第30話 進展
「なるほど。つまり直接ターベラス王国と商売ができるというわけですね」
危惧していた通りになったというべきか。
ジャガルでの仕入れを終えて戻って来たマルコに、レンはさりげなく話を持ちかけようとした。
黒の大森林を抜けての密輸についてである。
だが人付き合いが苦手だったレンに、そういう会話は難易度が高すぎた。あっさりとマルコに目論見を見抜かれてしまった。
「できる、と決まったわけではないです。ただ、彼らが言うには森を抜けてターベラス王国まで行くのも不可能ではない、と」
レンはあえて詳細を知らないような言い方をした。
万が一の際、知らぬ存ぜぬを貫くためである。ダークエルフが何かやっているようですが、僕は詳しく知りません、というわけだ。
「それは非常におもしろいお話しですねえ」
マルコが話に興味を示したのでホッとする。
ここで「それは犯罪です!」とか言い出されたら、困ったことになっていただろう。
「例えばの話ですが、私からダークエルフにお使いなどを頼むこともできるのでしょうか?」
「それはあくまで仮定の話、ですよね?」
「もちろん例え話ですよ」
マルコはニコニコと笑って答える。
「できると思いますよ。もっともダークエルフたちはターベラス王国の情報に詳しくないので、どこの誰になにを届ければいいのか、詳しく教えてもらわないとダメだと思いますが」
しばらく考え込んだマルコは、少々お待ち下さいと言って一度部屋を出て行き、すぐに戻って来た。手に獣皮紙と羽ペンを持って。おそらく外に止めてある荷馬車に取りに行ってきたのだろう。
「ちょっと失礼します」
そう言ってマルコは獣皮紙にペンを走らせ始めた。
横から見ていたレンは、これまでやってきた読み書きの勉強のおかげで、どうにかその内容を読むことができた。
それは知人に宛てた手紙だった。
丁寧な言葉遣いで書かれているので、おそらく相手は目上の人物だろう。
お久しぶりですという挨拶から始まり、この手紙がちょっと変わったルートでグラウデン王国から送られていること、もしそのルートに興味を覚えたのなら使いのダークエルフに返信を持たせてほしいこと、などを書いている。
「まずはその手紙を知り合いに送り届けて、というわけですね?」
「はい。その通りです」
「もしかして相手の方はターベラス王国に住む商人ですか?」
「はい」
内容から推測しての問いかけだったが、聞かれたマルコは少し驚いていた。
この人は文字が読めるのか、と。
顔には出さなかったのでレンは気付かなかったが。
「最後に会ったのはもう何年も前ですが、私のことは覚えてくれているはずです」
貴族なら字が読めて当然、というわけではない。
ちゃんとした教育を受けた貴族なら読み書きができて当然なのだが、中には勉強を嫌がり、配下の者に代読、代筆させている者もいる。
レンもそうだとばかり思っていたのだが……
やはり認識を改める必要がありそうだとマルコは思った。
最初からおかしいと思ってはいたのだ。
マルコはここに来る前、レンについても一通り調べていたのが、誰に聞いても悪い評判ばかりだった。
すぐに暴力を振るう粗暴な貴族のバカ息子、といったところだ。頭の悪い貴族など別に珍しくもない。こんな僻地に送られたのだから、そういう人物なのだろうと納得した。
ところがいざ会ってみると全然印象が違う。
なるほど見た目は予想通りだった。がっしりとした体格で、服の上からでもよく鍛えられているのがわかった。これなら力自慢ですぐに腕力に訴えるというのもうなずけた。
だが見た目と違って態度や話し方は丁寧で、暴力的どころか、むしろ気弱と思えるほどに腰が低い。しかも貴族特有の上から目線を感じない。
生まれた時から人の上に立つのが当然だと思って生きてきた貴族は、自然と平民を見下すようになっていく。それが当然だと思っているからで、見下される側の平民もそれを当然だと受け入れている。
丁寧な物腰の貴族もいるが、この上から目線だけは消えない。自分が上だという前提で、下の者に寛大に接している、というわけだ。
しかし目の前のレンからはそんな上から目線を感じない。これはかなり珍しいことだ。まるで貴族らしさを感じないといってもいい。
どうにもつかみ所がないなとマルコは思った。
まだ若い少年だというのに、若者が持つであろう勢いとかも感じられない。
かといって無気力というわけでもなさそうだ。
どうやったかはわからないが、黒の大森林に住み着いたダークエルフたちを完全に手なずけている。
普通の貴族ならダークエルフを忌避するはずなのに、彼はむしろダークエルフたちと積極的に交流している。
ちょっとおかしなガーガーを飼い慣らしているのも謎といえば謎だ。
そして今度は黒の大森林を通り抜けての密輸である。
よくも悪くも普通の人間じゃ出てこない発想ですね。
とマルコは感心した。
この国の人間は皆、生まれた時から魔獣の恐ろしさ、そしてその魔獣の巣窟である黒の大森林の恐ろしさを嫌というほど教え込まれる。しかもそれは大げさでもなんでもなく事実だ。実際に黒の大森林から魔獣の群れが出現し、大きな被害が出たことが何度もある。
だからこの国の人間は黒の大森林へ近寄らない。そこは決して触れてはならない禁断の土地だから。
マルコにしても、今まで黒の大森林を抜けてターベラス王国へ行くなど考えたこともなかった。そんなことは不可能だと思い込んでいたというか、今もそう思っている。
ダークエルフたちが森を抜けられるということについても、実は半信半疑である。
世間ではダークエルフを魔獣の仲間だと思っている人間も多い。もし本当にそうなら、魔獣うごめく黒の大森林も通り抜けられるかもしれない。だがマルコは多少はダークエルフのことを知っていた。
隊商の護衛にダークエルフも雇われることもあったのだが、魔獣に襲撃されたときは、人間もダークエルフも区別されず平等に襲われていた。
だからダークエルフと魔獣が仲間だなどとは思っていないが、彼らだけが持つ、なにか特別な技術や道具があるのではないか、とも疑っていた。そうでなければ黒の大森林を通り抜けることは不可能だ、と。
「ところでダークエルフたちは、どうやって黒の大森林を通り抜けるのでしょうか?」
「さあ? 詳しいことは聞いていませんが……」
レンは正直に答えた。詳細までは聞いていないから、どうやってと聞かれても答えられない。
それを聞いたマルコは判断に迷った。本当に知らないのか、知ってて隠しているのか……
だが、どちらにしろ教えてくれる気はなさそうだ、ということでそれ以上は聞かなかった。
もっと相手の信頼を得てからですねと彼は思った。
そう、もっともっとレンの信頼を得なければならない。そしてレンに食い込んでいき、そこから利益を得るのだ。もし本当に黒の森を越えていけるのなら、それは莫大な利益を生むことになるだろう。まさに千載一遇のチャンス、逃すわけにはいかない。
マルコは商人らしい夢を持っていた。いつか自分の店を持ち、国々を股にかけるような大きな商売をやりたい、という夢を。
ナバルおじさんは巡回商人という仕事に誇りを持っていたようですけど、私は違いますから。巡回商人は夢を実現するための踏み台です。
数年はまじめに働き、コツコツお金を貯めてから大勝負に――みたいなことをマルコは考えていたのだが、その予定を大幅に縮められるかもしれない。
あまり期待しすぎないように、と自分に言い聞かせつつ、それでも期待して返答を待つことにした。
ダールゼンが屋敷にやってきたのは、それから三日後のことだった。
昨日、タイミングよく連絡役のダークエルフが来たので、マルコから預かった手紙を渡し、それをターベラス王国に住む商人まで届けてほしいと伝えておいた。その報告を受けたダールゼンが、直に詳しい話が聞きたいとやってきたのだ。
このあたり、レンはどうしてももどかしさを感じる。
ちょっと話をしたいと思っただけで一日二日かかってしまうからだ。
この世界の人間ならそれが当たり前なのだが、移動手段や連絡手段の発達した日本を知っているせいで、どうにかならないかと思ってしまう。どうにもならないとわかっているのだが。
「――というわけで、この手紙をガゼの街に住むラフマンという商人まで届けてほしいと」
マルコから頼まれた話をそのまま伝える。
「わかりました。すぐにまた何名か選んで送りましょう」
「くれぐれも安全第一でお願いしますね」
「わかっております。一度は通れた道ですから、今度はもっと余裕を持って行けるでしょう」
と言ってくれたものの心配だった。
前回話したときにはっきりとわかったが、レンと彼らの安全意識には明らかな差がある。
ダークエルフたちは最初から多少の犠牲は織り込み済みで考える。レンはもちろん一人の犠牲者も出したくないのだが、はたして自分の方が正しいと言い切れるのか、自信がなかった。
レンの持つ安全意識は日本人としてものだ。安全な日本なら、死傷者が出る前提で手紙を送るなどあり得ない。
だが危険なこの世界では、日本の常識は通用しない。無理に押し通そうとすれば、極端な話、なにもできなくなってしまうだろう。
どこまでの危険を容認すべきなのか、レンは迷っていた。
「それと領主様。新しく作ったバゼを持って参りました」
ダールゼンは荷袋からバゼを取り出し、レンに差し出す。
「かなりの物が作れた、と思っているのですが」
これまでさんざんダメ出ししてきたからだろう。ダールゼンの顔は不安そうだ。
「これは……」
レンは手に取ったバゼの出来具合を確かめる。
「これはいいですね。いい出来だと思います」
レンの部屋には最初にもらったバゼが備え付けられていて、今もそれを使って寝ているのだが、その最初のバゼと今回の品を比べてみれば、完成度の差は歴然である。
枝やフシの部分はきれいに削られ、つるの表面が丁寧に整えられているし、編み目の大きさは均一になって見栄えもいい。結び目もしっかりと結ばれて、これも形が整えられている。
日本のデパートでも、このままハンモックとして売り出せそうな出来だ。
「ちょっと使ってみていいですか?」
「はい」
自分の部屋へ行き、備え付けてあったバゼを外して、新しいバゼを備え付ける。
早速寝てみると、寝心地も抜群にいい。
形が整えられたことで、均一に体重を受け止めてくれるようになったからだろうか。非常にバランスがよくなった気がする。
「これはいいですよ。これでいきましょう」
「ありがとうございます」
ホッとした表情でダールゼンが頭を下げる。
彼にしてみれば、やっと合格がもらえた、というところだろう。
「作った方にもお礼を言っておいて下さい。よくここまで作り込んでくれました。ありがとうございますって」
今まで、自分たちが使えればいい、という考えでバゼを作ってきたダークエルフたちに品質を求め、何度も作り直してもらってここまでの品ができたのだ。
「でもこれで終わりというわけではなく、もっと改良点を見つけ、さらにいい物を作りましょう」
「えっ!?」
ダールゼンは愕然とした。
「それはまだ合格ではないということですか?」
「いえ、これはこれで合格です。いい品だと思います。ですが、もっともっといい物が作れるんじゃないかと思うので、さらに改良していきましょう、ということで」
最初にバゼの改良に取り組み始めてから二ヶ月ぐらいだろうか?
たった二ヶ月でこれだけの物が作れるようになったのだ。さらに時間をかければ、もっといい物が作れるはずだと思った。
「物作りに終わりはありませんから」
なんて言ってみる。
テレビなどで見た職人たちの受け売りだ。こういう言葉はその職人が言うから響くのであって、レンが言っても説得力は皆無である。
だがダールゼンはそれなりに感銘を受けたようだった。
「わかりました。さらなる向上を目指します」
この改良型ともいえるバゼはマルコにも好評で、彼は納入先となる商人と再度価格交渉を行い、一個の値段を銀貨五枚まで引き上げることに成功する。
元のバゼの価格が銅貨二百五十枚だったから、品質向上により一気に倍の価格まで上がったことになる。
品質にこだわったレンの方針は大成功だった――といいたいところだったが問題もあった。
丁寧な作りにこだわった結果、製作工程が大幅に増加したのだ。
前は森で取ってきたバゼのつるを適当に編んで作るだけだったので、慣れた者なら一個作るのに半日から一日ぐらいだった。
新しいバゼは、まず形のいいバゼのつるを選ぶところから始まり、微調整をしながら作業を進めることになったので大幅に時間が延びた。今のところ、早くても一個作るのに三日はかかる。しかもここまで作るには技量も必要なため、最後の仕上げを行える職人と呼べるダークエルフは、まだ二人しかいなかった。
単純計算で、前の三倍以上の時間をかけて値段が二倍。職人を育てる必要も出てきた。
これがよかったかどうか、まだわからなかった。