第45話 露見
十二月一日。
寒さが厳しくなり、誰もが冬の訪れを感じていたこの日、ゼルドはガゼの街に到着した。
今回で四回目の訪問である。
最初の時と比べれば、少しは余裕が出てきたな、とゼルドは思った。
四回目ともなれば道も覚えるし、過酷な道のりにも慣れてくる。
だが油断してはいけない、とゼルドは気を引き締め直した。
今回も犠牲者は出なかったが、危険な場面は何度かあった。やはり黒の大森林は恐ろしい場所である。
また、その黒の大森林を抜けたからといって、気を抜くことはできない。
なにしろ自分たちがやっているのは密輸なのだ。
グラウデン王国側では領主公認だが、ここターベラス王国ではそうはいかない。もしバレれば厳しい処罰は免れない。
「わかっていると思うが、街に入っても気を抜くなよ」
部下たちも真剣な顔でうなずく。今回はゼルドを入れて六人組だった。
運んでいる商品は衣類や香辛料などの特産品で、総額金貨九枚分。少し前までは、考えられなかった大金だ。
そんな大事な商品を一月かけて運んできて、やっとガゼに到着したのだ。普通の商人なら一安心といったところだが、密輸を行っている彼らにとっては、ここも危険地帯だった。
だから彼らは決して油断していなかった。
外壁の門をくぐって街中に入ると、商品の届け先であるラフマンの店へと向かう。だが、いきなり全員で店に行ったりはしない。
店から少し離れた路地裏に入り、そこからはゼルド一人が店へと向かった。残りの五人はここで待機だ。
まずはゼルド一人が裏口から入り、店の人間と打ち合わせをする手はずになっている。
その後、運んできた商品と金の受け渡しを、店ではなく、どこか他の場所で行う。ラフマンはダークエルフたちが店に近付くのを嫌っているし、表に出せる取引でもないから、その方が都合がいいのだ。
前回までは商品を引き渡し、代金をもらって取引は終了だった。
だが今回からは、ラフマンから商品を仕入れて持ち帰ることになっている。
ちなみにだが、ラフマンとの取引は単なる商品の売買だけだ。マルコとの取引では保険料と運送料をもらう契約だが、ラフマンとはそういう契約を結んでいない。
ラフマンはダークエルフが運んできた商品を、相場より安い値段――それでもグラウデン王国での仕入れ値の倍以上になる――で買い取るだけだ。今回からは相場よりも高い値段でダークエルフに商品を売ることになるが――これまたグラウデン王国に持って行けば、倍以上の値段で売れるような商品ばかりだ――彼が行う取引はそれで終了する。
これはラフマンにとっての安全策だ。このやり方だと、もし密輸がバレた場合でも、ダークエルフと商品を売り買いしていただけだ、という言い訳が成り立つ。それがどこまで通じるかはわからないが。
持ち帰る商品は基本的にマルコが指定したものだ。それをいくらでどれだけ買ったかはラフマンに明細書を書いてもらい、持ち帰った後で、その明細書を元に、マルコから行きと同じように保険料と運送料をもらうという契約になっている。行きも帰りもダークエルフに金を支払うのはマルコだけなのだ。
ゼルドが裏口から店に入ると、すぐに担当の人間が出てきた。ゼルドの正体を知っているのは、ラフマン本人と他は数人だけだ。担当者はその数人の誰かになる。
「商品を持ってきました」
「わかった。この場所へ運んでくれ」
話は必要最小限だけだ。担当者は地図が書かれた紙をゼルドに渡す。
そこに書かれた家に商品を運び込み、後は担当者がやってくるのを待つ。担当者は荷物運びとして店の人間を数人連れて来るが、彼は取引の詳細を知らないはずだ。なにかあやしいな、ぐらいは思っているはずだが。
「ではお待ちしています」
そう言って頭を下げ、ゼルドが裏口から出ようとしたときだった。
店の外に殺気立った人の気配を感じた。
ゼルドは素早く担当者の顔を確認するが、彼は怪訝そうな顔をしただけだ。どうやら彼の差し金ではないらしい。だとすれば……
考えをまとめるよりも早く、外にいた人間が裏口から踏み込んできた。
「そこまでだ。二人とも動くな」
声を上げたのは武装した兵士だった。さらに二人の兵士が入ってきて、合計三人。
ゼルドはとっさに逃げることを考えたが、それはやめておいた。
おそらくこの場から逃げることはできるだろうが、その後が問題だ。街の門を封鎖されたら袋のネズミだし、ダークエルフは目立つから隠れることも難しい。それに部下たちのことも気になった。
兵士たちが現れたのがここだけならいいが、それは楽観的すぎるだろうと思った。きっと向こうも兵士たちに捕まったと考えるべきだ。
「逃げられるならもちろん逃げて。でも逃げられないと思ったら、おとなしく捕まった方がいいと思う。抵抗するのは本当に最後の手段ってことで」
密輸がバレた時にどうするか? レンはそんな風に言っていた。さらに、
「捕まったら、正直に僕の名前を出してほしい。そして自分たちは、グラウデン王国の貴族に雇われただけで、詳しいことはなにも知らないって」
知らないですむとは思えないが、単なる運び屋なら処刑まではされないのでは、とレンは考えたのだ。素直に捕まれば、相手の心証だって少しはよくなるはずだ。
逆に下手に逆らったりすれば、確実に殺されてしまうだろう。それどころか他のダークエルフたちにまで累が及ぶかもしれない。
差別されているダークエルフには人権などないのだから、あやしいダークエルフは皆殺しだ、となってもおかしくない。
この方針はダールゼンを通じてゼルドにも命じられており、彼はそれに従うことにした。
「これはこれは兵士様。お勤めご苦労様でございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
兵士たちの登場に驚愕していた担当者だったが、即座に営業用の顔になってそんなことを聞く。
たいしたものだ、とゼルドは感心した。そして彼の反応を見て、やはり彼も知らなかったのだと思った。
「お前たちがこのダークエルフとどんな取引をしているのか、ちょっとそれを聞きたいな、と思ってな。主人はいるのか?」
「あいにくラフマンは外出しておりまして」
「だったらすぐに呼び戻せ。そして伯爵様の屋敷に来るように伝えろ」
「わかりました」
「連絡は誰か他の者にやらせろ。お前はこのまま私と来てもらう」
次に兵士はゼルドの方を向き、
「ダークエルフ。お前は一人か?」
「いえ、仲間がいます」
いかにも怖がっています、という顔と声でゼルドが答える。
ここは隠したりせず、正直に答えるべきだと思い、訊かれる前に自分から答えることにする。
「すぐ近くの路地裏で、私の帰りを待っているはずです」
「何人いる?」
「五人です。私を入れて六人です」
「……どうやら嘘は言っていないようだな。お前にも聞きたいことがあるので、私と一緒に来い。わかっているだろうが、聞かれたことには全て正直に答えろ。嘘をつくとどうなるか、わかっているだろうな?」
「それはもう、わかっております」
と頭を下げながら、おや? とゼルドは思っていた。
兵士たちの対応が意外に丁寧なのだ。もっと大声で怒鳴られたり、殴られたりするのも覚悟していたのだが。
それにしてもどこから、いや、いつから見張られていた?
とゼルドは考える。
今回のこの素早い対応は、前々から準備していたものだろう。少なくとも前回ここに来たときには、目を付けられていたことになる。
だが兵士たちの対応を見ると、彼らにもゼルドたちの正体がよくわかっていないようだ。密輸と確信して捕らえたのではなく、よくわからないがあやしいダークエルフがいる、ぐらいで捕らえたのではないだろうか、と思った。
ゼルドはその場で手に縄をかけられ、兵士たちに連行されることになった。店の担当者も一緒だが、こちらは特に拘束されていない。
そのまま彼らは街の中心へと向かった。領主であるヴァイセン伯爵の屋敷へ向かうのだろう。
道行く人々が、連行されていくゼルドをじろじろ眺める。きっと、こそ泥でもして捕まったのだろう、ぐらいに思っているはずだ。
この目のせいで気づけなかったか。
今回、ゼルドたちは街に入った時点から、兵士たちに監視されていたはずだ。だがゼルドはそれに気づけなかった。
言い訳になると自分でもわかっていたが、ゼルドは見られていることには気づいていた。だが見られているせいで、見られていることに気づけなかった。
通行人はダークエルフというだけで、なんだこいつは? という目でじろじろ見てくる。だから常に人の視線を感じていたといっていい。その視線の中に、こちらを監視する兵士たちの目が混じっていたというわけだ。
もっと気をつけておくべきだったとは思うものの、これはもう仕方ないな、というのが正直なところだった。
ヴァイセン伯爵の屋敷に連行されたゼルドだったが、屋敷の門をくぐった最初の印象は、意外に質素だな、だった。
もちろん作りは立派だ。外壁は高く、正門は両開きの巨大な扉だ。屋敷と呼んではいるものの、もはや小さな城といった方がいい気がする。
それでもゼルドが質素だと思ったのは、華美な装飾が見られなかったからだ。
壁も、建て屋も、実戦を想定しているかのような無骨な作りに見えた。
ゼルドは貴族の屋敷というのは、もっときらびやかなものだと思っていた。実際に貴族の屋敷に足を踏み入れたことはないものの、キラキラ輝いているような家を想定していた。有名なヴァイセン伯爵の屋敷なら、きっとすごく豪華だろうと思っていたのだが。
伯爵の屋敷は大きくて立派だが、贅沢という気はしなかった。
予想と違うといえば、連れて行かれた場所もそうだった。
てっきり地下牢にでも放り込まれると思っていたのだが、連れて行かれたのは屋敷の一角にある部屋だった。
「そこに座れ」
と椅子を指差され、思わず、
「座ってよろしいのですか?」
と聞いてしまったぐらいだ。
手を縛られたまま椅子に座ったゼルドは、体をぐるぐる巻きにされ、椅子に縛り付けられた。扱いはやはり囚人だが、それでも自分がダークエルフであることを考えれば、ずいぶんマシな扱いだと思えた。
そもそも屋敷に入れること自体が異例といえる。
汚れた種族とされるダークエルフを、自分の屋敷に入れる貴族はまずいないからだ。
囚人を取り調べるにしても、どこか他の場所でやるのが普通だろう。わざわざ自分の屋敷まで連れてくるとは、ヴァイセン伯爵はなにを考えているのだろうか。
椅子に縛られたまましばらく待っていると、三人の男が部屋に入ってきた。
そのうちの二人は武装した兵士で、これは万が一に備えての護衛だと思われた。
残りの一人は兵士ではなく文官のようだった。武装していなかったし、雰囲気も兵士のそれとは違っていた。
「まずは、お前がどこから来たのか教えてもらおうか」
質問はそこから始まった。
ゼルドは少し迷ったものの、レンから言われていた方針通りに答えることにした。
すなわち、自分たちはグラウデン王国の貴族に雇われ、商品を運んでここまでやって来た、と。
「グラウデンから来たということは、ザウス帝国を経由してか? ルベル川はどこで渡った?」
ザウス帝国からターベラス王国に来るには、国境となっているルベル川をどこかで渡る必要がある。取り調べをしている男は、どこかに川を渡る秘密のルートがあると思ったのかもしれない。
だがゼルドの答えは全然違っていた。
「いえ。我々はザウス帝国ではなく、黒の大森林を通ってやって来ました」
「黒の大森林を?」
男があきれたような顔になる。
「馬鹿を言うな。魔獣の巣窟である黒の大森林を、どうやって通り抜けるというんだ」
「もちろん簡単ではありません。我々も最初は不可能だと思っていました。ですが通り抜けることに成功して、こうしてここまで来ることができたのです」
「……本当なのか?」
まだ疑っているようだったが、男は黒の大森林について色々と質問してきた。
森の中の様子、魔獣について、どれほどの期間が必要なのか、等々。
ゼルドはそれらの問いに具体的に答えていく。実際に通り抜けてきたのだから、実体験を語るだけでよかった。
よどみのない答えに、男もゼルドの言うことを本当かもしれないと思ったようだ。
一通り質問すると、
「ちょっと待っていろ」
と言って部屋を出て行った。
しばらくして、再び部屋の扉が開く。
さっきの男が戻ってきたのかと思ったが、入ってきたのは別の男だった。
白い頭髪の老人だった。
こいつは……
一目見ただけで、ただの老人ではないと思った。
老人は大柄だったが、その体はさらに大きく見えた。体からしみ出る迫力が、老人を大きく見せていたのだ。まるで強力な魔獣を前にしたときのような感じだ。
人間相手にこんな感覚は初めてだった。
「初めましてダークエルフ。私はタルト・ヴァイセンだ」
ゼルドが驚き、目を見張る。
タルト・ヴァイセンはヴァイセン伯爵の本名だ。つまり現れたのは外でもない、伯爵本人だった。