第1話 レン・オーバンス
目を覚ました連太郎は、夢だったのかと思った。
事故にあって死亡し、異世界の竜騎士として転生するなんてどう考えても夢だろう、と。
だが体を起こして周囲を確認した連太郎はそれが夢ではなかったことを知る。
「ここは……」
彼はベッドの上で寝ていたが、今いる部屋にはまったく見覚えがなかった。
部屋はかなり広い。ワンルームマンションの彼の部屋が五つか六つぐらい入りそうだ。そして内壁はむき出しの石造りだった。
まるで中世のお城にでもありそうな部屋だなと連太郎は思った。実物を見たことはなかったが、マンガやアニメだとこんな感じの部屋だった気がする。
寝ているベッドも大きく、四人ぐらいが横になれそうな立派なものだったが、残念ながら寝心地はあまりよくない。スプリングが入っていないようで硬いのだ。
もしかして本当に異世界に来たのだろうか? こんな石造りの部屋など日本では珍しいだろう。だが珍しいからといってないわけでもないはずだ。まだ決めつけるのは早いと連太郎は思ったのだが、
「失礼します」
ガチャリとドアが開いて一人の女性が入って来た。メイド服を着た女性、どう見てもメイドだった。ただし若くて綺麗なお姉さんではなく、太り気味の年配の女性だったが。
メイドはなにげなくベッドの方を見て、体を起こしていた連太郎と目があった。
「あ、どうも……」
軽く頭を下げて連太郎は挨拶したが、メイドの方はそれどころではなかった。驚愕に目を見開き、
「マーカス様! マーカス様!」
大声を上げて部屋を飛び出していった。残された連太郎は呆然と見送るしかなかったが、すぐにあわただしい足音を立ててメイドは戻ってきた。今度はもう一人別の人間を連れて。
メイドの次は執事か?
戻って来たメイドと一緒に室内に入ってきたのは、黒いスーツのような服を着た老人だった。茶色の髪は半分ぐらい白髪で、顔には深いしわが刻まれている。だが姿勢も歩き方も矍鑠としている。その姿は執事にしか見えない。
「レン様! お目覚めになりましたか」
安堵の表情で老執事が言ったが、連太郎はその言葉に衝撃を受けていた。
日本語じゃない!?
老執事の言葉は日本語ではなかった。実は最初のメイドの言葉も日本語ではなかったのだが、あまりに突然のことで、それに気付かなかった。
執事の言葉は聞いたこともない異国の言葉で、そしてさらに驚くべき事に連太郎はその言葉を理解できた。
どうして理解できるのかわからないが、老執事の言葉が理解できる。さらに、
「レン様、大丈夫ですか? もしやどこかお体の具合でも?」
「いえ大丈夫です」
連太郎は自然にその日本語ではない別の言語で返答していた。どうやら謎の言語を聞き取れるだけでなく話すこともできるようだ。原因不明だが、他にも気になることがあった。
今、この老執事は連太郎のことをレンと読んだ。あだ名ならありそうな呼び方だが、連太郎にはそんな風に呼ばれた記憶はなかった。しかも様付けで。
「ところで今、僕のことをレンと呼びましたよね?」
「は、はあ。確かにお呼びしましたが……」
老執事が戸惑いの表情で答える。
「どうして――」
僕のことをレンと呼ぶんですか、と訊ねようとした連太郎は、そこでやっとおかしな事に気付いた。
自分の声がいつもと違う。まるで別人のようだ。
そして慌てて自分の両手を確認する。見慣れた自分の手ではなかった。もっと大きくてごつごつしていた。さらに自分の顔を触って確認する。はっきりとはわからなかったが、自分の顔ではない。
これはまさか……
「レン様、やはりお体の具合が?」
「そうじゃない。そうじゃないんだけど……」
どう答えるべきか連太郎は迷った。
アニメやライトノベルでは主人公が異世界に飛ばされてスタートする話がよくある。いわゆる異世界ものというやつだが、一口に異世界ものと言ってもいくつかパターンがある。
まずは現代で生きていた人間が、そのまま異世界に行くという設定。あの集合体を名乗る存在から異世界に来て欲しいと言われた際、連太郎は深く考えずこのパターンだと思い込んでいた。
一方で異世界ものには別のパターンもある。主人公が別人に転生するという設定だ。前世の記憶を持ちながら赤ん坊として転生するというのが定番だが、今回はこのパターンだったらしい。
ちょっと違うのは転生先が赤ん坊ではないことだが、とにかく連太郎はこの異世界の誰かの体に魂が乗り移ってしまったようだ。
今のこの状況を目の前の執事にどう説明すればいいのか。
まず、正直に事情を話すのは論外だと却下した。
頭がおかしくなったと思われるのがオチだし、万が一信じてくれたとしてもそれはそれで話がややこしくなる。
ここがどんな世界で、今の自分が誰なのか、少なくともそういう基本的な情報を得るまでは余計なことを言うのはやめておくべきだろう。
ならば、と連太郎はとっさに思い付いたことを口にしていた。
「すみません。ここはどこで、僕は誰なんでしょう?」
「はっ?」
「いえ、自分で自分が誰だか思い出せないんです」
連太郎がとった手段は、記憶喪失を装うというものだった。荒唐無稽な設定ではあるが、異世界から来た別人なんです、と言うよりもまだマシだろう――多分。
「レン様、ふざけていらっしゃるんですか?」
「それならよかったんですけど、大まじめなんですが。自分が誰かもわからないし、あなたが誰なのかもわからないんです」
「本当……なのですか?」
「ええ」
老執事はじっと連太郎の顔を見つめる。
信じてもらえなかったどうしようと連太郎は考えるが、
「どうやら本当のようですね」
老執事はあっさりそう言った。あっさりしすぎて連太郎の方がその言葉を疑った。
「本当に信じたんですか?」
「はい。失礼ながら、普段のレン様とはあまりに言動が違いすぎますので」
この体の持ち主――というべきかどうか――はどんな人間だったのだろうと連太郎は思った。
いや、それ以前にこの体の持ち主の魂はどこへ行ったんだ?
今は連太郎がこの体を動かしているが、連太郎が来る前は別人として生きてきたはずだ。連太郎の魂がこの体に入ったのだとすれば、元々あった誰かの魂はどこへ行ってしまったのか。
一つの体に二人の魂が入るというマンガを読んだこともあったが、この体にも別の魂が存在するのだろうか。
誰かいるんですかー? などと心の中で呼びかけてみるが返答はない。どうなっているのか気にはなるが、今はそれより自分のことを知らなければならない。
「僕の名前はレンというんですか?」
「はい」
頷いた老執事は、連太郎に今の彼について説明してくれた。それらをまとめると以下のようになる。
今の連太郎はレン・オーバンスという十七才の少年。
ここはグラウデン王国という国で、レンの家、オーバンス家は王国の貴族で伯爵の爵位を持っている。
レンはそのオーバンス伯爵家の三男。
ただしレンの素行が悪く――老執事はぼかした言い方をしていたが、つまりは粗暴で短気という典型的な馬鹿息子だったらしい――勘当同然に家を追い出され、領内の僻地に送られ謹慎中。
老執事の名前はマーカスで、彼が記憶喪失などというトンデモをあっさり信じたのも、レンの言葉遣いが普段とあまりに違っていたから、ということだ。彼相手に丁寧な口調で話すことなど一度もなかったらしい。
そしてこのレンという少年は、二日前に勝手に馬に乗ろうとしたあげく、振り落とされて地面に頭を強打、そのままずっと昏睡状態だったようだ。つい先程連太郎が目覚めるまで。
一通りの説明を聞いた連太郎は、やはり別人の体に乗り移ったのかと納得する。
色々とやっかいだなとは思ったが、赤ん坊に転生しなかったことだけはよかったと思った。ろくに動けもしない、しゃべれもしない状態など、拷問以外の何物でもないだろう。それに謹慎中とはいえ貴族の子供というのも幸運だった。貴族というからには、少なくとも飢え死にするようなことはないだろう。何の知識もないまま貧しい庶民などに乗り移っていたら、そのまま何もできずに野垂れ死にしていた可能性が高い。せっかく第二の人生を拾えたのに、それがすぐに飢え死にで終了では悲しすぎる。
他に気になったのは元のレンという少年の意識、あるいは魂についてだが、二日前の落馬事故で魂だけが消えてしまったのだろうか。とにかく連太郎としてはこのままレンとして生きるしかないので、心の中でレンに手を合わせておく。
亡くなったのなら成仏して下さい。とりあえずあなたの体は僕が使わせてもらい、これからは僕がレン・オーバンスとして生きていきます。
そういえば、と連太郎、いやレンは思った。
今僕はマーカスさんとこの世界の言語で話をしているけど、これは前のレンの記憶なのだろうか。だとすれば他の色々なことも覚えていてほしかったが、残念ながら他にこの世界に関する記憶は思い浮かばない。
だがアニメなどの記憶喪失でも言葉は覚えていてもそれ以外の記憶がない、などというパターンが存在しているので、そういうものだろうと納得しておく。言葉がわかるかどうかは大きな違いだ。会話ができるのなら後は学んでいけばいいのだ。
そして連太郎のレンとしての新たな人生が始まった。