第271話 家族構成
レオナがこの屋敷でつらい目に遭っておらず、それどころか伯爵の愛人として、それなりの地位を得ていたことにレンは驚きながらも安堵した。
そして彼女の存在はレンに大きな助けになった。この屋敷に暮らす伯爵一家から使用人まで、顔と名前はもちろん、性格や趣味嗜好までレオナは詳しく把握していたからだ。
何も知らないレンにとって、得がたい情報源だった。
彼女に教えてもらって、レンはやっと自分の家族構成を知ったのだから。
わざわざ自分の家族のことを聞くなどおかしな話だが、知っておかねばならないことだし、他に聞ける相手もいない。レオナには不審に思われるだろうが、とにかく彼女に教えてもらうしかなかった。
まずは父親のオーバンス伯爵。
武闘派の彼は日々の領内の運営にはあまり興味を示さず、そのあたりは部下に丸投げすることが多い。
気分屋で、ワガママで、最後は何でも力で解決というタイプ。一方で思慮深い一面も持っていて、部下の功績にはきちんと報いたりもする。
内政に興味がなくても、領内の統治が安定しているのは、有能な人材にそれを任せているからだ。つまり人を見る目を持っているということだ。
その領地運営を丸投げされている部下がバーナムド。先ほどの伯爵との面談にも同席していた男で、自他共に認める伯爵の右腕だそうだ。武勇は人並みだが頭脳明晰で、領内の運営や、伯爵家の財政などは彼が管理している。
レンはその説明を聞いて少し意外に思った。
武闘派の伯爵だから、てっきり部下も腕自慢の荒武者揃いと思っていたのだが、第一の側近が頭脳派だという。なるほど単なる脳筋ではないようだ。
バーナムドは家族ではないが、重要人物として彼のことも気にかけておくべきだろう。
そして伯爵にはレンを含めて五人の息子に、四人の娘がいた。
レンは三男だ。
兄弟姉妹の中で、今のレンが知っているのは長男のリカルドだけだ。正妻イライザとの間に生まれた息子で、次期伯爵家当主――のはずなのだが、微妙に問題があるという。
「リカルド様はまじめで穏やかな方で、大きな問題を起こしたこともありません」
「だったら跡継ぎとして何の問題もないと思いますけど?」
レオナの説明を聞く限り、長男リカルドのどこに問題があるのかレンにはわからなかった。
「伯爵様は自他共に認める武闘派であり、ここも武門の家だと自負しておられます。そんな伯爵様にとって、穏やかなリカルド様は少し物足りないご様子。またリカルド様の方もそれを気にしておられるようです」
とはいえ、たいした問題ではないとレオナは言う。
「よほどの事が起きなければ、リカルド様が次の伯爵家当主でしょう」
レン相手には微妙な話題のはずだが、レオナはあっさり断言する。レンも特に気にした様子はなく聞き流す。
次男のオーキンスは、武芸の達人というか、武芸バカらしい。
「オーキンス様は自分が強くなることにしか興味がない方です」
個人の強さは申し分ないが、性格的に当主には全く向いてないようだ。
勉強にはまるで興味なし、武芸の修行に明け暮れていると思ったら、いきなり武者修行だと家から出ていったり。
今も家を出ていて、どこにいるかわからないとのことで、レンとは違った意味で問題児だ。
彼の母親は平民の女性で、伯爵が遊びに出かけた際に手をつけて彼が生まれた。その出自もあって、もしリカルドに何かあっても、彼が跡継ぎになることだけはないだろう、と見なされている。
伯爵とすれば、長男と次男を足して二で割ればちょうどいいのに、と思っているかも知れない。
そして三男がレン。
彼の母親は、伯爵の有力家臣の娘だった。だがその母親はレンを生んですぐに病没。また彼女の父、つまりレンの母方の祖父も同じ頃に病死。
レンが勘当同然に飛び地の黒の大森林へ送られたのは、もちろん本人が問題児だったというのが一番の理由だが、後ろ盾になってくるはずの母や祖父が亡くなっており、誰も助けてくれる人間がいなかったというのもある――といった自分の過去を、レンは初めて知った。
父親の伯爵もレンに冷たく、母親のいない彼は家中で孤立していたようだ。
これまで以前のレンのことは粗暴な問題児としか思っていなかったが、生まれてすぐに母親を亡くし、父親からも愛情を向けられなかったことが、彼の人格形成に影響しているのかも知れない。
もっとも同情とかはしなかった。
自慢ではないが、前世のレンも家庭環境に恵まれているとはいえなかった。それでも犯罪に手を出したりせず、まじめに生きてきたつもりだ。これまで聞いてきたレンの悪評は、擁護できるレベルを超えている。
家庭環境に問題があったとしても、本人の努力次第でもうちょっとどうにかなったはずだ、と思いがあった。
もっと詳しく過去のことを知りたいと思ったが、自分の過去についてレオナに質問しまくるわけにもいかない。それにもし質問したとしても、レオナがここに来る以前のことだ。彼女もそこまで詳しくは知らないだろう。
とにかく悪行を繰り返してきたレンの評判は、家中では最悪、後ろ盾となってくれる親族もいないことがわかった。
そんな状況なので、レンが跡継ぎになる目もないとされている。
四男のルドガーは十才、五男のラルフは八才で、どちらもまだ子供だ。
五人兄弟のうち、長男リカルドと四男ルドガーの母親が、正妻のイライザだ。後の次男、三男、五男の母は全員違う。あらためて伯爵が女好きというのは本当なんだなと納得したレンだった。
次男と三男がどうしようもない問題児なので、もし長男リカルドに何かあれば、次の跡継ぎ候補は四男ルドガーというのが、衆目の一致するところらしい。
伯爵の娘、つまりレンの姉と妹だが、こちらは四人の娘のうち、すでに長女と次女は他家に嫁いでる。四女のシルビアはまだ三才の子供だ。
「問題なのは三女のジーナス様ですが」
ジーナスは生まれた時から目が見えなかった。先天的な盲目というわけで、なるほどそれは大変だと思ったレンだったが、レオナが教えてくれた問題はさらに深刻だった。
この世界での先天的な障害というのは、魔獣の呪い扱いされているというのだ。
障害を持った子供は、呪われた子供と忌み嫌われ、生まれた時点でほとんど殺されているという。これは貴族でも平民でも変わらない。
だからジーナスも殺されているはずだったのだが、彼女は生まれた頃からとても勘がよかったそうだ。人の声や気配に敏感で、まるで目が見えているかのように動いたという。
おかげでジーナスが盲目だと判明するのが遅れた。最初に乳母がそれに気付いた時、彼女はもう三才になろうとしていた。
伯爵は彼女の処置に迷った。生まれたばかりなら、冷酷に殺せと命じることができただろうし、それで闇に葬れただろう。まだまだ医療が未発達なこの時代、死産というのは珍しくない。生まれたばかりの子供が死んだところで、誰も不審には思わないはずだ。
だが三才の娘を殺すとなると話は別だ。事実を隠蔽するのは、新生児と比較してはるかに困難になっているし、親子の情も芽生えていた。伯爵は非情な決断も下せる男だったが、小さな娘を殺して平気でいられるほど冷酷でもなかった。
迷った伯爵は結局ジーナスを殺さなかった。殺せなかったといえるかも知れない。
ジーナスは家中では目立たぬ存在だった。彼女の母親は、とある商家から屋敷に奉公に来ていた娘で身分も低かった。その母親も実家へ帰らせた。もちろんジーナスのことは固く口止めして。
それでジーナスのことを気にする者はほとんどいなくなった。このまま誰にも注目されず静かに生きていけば問題ないだろう、と伯爵は自分に言い聞かせるように決断したのだ。
それ以来、ジーナスは屋敷から出ることもなく、ひっそりと生きている。家中では彼女の存在に触れるのはタブーになっているそうだが、そういう裏の事情まで、レオナはしっかりと把握していた。
現代日本人の感覚を持つレンにしてみれば、先天的な障害を、魔獣の呪いなどというのは論外だ。とんでもない差別だと腹が立ったが――はたしてそうなのだろうか、とすぐに思い直した。
元の世界なら、魔獣などいないので100%迷信と言い切れる。だがこの世界には魔獣がいて、異常な力を持つ魔人もこの前見ている。障害は魔獣の呪いではない、とこの世界では言い切ることはできないことに気付いたのだ。
三女のジーナスのことは気になるが、それ以上は考えないことにする。今の自分には、他人のことを気にしている余裕はないからだ。
「僕はこの屋敷を出て、黒の大森林の方へ戻りたいと思っています」
レオナには自分の気持ちを正直に伝え、協力も頼んでおく。
今の彼女は、自分よりも伯爵への影響力を持っている。この先、口添えを頼むことがあるかも知れない。
「わかりました。何かあれば、何なりとおっしゃって下さい」
お任せ下さいという自信あふれる笑顔でレオナは応えた。
今のレンにとって、彼女は家中で唯一の頼れる味方だった。
「ちょうどお前向きの仕事が入った」
兄のリカルドに呼び出されたのは、次の日の朝だった。
昨日はお前に任せる仕事はないと言っていたのに、急な仕事でも入ったのか。
「私の部下にベインという男がいてな。その男の兄が、たちの悪い金貸しから金を借りた」
ベインの兄の妻が病気になり、治療費が必要になったのだが、貧乏暮らしの一家が払える金額ではなかった。
そこへ問題の金貸しが現れ、金を貸してくれたそうなのだが、
「相手の口車に上手く乗せてられてしまったようでな。気付いたら、とんでもなく高い利子で金を借りていたそうだ」
どこの世界にも、人の弱みにつけ込む悪人はいる。ただ借りた方もうかつでは? とレンは思ってしまったが。
借金を返すどころか、利子がどんどん積み上がっていき、金貸しは本性を現した。
「金が返せないなら、あんたの子供たちを売り払ってもらうしかないねえ」
その金貸しは犯罪ギルドとも関係があり、最初から子供を人買いに売るのが目的だったようだ。
進退きわまった男は弟のベインに泣きついた。とはいえベインも貧乏暮らしで、とても兄を助ける余裕はない。
どうしたものかと悩んでいたところ、彼の様子がおかしいことに気付いた上司が問い詰め、借金のことが明らかになり、その話がリカルドの耳にも入ったのだ。
「それでオレにどうしろというんでしょうか?」
「その金貸しのところへ行って交渉してこい」
「はい?」
「不当な利子は帳消しにして、借金を返せる額まで減らしてこい」
「いや、ちょっと待って下さい」
予想外の仕事にレンは慌てた。
「なんで他人の借金を、というかその前に聞きたいんですが、不当な利子ってことは、ここでは金利の上限が定められているんですか?」
日本だと法定金利が定められ、それ以上の高い金利で金を貸せば犯罪だ。だがレンの知る限り、この世界に法定金利というものはない。少なくとも近隣諸国には存在しない。以前、商人のマルコに教えてもらったが、金利の設定は当事者同士の契約が全てだ。
弱みにつけ込み金を貸し、返済は一ヶ月後に倍にして返すとか、そんな契約が普通に行われているのだ。
はたしてリカルドの答えは、
「そんなものあるはずないだろう」
だった。
「だったら、いくら金利が高くても不当ではないのでは?」
「そこを交渉で何とかするのがお前の仕事だ」
「ええ……」
無茶苦茶な話だと思ったが、リカルドの話にはまだ続きがあった。
「ただし父上や家の名前は出すな。あくまでお前個人として交渉してこい」
この世界では貴族の権限が強い。正式に結んだ契約でも、領主の名前を出せば無理矢理ナシにすることもできる。だがそんなことをすれば信用を失い反発を招く。商人たちにそっぽを向かれれば、貴族も大きな損失を被る。
ただの部下の一人、しかも部下本人ではなくその兄の借金のために、リカルドはそこまでやるのかと思ったが、彼は家の名前を出すなと条件を付けてきた。
「そういう連中との付き合いは、お前の得意分野だろう?」
意地の悪い笑みを浮かべるリカルドを見て、レンはやっとこれが嫌がらせなのだと気付いた。
伯爵家の名前を出せば相手の金貸しも黙るだろうが、レンが個人的に交渉したところで、相手が金利の引き下げや、借金の棒引きに応じるとは思えない。
だいたい部下の親族の借金問題など、本来ならリカルドが気にするようなことではない。
つまり元から失敗前提で、無理な仕事をレンにやらせようとしているのだ。
レオナはリカルドのことを、まじめで穏やかな人間だと言っていたが、その人物評価は少し修正する必要がありそうだ。
それともまじめな人間だからこそ、以前のレンをとことん嫌っていて、こんな仕事を押しつけてくるのか。
「わかりました。じゃあやるだけやってみます」
レンがあっさり仕事を引き受けると、リカルドが拍子抜けしたような顔になる。
きっとレンが反論してくると思っていたのだろう。
だがこういう無理な仕事は、レンにとっても都合がよかった。
レンとしては仕事を失敗して、またこの家から追い出されたいのである。リカルドもレンに失敗させて、この家から追い出そうとしているわけで、ある意味、両者の利害は一致していた。
レンにとっては、最初から失敗前提の仕事の方が気が楽だった。
仕事を命じられたレンは、さっそく屋敷を出てオルビスの街へと向かった。その金貸し――グロースという男のところへ行って交渉するためだ。
交渉ごとは苦手だが、今回は最初から失敗前提なので多少は気が楽だ。
カエデにも一緒に付いてきてもらった。今回は話し合いだけだが、相手は犯罪ギルドの関係者だというし、念のためのボディーガードだ。そのカエデは軽い散歩ぐらいに思っているのか、御機嫌そうに歩いている。
オーバンス伯爵家の本拠地であるオルビスの街は、結構大きな街だった。街の中心を街道が横切っていて、その街道に沿って色々な店が建ち並んでいる。通りには人が行き交い、活気にあふれている。
レオナから聞いていた通り、伯爵領の治安は安定しているようだ。
ただ、しばらく前まで王都にいたので、そこと比べるとどうしても田舎町と感じてしまうが。
「レン様」
といきなり声をかけられて、レンはビクッとする。
振り返れば、いつの間にか後ろにダークエルフが立っていた。シャドウズのリーダー、ゼルドだ。
彼を含めたシャドウズのメンバーは、ガー太やカエデ相手の訓練の成果もあって、気配を消すことに非常に長けている。
ガー太やカエデにはまだまだ通用しないものの、ガー太に乗っていない時のレンだと、今のように真後ろに立たれても全く気付けない。
「屋敷から出てくるのが見えましたので。どちらへ行かれるのですか?」
「ちょっと用事ができまして」
レンはリカルドから命じられた仕事について説明し、金貸しの所まで行くことを告げる。
「では私も同行します」
彼がいてくれた方が心強いので、ありがたく申し出を受ける。
「運良くゼルドさんに会えて良かったです」
「いえ偶然ではありません。シャドウズの誰かが、常に屋敷を監視していますので」
レンに何かあった時に備え、シャドウズは二十四時間体制で屋敷を見張っているとのことだ。
それでレンが屋敷から出てくるのを見かけ、こうして声をかけてきたのだ。今いたのがゼルドだったのは偶然だが、そうでなければ他の誰かが声をかけてきたはずだ。
さすがに自分の実家で、シャドウズに助けてもらうようなことにはならないと思うし、わざわざ二十四時間の監視を続けてもらうのは悪い気がする。
だが彼らが近くにいてくれるのが心強いのも事実だ。ちょっと迷ったが、ここは取りあえず彼らの好意に甘えておくことにした。
目的地までの道案内もゼルドにお願いする。彼もここに来たばかりで街の地理もまだわからないが、地元のダークエルフを紹介してくれるそうだ。
こういう時はダークエルフは強い。知らない土地でも、ダークエルフ同士は一瞬で打ち解けるというか、強制的に打ち解ける。
オルビスの街には、貧民街や犯罪ギルドの下っ端など百人ほどのダークエルフが暮らしているそうだ。幸い地元のダークエルフでゼルドより序列の高い者はいなかったそうで、つまり全員がゼルドの指揮下に入ったことになる。
もし逆に地元のダークエルフの中に、ゼルドより序列が高かい者がいたら問題だった。ゼルドはレンよりそちらの命令を優先するようになるからだ。そうなるとレンはその序列の高いダークエルフの所へ出向き、事情を説明して協力を要請しなければならなかった。その心配がなくなったのはありがたい。
街に入ったところで、
「ここで少々お待ちを。道案内を呼んできます」
とゼルドがどこかへ行ってしまったので、街角に立って彼の帰りを待つ。
しばらくそうやっていると通行人の中にチラチラとこちらを見てくる者がいるのに気付いた。
最初は領主の息子として、自分の顔が知られているのかと思ったが、よく見れば彼らが注目しているのは、自分ではなくカエデの方だった。
おそらく彼女の銀髪が目立つのだろう。この街でダークエルフは珍しくないが、銀の髪のダークエルフは珍しい。
目立つことが苦手なレンは、ちょっと居心地の悪さを感じたのが、当のカエデは気にした様子もなかった。
そして待つこと十五分ぐらいだろうか。
ゼルドが道案内の若いダークエルフの男――といってもダークエルフはみんな若く見えるので実年齢はわからないのだが――を連れて戻ってきた。
「その金貸しですが、彼が場所を知っているそうです」
そのダークエルフの案内で、レンたち四人は金貸しのところへ向かった。
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年始の挨拶もそうですが、更新も遅くなってしまってすみません。
振り返れば去年は春頃に大きなトラブルがあって、結局、それがずーっと尾を引きました。
やっと少し落ち着いたかな? → 落ち着いてなかったよ……
みたいなのを繰り返して、実はまだ完全には落ち着いてません。
もうちょっと忙しい日々が続きそうで、更新も不安定になりそうですが、気長に待っていただければと思います。