第32話 ガゼの街
こんなに早く、またこの街に来るとはな。
街道を進む先に見えてきた、ガゼの街の外壁を見て、ダークエルフのゼルドはそんなことを思った。
彼らが前回、黒の大森林を抜けてターベラス王国のガゼの街にやってきたのは、暑くなり始めた五月頃のことだった。そして今はすっかり夏らしくなった七月下旬。
黒の大森林を抜けるのに、およそ二十日程度。そこからガゼの街まで街道を歩いて三日か四日。合わせれば片道一ヶ月程の行程だ。彼らはあまり間を置かず、集落とガゼとを往復したことになる。
前回と比べて暑さは増していたが、彼らの足取りには前回よりも余裕があった。
やはり一度通った道、というのが大きかった。
一度も通ったことのない場所を行くのには困難が伴う。迷わず進んでいるのか? 後どれぐらいの時間がかかるのか? そもそも本当にたどり着けるのか?
様々な精神的負担がのしかかり、それが彼らを必要以上に消耗させた。
だが一度でも通ったことのある場所なら、次からはある程度の予定が立てられる。
どの程度の日数がかかり、どれだけの荷物を用意すればいいか。道に迷う心配も小さくなる。
黒の大森林の危険度は変わっていないが、そこが未知の領域なのか、既知の領域なのか、その違いは大きかった。実際、彼らは前回は犠牲者を出していたが、今回は誰も欠けることなくここまでやって来た。
前回は五人のメンバーで集落を出て、途中で一人を失い、ガゼには四人が到着した。
今回はゼルドを始めとした前回の四人に新たに二人を加え、六人のメンバーで集落を出発し、その六人全員でここまでやって来ることができた。
道中、魔獣との戦闘は四度。負傷している者もいるが、いずれも軽傷で元気だ。
「ひとまずは安心だが気を抜くなよ」
ガゼに到着すれば魔獣に襲われる危険はなくなるが、別の危険が出てくる。
「わかっているだろうが住民や役人とトラブルは起こすな。街に入ったら目立たぬように行動しろ」
今回の彼らの目的は、ガゼにいるとある商人に手紙を届けることだ。だが手紙を届ければそれで終わりというわけではない。
今回の手紙のやり取りが上手くいけば、きっと次は品物を運ぶことになる。そう、密輸だ。
それを考えれば目立つのは厳禁だ。ひっそりとやらねばならない。
多分大丈夫だろうとは思う。
ガゼの街は人口数万人という大きな街で、人の出入りも激しい。下働きをしているダークエルフも多いから、ダークエルフというだけでゼルドたちが目立つこともない。
街道を歩き、ガゼの街が近づいてくると、その様子もよく見えてきた。
ガゼの街は高さ三メートルほどの石造りの外壁に囲まれている。魔獣の脅威があるこの世界では、外壁のある街が一般的だが、ガゼの街の門は夜でも常に開けられている。壁の中と外とで人の行き来があるからだ。
ガゼは外壁の外にも家が建ち並んでいる。人口が増えた結果、壁の内部に人が収まりきらず、外へとあふれたのだ。これはそれだけ人が集まり、発展している証でもある。
外の家は無秩序に建ち並んでいるが、ゼルドたちが歩いている街道だけはきっちり確保されている。
街に近づくにつれ、街道の両側に家が増え、やがて宿屋や商店ばかりになっていく。人の往来も多い。
街道をそのまま進むとガゼの街の西門に到着した。石造りの壁に大きな扉が備え付けられているが、それは常時開放されたままだ。門の側には警備の兵士も立っているが、特に出入りを調べているわけではなく、ゼルドたちも問題なく門を抜けて壁の中へと入れた。
こうした自由な人の行き来は、領主のヴァイセン伯爵の方針だと聞いている。
ガゼを含む、この地域一帯を治めるヴァイセン伯爵は有名な貴族だった。まず間違いなく、ここターベラス王国で最も有名な貴族であり、それどころか大陸西方中にその名は鳴り響いている。
なにしろ黒の大森林の集落で暮らしていたゼルドですら、その名に聞き覚えがあったほどだ。
ヴァイセン伯爵は元は貴族ではなく農民の出だった。
それがザウス帝国との戦いのために徴兵され、一兵卒として戦場へ赴いた。
そしてそこで彼は運命的な出会いを果たす。
ダネール平原の戦いと呼ばれたその戦いは、ザウス帝国の一方的な勝利に終わり、ターベラス王国の大敗北となった。
敗走するターベラス王国軍は大混乱となり、なんとラムス王子が敵中に取り残されてしまう。
このままでは王子は討たれるか、捕虜になるかだったが、そこへ助けに現れたのが若き日のヴァイセン伯爵だった。
一兵卒だったヴァイセン伯爵はザウス帝国の騎士を倒し、その馬に飛び乗って敵の囲みを突破、見事ラムス王子を救い出すという大手柄を立てたのだ。
この功績によってヴァイセン伯爵はラムス王子の近習に取り立てられる。
当時のラムス王子は、王子といっても第六王子。王位継承権も低く、子飼いと呼べる部下もほとんどいなかったため、平民からの大抜擢にも特に問題は生じなかった。
そして歴史はこの二人をさらに上の舞台へと押し上げた。
ラムス王子の兄たちが、病死や事故で次々と亡くなり――兄弟同士の暗殺も噂される――ついに六男だったラムス王子がターベラス国王となった。それが現在のラムス国王だ。
ヴァイセン伯爵もまた、主と一緒に出世の階段を駆け上った。
平民だった彼はヴァイセン伯爵家の養子となり、やがてその伯爵家を継いでヴァイセン伯爵となった。
ヴァイセン伯爵は常にラムス国王の手足となって働き、特にザウス帝国との戦いで大活躍した。
現在、両国の国境はルベル川だが、以前は川の西側にもターベラス王国は領土を有していた。それを失ったのがダネール平原の戦いだったが、その戦い以降、ザウス帝国は三度ルベル川を越えて王国領内へと侵攻している。そしていずれもヴァイセン伯爵の活躍によって敗退している。
当然のごとく王国内でヴァイセン伯爵の武名は鳴り響き、それどころか帝国内ですら「ルベル川を越えるのは簡単だが、越えた先にはヴァイセン伯爵がいる」と言われるほどだった。
やがて彼の名は他の国々へも広がり、ゼルドがその名を聞くほどまでになったのだ。
ヴァイセン伯爵はターベラス王国の南西部に広い領地を与えられている。西にルベル側を挟んでザウス帝国に接し、南に黒の大森林と接するという難しい土地だったが、彼は上手く運営していた。
ここガゼの街は、そんな伯爵の本拠地なのだ。
ガゼの街は活気にあふれていた。
大通りを多くの人が行き交い、街の中心の広場にはたくさんの出店も出ている。
この活気を見る限り、ヴァイセン伯爵は武人としてだけではなく、領主としても有能なようだとゼルドは思った。
基本的に街の出入りを解放し、手荷物ぐらいなら調べもせず、税金を徴収したりもしない。おかげで多くの旅人や行商人がガゼを訪れるようになり、それが街の活気につながっている。
街に入ったゼルドたちは、早速目的地へと向かうことにする。
巡回商人のマルコから預かった手紙の届け先は、ラフマンという商人だ。彼はガゼの北大通りに店を構えているらしい。
ガゼの街の作りを単純に説明すれば、中央にヴァイセン伯爵の屋敷があり、そこから東西南北にまっすぐ大通りが延びていて外壁の門へとつながっている。
大通りに店を出せるのは裕福な商人の証であり、届け先のラフマンもそれなりの商人ということになる。
ゼルドたちは北大通りへと向かってラフマンの店を探したが、通行人に聞けばすぐに場所はわかった。予想通りというべきか、立派な店だった。どうやら衣服を中心とした商売をしているようだ。
「あの、すみません」
ゼルドは店の前で掃除をしていた下働きらしい男に声をかけた。
「はい、なんでしょう――なんだお前たちは?」
最初は愛想よく応えようとした男だったが、ゼルドたちがダークエルフということに気付いて露骨に態度を変える。
「ここはお前らのような者が来る店じゃない。とっとと消えろ」
汚物を見るような目つきで男が追い払おうとしてくるが、ゼルドの方もこれぐらいの対応は予想済みである。あくまで下手に出て話す。
「申し訳ございません。しかし主から手紙を預かって参りました。ガゼのラフマン様にお届けするように、と」
言いながら手紙を取り出して差し出す。
これで男の態度が少し変わった。
ダークエルフが物乞いのたぐいなら当然追い払う。もし客だったとしても追い払う。ダークエルフを客として迎え入れるなど、それだけで店の品位が下がるというのが、ここでの常識だ。
だが使いの者となれば少し違う。
まっとうな人間ならダークエルフを雇ったりしないが、危険な仕事なら話は別だ。どうやら他の街からやって来たようだし、追い返す前に一応話を通すべきか、と男は判断した。
「わかった。一応話を聞いてきてやる。お前らはどこか離れた場所で待っていろ。呼ぶまで店に近づくなよ」
男は店の中に入っていき、ゼルドたちは言われた通り、少し離れた路地の影で待つことにした。
しばらくすると店から男が出てきて、
「ラフマン様がお会いになるそうだ。お前たちの責任者は誰だ?」
「私ですが」
ゼルドが答えると、
「よし。お前だけ来い」
どうやら全員を上げてはくれないようだ。
ゼルドは男に先導され、正面からではなく裏口から店に入る。
すると入ったところで、小太りな男が待っていた。
この男がラフマンだと思ったゼルドは、その場で素早く跪いた。
まだまだ貧しいこの時代、太っているというのは裕福な証拠であり、ある種のステータスでもあった。強さを示す筋肉、富を示す脂肪、などと言われたりもしている。
「私がラフマンだ」
やはりゼルドの予想通りだった。自分も名乗ろうと思ったゼルドだが、
「くだらん挨拶などどうでもいい。早速本題に入ろう。お前はグラウデン王国から来たのか?」
「はい」
「この手紙に書かれた道を通って?」
「私は手紙の内容を知りません。ですがおそらくその通りだと思います」
ここでラフマンは少し考え、それからゼルドを店に上げた。
「よろしいのですか?」
聞いてくる部下に、いいんだと答えたラフマンは、さらに誰も部屋に来ないよう人払いまでして、ゼルドを店の奥の一室へ連れて行き、そこで一対一で話し始めた。
「本当に黒の大森林を抜けてきたのか?」
「はい」
「どれぐらいの期間で?」
「片道一ヶ月、といったところです」
「むう……」
ラフマンがうなった。
彼は他国から来る交易品も扱っていた。西から来る交易品は全てザウス帝国を経由しており、時間もそうだが、途中の税金などで値段が跳ね上がる。それが黒の大森林を抜けて直接ターベラス王国と取引できるとしたら?
ラフマンはそこに金の匂いを嗅ぎ取った
手紙の差出人であるマルコについても覚えている。若いが中々目端が利く若者だと思っていた。これは試してみる価値はありどうだと判断した。
だが本当に取引するとなれば正規のルートではない、つまり密輸となるので、事は慎重に運ばねばならない。
ラフマンは利益のためならある程度の危険を冒す商人だったが、決して無謀な賭けに乗ったりはしない。
詳しくゼルドから話を聞き出したラフマンは、それからマルコへの返信を書いた。
挨拶もなにもない。商品名と個数だけを書いた手紙である。
これだけで相手に伝わるだろうとラフマンは思った。もしなにかトラブルがあってこのダークエルフたちが捕まるようなことがあっても、この手紙だけなら罪には問われない。
これで話し合いは終わった。返信を受け取ったゼルドは、入ったときと同じように裏口から店を出て、外で待っていた仲間のところへ戻った。
「上手くいった」
ホッとした様子で告げるゼルドの言葉に、仲間のダークエルフたちも満面の笑みを浮かべる。
個人よりも集団、自分の望みより上からの命令を優先する彼らにとって、与えられた役目を完遂することこそが一番の喜びだった。
「まだ終わりじゃないぞ。我々はこれを持って帰らねばならない」
この返信を持ち帰って初めて今回の役目を果たしたことになるのだ。まだまだ気を抜くわけにはいかない。
ラフマンに手紙を届けたゼルドたちは、すぐに壁の外へと出る。だがガゼから去ったりはせず、壁の外に広がる街へと入っていった。
ガゼの街には明確な格差が存在している。
壁の中に住めるのは裕福な人間で、壁の外に暮らす人間はそれより貧しい人々だ。そして壁の外にも格差があり、自然と居住区域の棲み分けが起こっている。
ゼルドたちが向かったのは、そんな外の街の中でも最底辺に位置する貧民街だ。
人の身なりも、家の造りもどんどん粗末になっていく。剣呑な雰囲気の男たちも何人かいたが、六人組のダークエルフである。例え襲っても手間の割に実入りが少ないと判断されたか、ちょっかいをかけてくるような者はいなかった。
ゼルドたちの目的地は、貧民街の中に建つ一軒の粗末な小屋だった。
「バーダー、いるか?」
小屋の中をのぞいて声をかけると、
「ゼルドか。また来ると言っていたが、本当に来たのか」
中から出てきたのは一人の男だった。彼もまたダークエルフである。
「また世話になる。ここで数日休ませてくれ」
「わかった」
突然の来訪だったが、バーダーと呼ばれたダークエルフは、当然のごとくゼルドたちを受け入れた。
人間なら中々こうはいかないだろう。
だがダークエルフには序列がある。ゼルドの方がバーダーより序列が高かったから、バーダーは言われた通りに従った。彼らにとっては当たり前のことである。
また例えバーダーの方が序列が高かったとしても結果は変わらなかっただろう。
他のダークエルフのために行動しているゼルドたちを助けるのは、これまたダークエルフにとっては当然のことだった。
前回ガゼを訪れたときも、ゼルドたちはここで数日休ませてもらった。
残念なのはここに世界樹がないことだ。もしあれば一日眠るだけで体力も傷も回復するのだが。
しかし不用意に世界樹を植え、それが人間に伐採されるようなことにでもなれば目も当てられない。だから人間の街で暮らしているダークエルフたちは、基本的に世界樹のない生活を送っている。
その最大の問題点は世界樹の加護を受けられないことだ。
人間と比べ、ダークエルフたちの身体能力は高いが、それは世界樹あっての力なのだ。世界樹から離れて一ヶ月もすれば、ダークエルフたちの身体能力は低下し始め、三ヶ月もすれば普通の人間と変わらないぐらいになってしまう。
この身体能力の向上を、ダークエルフたちは世界樹の加護と呼ぶ。
長く街で暮らしているバーダーはこの加護を失っており、人間と変わらない身体能力になっている。病気や怪我をしたら治す手段もない。
余談だが、世界樹の加護によってダークエルフの強さは大きく上下するため、事情を知らない人間が認識しているダークエルフの強さにも大きな違いがある。加護を受けた状態のダークエルフを知る者は、人間よりもかなり強いと評価する。一方、加護が失われたダークエルフしか知らなければ、噂されるほど強くはないな、と思うことになる。
ゼルドたちにとっては加護のあるなしは非常に重要だった。なにしろこれからまた黒の大森林を抜けて集落まで戻らねばならないのだ。加護が失われることは生死に直結する。
集落を出てからそろそろ一ヶ月。ちょうど世界樹の加護が切れ始める頃なのでさっさと出発したいが、ここで焦りは禁物だった。
まずは体を休めなければならない。疲れた体で通り抜けられるほど、黒の大森林は甘い場所ではない。
「これで食べ物を買ってきてくれ」
ゼルドはバーダーに革袋を差し出す。中身は銅貨百枚ほど。バゼを売って得た貴重な臨時収入の一部を持たされていた。
「わかりました。すぐに何か買ってきます」
バーダーが金を持って家を出て行くと、ゼルドたちはすぐに横になった。
今日は腹一杯食べてぐっすり寝る。
優秀な狩人でもある彼らは、休息の重要性をよくわかっている。
横になって目を閉じた彼らから、すぐに寝息が上がり始めた。
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とてもうれしいです。
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