第34話 集落防衛戦(中)
リカルドは木の枝に登り、前方をじっと見つめていた。
集落から見張りとして送り出されたダークエルフの一人である。
魔獣の群れが見つかったのは集落から見て北東の方角だったから、そちらの方に等間隔で見張りを置いて警戒線を張っている。リカルドはその一人だ。
見張りのコツは気を抜かず気を抜くことだとリカルドは思っている。ダークエルフも人間と同じで、集中力は長く続かない。だから見張りも異常に気付くギリギリのところまで力を抜き、ある程度の警戒で長く続けるべきだと思っていた。
うん? っと思った。
視界の隅でなにかが動いた気がして、そちらに意識を集中した。すると木々の間を動くハウンドの姿を見つける。一体だけではなく、すぐに二体目が現れ、さらに三体目が――となったところで、魔獣の群れが現れたのだと確信する。
群れはリカルドの方に、つまり集落の方に向かって進んでくる。やはり襲撃は避けられないようだ。
リカルドは指を口に当て、ピーッと口笛を吹き、見張りのために登っていた木から降りる。
群れを見つけたときはすぐに戻ってくるよう命じられていたので、地面に降りたリカルドは集落に向かって走り始めた。
すると他の場所からも口笛の音が聞こえてきた。
見張りについていたのは全部で六人。それぞれが百メートルぐらいの間隔を開けて見張りについており、見つけたときは口笛で合図を送ることになっていた。
他の見張りたちも、発見の口笛を聞いて撤収に移っていることだろう。
「やはり奴らはここに来るようです」
「戦いは確実ですか……」
ダールゼンの言葉にレンが答えた。
すでに集落では迎撃の準備が整えられていた。とはいっても、時間も資材も限られていたから、やれることには限りがあったが。
ダークエルフたちがやったのは簡易的な木の柵――バリケードを作ることだった。
集落のほぼ全員が世界樹の前に陣取り、その前にバリケードを並べて防御陣地とした。レンもその中にいる。
さらに家と家の間にもバリケードを置いて横道をふさぎ、魔獣の侵入経路を陣地正面の道に限定するようにした。また陣地の左右前方に建つ家の屋根の上にもダークエルフを登らせた。片側五名、両側合わせて十名。彼らは射手として屋根の上から矢を射ることになっている。
防御陣地の前面で敵を受け止め、そこへ左右の家の上から矢を射ることで、いわゆる十字砲火を浴びせる作戦だ。
この作戦を立案したのはレンだった。
ダールゼンから助言を求められたので、思い付いたことを提案したところ、それをそのままダールゼンが採用してこうなった。
ダールゼンは魔獣と戦った経験はあるものの、多人数の集団戦の経験はない。十体ほどの魔獣の群れを狩った経験はあるが、そのときの参加人数も二十人ほどだった。
他のダークエルフたちも似たようなものだ。傭兵として戦いに参加したことがある者もいたが、彼らは皆一兵士としてであり、集団の指揮をしたことなどない。
戦いの経験などレンもない。だが彼には知識があった。
戦国時代とか三国志とかの歴史物、あるいは戦記物の小説やマンガから得た知識ではあったが、それでも知っているのと知らないのでは大きな違いがある。
しょせんは素人の付け焼き刃、どこまで通用するかはわからないが、無策で真っ正面からぶつかるよりマシだと信じたい。
レンはガー太に乗って防御陣地の中央の一番後ろに陣取っていた。屋根の上に登った方が安全ではないか、という意見もあったのだが、ガー太に乗った状態で登ると重みで屋根を突き破りそうだったのでやめておいた。
そしてレンの側にはロゼたち三人もいる。彼女たちはまだ子供だが、並みの人間の兵士よりも強い。立派な戦力だ。
またこれはレンには秘密にされていたが、三人には「いざというときは命を捨てて領主様を守れ」という命令がダールゼンから下されていた。
帰ってきた見張りの報告から、魔獣の群れが集落へやって来ることは確実となり、レンたちはそれを待ち受けた。
しばらく静かな時間が経過し、やがて森の中から魔獣の群れが姿を見せ始めた。
一体、また一体とハウンドが現れ、どんどん数が増えていく。
普通の魔獣なら人間やダークエルフを見た途端に襲いかかってくるが、ハウンドの群れはゆっくりと近づいてくる。群れとして統率されているのだ。
そして群れを率いる超個体が姿を見せた。他のハウンドと比べて明らかにサイズが違う。
あの時の奴よりも大きいな、とレンは思った。
以前、ナバルたちを襲撃したハウンドの群れを率いていた超個体も大きかったが、今回の群れのボスはそれよりもさらに一回り大きく見えた。
「数は全部で百から百二十、といったところですか」
ざっと敵の数を数えたダールゼンが言う。
「こっちより少し多いですね……」
現在、集落に暮らすダークエルフは百人ちょっと。相手はそれを少し越えるぐらいだ。
「戦力はほぼ互角。やはり厳しい戦いになりそうです」
厳しい顔でダールゼンが言った。
人間の兵士なら、魔獣一体に対処するには最低三人必要といわれている。
だがダークエルフならばハウンド相手に一対一で互角に戦える。
また人間の村なら百人の村人がいても、戦える者は少なくなる。女子供や老人などを除外していくと、戦力は人口の三分の一ぐらいまで減ってしまう。
だがダークエルフの集落には老人はいない。女性であっても人間の男性より強いから十分な戦力になるし、ロゼぐらいの十代前半の少年少女でも、これまた人間の男性よりも強い。
今の集落には赤ん坊や年齢一桁の子供が合わせて三人いたが、戦力にならないのはこの三人だけで、他の全員が戦闘に参加していた。
「構えろ!」
ダールゼンの号令に、ダークエルフの射手たちが弓に矢をつがえる。
レンも弓を構えた。ガー太に乗っているおかげだろうか、魔獣の大群を前にしても不思議と心は冷静だった。
ゴアアアアアアアッ!
超個体の巨大な咆哮が合図となり、それまでゆっくりと近寄ってきていたハウンドたちが一斉に駆け出す。
群れとして統率されていてもそこは魔獣、迂回とか包囲とかいう考えはないようで、レンたちが待ち構える防御陣地に向かって、正面から突撃してくる。まさにレンの想定通りの動きだ。
対するダークエルフたちも迎撃する――とレンは思ったのだが、彼らはじっと構えたまま、まだ動かない。ダールゼンは右手を上げたが、その手はまだ振り下ろされない。
十分に敵を引きつけてから攻撃するためだ。
ハウンドはどんどん近づいてくる。未熟な人間の兵士なら、相手の勢いに飲まれ、恐怖から命令を待たずに攻撃していたかもしれないが、命令に忠実なダークエルフたちはじっと待った。
迫り来るハウンドの息づかいすら聞こえるような距離になったところで、
「放て!」
号令とともにダールゼンが右手を振り下ろし、射手たちが一斉に矢を射た。
正面の防御陣地、そして左右の家の屋根から放たれた矢が、次々とハウンドに突き刺さり、一気に十体以上のハウンドが悲鳴を上げて転倒した。
普通の矢ならこうはいかない。数本の矢が刺さったぐらいではハウンドはひるまないが、ダークエルフたちが放った矢は、矢尻に魔獣の骨を混ぜ合わせてある特別製だ。この矢は魔獣に高い効果を発揮する。
だがこの特別製の矢は数が少なく、全員に十分な数を供給できていない。防御陣地にいたダークエルフたちには一人一本だけ。例外はレンで、彼だけは二十本ほど矢筒に入っている。また屋根の上に陣取った射手たちにも、同じように二十本ほどの矢が与えられていた。
通常の矢では魔獣に大きなダメージは与えられないため、下の防御陣地にいるダークエルフたちは、弓矢を置いて剣を抜く。
もし二本目の矢があったとしても、どのみち射るのは難しかっただろう。ハウンドたちは倒れた仲間など無視して、勢いよく防御陣に殺到してきたからだ。
正面には簡易的な木の柵を置いていたが、それらはあまり意味がなかった。作る時間を優先したので一個一個の背が低く、ハウンドはそれらを簡単に飛び越してダークエルフへと襲いかかった。
たちまち乱戦となり、あちらこちらで怒号と悲鳴、ハウンドのうなり声が交錯する。
「死ね! 死ねこのやろう!」
「誰か助けてくれ!」
「離せこいつ!」
ハウンドに噛みつかれた一人のダークエルフが転倒し、側にいた別のダークエルフがそれを助けようとしたが、そのダークエルフにも別のハウンドが襲いかかり――といったような混戦で、誰もが目の前の敵を相手にするだけで精一杯だ。
そんな中、最初から少し下がった位置にいたレンとロゼたち三人だけは、乱戦に巻き込まれないでいた。
ガー太に乗ったレンは、冷静に矢をつがえて放つ。
一射目に続き、二射、三射と放った矢は、どれもハウンドに命中する。乱戦状態で敵味方が激しく動き回る中でも、ガー太に乗ったレンの目はしっかりと相手の動きを捉えていた。
そんなレンの存在に気付いたのか、乱戦状態の中から二体のハウンドが飛び出し、左右からほぼ同時にレンに襲いかかった。
ガー太が左で僕が右――言葉を交わさなくても自然に役割分担がなされる。
向かって左のハウンドがわずかに早く飛びかかってきたが、それをガー太が回し蹴りで蹴り飛ばす。上に乗っているレンは斜めの体勢になったが、その状態からでも姿勢を崩すことなく矢を放つ。
そのハウンドは口を大きく開いてレンに噛みつこうとしていたが、その大きく開いた口の中に矢は吸い込まれ、のどの奥を貫通した。ハウンドは悲鳴を上げることすらできず、もんどり打って転倒した。それをとどめとばかりにガー太が蹴り飛ばす。
「すごい……」
近くでレンの戦いを見ていたロゼの口からそんなつぶやきが漏れる。すぐ横にいるリゲルとディアナの思いも同じような顔をしている。
一人で魔獣の群れを倒したとは聞いていたし、弓の練習の際、ガー太に乗って矢を射るレンの腕前を見て、見事なものだと感心もしていた。だがこうして実際に戦う姿を見ると、やはりすごいと思ってしまった。
一対一の剣の腕なら私の方が上だと思いますが、ガー太様に乗った領主様はまるで別物。これが本当の実力なのですね――とロゼは思った。
続けて一体のハウンドがレンの方へと向かってくるが、
「私にお任せ下さい!」
「あっ、待って――」
レンが止める間もなく、ロゼが飛び出していく。レンの戦いに触発されたのだ。
ロゼはハウンドの攻撃を避けつつ、何度も相手の体を切りつけるものの、どれも浅い。わずかにロゼの方が押されているようだと思ったレンは、援護のために矢をつがえるが、
「僕も行きます!」
リゲルがロゼに加勢した。これで二対一となり、ロゼたちが圧倒的に有利になった。
これなら大丈夫だろうと安心したが、ここでもう一人、ディアナの様子に気付く。
「ディアナ、大丈夫?」
「は、はい……」
と答えてくれたものの、声も様子も、とても大丈夫そうには見えない。
顔色は真っ青で、体も震えている。
「ご、ごめんなさい。私がレン様を守らないといけないのに……」
恐怖に身をすくませるディアナを見ても、レンは責める気にはならなかった。むしろ彼女の気持ちはよくわかった。怖いものは怖いのだ、どうしようもない。
今はガー太に乗っているからレンも勇敢に戦えるが、もしガー太から降りて一人で魔獣と戦ったとしたら、レンもきっと恐怖でろくに動けなかっただろう。何しろ日本いた頃のレンは殺し合いどころかケンカもしたことがないのだ。
だから彼女気持ちがよくわかった。
「ディアナは僕の後ろに――」
新たなハウンドが一体向かってきたので、そこでレンの言葉は途切れる。ガー太はそれを迎え撃つべく動いたが、さらに新たなハウンドが一体、乱戦から飛び出してレンたちの方へと向かってきた。ただしこちらが狙っていたのはレンではなくディアナだ。
「危ない!」
それはとっさの反応だった。
ディアナは身がすくんで動けない。ガー太は別のハウンドに対応しようとしていて間に合わない。だからレンはガー太の上からディアナに飛びかかり、彼女の体を押し倒した。
「きゃあ!?」
「ぐあッ!」
地面に倒れたディアナが悲鳴を上げ、レンも苦悶の声を上げた。
飛びかかってきたハウンドが、ディアナをかばったレンの左肩のあたりに噛みついたのだ。レンは相手にのしかかられ、地面に押さえつけられる。
至近距離からハウンドの顔を見るのは二度目だな、とレンは思った。やはりその赤い目には底知れぬ憎悪の火が燃えていた。
もう四日ですが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
そして新年早々ですが、上下の予定が長くなりすぎたので、上中下に分けます。
なんか、こんなのばっかりですが……
続きは今日中には投稿したいと思います。