第270話 観察眼
ダークエルフの社会は序列によって成り立っている。
序列が下の者は上の者に絶対服従。命令に不満を感じることはなく、それどころか命令に従うことが彼らにとっての喜びである。
そんなダークエルフ同士の関係は、人間関係に比べて遙かにシンプルだ。彼らの間にあるのは序列だけ。人間のようにウソや裏切りもなければ、おべっかや忖度もない。だからダークエルフは、コミュ力とか、空気を読むとか、そういう能力に欠けている者が多い。
そんなダークエルフの中にあって、レオナは異質な存在だった。
彼女は他人との会話の中で、言葉や表情から相手の心中を見抜くことができた。別に訓練などを積んだわけでもない。幼い頃から自然とそういう事ができたのだ。人間にもそういうことに長けた者がいるが、彼女の人を見る目――観察眼は極めて高く、人間でも同じ事ができる者はまれだろう。まして彼女はダークエルフ、もはや異能者といってもよかった。
かつてレオナはその能力を生かし、ザウス帝国のログダットという街で娼婦として働いていた。
ログダットは交易路に位置し、多くの隊商が行き交う帝国有数の大商業都市だ。当然、色街も大きい。
高級娼婦から場末の娼婦まで、千人もの娼婦がいるとされるログダットの色街で、レオナは娼婦たちの頂点まで上り詰めた。称号などがあるわけではないが、自然とランキングができてトップが決まる。もちろんダークエルフの娼婦がトップと呼ばれたことなど前代未聞。
客同士のトラブルに巻き込まれてレオナは街から逃げ出すことになったが、ログダットでは今でも伝説の娼婦として語り継がれているほどだ。
彼女がトップになれたのは、客の趣味嗜好を見抜き、望む通りの女を演じることができたからだ。
オーバンス伯爵に気に入られたのも、彼好みの女を演じたからだし、屋敷に連れて来られてからも、レオナはその能力を遺憾なく発揮した。
屋敷に入ったレオナがまず行ったことは、人間関係を把握することだった。
ダークエルフと違って、人間同士の関係は複雑だ。普通に考えれば当主のオーバンス伯爵が屋敷を支配しているはずだが、外では強面でならす男が、家の中では妻に頭が上がらない、なんてこともある。あるいは当主は単なるお飾りで、部下が本当の実権を握っているという場合もある。
オーバンス伯爵家の場合、最高権力者が伯爵なのは間違いなさそうだった。最終的に伯爵が、
「俺はこう決めた。反論は許さん」
と言えばそれが通る。
だが普段、家の中のことは正妻のイライザに任せっきりのようだった。
ならばレオナが狙うのはイライザだ。彼女に嫌われてしまえば、いずれレオナは屋敷から追い出されてしまうだろう。
愛人にのめり込むあまり、正妻のことをないがしろにする夫もいるが、オーバンス伯爵はそこまで愚かではない、というのがレオナの見立てだ。ならば伯爵に気に入られるだけでなく、正妻にも気に入られなければならない。
レオナは伯爵家に取り入るように命令を受けている。最初はレンのことを籠絡するつもりだったが、こうして伯爵本人に気に入られ、屋敷の中まで入り込むことができたのだ。
このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
レオナは自分の能力に自信を持っていたが、過信はしていなかった。
娼婦として客に気に入られるのは簡単だったが、これは彼女の能力だけでなく、客の男も騙されることを望んでいたのが大きい。
金で女を買う男は、女が演技していることを知っている。金のやりとりなしで、娼婦が自分に惚れているなど、そんな都合のいいことは起こらないとわかっているのだ。
だがわかっていても、心のどこかで、
「もしかしたら、そんなこともあるかも?」
と都合のいい夢を見ている。
だからレオナが相手好みの女を演じれば、客の男は喜んで騙されてくれた。騙す側と騙される側で、一種の協力関係が成り立っていたのだ。
しかし今回のターゲット、伯爵夫人イライザは違う。もし彼女が心の底からダークエルフを嫌っていたりすれば、いかなレオナでも好感を得るのは難しかっただろう。
正妻のイライザに近付くための最初にして最大の障害は、本人とどうやって会話するかだった。
レオナは相手の趣味趣向を見抜き、それに合わせて自分を変える。だが会って話もできなければ、気に入られるも何もない。そしてダークエルフの自分が会いたいといっても、向こうが首を縦に振ってくれない。
そこでレオナは一芝居打つことにした。体調を崩したことにして寝込んだのだ。仮病である。
周囲はそれを疑わなかった。いきなり環境が激変したのだから、体調を崩してもおかしな事ではないだろう。
そして屋敷の人間たちはレオナを心配するどころか、いい気味だとあざ笑った。
当然ながら最初の好感度は最悪で、屋敷の者たちは全員がダークエルフの彼女を嫌っていた。伯爵の手前、表立っては言えないものの、
「このまま死ねばいいのに」
と陰口を叩く者は、一人や二人ではなかった。
正妻のイライザも内心ではそう思っていたが、それを表には出さなかった。
この時代、貴族が複数の愛人を持つのは当然だった。最大の理由は後継者問題だ。医療が未発達だったので、子供が死んでしまうことは珍しくない。それなりの子供を確保するには、複数の愛人を持つのが一番確実で手っ取り早い。
そんな時代だから、貴族の正妻に求められる役割も違った。
愛人ができたからといって、嫉妬に狂ってしまうようでは、正妻失格の烙印を押される。正妻はどっしり構え、愛人たちを管理し、面倒を見るぐらいでなければならないとされたのだ。
貴族にとって正妻は特別な存在であり、他の愛人とは扱いを区別せねばならない。
例えばパーティーなどに出席する時は、パートナーは常に正妻だ。そこへ正妻を差し置いて愛人を連れて行ったりすれば、常識を知らない貴族だと嘲笑される。
正妻をないがしろにする夫は貴族失格の烙印を押されるが、同時に夫をつなぎ止めておけない無能な妻だと正妻もバカにされてしまうのである。
だからイライザも内心を押し殺し、レオナには寛大な態度を示さねばならなかった。それで仕方なくレオナに見舞いの品を贈った。それを受け取ったレオナは――非常に感激し、病床で涙まで浮かべた。そして体調が快復するとすぐにイライザの元へお礼を言いに行った。
見舞いの品を贈るのが正妻の務めなら、そのお礼を受けるのも正妻としての務めだ。レオナを追い返すこともできず、嫌々ながらイライザは彼女の訪問を受け入れた。
熱心に見舞いのお礼を述べるレオナと、気の乗らない様子で受け答えするイライザ。空虚なやりとりの中でも、レオナは正しくイライザの内面を読み取った。
レオナにとってイライザは非常のわかりやすい女性だった。
これまで接してきた人間の中で、一番簡単に取り入ることができたのは、孤独で寂しい人間だった。会話してみたらすぐにわかったが、イライザも寂しさを抱えていた。
オーバンス伯爵の正妻であるイライザの周りには、いつも多くの人がいたというのに、それでも彼女は寂しさを抱えていたのだ。
別に珍しいことではない。
地位も財産もありながら、孤独で寂しい人間をイライザは何人も見てきた。
ダークエルフなら、周囲に他のダークエルフがいれば孤独を感じることはない。序列でつながる彼らは、初対面であっても、会った瞬間に互いを理解し合えるからだ。
だから本当の意味で、レオナは人間の孤独を理解できない。
それでもある程度のことは頭でわかる。人間は周囲に多くの人がいても孤独を感じることがある、ということを。
イライザの周囲には多くの人間がいるが、彼らはオーバンス伯爵夫人のイライザに仕えているのであって、彼女個人に仕えているのではない。
多くのダークエルフはこの違いを理解できない。なぜなら彼らは、人間社会の身分制度を、自分たちの序列に置き換えて理解しようとするからだ。
王様や貴族は序列が上で、平民は序列が下、だから平民は王様の命令に従うのだと。
だが両者は似て非なるものだ。
ダークエルフの序列は生まれた時から決まっていて、それがひっくり返ることもなければ、ひっくり返そうとする者もいない。序列は絶対に揺らがない。
しかし人間の身分制度は絶対ではない。王様や貴族が、平民の反乱でひっくり返されることもある。人間は自分たちで作った身分制度を、自分たちで壊してしまうのだ。
身分制度が必要だから作ったはずなのに、それを自分たちで壊し、壊したかと思ったら新しい身分制度を作る。どうせ作るなら壊さないように作ればいいと思うし、不必要なら作らなければいいだけだ。作っては壊し、壊しては作る人間の行動はレオナにとっても理解不能だ。
だがレオナは人間社会が、そういった不完全な身分制度で成り立っていることを知っている。そして不完全であるから、人間が身分だけにとらわれないことも。
イライザにしてもそうだ。彼女は伯爵夫人という身分に強く執着している。そして周囲の人間には、伯爵夫人として自分を敬うことを求めている。その一方で、イライザは伯爵夫人という身分ではなく、イライザ個人として自分を見てほしい、好きになってほしいという欲求も持っている。
これは矛盾しているとレオナは思うし、どうしてこんな矛盾した欲求を持つのか、これまたレオナには理解できない。できないが、人間とはそういう生き物なのだと受け止め、その欲求を見抜き、相手が望む相手を演じることはできる。
イライザの周囲には、彼女を伯爵夫人として敬う人間が多くいた。今さらレオナがそこに加わろうとしても無駄だろう。一方、身分関係なしにイライザを個人的に好きだという人間、いわば個人的な友人はいなかった。
しかもイライザはそんな友人を欲しいと思いながら、それを自覚していなかった。もし彼女に聞いたとしたら、
「別に友人など欲しくはありません」
といった答えが返ってくることだろう。
だがレオナはわずかな会話の中で、本人すら自覚していない欲求を見抜いていた。後は彼女が望むままの「友人」を演じればいい。
イライザが望む「友人」は、知的で頼りがいがあるが、決して自分より上であってはならない。どこか抜けていて、イライザが助けてやらねばダメな相手だ。もちろんイライザのことが大好きで、イライザを尊敬していなければならない。かといってイエスマンではいけない。たまにはキツいことを言って、イライザを叱ってくれるぐらいでなければ――なかなか贅沢な注文だったが、レオナはそんな女性を演じた。
ザウス帝国の大都市で、高級娼婦のトップとして君臨していたレオナだ。その気になればいくらでも洗練された振る舞いができる。下手な貴族の女性より、礼儀作法にも詳しい。ただしやり過ぎればイライザの嫉妬を買うので、ちょうど上手い具合に抑えて「友人」になりきった。
イライザが貴族のお嬢様だったことも、レオナにはプラスに作用した。今までダークエルフは汚らわしい種族だと教えられていても、会ったことも見たこともないのだから、実感がなかったのだ。そして初めて会ったダークエルフのレオナは、多少天然ボケのところがあったが、頭の回転は速いし、会話していても楽しかった。
ダークエルフといっても、そう悪い種族ではないのかも? と彼女が思うには十分だったのだ。
最初は嫌々レオナに応対していたイライザが、いつの間にか態度を変化させ、レオナに会うのを楽しみにするようになるまで、それほど時間はかからなかった。
同時に他の人間への気配りも忘れない。
イライザに気に入られたからといって調子に乗ることもなく、レオナは他の人間にも誠実に接し、ドンドン受け入れられていった。屋敷の者の中には、彼女が危惧していたように、とにかくダークエルフが嫌いだという者もいたが、そういう相手にすら「ダークエルフにしてはマシな奴」ぐらいには思われるようになっている。
今やこの屋敷の人間のほとんどが、レオナに好意的だった。
下手をすれば八方美人と嫌われる可能性もあったが、レオナは人間関係の機微を見抜き、互いに嫌っている人間同士の間を取り持ったりもしていた。自分が好かれるだけでなく、屋敷全体の人間関係が円滑になるよう行動していた。巡り巡ってそれが自分の利益になるとわかっていたからだ。
今では屋敷の者たちから「レオナに言えば何とかしてくれるかも」と頼られるほどだというのだから、一通りの話を聞いたレンは、もう呆れるしかなかった。
「この屋敷に来てから何があったんですか?」
というレンの問いかけに、レオナは自分のやってきたことを、何も隠さずそのまま話したのだ。
彼女はここに来る前、集落のリーダーのダールゼンから、最優先でレンに従うように命令を受けていた。今もその命令は有効で、だから彼女はレンが「教えてほしい」と言えば正直に教える。ウソも隠し事もしない。レンもそれを知っているので、彼女の言葉を素直に信じた。
それにしてもダークエルフでありながら、貴族の屋敷にしっかりと受け入れられるとは……。
同じ事をやれと言われてもレンには絶対無理だ。人付き合いが苦手で、日本で働いていた会社でも、同僚とは仕事上の付き合いばかりで、友人と呼べるような相手もいなかった。
そんなレンにとって、レオナのいわゆるコミュ力というのは、もはやチートといってもよい。
「怪しまれたりはしなかったんですか?」
「もちろん最初は疑う方も多くいました。ですが幸い、今の私は目的と行動が一致していますので」
「どういうことです?」
「今の私は屋敷の皆さんと仲良くなりたいだけで、そこにウソはありません。もし私に別の目的が、例えばこの家の財産を狙って取り入ろうとしていたのなら、もっと苦労していたと思います」
カンのいい人間なら、レオナの演技を見抜く可能性はある。だが今のレオナは、屋敷の人間に取り入ることが目的で、それ以上の狙いはない。別の言い方をすれば、その先に何をするのか命令を受けていない。
当初は伯爵に取り入るのが手段で、そこから黒の大森林に暮らすダークエルフの立場を向上させるという目的があった。
だがレンの行動――密輸と運送業によって、ダークエルフたちの生活は劇的に改善された。今では逆にオーバンス伯爵に余計な手出しをされたくない。
このためせっかく伯爵に取り入ったレオナも、そこから先の目的がなくなってしまった。今の彼女は、この屋敷の人間と仲良くなるだけが目的である。裏の事情がないのだから、それを疑ったところで無駄だ。
なるほど。確かに今の彼女はウソをついているわけじゃないな、とレンも納得する。
レオナはそんなレンを見ながら、彼の内心を読み取ろうとしていた。レンの感情が読みにくいわけではない。むしろレンは感情が顔に出るタイプなので、何を考えているのかは簡単にわかる。
だが何を考えているのかはわかっても、どうしてそう考えているのか? がわからないことがある。
今もそうだ。聞かれたから正直に話したが、レンから不快に思われることを覚悟していた。
自分の実家に見知らぬ他人が、それも騙すようにして入り込んでいるのだ。普通の人間なら不快に思うだろう。しかしレンにそんな様子はまるで見られない。
もちろんレンと実家の関係がよくないことは知っている。だが人間の家族関係、血縁関係というのは複雑怪奇だ。これまた単純明快なダークエルフの家族関係とは全然違う。
レオナは娼婦として働いていた時、家族関係に悩む多くの人間を見てきた。客も、店の人間も、誰もが大なり小なり悩みを持っていた。
家族関係は見た目ではわかりにくいことも多い。家族を憎んでいても、心のどこかで愛している者もいる。
だがこうして話していても、レンからは自分の家族への感情が読み取れない。てっきり家族を憎んでいるかと思っていたのに、そんな思いは感じられない。かといって好きでもない。
自分の生まれた家、血を分けた家族だというのに、まるで他人の家のように無関心。強がりではなく、本当にここまで家族に無関心でいられる人間を、レオナは他に知らなかった。
それともレンは自分にすら感情をつかませないほど、己の心を制御しているのか? どちらにしろ普通ではない。
もしかして――突拍子もない考えがレオナの頭をよぎる。
このレンは外見だけがそっくりの偽者ではないだろうか? むしろそう考えた方が、色々としっくりくるのだ。
疑念を持ったレオナだったが、それ以上は何もしなかった。なぜならレンの指示に従うように命令を受けていたからだ。
これが人間ならば、好奇心でレンのことを探ろうとしたかも知れない。だが彼女はダークエルフだった。レンに従えという命令を受けていればその通りに動くだけだ。彼の正体が何者だろうが関係なかった。
更新間隔が全然安定せずにすみません。
色々と忙しくて、気付いたら日にちが過ぎてた、みたいな感じで。
ただ、さすがに一ヶ月は空きすぎだと思うので、もう少しがんばりたいと思います。