第42話 赤い目のダークエルフ
エルフの世界は完全な階級社会である。全員が世界樹を頂点とした序列を持ち、その序列に従って上意下達で行動している。
だがそんなエルフたちの中にも例外が存在していた。
「それが赤い目と呼ばれるエルフです」
とダールゼンが説明してくれた。
深緑の瞳と言われている通り、エルフは皆、緑色の目をしているのだが、世界樹の森で暮らすエルフたちの中にわずか数人のみ、赤い目をしたエルフがいるという。
彼らは序列を持たない。
いかなるエルフにも命令しないし、いかなるエルフの命令も聞かない。
彼らは世界樹から直接命令を受けて行動する、世界樹直属のエルフなのだ。
「そんな特別なエルフだからでしょうか。赤い目の身体能力は、通常のエルフをはるかに凌駕していると聞いています。また世界樹の命令を受け、単独で森を出て活動することもあるという話です。本当かどうかはわかりませんが」
説明を聞いてレンが連想したのは、例えばファンタジーゲームで魔王の下に四天王がいたとしたら、それとは別に存在する親衛隊長、みたいなキャラだった。単独行動が許された実力者というか。
「我々ダークエルフも元はエルフ。先程も言いましたが、まれに先祖返りでエルフのような白や銀の髪を持つ者も生まれます。別に髪の色がどうであれ、我々にとっては何の問題ないのですが……」
「あの子は、その赤い目のダークエルフとして生まれたってことですか? もしかして見た目だけではなく……」
「はい。あの者はダークエルフでありながら、序列を持っていないのです」
「そして、ここには命令を下す世界樹もいない。つまり――」
「領主様のおっしゃる通りです。あの者は誰の命令にも服従しません。ダークエルフというより、人間に近い存在でしょう」
エルフと同じように、ダークエルフの社会も序列によって成り立っている。全ての基本にあるのが序列であり、それは個人のどんな感情よりも強く彼らを縛っている。序列がなければダークエルフではない、といっても過言ではない。
「正直なところ、我々はあの者をどう扱っていいのかわからないのです。生みの親もあの者をどうしていいかわからず、この集落に預けました。しかし誰もどうしていいかわかりません」
ダークエルフにも親子の愛情はあるが、それは人間と比べれば薄いといえる。これまた序列が存在するからだ。
成長して安定期になった時点で、子供は序列を持つようになる。そこで親より序列が高ければ、当たり前のように親を配下として扱う。人間なら戸惑うだろうが、ダークエルフにはそれが当たり前だ。そこに自分の子供だから、自分の親だからという特別扱いはない。
こう聞くと薄情なようにも思えるが、一方で子供にとっての利点もある。
例えば孤児の扱いだ。
ダークエルフにとっては子供は子供、誰の子供でも関係ない。親がいなければ、他の者が親となって育てる。良くも悪くも自分の子供と他人の子供を区別しない。子供の方も自立心が強いようで、親の愛情に飢えたりもしないようだ。
レンも屋敷に来たばかりのロゼたちに聞いたことがある。親と離れて寂しくないのか、と。
「平気です。私は命令を受けてここに来ました。その命令に従って行動するのみです」
ロゼはそう答え、ディアナもリゲルも同じように答えた。実際、三人を見ていても寂しそうには見えなかった。
だけど、あの子はどうなんだろうとレンは思った。
たった一人、みんなと違うダークエルフ。
「あの子も、元々この集落にいたんですよね?」
「はい。ここ一年ほどは、他の何人かと一緒に、傭兵として出稼ぎに出ていましたが」
「傭兵ですか!?」
レンは驚いた。少女はせいぜい小学生高学年ぐらいにしか見えない。いくら身体能力の高いダークエルフといえど、あんな子供に傭兵がつとまるのだろうか。
「あの者は赤い目としての高い身体能力も持っています。領主様は、以前に領主様をお助けしたデルゲルを覚えていますか?」
「もちろんですよ」
ハウンドの群れと戦ったときに、命を救ってくれたダークエルフの戦士。今のダークエルフとの関係も、彼がきっかけだったといえる。忘れるはずがない。
「デルゲルは集落で二番目の剣の使い手でした。一番があのカエデです」
「あの子はカエデっていうんですか?」
「そうですが、どうかしましたか?」
名前を聞いたレンが少し驚いたので、ダールゼンが訊ねる。
「いえ、そんな名前の木があると聞いたことがあったので……」
「そうですか」
カエデと聞いて連想したのは、当然ながら日本の楓だ。だがダールゼンは気にした様子もないし、同じ発音というだけの偶然だろう。だがその名前に少し親近感がわいた。
また、名前だけではなく、他のダークエルフとは違う少女の存在そのものに親近感を覚えていた。
なぜなら異世界からやって来たレン自身が、この世界で異質な存在だったからだ。
今のレンは決して孤独ではない。多くのダークエルフの知り合いができたし、なによりガー太という唯一無二の相棒がいる。現状と比べれば、日本にいた頃の方が孤独だったとさえ思う。
しかし一つ間違えば、レンだってこの世界で孤独に生きていたかもしれない。ガー太やダークエルフたちと出会えたことは幸運だったが、じゃあ、あの子はどうなんだろうと思った。誰もが同じのダークエルフ社会の中で、異質な彼女は孤独を感じていないのだろうか?
気になったレンは、あのカエデという少女に声をかけてみようと思い、彼女に歩み寄った。
カエデの方もレンに気付いており、先程からずっと彼の方を見ていた。
「あなたは誰?」
近付いたレンが声をかけるより先に、カエデの方から訊いてきた。不思議そうに、レンの顔を見つめている。
「失礼だぞカエデ。この方は領主様だ」
レンの後ろに立つダールゼンが注意するが、カエデはそれを聞き流す。人間の子供なら珍しくない態度だが、ダークエルフの子供としては異常な態度だ。普通のダークエルフの子供なら、大人の言葉を無視するなどあり得ない。
本当に序列がないんだな、と思った。
「僕はレン。君はカエデちゃんだよね?」
しゃがみ込み、目線の高さを合わせて訊ねる。
「そうだよ」
カエデはまっすぐレンの目を見て答えた。
間近で彼女の赤い瞳を見たレンは、なんだか吸い込まれそうだなと思った。彼女の瞳の奥に、炎が燃えているようなきらめきが見えた気がした。
それになんだろう、あんまり子供っぽさを感じないな、とも思った。
カエデは小柄な少女だ。身長はレンの腰ぐらいしかなく、どこからどう見ても子供だ。銀の髪に褐色の肌、赤い瞳とかなり特徴的な外見をしているが、ダークエルフらしく非常に整った顔立ちをしている。レンも思わず見とれてしまいそうなぐらいだ。そして顔立ちには、年相応の幼さも見える。一見すると、どこからどう見てもかわいらしい女の子なのだが……
なぜかレンは子供と向かい合っている気がしなかった。上手く説明できないが、カエデには妙な迫力があった。
「レンは人間でしょ? どうして人間がここにいるの?」
「僕は人間だけど、ここのダークエルフのみんなとは仲良しなんだ。だからカエデちゃんとも仲良くなれればいいなって」
言いながら、これは日本だと事案になるなとレンは思った。
「カエデと?」
カエデはますます不思議そうな顔になる。
「どうしてカエデと仲良くなりたいの?」
カエデちゃんが寂しいかと思って――とは言えず、
「そうだね。カエデちゃんの赤い目がきれいだと思って」
「私の目が?」
レンの言葉にカエデは強く食いついてきた。両手でレンの両肩をつかみ、顔を寄せて聞いてくる。
「本当に私の目がきれい?」
「もちろん本当だよ」
ちょっと顔をしかめつつ、レンは答えた。カエデに捕まれたところが痛い。すごい力だった。身体能力が高いというのを実感する。なるほど、これは子供の力ではない。
「カエデ! 領主様から――」
慌てて割り込んでこようとしたダールゼンを、レンは大丈夫ですからと止め、カエデに向かって笑顔で言う。
「とってもきれいな赤い目だと思うよ。火が燃えてるみたいに、キラキラしてるね」
ふと、レンは以前に見た魔獣の目を思い出した。魔獣の目も赤く、その奥には強い憎悪の光があった。レンはその光に恐怖を感じたが、カエデの目を見ても怖いとは思わなかった。
「そうなんだ。カエデの目がきれいなんだ」
パッとカエデが笑う。すると途端に雰囲気が変わり、年相応の少女のようになる。
「本当にカエデの目がきれい?」
「本当だよ。ルビー、いやラガートみたいにきれいだ」
思わずルビーと言ってしまい、言い直す。ラガートというのは、この世界にあるルビーのような赤い宝石のことだ。ルビーと同じ宝石なのかどうかはわからない。
「そうなんだー」
カエデはニコニコ笑っているが、しばらくすると、
「ねえレン。本当にカエデの目がきれい?」
と同じことを聞いてくる。レンも同じように「きれいだよ」と答え、同じやり取りが何度も何度も繰り返された。
楽しそうに笑うカエデを見たレンは、ほほえましく思いながら、悲しいとも思った。
単に目をほめただけでこの喜び様だ。今までカエデがどんな生活を送ってきたのか、わかる気がした。
もしかすると、目をほめられたのも初めてだったのかもしれない。
ダークエルフたちが悪いとは思わなかった。なんだかんだでカエデのことをちゃんと育ててきたのだ。ただ、どうしていいか彼らにもわからなかっただけだろう。
だったら――
「カエデちゃん。もしよかったら僕の家に来る?」
「レンの?」
「いけません!」
慌ててダールゼンが止めに入った。
「ダメですか?」
「カエデは序列を持たないのです。命令に従う保証はありませんし、子供であっても並のダークエルフ以上の力を持っています。領主様の側に置くのは危険です」
「でも、僕にとっては序列があってもなくても同じことですよね?」
「それは……」
ダールゼンが言葉に詰まった。ダークエルフにとって序列は重要だが、人間のレンには関係ない。そもそも人間は序列を持たないし、他人が言うことをきいてくれる保証もない。
「レンの家に行ってなにするの?」
「カエデちゃんは、僕と一緒の家で住んでみる気はある?」
「レンと一緒に?」
「そう。ここじゃなくて、森の外だけど」
「うん。レンと一緒に、カエデ行ってもいいよ」
「じゃあ決まりだね」
すでにレンの屋敷ではロゼたちが暮らしている。ここで一人増えたところで、特に問題はないだろうと思った。
「領主様」
「ダールゼンさん。僕は――」
立ち上がったレンがダールゼンに向かって口を開くが、
「わかっております。これ以上止めたりはいたしません」
あきらめたようにダールゼンが言った。
「ですが覚えておいて下さい。カエデは赤い目のダークエルフ。普通のダークエルフとは違うし、もちろん人間とも違います。領主様の手に負えないと思ったら、すぐにご連絡下さい」
連れて帰るからには、すぐに放り出したりはしないと思った。とはいえ、ダールゼンの言葉にも重みがある。普通の子供ではないのは確かだ。
「わかりました」
少し考えてから、そう答えた。
「これから一緒なんだよね?」
レンの左腕に抱きついてきたカエデが、レンの顔を見上げて聞いてくる。
そうだよ、とレンが答えると、カエデはニッコリと笑った。