第26話 川を越えて
「橋ですか?」
「ええ。対岸の木へロープをつなげて吊り橋を作るんです。バゼのつるとか使えると思うんですよ。さっきの縄ばしごもバゼのつるですよね?」
ダークエルフ版ハンモックでもあるバゼ。そのバゼのつるは丈夫で太く、柔軟性もある。ロープとして使うにはぴったりだ。
「そうやって高い位置に吊り橋を架ければ、ガングに襲われることもないのでは?」
「確かにそんな橋が作れれば安全かもしれませんが、どうやって作るのでしょうか? 川幅の狭いところを選んでも数キロあります。バゼは丈夫ですが、さすがにそれだけの長さになると支えきれるかどうか」
「難しいですか……」
思い浮かべたのは日本の古い吊り橋だった。そういう橋を架ければいいと思ったのだが、日本とは川幅が違いすぎるのだ。百メートルぐらいの吊り橋なら何とかなると思うが、数キロの吊り橋となると、難しいのはレンでもわかる。ついつい日本基準で考えてしまったが、それでは通用しないのだ。
「だったらやはり渡し船ですか」
どこか渡河しやすい場所を見つけ、そこを船で渡る。
だがダールゼンはこれにも難色を示した。
「実のところ我々は船が大の苦手なのです。船というより水が苦手なのですが」
「なにかあるんですか?」
「我々は人間よりも水に沈みやすいのです。同じ体格なら、人間より我々の方が重いですから」
「そうなんですか?」
それは初耳だったが、よくよく考えてみると納得できる話でもある。
ダークエルフは人間よりも身体能力が高い。それはつまり人間よりも筋肉が発達しているということではないだろうか?
人間でも、脂肪より筋肉が重いとか、筋肉質の人は水に沈むとかいう話を聞いたことがある。
「集落には泳げる者はほとんどいません。ですから、もし船が途中で沈んだら誰も助かりません。それに渡っている最中にガングに襲われたら逃げ場もありません」
泳げない者にとって小舟で川を渡るのはかなりの恐怖だろう。ましてやあんな化け物が泳いでいるのだ。
一度渡るだけなら、なんとかがんばってもらうというのもありだと思うが、本当に交易を行うなら何度も川を渡ることになる。やはり安全の確保は最優先だ。
一番いいのはガングを退治することだが、あんな化け物魚、どうやって倒せばいいのか見当もつかない。もはや怪獣退治であり、自衛隊でも呼んでこなければ無理だろう。
だったら次善の策として、襲われないよう手立てを講じるしかない。
「ガングについては見張り台を複数置いて対処するのはどうでしょう?」
「見張り台というと、先程登ったような?」
「はい。あんな見張り台を、河口近くから上流の渡河地点まで、一定間隔で置くんです。で、例えば見張り員が旗を上げて、白旗ならガングはいない、赤旗ならガングが川に近づいているので危険、といったふうに知らせます」
つまり手旗信号だ。船の上で、旗を上げたり下げたりして知らせるやつだ。
詳しい手旗信号のやり方は知らないが、別にそこまでやる必要はない。安全か危険を知らせるだけだから、誰でも簡単にできるはずだ。
「ガングの泳ぐ速さはわかりませんが、河口からある程度の距離があれば、逃げる時間は稼げると思います。幸か不幸かガングはあの巨体ですし、上から見れば川へ来るのを見落とすこともないと思うのですが」
「なるほど。それならある程度の安全は確保できますね」
「渡し船の方もスピードを出せるように、バゼで結んでおくというのはどうですか? いざというときは岸から引っ張ってもらって――」
言っている途中でレンは別のことを思い付く。
「そうだ。それならいっそのこと、浮き橋を作るのはどうでしょう?」
「うきはしとは橋の一種ですか?」
「はい。水面に浮かべる橋のことです。例えば水面にいくつか船を浮かべて、その上に板を並べて橋にするとか」
「なるほど。吊り橋なら無理でも、それなら何とかなる気がしますね」
「流れのゆるい場所を選んで、そこに筏みたいなのをいくつも浮かべてつなげれば、どうにかなりませんか?」
「イカダというのはなんでしょうか?」
「えーと……」
思わず日本語で筏と言ってしまったが、こちらの世界で筏に該当する言葉が思い浮かばない。存在しないとは思えないから、レンが知らないだけだろう。
「簡単な作りの船のことです。丸太なんかを組み合わせてロープで縛っただけ、みたいな」
「なるほど。浮かべるだけなら、そういう簡易なものでもいいわけですか。ただそのイカダにしても、川を渡るだけ揃えるとなると、かなりの数が必要になります。すぐに用意するのは難しいのですが……」
「すぐに必要はないと思います。まずは北まで行けるかどうかですから。危険が大きく、とてもターベラス王国に行くのが無理というなら、この計画は無理です」
「わかりました。領主様がそこまでおっしゃるなら、何人か調査隊を送りましょう。まずは船を作り、それで川を渡り、どこまで行けるか調べてみます」
「ありがとうございます。でも無理はしないで下さいね。危ないと思ったらすぐに引き返して下さい」
自分ではいい思い付きだと思うが、それが本当にいいかどうかわからない。黒の大森林についてレンは素人なのだ。最終的な判断はダークエルフに任せるべきだ。
「それと話は全然変わるんですが」
「なんでしょうか?」
「今話していて思ったんですけど、バゼは売り物になりませんか? 僕も今はバゼで寝ていますけど、あれってこちらのベッドより快適だと思うんですよ」
ちょっとややこしいが、植物のバゼではなく、ハンモックとしてのバゼのことだ。
以前、集落で泊まった時に気に入ったので、レンはバゼを一つ譲ってもらっていたのだが、それを先日、ガー太が壊した窓を直す際、ついでに部屋に取り付けていた。それ以来、レンはバゼを愛用している。弾力性があり、硬いベッドよりも気持ちいいのだ。
「あれが売り物になるんでしょうか?」
「可能性はあると思いますよ」
バゼを気に入っているのはレンだけではない。今ではマーカスも使っているのだ。
レンが屋敷の人間に試しに一度と勧めてみた結果、マーカスも気に入ってくれたので、追加でもう一つもらって彼の部屋にも設置したのだ。
他にもバーバラとハンソンにも勧めてみたのだが、バーバラには「落ちそうで恐い」と断られ、ハンソンには「ダークエルフの物などさわりたくもありません」と断られてしまったが。
ロゼたち三人も使っているが、彼女たちは元から使っているダークエルフなので数には入れないとしても、レンを含めて四人中二人が気に入ったのだ。商機は十分あると思った。
「もしバゼが売れるならうれしいですが……」
どうやらダールゼンは売れるはずがないと思っているようだ。
彼らにしてみれば、つるを取ってきて編んだだけの物に過ぎず、それにわざわざお金を出すとは思えないのかもしれない。
「とにかく試してみましょう。別に売れなくても損はないですから」
とりあえずダメ元でマルコに話を持ちかけてみようと思った。
「仮定の話ですけど、もしバゼを売るとなったら、たくさん作れますか?」
「バゼはどこにでも生えていますし、すぐに伸びますから、数は揃えられると思います」
「あれって作るのにどれくらいかかるんです?」
「さて……きっちり計ったことがないのでわかりませんが、しっかり編み上げるとして、慣れた者なら半日ぐらいでしょうか」
一人一日二個と考えて、後はどれだけ人をつぎ込めるかだろう。たがこれ以上は売れたときに考えればいいことだ。
西に行ったマルコが戻ってくるのはおよそ二週間後。それに合わせてダールゼンにも屋敷まで来てもらい、三人でこれからの取引について確認する。そのときに見本としてバゼをいくつか持ってきてもらうことにする。
黒の大森林を北へ抜けるルートの探索には、人員を選抜し、できるだけ早く送り出すことにする。まずは川を渡る船の作製からだが、これはすぐに終わるだろう。
問題は川を渡った後だ。川の向こう側はダークエルフたちにとっても未知の領域で、そこを踏破するのにどれだけ時間がかかるかわからない。いや、そもそも踏破できるかどうかもわからない。
後は無事成功することを祈るしかなかった。