第47話 本業
新年が明けてしばらくたった一月十二日。
レンはダールゼンの訪問を受けた。
「遅くなりましたが、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」
ダールゼンが頭を下げて挨拶してきたので、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
レンも挨拶を返す。
この世界でも大晦日と元日は特別な日だ。街では新年を祝う祭りが開かれたりする。
南の村でもお祝いの宴があり、本来なら領主のレンが出席すべきだったが、当然のごとくレンは出席せず、代理としてマーカスが出席した。
レンも行きたくなかったし、村人たちもレンを歓迎しないだろうから、マーカスが出席するのが無難だった。
というわけで新年を迎えても、レンの屋敷では特別なことはなにもなかった。元日の料理がちょっと豪華になったぐらいだろうか。
ちなみにダークエルフには新年を祝うという風習はないとのことだ。世界樹を基準に考える彼らにしてみれば、一年というくくりはあまり意味を持たないようだ。
「今日は領主様に、至急お伝えせねばならぬことがあって参りました」
新年の挨拶のためだけに来たのではないだろう、と思っていたが、やはりなにかあったようだ。
「これを」
ダールゼンが差し出したのは一通の書状だった。
「これは手紙ですか?」
「はい。領主様に届けるようにと渡されたそうです」
「誰からです?」
「ターベラス王国のヴァイセン伯爵様からです」
と言われても、誰だかわからなかった。名前に聞き覚えはあったのだが。
「ガゼの街の領主様です」
そこまで言われて思いだした。ガゼの街は密輸相手の商人がいる街だ。そこを治めるヴァイセン伯爵は、有名な貴族だと教えてもらっていた。
「そのヴァイセン伯爵から手紙ってことは、もしかして密輸がバレたんですか?」
「はい」
「商隊のダークエルフたちはどうなったんです!?」
密輸がバレたと聞いて、まず気にしたのがそれだった。彼らは大丈夫なのだろうか。
「大丈夫でした。全員が無事戻ってきています」
ダールゼンが何があったのかを説明する。ゼルドたちから聞いた話をまとめたものだ。
「……というわけで、彼らは解放され、その手紙を持って帰ってきました」
「なるほど。そんなことがあったんですか」
途中何度か質問を挟みつつ、話を聞き終えたレンは、あらためて受け取った手紙の中身が気になった。
何が書かれているのかと思いつつ、封を切って、中の手紙に目を通す。
「なんと書かれているのでしょうか?」
気になる様子でダールゼンが聞いてくるが、
「いえ、挨拶みたいな感じですね……これからもよろしく、みたいな」
これまでの勉強のせいかだろう。所々よくわからない言い回しがあったが、だいたいの意味は理解できた――はずだ。
書かれていた内容をまとめると、
「初めましてレン殿。私はターベラス王国のヴァイセン伯爵だ。あなたとは少し変わったきっかけだったが、こうして知り合うことができた。せっかくの縁なので、私としてはこれからも交流を続けていきたいと思っている」
といったところか。
「それだけなのですか?」
「ですね。ダールゼンさんも読んでみますか?」
「すみません。私は字が読めないので」
「あ、すみません」
差し出した手紙を慌てて引っ込める。悪気があってやったわけではないが、嫌みになってしまったと反省する。
「それにしても、どういうことなのでしょうか?」
「多分ですけど、これからも密輸を続けていきましょう、ってことではないかと」
もし密輸を取り締まるつもりなら、捕まったダークエルフたちは処罰されていたはずだ。それなのに彼らを解放し、しかも向こうで仕入れた商品まで返してくれたという。ということは、向こうも取り締まるつもりがないと考えるべきだろう。
そうすることで向こうにもメリットがある。
わかりやすいのが金だ。やはり密輸は儲かる。
「今回の売り上げはどれぐらいになったんです?」
「マルコさんから申告された仕入れ値が金貨十枚です。それがターベラス王国では金貨二十二枚になりました」
保険契約でダークエルフの取り分は仕入れの七割だから、ダークエルフの儲けが金貨七枚、マルコの儲けが金貨五枚ということになる。
「戻りの分はどれくらいです?」
「指定されていた商品を、金貨十二枚で購入してきました」
それがどれだけの値段で売れるかはマルコ次第だが、おそらくこれも倍以上の値段で売れるだろう。
ダークエルフの儲けは金貨十二枚の七割だから金貨八枚と銀貨四枚。行き帰りの合計で金貨十五枚と銀貨四枚になる。
「前回と今回の収入で、集落の食料はしばらく安泰です。領主様には、あらためてお礼申し上げます」
「いえ、前にも言いましたけど、僕は何もしていませんから」
聞いた話によると、これまでダークエルフの集落では、月に金貨一枚から二枚程度の食料を購入していたそうだ。
レンは頭の中で金貨一枚を十万円と計算していたが、集落百人分の一ヶ月の食料を十万で買っていたことになる。
狩猟や採集で自給できる分があったとしても、安すぎだろうと思ったのだが、どうやら一口に食料といっても値段にかなりの幅があるらしく、安いものはとことん安いらしい。その分、味はお察しのようだが。
今までは、その一ヶ月分の食費も捻出できないときがあったが、前回と今回の儲けで一年分ぐらいの食糧が確保できる見通しとなった。ダークエルフたちにとっては、まさに大儲けである。
とはいえ、大貴族であるヴァイセン伯爵にとっては、金貨十枚や二十枚程度、はした金とまではいかなくても、密輸を見逃すほどの儲けではないだろう。ただ密輸の規模は拡大予定である。順調にいけば、もっと大きな利益につながる。
ヴァイセン伯爵もそう考え、見逃すことに決めたのではないだろうか?
「ちょうど三日後ぐらいにマルコさんがここに来る予定です。そこでもう一度、ダールゼンさんも合わせて話し合いたいと思うんですが」
商人のマルコからなら別の答えが聞けるかもしれない。
「わかりました。では三日後、再びこちらに参ります」
「これから集落に帰るんですか?」
「そのつもりですが」
「どうせ三日後にまた来るなら、一度温泉の方に行ってきたらどうですか? ダールゼンさんはまだ行ったことなかったですよね?」
「はい。興味はありますし、作業の進捗も一度確認しておいた方がいいだろうとは思っていましたが……」
温泉の近くに建つ予定の新しい屋敷は、今もダークエルフたちの手で建築が進んでいる。レンの温泉通いも続いていたので、行くたびに作業が進んでいるのはわかっていた。
ちなみにこの建築作業現場は、作業が終われば温泉に入れるし、温泉に入りに来るガーガーたちの姿を見ることもできるし、というわけでダークエルフたちにとって人気の職場らしい。おかげで数日ごとに作業者を入れ替えたりしているようだ。
「じゃあ、いい機会ですから行ってきたらどうですか?」
「わかりました。では、そのお言葉に甘えさせていただきます」
この後、ダールゼンは温泉へと行くことになるが、結局そこの建設現場で働いて三日後まで戻ってこなかった。どうやら彼もどっぷりと温泉にはまったようだ。
「そういえば領主様。カエデのことですが、様子はどうでしょうか?」
「ああ、元気にしてますよ。むしろ、ちょっと元気すぎるというか……」
赤い目と呼ばれるカエデは、普通のダークエルフと違って序列を持たない。人間の子供と同じようなもので、つまり自由気ままで言うことをきいてくれない。
勉強を教えようとしても、
「えー。つまんない」
と言って嫌がるし、なついてくれるのはうれしいが、用事があるときでも、
「ねえ、遊ぼう!」
とまとわりついてくる。
これまでロゼたちが手がかからなかったことに比べ、色々と大変で、少しは子育ての大変さがわかった気がした。
また、リゲルやディアナとはそれなりに仲良くやっているようだが、特にまじめなロゼと相性が悪く、いつもしかられたり小言を言われたりしているので、
「あいつ嫌い。レン、やっちゃっていい?」
なんて物騒なことを聞いてくる。もちろんケンカは絶対ダメと言い聞かせているが。
ケンカといえば、レンの側にいないときは、たいがいガー太と遊んでいるというか、戦いを挑んでは敗北を繰り返している。ガー太も手加減してくれているようだが、大けがしたりしないか少し心配だ。
「もし領主様の手に負えないようでしたら、すぐにおっしゃって下さい」
「そこまではいきませんから、大丈夫ですよ」
手はかかるが、素直に好意を寄せてくれているのも事実だから、かわいいとも思っている。
これで話はいったん終わり、続きは三日後となった。
「そうですか。ヴァイセン伯爵に見つかってしまいましたか。それでダークエルフたちはどうなったのですか?」
質問してくるマルコに、レンが何があったかを簡単に語った。
あれから三日たち、予定通りマルコが屋敷にやってきた。ダールゼンも再び屋敷に戻ってきて、あらためて三人で話し合いとなった。
「――というわけで、商隊の方たちも解放され、無事戻ってこれたそうです」
「商品や代金はどうなったのですか?」
やはりマルコはそれが一番気になっていたようで、
「それらも全部返却してもらえたそうです」
「そうですか。それはよかった」
ホッとした様子を見せる。
「さらにこんな手紙まで渡されたそうです」
ヴァイセン伯爵から送られた手紙を差し出す。
「中身を拝見しても?」
「どうぞ」
興味深そうに手紙に目を通すマルコ。
彼が読み終わるのを見て、レンは質問する。
「どう思いますか?」
「そうですね……。私たちの取引についてやめろとは書いていませんから、このまま続けてよい、ということだと思いますが……」
「やはりヴァイセン伯爵もお金儲けが目的でしょうか?」
「それもあると思いますが、それよりも伯爵はレン様とつながりを持ちたいと思っているのではないでしょうか?」
「私とですか?」
「ヴァイセン伯爵は西のザウス帝国を嫌っています。今は両国関係は安定していますが、もしザウス帝国が再び侵攻してくるようなことがあれば、黒の大森林を抜ける道が、なにかの役に立つかもしれない、と考えたのではないでしょうか?」
「お金ではなく、政治や軍事のことを考えて、というわけですか」
推測ではあったが、レンもそっちの方がしっくり来ると思った。
「こうなってみると、ヴァイセン伯爵に見つかったのはよかったかもしれません。伯爵公認というか黙認となれば、これまで以上に取引を増やすことができます。実は私の方も本業をどうするか迷っていたのですが、これで踏ん切りがつきました」
「どういうことですか?」
「巡回商人の方は人を雇って任せることにして、私はジャガルに住もうと思っているのです」
マルコの本業は巡回商人だ。ジャガルの街で商品を仕入れ、黒の大森林の周囲の村々を荷馬車で回って商売している。村の人間を手伝いや護衛として雇っているが、マルコも常に荷馬車に乗って村々を回っている。
これを完全に人任せにしようというわけだ。
代わりにマルコはジャガルの街での商売に専念する。
この商売は、巡回商人としての商品の仕入れもあるが、それよりも密輸する商品の仕入れの方が大きい。さらにこれからは向こうから持ち帰ってきた商品を売りさばくという仕事も増える。
付け加えるとダークエルフたちが作るバゼを売るという商売もある。こちらは引き合いはあるが、生産が追いつかないという状況が続いていたままだ。
とにかく巡回商人を本業にしていたら、手が回らなくなってきていたのだ。そこで本業をジャガルの街での商売に切り替える、というわけだ。
これはダークエルフたちにとってもメリットがある。
今まではマルコは村を回っていたから、どうしても商品の引き渡しなどに時間がかかった。彼がレンの屋敷にやってくるのを待つ必要があったからだ。だが常にジャガルの街にいるなら、連絡しやすくなる。
「それで一つ提案があるのですが。商品の引き渡しをここで行うのではなく、ダークエルフたちに直接ジャガルまで来て欲しいのです」
これまで密輸する商品は、巡回商人の荷馬車に載せてレンの屋敷まで運び、そこでダークエルフたちに引き渡していた。それをジャガルでの引き渡しに変えるのだ。
新しい荷馬車を購入し、その運行は全てダークエルフに任せる。ジャガルで商品を積み込み、そこからダークエルフたちが運ぶことになる。戻りもターベラス王国で仕入れた商品を、ダークエルフたちがジャガルまで運ぶ。
一番いいのは集落までに馬車で運ぶことだが、残念ながら黒の大森林には馬車が通れるほどの道がないので、どちらにしろレンの屋敷が中継点になるのは変わりない。だがマルコを待つ必要がなくなるので、これまでより運行はスムーズになるだろう。
「我々としてはそれで構いませんが、領主様はどう思われますか?」
「ダールゼンさんもそれでいいと言うなら、僕もそれでいいと思いますよ」
これで話はまとまった。
保険の契約に関しては、補償範囲が広がった。これまでは黒の大森林での損害補償となっていたが、それがジャガルを出てから戻ってくるまでの範囲となった。道中、盗賊に襲われる危険性もあるが、ダークエルフたちが護衛につくので特に問題はないだろう、ということで仕入れ料金の七割というのはそのままとなった。
巡回商人の方の引き継ぎなどもあり、今すぐとはいかなかったが、できるだけ早い時期に、ということとなった。