第40話 ガーガー温泉 ~引っ越し計画~
声をかけてきたディアナの後ろにロゼもいるのを見て、レンは二人が何を言いに来たのかを察した。
「あの……今日は私たちを温泉に連れて行ってもらえませんか……?」
やはり思った通りだった。しかしディアナにお願いされても、これは聞けない。
「だからそれはダメだって。二人で好きなときに行っていいから、ね?」
以前のディアナならこれで話は終わりだった。だがあの集落での戦い以来、ディアナはレンに対して少し積極的に話すようになってきていて、この時すぐにもあきらめたりしなかった。
「でも私たちもガーガーと一緒に温泉に入りたい……です。お願いします」
「うーん……」
もしここでディアナが「レンと一緒に入りたい」と頼んでいたなら、それはダメと即座に却下していただろう。だがガーガーたちと一緒に入りたいと言われて心が揺らいだ。
彼女たちがガーガーが好きなことはよく知っている。そして彼女たちだけだとガーガーが怖がって近付いてこないことも知っている。一度温泉に一緒に入ってみたいという気持ちはよくわかった。
「ダメ……ですか?」
「ダメ……ってわけじゃないけど……」
悲しそうな顔でお願いされたレンは、ついついそう答えてしまった。
「本当ですか!?」
「ありがとうございます領主様」
悲しそうな顔から一転、パッと笑顔になったディアナ。ロゼと二人で手を取り合って喜んでいる。
やってしまったとレンは思った。喜ぶ二人に対し、やっぱりダメとは言えない。
ああいうふうにディアナに頼まれると弱い。自分でもわかっているのだが、ついつい断り切れずに押し流されてしまう。
だが許してしまったものはしょうがない。今日はリゲルが留守番となり、ガー太に乗ったレンは二人と一緒に温泉へと向かった。
いつもと同じように一時間ほどで温泉に到着すると、いつもと同じようにたくさんのガーガーが温泉につかっていた。
「今日もたくさんいますね」
ロゼがうれしそうに言う。隣のディアナもうれしそうだ。
レンも、心癒されるようなほのぼのとした景色だと思ったが、ここでふと疑問に思った。
ガーガーたちはどうして温泉に入っているのだろうか?
元の世界で温泉に入る動物といえばニホンザルが有名だった。レンもテレビで何度も見たことがある。だがあれは寒いから入っているのだと聞いたことがある。確かに雪の降る中で温泉に入るニホンザルというのが定番で、それ以外の春夏秋も入っているかは知らない。
他にも鹿や熊なんかが温泉に入ってそうな気がするが、実際のところはよく知らない。
そしてガーガーだ。
今の季節は秋。だいぶ涼しくなってきたが、まだまだ寒いとはいえない時期だ。ガーガーたちは寒いから温泉に入っている、というわけではなさそうだ。
「ガー太は温泉好き?」
「ガー」
「それって気持ちいいから?」
「ガー」
どうやらそうらしい。
つまり、人間と同じように入浴が気持ちいいから、ガーガーたちは温泉に入っているのだ。
そう思って見れば、なるほど、お湯に浮かぶガーガーたちの顔が、人間と同じようなのんびりくつろいだ顔に見えてくる。
「領主様。入りましょう」
「うん――ッ!?」
ロゼに言われて答えたレンは、慌てて目を背けた。
すでに二人が服を脱ぎだしていたからだ。
「あのさ、今更だけど僕と一緒に入って恥ずかしくないの?」
「とても恥ずかしいです」
ロゼがあっさりと答える。
「だったら――」
「ですが領主様と一緒なら大丈夫です。ご安心下さい」
何がどう大丈夫で安心できるのか、全然わからない。
「私も……レン様となら……」
小さな声でディアナもそんなことを言う。
勘違いするなよレン――レンは自分にそう言い聞かせる。
ダークエルフの美少女二人にこんなことを言われて、うれしくない男がいるだろうか? もちろんレンだってうれしいと思う気持ちはある。だが、彼女のたちの言葉をそのまま受け取るわけにはいかない。
二人の言葉はビジネスだ。だからクールになれ、OK?
もちろんOKだ。大丈夫。
頭の中で自問自答する。
ロゼたちが、ダールゼンからレンと色々な意味で親密になるよう命令されていることを、忘れてはならない。
別に二人の言動が全て演技だとは思っていない。ある程度は好意を持ってくれていると思っている……そのはずだ。もし二人が内心ではレンを嫌っていて、今までの態度が全部演技だったとしたら、レンはきっと立ち直れないだろう。完全なダークエルフ不信になってしまう。
問題はどこまでが演技で、どこまでが本心なのか、だ。
日本で生きていたときにも、親しい友人や恋人などがいなかったレンには、そのあたりを見抜く経験が圧倒的に不足していた。薄い人間関係の中で生きてきたため、距離を詰めてくる相手にどう対応していいのかわからないのだ。
これがもっと小さな子供だったら、その言葉を無邪気に信じることができただろう。
だがロゼたちを子供と言い切ることはできない。
彼女たちは十四才。年齢的にはまだ子供だ。自分の十四才の頃を振り返っても、何も考えていない子供だったと思う。だが彼女たちは、同じ十四才でもしっかりと自分の役割や責任を考えながら行動している。
この厳しい世界では、そうしなければ生きていけないからだろうが、だからレンは対処に困っている。
だがそれよりも今困っているのは――
「領主様。早く服を脱いで入りましょう」
この難局をどう乗り切るか、だ。
二人ともすでに服を脱いだのだろう。いつまでも待たせるわけにはいかないので、レンも思い切って服を脱ぎ裸になる。
ガー太は一羽で先に温泉に入っていた。
「じゃあ僕らも入ろう」
そう言って温泉に入る。背後は振り返らないが、すぐ後ろに二人がついてくるのはわかった。
適当な深さと温度のところまで歩いていき、そこで腰を下ろして肩まで湯につかる。
いつもなら、ここでホッと一息といったところなのだが、ロゼとディアナがレンの背中に寄り添うように座ったので、とても一息つくどころではない。
落ち着け、とレンは思った。だがろくに女性と付き合ったこともないレンにとって、この状況で落ち着けというのは無理な相談だった。
もう少し二人が子供だったらと思った。別に変な意味はない。レンにはそういう趣味もないので、子供となら一緒にお風呂に入っても平気だ。
ロゼたちは微妙な年頃だ。大人の女性ではないが、もう子供というわけでもない。少女というべきだろうか。
逆にもし二人が大人の女性だったなら、一緒に温泉に入るなど絶対に無理だ。
ダークエルフの美女に囲まれての温泉――客観的に見て天国だと思うが、女性に対して恐怖症に近いほどの苦手意識を持っているレンだから、そんな状況になればきっと逃げ出すだろう。
まさに今がギリギリのラインである。
そしてそんなレンに救いの主がやって来てくれた。
温泉に入っていたガーガーたちが、いつものようにレンの側に集まってきたのだ。
正直、いつもはちょっと邪魔だなあと思うこともあったのだが、今日は違った。二人の興味がそちらに向いてくれたからだ。どんどん寄ってきてくれと思った。
リゲルと一緒に入ったときもそうだったが、温泉ではガーガーの警戒心もゆるむのか、二人がいてもレンに身を寄せるように集まってくる。
ロゼもディアナも手を伸ばし、ガーガーの体や羽にふれては大喜びだ。
これで少しは落ち着けると一安心したところで、ちょっとしたハプニングが起きた。
「ガー!?」
いきなり一羽のガーガーが鳴き声を上げ、羽をバサバサと動かし水しぶきを上げた。
ロゼにさわられて驚いたのだ。
普段は落ち着いて行動するロゼなのだが、ガーガーのことになるとちょっと興奮するところがある。この時もちょっと興奮して、抱きつくような感じでガーガーにさわってしまった。それで相手が驚いたのだ。
「あ、すみません」
ロゼにガーガーを驚かすつもりはなかったので、彼女は慌ててガーガーに謝りながら後ろに下がったのだが、その下がったところにレンがいた。
「きゃっ!?」
「うわ!?」
ロゼは後ろからレンを押し倒す形になり、二人一緒になって倒れた。
ここまでならまだよかった。
押されたレンは前に倒れたのだが、彼の周りにはガーガーが集まっていた。レンはその中の一羽の上に倒れ込み、
「ガー!?」
ガーガーが驚いたような鳴き声を上げた。
もし倒れかかったのがロゼだったなら、このガーガーはすぐに逃げ出していただろう。だがレンにのしかかられたガーガーは、逃げるどころかレンにじゃれついてきた。どうやらレンが遊んでくれると思ったようだ。
「ガー!?」
「ガー!」
これを見た他のガーガーたちも、レンに「遊んで遊んで」とばかりに殺到した。
「ちょッ――!?」
相手は巨大な鳥である。子犬にじゃれつかれるのとはわけが違う。
たちまちレンはもみくちゃにされ、わけがわからなくなる。一緒に巻き込まれたロゼやディアナの悲鳴も聞こえたが――笑っているようにも聞こえた――すぐにガーガーの鳴き声と、お湯を叩く音に紛れてわからなくなる。
この大騒ぎはしばらく続いた。
「死ぬかと思った……」
やっと温泉から上がれたレンは、疲れた声で言った。
「申し訳ありません」
後ろからロゼの謝る声が聞こえる。まだ服を着ているので後ろは向けないが、沈んだ顔をしているのだろう。
ガーガーたちの大騒ぎは、最後はガー太の一鳴きで収まった。ガー太が「クエーッ!」と大きく鳴くと、まるで怖い先生にしかられた小学生のように、ピタリとガーガーたちが動きを止めたのだ。
ちなみに騒ぎが収まったとき、レンはディアナの腰に抱きついていた。
誓って言うがわざとではない。気が付いたらそうなっていたのだ。ディアナには謝っておいたが。
そのディアナが控えめに言う。
「でも……少し楽しかったです」
「まあ、確かに」
レンもそこは否定しない。お風呂で騒ぐのも楽しいものだ。限度はあるが。
そしてこれで今日の入浴は終わり、屋敷に帰ることとなった。
ゆっくり温泉には入れなかったが、とにかく二人も喜んでくれたことだし、これはこれでよしとしておこうと思った。
服を身につけ、さて帰るかとなったところでロゼが言った。
「領主様。一つ提案があるのですが」
「なに?」
「この付近に領主様の新しい家を建て、引っ越してくるというのはどうでしょうか? 別宅として使用するのもいいと思いますが」
「そりゃここに家があれば便利だけど、簡単には建てられないよね」
「でしたら我々にお任せ下さい。今のお屋敷のような立派な家は建てられませんが、集落にあるような木の家でしたら、我々で建てることができます」
それは魅力的な提案だった。この近くに家があれば、いつでも温泉が入り放題である。
別に今の屋敷に住みたくて住んでいるわけでもない。確かに広くて立派だが、それは元々砦として建てられたからだ。レンにしてみれば無駄に広すぎるし、はっきり言って居住性はよくない。
住むだけならもっと小さな家で十分なのだ。ここに小さな家を建て、寝るのはバゼ、お風呂は温泉なら、今以上に快適な暮らしが送れるはずだ。
「けど本当に簡単に建てられるの?」
「はい。粗末な木の家になってしまいますが」
「別に粗末じゃないよ。森の集落にあるような家なら、十分快適だと思う」
「わかりました。でしたらすぐにダールゼンに連絡を取ります」
そのまま黒の大森林まで走っていきそうな勢いだった。
「いや、別に急がなくていいから。今は集落の方も色々大変だし、頼むにしても、それが落ち着いてからでいいからね」
いくら簡単といっても、それなりの人手はいるだろう。自分の贅沢のために迷惑をかけるわけにはいかない。
それにしても家か。
日本にいたときは、自分の家を建てるなんて考えたこともなかった。もし本当に家を建てることになったら、間取りとかも少しは口を出したいなと思った。夢が広がる話だ。
後は家を建てた後、それをどう扱うかだが、いっそのこと引っ越すのもいいかもしれないと思った。
南の村からは遠くなってしまうが、どうせ今のレンはあの村に関わる仕事を何もしていない。マーカスはたまに村へ出かけているようだが、そこは不便を我慢してもらおう。
別に彼らにとっても悪い話ではないはずだ。
出かけるのが不便になる代わり、彼らも毎日温泉に入れるようになる。それにマーカスやメイドのバーバラにとっても、あの屋敷は広すぎるはずだ。小さな家に移れば、管理や掃除の手間も減る。
森のダークエルフたちとの距離が遠くなるのが唯一の問題点だと思ったが、だったらあの屋敷の管理をダークエルフに任せるのはどうだろうか。
これから先、マルコとの取引が増えるようになれば、あの屋敷を倉庫として利用することもできる。
なんだか、いいことずくめのような気がしてきた。
こうしてレンの中で引っ越し計画が動き始めた。