第33話 集落防衛戦(上)
バルドとディーナは周囲を警戒しつつ、森の中を歩いていた。
二人とも黒の大森林の集落に暮らすダークエルフだ。
見た目は若い男女の二人組。しかし実際のディーナの年齢は四十一才。バルドの方はほぼ見た目通りの二十三才だ。
二人はどちらも集落の狩人だったが、狩人としての経験も、ダークエルフとしての序列もディーナの方が上で、今は彼女が教師として若いバルドを指導中だった。
「常に周囲を警戒することは大事だけど、ずっと気を張ってたらすぐに疲れちゃうわ。メリハリが大事よ」
「はい」
ディーナの言葉に、バルドは真剣な顔でうなずく。
女のくせに、なんて不満を抱くダークエルフはいない。彼らにとっては序列が全てだ。だが逆に技量は低いが序列が高い、ということになると問題が出てくる。
人間の場合なら、見かけの地位と実際の立場が逆転している、なんてこともあるが、ダークエルフの序列に建て前などは存在しないので、名実共に未熟な者がリーダーとなり、優秀な者が下で働くことになってしまう。
「この黒の大森林では――」
話し続けていたディーナが、急に黙り込んだ。
「どうかしましたか?」
「しっ!」
話しかけてくるバルドに静にするよう言って、ディーナは前方の様子を探る。狩人の勘が、この先に何か異常があることを告げている。
「足音を立てず、静かについてきなさい」
音を立てないように、二人は慎重に足を進める。
ゆっくりと前方の茂みをかき分け、その先の様子を確認したディーナの顔が鋭いものに変化した。
森の中を魔獣の群れが移動していた。
ハウンドの群れね。それはまだいいとして、問題は……
オオカミのような魔獣のハウンドは、黒の大森林で最もよく見かける魔獣だ。ディーナも何回か戦ったことがあるし、仲間たちと共に十体程度の群れを討伐したこともある。
だが目の前の群れは数が多かった。
ざっと見て二十、いえ三十。けどもっといるはず。
森の中は視界が悪いため、群れの全容が把握できない。見えている数の倍いれば五十、三倍なら百を超える大群だ。
さらに問題なのはこの群れの進む方向だ。このままの方向で進んでいけば、集落へと近づいていくことになる。集落が襲われるようなことになればまさに一大事だ。
群れのリーダーはどれ? とディーナは捜す。
するとそいつが木々の間から姿を現した。
大きい、いや大きすぎると思った。
通常のハウンドの体長は一メートルに満たない。だが現れたその巨大なハウンドは通常の数倍、周囲の個体と比較すると体長が三メートルぐらいはありそうだ。もはやハウンドではなく別の種族といった方がいいぐらいだ。
間違いなくこの巨大ハウンドが群れを率いる超個体だろう。そして超個体の強さに比例して群れは大きくなる。ここまでの巨体なら百体以上の群れを率いていてもおかしくはない。
悠然と歩いていた超個体が不意に足を止め、ディーナの方を向いた。
茂みに隠れて様子をうかがっていた彼女の体に強烈な寒気が走った。
見つかった!? と思ったときには反射的に動いていた。
「逃げるぞ! 走れ!」
言いながらディーナはすでに走り出している。慌ててバルドがその後に続く。
「お前はそのまま集落へ戻れ。全速力だ」
「はい!」
言われた通りにバルドは集落へと向かうことにするが、ディーナはそれとは逆の方向へと走り出し、
「こっちだ魔獣ども!」
わざわざ声を上げて魔獣の群れを挑発する。
ゴアアアアアアッ!
超個体から周囲の空気を震わす咆哮が上がった。そして魔獣の群れが一斉にディーナを追って走り出す。
バルドは彼女の様子を気にしつつも足を止めない。
人間なら驚いて足を止め「何をやってるんですか!?」と聞くところだ。しかもバルドは序列に関係なくディーナのことを敬愛していた。
彼女が逆方向へと走り、大声を上げて魔獣の群れを引きつけたことは明白だ。
きっと自分を逃がすために、わざとオトリになってくれたに違いない。
そんな彼女を助けに戻りたいと強く願いながらも、バルドは走り続けた。
全速力で集落へ戻れと命じられたからだ。個人の意志より上からの命令に従うダークエルフである彼は命令通りに動いた。
だがそんなバルドの目からは涙がこぼれる。泣きながら彼は必死に走り続けた。
一方、オトリになったディーナの方はもう少し冷静だった。
バルドを逃がしてやりたいという気持ちはもちろんあったが、自分がオトリになったのは合理的に判断した結果だ。
もしバルドをオトリにしたとして、未熟な彼はすぐに魔獣の群れに捕まって殺されてしまうだろう。そして魔獣の群れはすぐに次の獲物であるディーナを追ってくるはずだ。
先程の超個体もそうだが、魔獣は人間やダークエルフの存在を遠くからでも感知する。気配なのか臭いなのか、どうやって感知しているかはわからないが、ある程度の距離を稼がないと、走って逃げるというのは難しい。
並の魔獣なら隠れてやり過ごすという手段もあるのだが、あの超個体には通用しないだろう。
そうなるとディーナがオトリとなって引きつけるしかない。
それにこのまま集落と逆方向へ群れを誘導できれば、集落の方へと向かっていた奴らの進行方向を変えられるかもしれない。
背後からは徐々にハウンドの足音が近づいてくる。それは死を告げる足音だったが、
「いいぞ。もっと追ってこい」
ディーナは不敵な笑みを浮かべて走り続けた。
その日、レンはガー太に乗って黒の大森林を歩いていた。
森に来ることになった理由は、一昨日、屋敷にやって来た連絡役のダークエルフが告げたダールゼンからの頼み事だった。
「浮き橋の試作品ができましたので、一度確認していただけないでしょうか」
というものだった。
ターベラス王国へ向かう際、途中の川を今はイカダのような船で渡っているが、いずれは浮き橋をかけてみてはどうか、と提案したのはレンだった。
どうやら彼らはその浮き橋作りに取り組み、試作品を完成させたようだ。そこでレンに連絡が来たわけである。
レンは職人ではないし、もちろん浮き橋を造ったこともない。だから試作品を見に行ったところでなんのアドバイスもできないと思ったが、実際の浮き橋を知っているのは自分だけだと思い直して見に行くことにした。
レンが知る元の世界の浮き橋と、同じものが造れるとは思えないが、それでも浮き橋は浮き橋、何か参考になれば、ぐらいの気持ちだった。後はどんなものだろうかという興味もある。
そんなわけで昨日の朝、屋敷を出て集落へと向かった。里帰りも兼ねてロゼたち三人も同行した。そして昼前には集落に到着したものの、浮き橋の試作品がある渡河地点までは集落から片道三時間以上。往復すると夜になるということでそのまま集落で一泊。そして今朝、集落を出て浮き橋の試作品を見に向かっている。
ガー太に乗ったレンの他には、ダールゼンと護衛役のダークエルフが二人、さらに「今日は僕がお世話係ですから」とリゲルも一緒だ。
五人と一羽の一行は、集落を出て一時間ほど順調に進んでいたが、ふとガー太が足を止めた。
「どうかしましたか?」
「誰か来ます」
ダールゼンの問いにレンが答える。
ガー太の鋭敏な感覚が、一行の背後から近づいてくる何者かの気配を捉えていた。乗っているレンはその感覚を共有している。
「魔獣ですか?」
ダールゼンたちが緊張した表情で武器に手をかけたが、
「いえ、多分違うと思います」
魔獣特有の嫌な気配は感じなかった。
おそらく人間かダークエルフ。そしてこの森にレン以外の人間がいるとは思えないから、ダークエルフだろう。彼らが出発した後に、何か緊急事態が起きて追ってきたのではないか?
一行がその場で足を止めてしばらく待っていると、予想通りダークエルフの男が追いついてきた。
「ロイドか。なにかあったのか?」
ダールゼンが訊ねる。やはり彼は集落のダークエルフだった。
「大変、だ。魔獣の、群れが現れた」
ここまで必死に走ってきたのだろう。息も絶え絶えのロイドの言葉に全員が驚愕する。
「なんだと!? それは本当か? どこでどれくらいの数だ?」
ダールゼンがロイドに詰め寄り、矢継ぎ早に質問するが、
「すまない。報告を受けてすぐに飛び出してきたから、詳しい話は俺も聞いていない。ただ魔獣の群れを見つけたのはバルドだ。詳しい話は集落に戻って彼から聞いてくれ。とにかく早く戻ってくれ」
わかったとうなずいたダールゼンはレンの方を向き、
「領主様。申し訳ありませんが――」
「ええ。すぐに戻りましょう。ガー太、帰りの道は覚えてるよね?」
「ガー」
任せておけとばかりに鳴くガー太。
「じゃあ、すまないけどダールゼンさんも乗せて帰ってくれる?」
「ガー」
今度はやむを得まい、といった調子で鳴く。
普段のガー太はレン以外の人間やダークエルフを乗せたがらないが、今が緊急事態というのをわかってくれたようだ。
「というわけでダールゼンさん、僕の後ろに乗って下さい」
「よろしいのですか?」
「ガー太がいいって言ってるんで」
「では、失礼しますガー太様」
恐縮した様子でダールゼンはレンの後ろにまたがる。
「僕にしっかり掴まっていて下さいね」
「わかりました。失礼します」
ダールゼンがレンの腰に手を回した。
「リゲルも乗って行く?」
「いいんですか?」
こちらはうれしそうに聞いてくる。
「リゲルなら軽いし、もう一人増えても大丈夫だよね?」
「ガー」
どこかあきらめたようにガー太が鳴いた。
「ガー太もいいって言ってるけど、どうする?」
「乗ります!」
うれしそうに答えて、リゲルはレンの前に乗った。こちらは落ちないようにレンが抱きかかえるような形になる。
「それじゃあ行くよ」
他のダークエルフたちをその場に残し、レンたちは集落へ向かって走り出した。
最初はゆっくりと。だがすぐにガー太はスピードを上げ、森の中を疾走する。
「だ、大丈夫なのですか?」
ダールゼンが引きつった顔で聞く。
ガー太はまだ最高速度には達していない。それでも時速三十キロから四十キロぐらいの速度は出ている。このスピードでろくな道もない森の中を、木々の間を縫うようにして駆け抜けていくのだ。ダールゼンの顔が引きつるのも無理なかった。
「大丈夫ですよ」
レンは余裕を持って答えた。
もしこれが例えばバイクに乗って走っていたのなら、やはりレンの顔も恐怖で引きつっていただろう。しかしガー太に乗って感覚が強化されているレンは、むしろこの状況を楽しんでいた。
そこを飛び越えて、次の木を蹴ってジャンプ、さらにもう一回ジャンプ――ガー太と一体になったレンは、まるで自分の足で森の中を飛び跳ねているような気分になっていた。
広い平原をガー太に乗って走るのも爽快だったが、茂みを勢いよく飛び越え、ぶつかりそうになった木の幹を蹴りつけ三角跳びのようにジャンプ、といった曲芸のような動きで森の中を走るのは、それとは違う別の楽しさがあった。
自然とレンの顔には笑みが浮かび、それを見たダールゼンは、やはりこの方はただ者ではない、という思いを強くした。
「すごい! すごいですよレン様!」
もう一人の同乗者リゲルも、レンと同じようにこの状況を楽しんでいた。こちらはレンとガー太のことを信頼しているのだろう。事故などは起きないと安心した上でスリルを楽しんでいるようだった。
驚異的なスピードで森の中を駆け抜けたガー太は、徒歩で一時間ほどかかった道のりを十分程度で走破し、集落へと帰ってきた。
どうやら集落のダークエルフたちは、全員が集落の中心にある世界樹のところに集まっているようだ。
ガー太は速度を落とさず、その世界樹の前まで駆け込んでいく。
「ガー太様!」
「ガー太様だ!」
世界樹の周囲にいたダークエルフたちが、自分たちの方に向かってくるガー太に気付き、次々と驚きの声を上げた。
ガー太はそんな彼らの目の前まで突進し、最後はドリフトのように横滑りで急停止した。
そしてそんなガー太の上から転がるようにダールゼンが飛び降りると、またもダークエルフたちから驚きの声が上がる。
「ダールゼン!」
「ガー太様に乗ってダールゼンが帰ってきたぞ!」
そんな彼らに向かってダールゼンが声を張り上げる。
「驚くのは後だ! それより魔獣の群れが現れたというのは本当か!?」
彼の言葉にダークエルフたちも今の状況を思い出したのだろう。一気にざわめきが収まると、一人のダークエルフが前に出てダールゼンに説明する。
「本当だ。バルドが見つけたんだ」
そのバルドは世界樹にもたれて座っていた。彼はそうやって疲れを回復中だった。
集落まで必死に走ってきたバルドは、たどり着いたところで限界を迎えて倒れ込んだ。そして何事かと駆け寄ってきた集落のダークエルフたちに魔獣の群れの発生を告げた。それを受けて一人がダールゼンの後を追って送り出され、バルドは疲労を回復させるために世界樹の根本まで運ばれた。
緊急事態ということで集落の全員も世界樹のところに集まり、どうすべきが話し合っていたところに、ガー太に乗ったダールゼンが帰ってきたというわけだ。
「バルド。何があったか詳しく説明してくれ」
ダールゼンにそう訊ねられたバルドは、何があったかを悲痛な表情で話した。
「そうか。ディーナがオトリになって……」
話を聞いたダールゼンも悲痛な表情を浮かべたが、すぐに気持ちを切り替えて悲しみを押し殺した。今は悲しむよりも先にしなければならないことがある。
「すぐに集落の周囲に偵察隊を出す。もし群れを見つけたら即座に帰ってこい。一番いいのはここを通り過ぎてくれることだから、絶対に刺激するな」
その場で何名か偵察隊を選び、すぐに送り出す。
「領主様。このようなことになってしまい申し訳ありません」
「いえ、ダールゼンさんが謝るようなことでは……」
魔獣の群れが現れたのは誰の責任でもないだろう。
「すぐに護衛の者を何名か付けて屋敷までお送りします」
「ちょっと待って下さい。僕もここに残りますよ」
よく考えての言葉ではない、とっさに出た言葉だった。だが言った後に考えても、それが正しいと思った。
ダールゼンは強く反対した。
「おそらく魔獣の群れはここに来ます。十や二十のハウンドなら撃退する自信もありますが、今回の群れは数が多いのです。勝てるかどうかもわからず危険です」
「その前に、まず確認しておきたいんですけど、魔獣の群れが来る確率はそんなに高いんですか?」
「群れを率いる超個体は、どうやってかは知りませんが、人間やダークエルフの存在を遠くからでも察知するのです。特に多くの者が暮らしている街などは、かなり遠くからでもその場所を把握しているようで、まっすぐそちらへ向かいます。今回群れを発見した場所との距離を考えれば、残念ながらここへ来るのは確実かと」
「世界樹には魔獣は寄ってこないのでは?」
「前にも申し上げたと思いますが程度問題です。単体の魔獣ならまず近寄ってきませんが、強力な超個体は平気で寄ってきます。おそらくは世界樹の魔獣よけの力と、超個体との力比べだと思うのですが、今回の場合は向こうの方が強いでしょう」
どうやら魔獣がこの集落を襲うのはほぼ確定のようだ。
「ダールゼンさんたちが、ここから逃げるというのはダメなんですか? 一時的に屋敷まで避難するとか」
「世界樹を置いて我々が逃げるわけにはいきません」
そうだった。これは彼らにとっての宗教だから、説得するのは無理だろう。
「それにもし逃げたとして、途中で襲われたらそれこそ大変なことになります」
「わかりました。だったらやっぱり僕も残ります。ここで魔獣の群れを迎え撃つというなら、戦力は一人でも多い方がいいでしょう? 今の僕なら弓も使えるし」
日本にいた頃のレンなら、戦力どころか足手まといだっただろう。しかし今のレンは若く鍛えられた体の持ち主だ。
さらにはガー太がいる。
今言ったようにガー太に乗れば弓も使えるし、なによりハウンドの群れと戦って撃退した経験もある。
今回は前回よりも数が多いようだが、戦力となるのは間違いないだろう。
「……領主様がそこまでおっしゃって下さるなら、ご助力をお願いしてもよろしいでしょうか?」
レンの真剣な表情にダールゼンが折れた。
それにレンが言ったように戦力は一人でも多い方がいいのだ。レンの弓の技量は素晴らしいとも聞いている。
「ええ。一緒に戦いましょう」
好きこのんで魔獣と戦いたいわけではない。命の危険があるのだ。体が震えるほど怖い。
だが脳裏によぎるのはナバルのことだった。
あの時は彼らを助けることができなかった。
そして今回魔獣の群れと戦おうとしているのはダークエルフたちだ。すでに顔見知りも多い。彼らを見捨てて逃げたとしたら、後になってどれほど後悔するか。そんなのはもう嫌だった。