第46話 ヴァイセン伯爵
「伯爵様。よろしいでしょうか?」
部下からかけられた声に、ヴァイセン伯爵は書状をしたためていた手を止めた。
「構わんよ。もう尋問が終わったのか?」
この部下には捕らえたダークエルフたちの尋問を命じていた。予想していたよりずいぶん早いが、もう終わったのか、それとも何かあったのか。
「それが、ちょっと予想外の話が出てきまして……」
どうやら何かあったらしい。
今日捕らえたダークエルフたちだが、彼らについてまだ詳しい事はわかっていない。
なんだか怪しいから一度捕まえて調べてみるか、と思って彼らを捕らえたのだ。
現代日本なら無茶苦茶なやり方だが、人権など存在しないこの時代ではよくあることだ。対象がダークエルフならなおさらである。
最初にガゼの街に訪れたときから、彼らの行動は監視していた。
街は基本的に出入りを自由にしているが、門にはベテランの兵士を見張りとして置き、出入りしている者はちゃんと監視していた。彼らはその見張りの目に引っかかったのだ。
理由は見慣れぬ複数人のダークエルフというだけ。それだけだったが、まともな職に就くのも難しいダークエルフが、複数人連れだって街にやって来たことに、見張りのベテラン兵士は犯罪の可能性を思い付いたのだ。
ベテラン兵士は部下に彼らの後をつけさせ、ラフマンという商人と接触したことを確認した。それなりに名を知られた商人だ。ただ、この時はそれ以上の行動は見られず、彼らはすぐに街から姿を消した。
彼らが再び姿を現したのは、二ヶ月ほどたってからだった。人の顔を覚えるのが得意な見張りの兵士は、彼らのことをしっかりと覚えていた。この時も後をつけさせ、またもラフマンと接触するのを確認した。そしてこれまた前回と同じように、彼らはすぐに街から姿を消した。
この時点で、報告がヴァイセン伯爵のところまで上がった。
「少し調べてみるか……」
というのが報告を受けたヴァイセン伯爵の答えだった。
商人がダークエルフを雇うのは、そこまで珍しいことではない。危険な仕事や汚れ仕事などで、ダークエルフを使う商人はいる。
だが伯爵はダークエルフだけというのが気になった。ダークエルフを雇うにしても、普通はリーダーに人間を置く。雇い主はその人間と会い、ダークエルフと直接話をすることはない。だが報告ではダークエルフたちは直接ラフマンの店を訪れたという。それが気になった。
そして少し調べてみると、さらに気になることがわかった。ダークエルフたちが店を訪れてからしばらくして、ラフマンの店の品揃えがちょっとよくなったという。国外の商品の数が増えたという。
「密輸品か盗品か……」
どちらかの可能性があるなと伯爵は思った。それならダークエルフたちを使い、コソコソやっているのもうなずける。伯爵は監視の継続を命じた。
そしてさらに二ヶ月ちょっとが過ぎ、またもダークエルフたちが現れた。ラフマンの店へと向かい、それからしばらくして彼の店の品揃えが増えたのも同じ。
この時は街中の監視だけでなく、街を出た彼らの追跡も行ったのだが、これは上手くいかなかった。ダークエルフたちはずっと周囲に気を配っていたし、カンも鋭いようだった。
多くの人が行き交う街中だからバレずに監視できたが、人の少ない街の外ではかなり難しい。
「気付かれないように泳がせておけ」
と伯爵が命じていたこともあり、街を出てからの彼らの追跡は断念した。
だがこれで伯爵は彼らが密輸品か盗品を扱っているのではないか? という疑いをさらに強くした。
「次に来たときに現場を押さえろ」
と伯爵は命じておいた。
そして今日、またもダークエルフたちが現れたのだ。
伯爵はザウス帝国との密輸の可能性が高いな、と思っていた。盗品という可能性もあるが、定期的に国外の品物ばかりを用意するのは難しいだろうと思ったからだ。
だが部下からの報告は予想外のものだった。
「グラウデンから来た? 黒の大森林を抜けてか?」
にわかには信じがたい話だった。
「本当なのか?」
「色々と質問してみましたが、話の筋は通っていました。それにウソをつくにしても、もっと信じられるようなウソをつくと思うのです」
「むう……」
ヴァイセン伯爵の領地は、西にルベル川を挟んでザウス帝国と向かい合い、南に黒の大森林に接するという難しい位置にある。そんな土地を任されたのは、国王の信頼が厚いからだったが、自分の領地に接しているだけあって、伯爵は黒の大森林の恐ろしさをよく知っていた。
あそこは人が通り抜けられる場所ではない、と思った。
いや、だからこそのダークエルフか?
幾多の戦場を経験してきた伯爵は、ダークエルフについても多少知っていた。彼らの中には、人間を越える身体能力を持つ者もいる。そんなダークエルフならば、黒の大森林を抜けることもできるか?
「よし。私が直接会って話を聞こう」
「伯爵様がですか!?」
部下が驚く。
「ダークエルフの相手など、伯爵様がなさるべきではありません」
汚れたダークエルフと話したりすれば、それだけで伯爵様にも汚れてしまいます、とでもいうように部下は反対したが、
「真偽を確かめる必要があるからな」
ヴァイセン伯爵は部下の反対に取り合わなかった。
生まれながらの貴族ではなく、農民から今の地位まで成り上がったヴァイセン伯爵は、人は身分ではなく中身だ、との考えを持っている。貴族社会では身分が一番なので、その考えを表に出すことはないが。
ダークエルフについても、別に汚れた存在とも思っていない。人間とは違う生き物だ、とは思っていたが。
捕らえたダークエルフに会って話をするために、ヴァイセン伯爵は席を立った。
こうして捕らえられたゼルドの目の前にヴァイセン伯爵が現れることになったわけだが、ゼルドにとっては予想外もいいところだ。
「どうしたダークエルフ。そんなに驚いた顔をして」
「いえ、それは……まさか伯爵様本人が現れるとは……」
落ち着け、とゼルドは思った。伯爵本人相手に対応を間違えたら、それこそ取り返しのつかないことになる。ここは慎重に受け答えしなければならない。
目の前の男が偽物かもしれない、とは思わなかった。
ヴァイセン伯爵は老人だった。体もそれほど大きくはない。それなのに向かい合って座ってみると、相手の体が何倍も大きく感じられた。
これと似たような感覚には覚えがある。
まるで強力な魔獣と向かい合っているみたいだ、とゼルドは冷や汗を流した。まさかこんな人間がいるとは、思ってもみなかった。
相手の気迫に飲まれるな、とゼルドは気合いを入れ直す。
「もう一度、お前の知っていることを全部話せ」
ヴァイセン伯爵に言われ、ゼルドはこれまで通りの説明を繰り返す。
自分はグラウデン王国の貴族に雇われただけの、ただの運び屋である、と。
「私は全部話せと言ったぞ」
話を聞いた伯爵の眼光が鋭さを増した。
「私はこれまで戦場で多くの兵士を見てきた。だから本当に恐怖する人間がどんな顔をするのか、多少は知っている。お前は一見私を恐れているように見せているが、それは演技だろう? 心の中は冷静で、話す言葉を選んでいるな?」
見抜かれている、とゼルドは思った。
「もう一度言う。本当のことを全部話せ」
ゼルドは迷った。この場合の明確な指示がなかったからだ。
もし捕まった場合は、グラウデン王国の貴族に雇われたと隠さずに話せ、と指示を受けていた。それを相手が信じるかどうか、どんな処罰が下るかは相手次第だ。だがこちらの話をウソだと信じないのではなく、それを事実と信じた上で、話していない部分も話せと言ってくる相手は想定外だった。
これ以上話すべきではないのか、それとも領主のレンとダークエルフの関係を全て話した方がいいのか、どちらがいいのか判断できない。
「私はお前を雇ったという貴族に興味がある」
ゼルドの迷いを見抜いているのか、伯爵はさらに言った。
「その相手と話がしてみたい、とも思っている。お前を雇ったのは、黒の森辺境泊であるオーバンス伯爵だろう?」
ターベラス王国とグラウデン王国は、間に黒の大森林とザウス帝国を挟んでいるため直接の行き来はないが、それでもある程度の情報は入ってくる。
伯爵もグラウデン王国には黒の森辺境泊がいて、それがオーバンス伯爵というのも知っていた。ただ彼がどんな人物なのかは、うわさ程度にしか聞いていない。
「お前は伯爵に金で雇われただけの関係か? それともある程度の忠誠心を持っているのか? そもそも伯爵は、なぜダークエルフを雇い、黒の大森林を越えるなどという無謀なことを思い付いたのだ?」
矢継ぎ早に出された質問に、ゼルドは決心する。特に「相手と話がしてみたい」という言葉が決め手になった。
すでに密輸はバレてしまった。これから先はもう今まで通りにはできない。だったら相手の言葉を信じ、レンとヴァイセン伯爵の間に新たな関係を築くことに賭けるべきではないか、と判断したのだ。
自分の判断が正しいかどうかはわからない。これからどうするか決めるのはヴァイセン伯爵であり、ダールゼンとレンだ。だが最初の一歩として、伝えるべき情報は伝えておこうと思った。
それでどうなるかは……正直わからない。
「私を雇ったのは、オーバンス伯爵様ではありません。伯爵様の息子であり、黒の大森林周辺の領主でもあるレン様です」
「その息子というのはどんな人物だ?」
「我々にとって大恩あるお方です。実のところ、私も金でレン様に雇われているわけではありません。話が長くなりますが、よろしいでしょうか?」
「構わん。話してみろ」
ゼルドは自分が知っていることを正直に全て話した。
自分たちがレンとどのようにして関わることになり、どれだけ助けられたかを。
ヴァイセン伯爵は時々質問を挟みつつ、最後まで興味深そうに話を聞いていた。
「実におもしろい話だった」
最後にそう言って、ヴァイセン伯爵は部屋を出て行った。
そのままゼルドは部屋に監禁されることになったが、数日して解放された。仲間たちも全員が無罪放免となっただけでなく、なんとグラウデン王国に持ち帰る予定だった荷物まで返却された。密輸品が返却されたことになる。
「伯爵様の書状だ。これをレン殿に手渡すように」
伯爵の部下から、一枚の手紙を手渡された。
「なんとしても持ち帰ってお渡しします」
ゼルドは頭を下げて書状を受け取った。この書状がどれだけ重要かはわかる。レン、ダークエルフ、ヴァイセン伯爵の新しい関係が、この書状から始まるに違いない。
「伯爵様。あのダークエルフたちが街を出ました」
「そうか」
部下の報告にヴァイセン伯爵はそれだけ答えたが、その部下が去らないのを見て、
「なにか他にあるのか?」
「いえ……あのダークエルフたちを逃がして、本当によかったのでしょうか?」
「ウソは言っていないと判断したはずだが?」
伯爵は直接ゼルドというダークエルフから話を聞き出し、直感でウソを言っていないと思ったが、それだけでは信じなかった。
捕らえていた他のダークエルフたちからも話を聞いた。その前に、ゼルドから一言「レン様について知っていることを全て話せ」とだけ言わせた。結果、聞き取りを行った全員の話が一致した。
また商人のラフマンとも話した。さすがは海千山千の商人というべきか、
「あのダークエルフたちは、確かに自分たちはグラウデン王国から来た、と言っておりました。ただ私はそれを信じていたわけではありません。安い商品を持ってくるので、それを仕入れていただけでございます」
と言って、あくまで自分は密輸とは思っていなかったと言い張った。
ヴァイセン伯爵は彼らの話を全て聞いた上で、全員を無罪放免とした。
そしてダークエルフには書状を持ち帰らせ、ラフマンにも取引を続けるよう命じた。ただしラフマンには取引の内容を全て報告するようにも命じている。
見逃すが勝手は許さない、というわけだ。
「密輸を黙認することになりますが、それでよろしいのですか?」
「これがザウス帝国との密輸なら、私も容赦はしなかった。だがグラウデン王国となら話が変わってくる。黒の大森林を抜ける道があれば、いざというときに役に立つかもしれん」
ヴァイセン伯爵の目は常に西のザウス帝国を向いている。伯爵の人生はザウス帝国との戦いの歴史といってよかった。
今は両国の関係は落ち着いているが、伯爵はそれが長く続くとは思っていなかった。だからザウス帝国との間に抜け道があるなら、なんとしてもそれをつぶさねばならない。その抜け道を使い、向こうがよからぬことをしてくる危険性があるからだ。
だがこれがグラウデン王国との抜け道なら話が違ってくる。将来ザウス帝国と争いになった際、グラウデン王国とのルートがあれば、役に立つ可能性がある。
これまでターベラス王国とグラウデン王国は、暗黙の同盟関係にあったといえる。どちらも一国だけではザウス帝国に対抗することが不可能だとわかっているため、例えばグラウデン王国とザウス帝国との間に紛争が起これば、ターベラス王国はグラウデン王国を援護するように動いた。
これは二国だけにとどまらず、帝国の周辺諸国全てが、緩やかな対帝国同盟であるといってもいい。
もし両国の間に直通の道ができれば、これまで帝国を経由するしかなかったやり取りが大きく改善し、関係強化につながる可能性が高い。
密輸は犯罪行為だが、それを見逃しても国益になるなら、ヴァイセン伯爵は黙認してもいいと思っていた。
「ですがあのダークエルフたちを信用してもいいのでしょうか? 書状を持たせましたが、このままどこかへ逃げてしまう恐れも……」
「それはないだろう」
自信を持ってダールゼンは言った。
「向こうの領主は上手くダークエルフを手なずけているようだ。私に対してどうかはわからんが、向こうの領主を裏切るような真似はすまい」
ダークエルフは信用ならない、というのが人間一般の評価だ。ヴァイセン伯爵もダークエルフを信用していない。ただ伯爵は信用できない原因は人間の方にもあると思っていた。人間がダークエルフを信用しないから、ダークエルフも人間を信用せず簡単に裏切るのだ。
だが捕らえたダークエルフたちの話を聞くと、彼らは全員がレンという領主を信用しているようだった。
「向こうの領主はダークエルフの集落が魔獣の群れに襲われたとき、自ら駆けつけ、ともに戦って集落を守ったという」
「とても貴族の振るまいとは思えません」
部下は嫌悪するような口調で言った。貴族がダークエルフのために命を賭けるなど、愚かな行為であり、貴族としてするべきではないと思っているようだ。
「確かに常識外れだが、それだけに効果的だ」
戦場で共に戦った絆は強い。伯爵自身が戦場で多くの兵士たちとともに戦ってきたからわかる。実際に命を預け合った関係というのは、他の何物にも代え難いものだ。
これまでさんざん差別されてきたダークエルフが、絶体絶命の危機に救いの手をさしのべられたのだ。彼らが感じた恩義がどれほど大きいか。
「話を聞いて感心すると同時に、正直なところ悔しさも感じたほどだ。どうして同じことを思い付かなかったのか、と」
「まさか伯爵様もダークエルフを重用するおつもりですか?」
「まさか。そんなことはしない」
やろうとしてもできない、というのが正しい。
伯爵はそれほどダークエルフを毛嫌いしていないが、ほとんどの人間はダークエルフを差別して嫌っている。そんなダークエルフを重く用いたりすれば、人間たちの反発を生むだろう。伯爵にとっての領民とはあくまで人間であり、その領民たちの反発を招くような真似はできない。
それを考えれば、立場が違うとはいえレンという領主は思い切ったことをしたものだと思った。余程上手く領民たちを丸め込んだか、それとも反発覚悟で断行したのか。
「だがダークエルフはともかく、黒の大森林については、もう少し調べておくべきだったかもしれんな」
「あそこは魔獣の地です。人間が手を出していい場所ではありません」
「私もそう思ってきた。だから余計な手を出さず監視だけしてきた。下手に手を出して魔獣を刺激すれば、どんな事態を招くか――それを恐れたからだ」
それは魔獣全般に対する人々の基本姿勢だ。向こうから来ない限り、こちらからは手を出さない、というのが常識である。
「だがあのダークエルフたちは黒の大森林を越えてきた。私は黒の大森林を恐れるだけで、そこが本当はどんな場所なのか、知ろうとはしなかった。向こうの領主は、自ら黒の大森林に足を踏み入れたというのにな」
「伯爵様にそんなことをされては困ります。もしその身になにかあれば一大事です」
「わかっている。今更黒の大森林に行こうとは思わぬ」
だが、これが若いときならば、とは思った。
貴族の地位になく、我が身一つで自由に行動できた若い頃なら、あのダークエルフたちに同行を申し出ていたかもしれない。
「向こうの領主はどんな男だろうな? まだ若い男だそうだが」
「常識知らずなのは確かなようですが」
「常識に挑めるのが若者の特権だ。きっとギラつくような野望に燃えた男なのだろうな。一度会ってみたいものだ」