。知らない他人の家を、いきなり訪問するのには抵抗がある。
ミーナの新しい家族の人たちに、最初はどう挨拶しよう?
「初めまして。レンと申します」
ぐらいが無難か? とか考え出すと気が重くなってくる。向こうにも迷惑じゃないか、とも思う。
だがそれ以上にミーナのことが気になった。自分にはナバルを助けられなかった責任がある。これは自分がちゃんとやらねばならないことだ。
出発は明日の昼頃、と決めたのが昨日だから、つまり今日の昼頃だ。
マルコに同行するのは、レン、カエデ、ロゼ、ディアナ、リゲルの五人と、さらにダークエルフ四人が加わる。四人の同行も昨日の話し合いで決まった。
今回、レンが行く予定のダバンの街は、ジャガルの街へ行く途中にある。レンたち五人はダバンまで行って、ミーナの様子を確認したところでマルコと別れる予定だ。そこから屋敷に帰ることになる。
一方、マルコはそのままジャガルまで行く。
今回のマルコには、ジャガルでやることが色々あった。
まずターベラス王国から持ち帰ってきた商品の売却。
そして新しい住居探しに新しい馬車の購入。次に密輸する商品を購入し、巡回商人としての商品も仕入れなければならない。同行する四人のダークエルフは、その間、マルコの護衛兼雑用係として働き、最後は新しく買った荷馬車に、密輸する商品を積み込んで戻ってくる予定だ。
「集落には御者の経験のある者がいます。その者を含めて四人送りましょう」
昨日、ダールゼンはそう言って集落へと帰っていき、その言葉通り四人のダークエルフが昼前頃に屋敷にやって来た。全員、若い男性だ。見た目だけなので実年齢はわからないが。
昼頃には予定通りマルコも荷馬車でやって来た。亡くなったナバルの時から使っている大きな荷馬車だ。彼がジャガルへ仕入れに行くときは、いつも護衛と手伝いに村人を何人か雇っていたのだが、今回はダークエルフがいるため彼は一人だった。
御者台にはマルコが座り、ダークエルフたちは荷馬車の中に。そしてレンはガー太に乗って出発する――つもりだったのだが、カエデが荷馬車が嫌だと言い出した。
「レンと一緒に外で歩いていく」
ダバンの街まではおよそ二日。歩きづめになるし、子供の足では無理でしょうとマルコは言ったのだが、レンはカエデが歩きたいのなら、と一緒に歩いていくことにした。
ガー太に二人乗りが一番だと思うのだが、カエデの場合、ガー太が乗せるのを嫌がるだけでなく、彼女もガー太に乗りたがらない。他のダークエルフと違い、カエデにとってガー太は倒すべき敵なのだ。施しは受けないということか。
すでにカエデの身体能力は知っている。子供ではあるが、彼女の体力や脚力は、並みの人間どころかダークエルフの身体能力をも超える。おそらくだが二日間、本当に四十八時間歩きっぱなしでも平気な顔をしているのではないだろうか。
あ、でも食事の時間は必要かな。
カエデはなんでもよく食べる。動き回ったときなどは、レンの倍ぐらい平気で食べる。高い能力を発揮するためには、それなりの燃料が必要なのだろう。
出発の準備を整え――といってもレンたちが用意したのは少しの着替えぐらいだが――一行はダバンの街へと出発した。