第27話 小さな一歩
「これはいい! きっと売り物になりますよ」
はずんだ声を上げたのはマルコだ。バゼの上に座って、子供のようにぴょんぴょん跳ねている。
前回会ってからおよそ二週間。マルコは西のガスパル山脈にある砦まで商売に行って、特に問題なく予定通りに戻ってきた。今回は亡くなったナバルの跡を継いでの挨拶回りみたいなものだったが、まずは上手くいったようだ。
「こんな若造で大丈夫か、みたいな顔もされましたけどね。まあ、これからですよ」
軽い調子でマルコはそう言った。
そんな彼に合わせて、ダールゼンもレンの屋敷までやって来た。
レンも交えて三人でこれからの取引について打ち合わせをしたが、こちらも問題なく終わった。
これまで通りダールゼンが先払いでお金を渡し、マルコがそれで食料を買い付けてくる。これまでと少し変わったのは、お金や商品の引き渡し方法だ。
ナバルとは南の村と西一の村の間、ちょうど彼が魔獣に襲われた辺りでひっそりと取引を行っていた。ダークエルフたちはレンに存在を隠していたし、村にも入れてもらえなかったからである。しかしこの方法だと互いの予定がずれたときが結構大変だった。連絡の取りようがないから、次に会うのが数週間後とかになってしまう。
このため、お金や商品の引き渡しはレンの屋敷で行うことになった。
レンがダークエルフからお金を預かってマルコに渡し、マルコが買ってきた商品はレンの屋敷に降ろしておく。それを後からダークエルフが持っていく。小さいが便利な改善である。
そして一通りの話が終わった後、レンが持ち出したのがバゼについてだった。試しにレンの部屋にある実物をさわってもらったのだが、予想以上に好評だった。
「この弾力性がいいですねえ。同じようなものをロープで作っても、こうはいかないでしょう」
「こういうベッドというか、似たようなものはあるんですか?」
「さて……。少なくとも私は知りませんね」
類似品がないなら売れる確率も高くなる。
それにマルコはゴムのように伸び縮みするバセの感触を大いに評価していた。どうやらゴムはまだ存在していないようで、この伸縮性も大きな売りになるのではと期待できた。
加えていうと、バゼのつる自体が商品になる可能性もあった。ツル状の植物はあちこちに生えているが、黒の大森林のバゼほど太く、伸び縮みするような植物は珍しいとのことだ。
話はまとまり、マルコはバゼを何個か見本として持って行き、次に西のジャガルの街へ仕入れに行った際、これを売り込んでくることを約束した。
「では私が販売を受け持ち、利益の一部をいただく、というやり方で売っていきましょう」
ダークエルフたちが直接バゼを売り歩くのは難しいから、売り込みはマルコに任せることになる。後は金をどういう形でやり取りするかだ。
まずは買い切り方式。最初にマルコがダークエルフからバゼを買い取るやり方だ。その後、買い取ったバゼをどのように売るかはマルコ次第となる。ただ、このやり方ではマルコが在庫を抱える形になるので、バゼが売れなかったときはマルコが大損することになってしまう。
まだ売れるかどうかもわからないし、今のマルコには手元資金の余裕もないため、買い切り方式はやめ、委託販売方式に決まった。
一つ売れるたび、利益の一部を手数料としてマルコが得るという売り方である。
「この原価はいくらぐらいですか?」
「原価ですか……」
マルコに聞かれたダールゼンは少し考えてから答える。
「原価といっても森でバゼのつるを取ってきて、それを編み上げるだけですからね……」
「一つ編むのにどれくらいかかります?」
「慣れた者なら半日ぐらいでしょうか」
二人は、先日レンとダールセンが行ったようなやり取りを繰り返す。
「では採取と編む手間暇を考えて、ひとまず原価は銅貨五十枚ぐらいとして考えておきましょう」
グラウデンでは金貨、銀貨、銅貨といった貨幣が使われている。紙幣は一部で預かり証のような、貨幣に変換できる紙が使われているだけだ。
細かい相場の変動はあるが、おおむね金貨一枚が銀貨十枚、銀貨一枚が銅貨百枚で両替されている。金貨一枚あれば庶民は一月遊んで暮らせると言われていて、そんな庶民が普段の生活で使うのは銅貨がほとんどだ。また銅貨をさらに四分割した四分銅貨というのも流通している。
物価の違いがあるので難しいが、レンは計算しやすいように銀貨一枚一万円ぐらいで考えている。つまり金貨一枚十万円、銅貨一枚百円。四分銅貨なら一枚二十五円になる。
これだと銅貨五十枚は五千円。森で取ってきたバゼのつるを、熟練者が半日かかって編んだバゼが五千円。そんなものといえば、そんなものだろうか。
「いくらで売るかは実際のお客の反応を見て決めますが、あらかじめ利益の取り分を決めておきましょうか。私はこれが売れるとにらんでいますが、売れたら売れたでもめるのが世の常ですからねえ」
この申し出にレンもダールゼンも異論はない。
「では私とダークエルフとレン様で、きれいに三等分ということで」
「えっ?」
レンは彼の提案に驚き、思わず声が出た。
「レン様は中々お厳しい。でしたらレン様の取り分が四割、残りを私たちが折半ということで、どうかご容赦願えませんか?」
笑いながらさらなる妥協案を提示するマルコに対し、レンは慌てて否定する。
「いえ、そうじゃなくて。僕の取り分なんていりませんよ」
「えっ?」
今度はマルコとダールゼンが驚いた。
レンにしてみれば取り分をもらわないのは当然のことだ。バゼを作るのはダールゼンたちだし、それを売るのはマルコだ。レンはなにもしていないのだから、取り分をもらうのはおかしな話だ。
だがマルコたちにとってはレンの考え方の方が異質だった。
この世界では、少しでも商売に貴族が絡めば上納金を納めるのが常識なのである。
今回の話はレンが間を取り持った形だ。だったら貴族であるレンに利益の一部を還元するのは当然、という話になる。
「はっはっはっ!」
マルコが朗らかに笑った。
「なるほど、さすがはレン様。わかりました。では私の取り分が三分の一。残りはダークエルフということでよろしいですか?」
「私はそれで構いませんが……」
ダールゼンは本当にいいのですかといった顔でレンを見るが、もちろんレンにも異論はない。
「僕もそれでいいですよ」
マルコはそんなレンを見て、つまりこれはまだ序の口ということですね、と思った。
ダークエルフとの取引はこれからだ。きっとまだ隠し球があるに違いない。そちらが本番で、今回は貸しを作ったということですかね、などと一人で納得する。
マルコの推測は当たっている部分もあった。
黒の大森林を北に抜ける道については、五人のベテラン狩人からなる探索隊を結成し、すでに川向かいへ送り込んだとダールゼンから報告を受けていた。だがまだどうなるかわからないため、マルコには伝えていない。
レンがダークエルフたちの仕事として期待する本命は、バゼよりそちらである。
今日の話し合いはこれで終わり、マルコは見本のバゼをいくつか持って南の村へ帰った。ただ次は東五の村に向かうため、バゼの売り込みはそこから戻ってきてからだ。仕入れに向かうジャガルの街が売り込み先である。どうしても時間がかかるが、あせらず待つしかない。
黒の大森林の調査も同様だ。ダールゼンからは、
「どんなに上手くいっても、戻ってくるのは一ヶ月以上かかるでしょう。それより早く戻ってくれば途中で引き返したということですし、最悪、魔獣に襲われて全滅という可能性もあります」
全滅などと聞くと、あらためてここが危険な世界だと思い知らされる。だが危険を恐れていてはなにもできない。自分だって――ガー太のおかげとはいえ――魔獣と戦えたのだ。自分よりはるかに強いダークエルフたちならきっとやってくれるはずだ。
「それと領主様。頼まれていた試作品を持ってきたのですが」
「本当ですか? 見せて下さい」
ダールゼンから渡された試作品をレンは確認する。
それは片手で持てる細長い木枠だった。木枠の中には横に一本長い棒が通され、縦には等間隔で何本も細い棒が通されている。さらに縦棒には小さな楕円形の玉が一つと四つに分けて通されている。
「ソロバン、でしたでしょうか? こんな感じでいかがでしょうか?」
「いいですね! ちゃんとそろばんになってますよ」
レンがダールゼンに頼んで作ってもらったのは木製のそろばんだった。
この世界には当然電卓などは存在しない。ではどんな道具で計算を行っているかというと、この国では並べ板と呼ばれる道具がよく使われていた。
屋敷には現物がなかったが、ナバルの荷馬車には彼が使っていたと思われるものが残っていた。
等間隔で溝と穴を掘っただけの単純な作りの板で、使い方はハンソンに教えてもらった。
溝のところに貨幣や石などを並べ、それを動かして計算していくのだ。計算方法はそろばんに似ている。
これならそろばんの方が便利そうだということで、十日ほど前、定期連絡のダークエルフが来たときに、説明図を書いて作ってもらえないか頼んでいたのだ。それをこんなに早く持ってきてもらえるとは、うれしい誤算だった。
試作品一号は作りが雑で、串の並びや珠の大きさもバラバラだ。だが急いで作ってくれた試作品だし、そもそも日本でレンが使っていたような工業製品と比べるのは無理がある。さらなる改善を求めつつ、使えればいいと割り切ることも必要だろう。
どうしてそろばん作りを頼んだかといえば、自分用というのもあるが、ロゼたちにもそろばんを教えようと思ったからだ。
彼女たちに勉強を教えていて、そろばんも教えた方がいいのではと思い付いたのである。日本でも「読み書きそろばん」といっていたではないか。
バゼと一緒に売れないだろうか、とも思ったが、こちらはやめておいた。そろばんを売ろうと思ったら、売る前に使い方を習得してもらう必要があるからだ。それでは簡単には売れないだろう。まずは自分とロゼたち、そこからダークエルフに広めていければ、と思っている。
レンはそろばんを置き、人差し指と親指でパチパチと珠を動かしてみる。
なつかしい。
レンは小さいときから祖母にそろばんを習っていたのだ。ただ、最後に使ったのはもう十年以上も前の学生時代だった。他人に教える前に、まずは自分で練習して勘を取り戻さないとダメだろう。
それに基本の珠の置き方や動かし方、足し算と引き算のやり方ぐらいまではまだ覚えていたのだが、かけ算や割り算のやり方はすっかり忘れていた。どちらも習った記憶はあるので、使っているうちに思い出せればいいのだが……
「ありがとうございます。基本はこれで大丈夫です。ただ、もう少し改善してほしいところがあるのですが」
全体的にもっと大きさを揃え、並びをまっすぐにしてほしいと頼んでおく。多少時間はかかってもいいので、仕上がりの方を優先してほしいと。
集落のダークエルフたちは森の中で暮らしているから、自然と木の加工には長けてくる。短時間でここまでそろばんを作ってくれたのだ。時間をかければもっといいものを作ってくれるだろう。
これでロゼたちに教えることが増えたなとレンは思った。
三人に勉強を教えていると、ちょっとした先生気分なのだが、正直に言えばこれがかなり気分がよかった。三人ともまじめで、こちらの言うことを素直に聞いてくれるし、美少女三人、ではなく美少女二人と美少年一人から先生と呼ばれるのだ――というかレンが勉強の時は先生と呼ぶように言っていたのだが――これがうれしくないはずがない。
日本で生きていた頃、政治家は先生なんて呼ばれるから勘違いしてダメになる、なんて話を聞いたことがあったが、今ならその話にも頷ける。たかが呼び方一つ、されど呼び方一つ。先生と呼ばれてみてそれがよくわかった。
レン様とか領主様とか、様付けで呼ばれるのはいまだに慣れないのに、先生と呼ばれると素直にうれしいというのも変な気がするが、とにかくレンは三人に熱心に勉強を教えていた。
すると三人の個性も見えてくる。
ロゼはまじめな秀才タイプで、読み書きも算数もしっかりこなす。もしここが学校なら、間違いなくまじめな委員長だろう。
ディアナは読み書きは得意だが、計算が苦手だ。わからない問題にはレンがつきっきりで教えることになるから、一対一で話す機会も増えた。気が弱く最初はオドオドしていたディアナも今ではかなり打ち解けてくれたようで、笑って話してくれることも多くなった。
リゲルはディアナとは逆に読み書きが苦手だが、計算や算数が得意だ。読み書きは反復練習してもらうとして、算数ではディアナと違う意味で話すことが多くなった。たまにレンも考え込むような質問を投げかけてくるのだ。
三人とも着実に学力は上がっているが、そうなってくると、もっとちゃんとした先生をつけてあげたくなるし、教科書だって用意したい。
そのために必要なのは、やはりお金だ。なんだかんだいってもお金が必要なのだ。
色々考えてはいるが、今はまだ動き始めたばかり。これから少しずつ改善していこうとレンは思った。