第43話 赤い目のダークエルフとガー太
カエデを屋敷に連れて帰ることになったレンだが、それをあまり大したことではないと考えていた。
今日カエデと会ったのは予想外だったが、元から、他にもロゼぐらいの年の子供がいれば、勉強を教えるために屋敷に呼ぼうと考えていたのだ。
ここが現代日本なら、子供を一人引き取るのは大変なことだ。法律とか手続きとか、後は世間の目とか。
だがこの世界では、例えば子供が一人で奉公に出たりするのはよくあることで、手続きも何もいらない。
しかもレンの屋敷にはすでにロゼたちがいる。その彼女たちが非常にいい子だったことも、レンの行動を後押しした。
たまに暴走したりするものの、基本的に三人ともレンの言うことを素直に聞き、勉強にもまじめに取り組んでいた。それもこれもダークエルフの特性ゆえだが、おかげで全く手がかからず、レンはここにカエデが加わっても問題ないだろうと思い込んでいた。
でも、他の三人と違ってカエデは一から勉強だからなあ……。他の三人より小さいし――カエデの年は十一才だと聞いた――授業のやり方を考えないと。
レンが悩んでいたのはこの程度である。
カエデもロゼたち同様、素直で手のかからない子供だと思っていたのだが、それが間違いだとすぐに気付くことになった。
「ガー」
「ガー太。戻って来たのか?」
聞き慣れた鳴き声の方を向くと、ガー太がトコトコと歩いてくるところだった。
ダークエルフの集落に来ると、ガー太はいつもレンを置いてすぐに森の中へ消えてしまう。そんなガー太を集落のダークエルフたちが残念そうに見送るのもいつものことだった。
そしていつものガー太なら、そのままレンが呼ぶまで集落に戻ってくることはなかったのだが、今日は珍しく自分から戻ってきた。
「ガー太様だ」
「おお、ガー太様」
ガー太の姿を見たダークエルフたちが、仕事の手を止めて、うれしそうな顔でガー太の名前を呼ぶ。中にはその場にひれ伏す者までいた。
レンの横にいるダールゼンも、そんな彼らを注意したりしない。というか彼自身が、
「これはガー太様。ご機嫌いかがでしょうか」
とガー太に向かって丁寧に頭を下げている。
相変わらずの人気者だ。もっともこの人気のせいでガー太は集落を避けているようなのだが。
「どうかした?」
「ガー」
レンの問いかけに答えるように、ガー太はカエデの方を見つめた。
「ああ。この子は――」
ガー太にカエデを紹介しようとしたのだが、その言葉が途中で止まる。
さっきからカエデはずっとレンにくっついてニコニコ笑っていたのだが、その顔から笑顔が消えていた。
彼女はじっとガー太を見つめていた。しかし、その顔には他のダークエルフのような好意や尊敬はうかがえない。それどころか、まるでゴミでも見るような冷たい目をしている――ように見えるのは、はたしてレンの気のせいなのか。
「カエデ?」
「レン。あの鳥はなに?」
低い声でカエデが聞いてくる。
「ああ。あいつはガー太っていって、僕の大事な友達だよ」
「ふーん……」
「カエデとも仲良く――」
不意にカエデの姿が消えた。
地面を蹴ってガー太に殴りかかったのだが、レンの目ではそれを追いきれず、消えたとしか見えなかったのだ。
そして決着は一瞬だった。
カエデは右手でガー太の顔に殴りかかったのだが、ガー太は頭をひょいっと動かしてそれを回避すると同時に、右の回し蹴りを放っていた。
「きゃんッ!?」
右の回し蹴りはカウンターとなってカエデの側頭部に命中し、彼女の小さな体は衝撃で蹴り飛ばされた。
レンからしてみると、いきなりカエデが消えたと思ったら、次の瞬間には悲鳴を上げて宙を舞っていたという状況だ。
何が起こったのかわからず呆然とするが、
「さすがはガー太様だ!」
周囲のダークエルフたちから歓声が上がり、それでハッと我に返った。
慌てて蹴り飛ばされたカエデに駆け寄って抱き起こす。
「大丈夫!?」
ペチペチと頬を叩いてみるが、カエデは小さく「うーん」と言うだけで目を覚まさない。どうやら完全に目を回しているようだ。
「ガー」
そんなカエデを見下ろしてガー太が鳴く。
セリフを付けるなら、
「小娘が。身の程をわきまえろ」
とでもいったところか。
「大丈夫ですよ領主様」
ダールゼンが言う。
「この者は赤い目。あれぐらいの蹴りはかすり傷です。しばらく放っておけば目を覚ますでしょう」
「いや、それは冷たすぎませんか?」
レンにとっては小さな女の子である。
ダールゼンは放っておいても大丈夫だと言うが、レンは放置しておくわけにもいかず、カエデを抱きかかえて世界樹の根本まで運んだ。ここに寝かせておけば大丈夫だろう。
「それにしてもガー太。ちょっとやりすぎだぞ」
レンには見えなかったが、ダールゼンはちゃんと一連の動きを目で捉えていた。そんな彼から、カエデがいきなり攻撃を仕掛けたと聞いたのだが、反撃するにしてもやり過ぎだと思った。なにしろ相手は小さな女の子なのだ。だからガー太に注意したのだが、
「ガー」
向こうが悪い、とばかりにガー太が鳴く。当然のことをしたまで、といった態度だ。
「ガー太。もしかしてあの子のことが気に入らないの?」
「ガー」
「どうして?」
「ガー」
「うーん……」
さすがに鳴き声だけで理由まではよくわからないが、とにかく嫌いなのは確かなようだ。
それに最初に殴りかかったのはカエデの方である。
どうやら両者共に相手のことが嫌いなようだ。だがガー太とカエデは今日が初対面なのだ。どうして嫌いあっているのかまるでわからない。
悩むレンにヒントをくれたのはダールゼンだった。
「動物は群れの中の序列に敏感だそうです。どちらが上かはっきりさせるため、戦うこともあるそうです」
「すみません。ダールゼンさんが、何が言いたいのかわからないのですが……」
「ガー太様とカエデで、どちらが領主様の一番なのか、それを争ったのではないかと思ったのですが」
「そんなことは……」
ないだろうと思ったのだが、ちょっと待て、と考え直してみる。
レンには兄弟がいないので実感できないが、小さい兄弟姉妹が、親の愛情を取り合ってケンカする、なんていうのはよく聞く話だ。
お兄ちゃんだけずるい、とか、なんであいつばっかり、とか。
だとしたら、カエデはガー太に嫉妬したのだろうか?
まだ会って間もないが、それを言えば会ったばかりのレンにあれだけなついたのだ。今までの寂しさの裏返しだと思うが、だからこそガー太に嫉妬したというのは説得力があると思った。
とはいえ、いきなり殴りかかるというのはどうかと思うのだが……
「赤い目の特性故か、それとも生まれ育った境遇なのか、この者は非常に攻撃的です。敵だと認識すれば容赦しません。だからこそ幼いながら傭兵として働けたわけですが」
ダールゼンがレンの疑問に答えてくれた。
「領主様。今、ご自分の目で確認されたと思いますが、本当にこの者を引き取ってよろしいのですか?」
正直なところ、早まったかな? という思いはあった。
もし最初にガー太に殴りかかるのを見ていたら、屋敷に引き取るのを躊躇していただろう。
だがすでに来ないかと誘ってしまった。
あのうれしそうな笑顔を見た後では、やっぱりやめた、なんて言えない。
「ちょっと驚きましたけど、まだ子供ですし、ちゃんと言い聞かせればわかってもらえると思います」
レンには子育ての経験などない。甘く考えすぎているかとも思ったが、カエデを孤独なままにしておきたくないとも思った。可能な限り、この子の力になりたい。
「そうですか。実のところ、私は領主様をお止めしたいと思いつつ、領主様にこの者のことをお頼みしたいとも思っているのです。なにしろ、あんなにうれしそうな顔など、一度も見たことがありませんから」
ダールゼンたちも、決してカエデのことを嫌っていたわけではないのだ。これは責任重大だな、とあらためて思い、
「そういうわけだから、ガー太も協力してくれるよね?」
「ガー」
なんだか微妙な返事に聞こえた。
協力してやってもいいが、それは向こう次第だ、とでも言っているような。
考えてみれば、これまで魔獣をのぞいてガー太に敵意を向ける者はいなかった気がする。人間もダークエルフも、ガー太を含めたガーガーを大事にしている。もしかすると、ガー太もカエデ相手に戸惑っているのかもしれないと思った。
「とにかく、できる限り頼むよ」
レンがもう一度頼むと、ガー太は仕方ないなあ、といった風に鳴いて、また一羽で森の方へと消えていった。
そういえば、結局ガー太はなんで戻ってきたんだろう?
どうやってかカエデの存在を察知し、ダールゼンが言うように順序をはっきりさせるために戻ってきたのだろうか? そしてカエデを倒して用が済んだから、また集落を出ていった?
確証はないが、なんとなくそれで合っている気がした。
「う~ん……」
ガー太が消えてからしばらくして、カエデが目を覚ました。
「大丈夫? どこか痛いところは――」
とレンが聞こうとしたが、カエデはいきなり飛び起きて、
「あの鳥はどこ!?」
と周囲を見回す。
「ガー太なら森の方へ行ったけど……」
「わかった!」
「ちょっと待った!」
そのまま駆け出そうとしたカエデの腕をつかんで慌てて止める。
「どこ行く気?」
「あの鳥をさがして、今度こそ倒すの」
やっぱりか、と思いつつ、レンは説得を試みた。
「カエデはガー太のことが嫌いなの?」
「嫌い」
即答である。
「なんで嫌いなの?」
この問いかけにはしばらく考えていたが、返ってきた答えは、
「嫌いだから」
だった。
まるで答えになっていないが、相手は十一才の子供だ。カエデ自身、はっきりわかっていないのかもしれないと思い、質問を変えてみる。
「僕はカエデにガー太と仲良くしてほしいなあって思ってるんだけど、どうかな?」
「仲良く……しなきゃダメ?」
「できれば、そうしてほしいなあ、って」
「レンがそう言うなら……仲良く……するけど」
とても嫌そうに、まるで今にも泣き出しそうな顔でカエデが答える。
これはちょっと無理かなとレンは思った。
ここで無理矢理言うことを聞かせたとしても、すぐに爆発しそうな気がする。
「わかったよ。じゃあガー太と戦ってもいいから――」
「ほんと!?」
レンの言葉を最後まで聞かず、カエデがパッと顔を輝かせる。
「じゃあ武器を取ってくるね」
ギョッとしたレンは、またも慌ててカエデを止めた。
「一応聞くけど、武器って?」
「素手だとあの鳥を殺せそうにないから、剣を持ってくるね」
まるでおもちゃを持ってくる、みたいな調子でカエデが言う。
また、殺すという言葉を聞いたダールゼンの顔が険しいものに変わった。こちらも怖い。
彼にしてみれば、ガー太を殺すなど、冗談でも言っていいことではないのだ。というか、カエデは本気だろう。
「いいかなカエデ。戦ってもいいとは言ったけど、殺すとか、そういうのは絶対ダメだからね」
冷や汗を流しつつレンが言う。
「えー!?」
カエデはこれにも不満顔だが、さすがにこの点だけは譲れない。
「戦うのはいいけど、あくまで練習としてだよ。本気で殺そうとしたり、大けがをさせるのもダメだからね。わかった?」
「……わかった」
しぶしぶ、といった様子でカエデがうなずく。レンは念のためもう一度同じことを言って、カエデに約束させる。
日本だとここで「ゆびきりげんまん」だが、こちらにそんな風習はない。代わりに両手でカエデの右手を握ってしっかり約束する。
「これはカエデと僕の大事な約束だからね?」
「うん。二人の約束」
内容はともかく、二人の約束というのは気に入ったらしい。守ってくれると信じたい。
「でも、武器がないとあいつに勝てない……」
またも困った顔に戻ってそんなことを言う。
できれば勝負してほしくないと思うレンだが、カエデの言葉にも一理あると思った。おそらく、素手だとガー太の方が圧倒的に強いだろう。いくらカエデが赤い目という特別なダークエルフでも、ガー太の身体能力はそれを圧倒的に凌駕しているだろう。
「じゃあ、練習用の木の剣ぐらいなら使っていいよ」
「わかった。じゃあ木の剣で倒してくるね!」
うれしそうに走り去ったカエデを見送った後で、そういえばどうやってガー太を見つけるつもりだろうと思ったが、すぐに、まあ大丈夫だろうと思った。
子供でも集落の中で一番強いのだから、ガー太を捜して、ちょっとぐらい森の中へ入ったところで問題ないだろう。
「では領主様。あの者のことを、どうかよろしくお願いします」
「わかりました。できる限りがんばります」
あらためて頭を下げるダールゼンに、レンはそれだけ答えた。
「もし、どうしても手に余るようでしたら、ご連絡下さい」
そう付け加えられた言葉には、曖昧に笑って応えるしかなかったが。