第269話 勘当解消!?
「レンを呼び戻すというのですか!?」
「不満かリカルド」
「当然です。こいつが今までやって来たことを思い出して下さい。ここで呼び戻したら、調子に乗ってまた同じ事を繰り返すに決まっています」
こちらを指さし罵るリカルドに対しレンは、
いいぞ! その調子だ、もっとやれ。
と心の中で声援を送っていた。
当然だ。レンは黒の大森林にある屋敷に帰りたいのだ。この家に戻りたいなんて思ったことはない。
「お前の言いたいことはわかる」
とオーバンス伯爵。
「人間、ちょっと変わったように見えても性根の部分は変わらん。クズはしょせんクズだ」
「でしたら――」
「だがまれに変わることもあるのが人間だ。それを評価してやるのも、上に立つ者の務めだ」
「……では父上は、こいつが本当に変わったとおっしゃるのですか?」
「そうは言っておらん。うわべを取り繕っているだけかもしれん。だから機会をやると言った。それにリカルド、お前はどう思っている? 弟の雰囲気が以前と変わったとは思わんか?」
「それは……確かに前とは違って、殊勝な態度をとっているように見えますが……」
「バーナムドはどう思う?」
「少なくとも私が知る以前のレン様とは別人ですね。失礼ながら、よく似た別人だと言われた方がしっくりくるぐらいです」
オイオイオイ……
レンは額にイヤな汗を浮かべていた。
話が非常にマズい方向へ向かっている。そりゃ別人のような雰囲気なのは当たり前だ。実際に中身が別人なのだから。
やはり不自然に思われていたのだ。だがどうすればいいのかわからない。
ここで元の屋敷へ戻りたいと言い出せば、当然、なぜあんな辺鄙なところへ戻りたいのだ? と疑問を持たれることになるだろう。それはマズい。
伯爵にはレンが向こうへ戻りたいと思っていることを悟らせず、伯爵から追放してもらわねば。
どうすればいい? とレンが悩んでいる間にも、話はドンドン進んでいく。
「わかった。だったらレンはしばらくお前の下に預けよう」
「私にこいつの面倒を見ろとおっしゃるのですか?」
「弟が変わったかどうか、兄のお前が確かめてみろ」
「それでこいつが変わってないと私が判断したら、どうするおつもりですか?」
「ならば今度こそ見切りをつければいいだけだ」
その言葉にレンがピクリと反応する。
そうだ。勘当同然に追い出されていたのだから、またバカなことをやって追放されればいいのだ。
だったら話は早い。
前と同じような問題児だと思わせればいいの。いっそこのこと、ここでいきなり奇声を上げて暴れ出すというのはどうか?
頭に思い浮かんだ打開策を慌てて打ち消す。それは打開策ではなく、事態を悪化させるだけの愚策だ。
落ち着け、落ち着くんだとレンは自分に言い聞かす。
何事も成功するのは難しいが、失敗するのは簡単だ。あせらずともいつでもやれる。ここぞというところで大きな失敗をやらかし、やっぱりこいつはダメだと追い出されればいい。それで元の屋敷に帰れる。
よし、そのプランでいこう決めたレンだったが、ちょっと待てよと考える。
大失敗して見捨てられるのはいい。だが、あまりにやり過ぎてしまうと黒の大森林の飛び地に追放されるのを通り越し、完全にこの家から追い出され、絶縁される恐れもある。この世界だと処刑とか暗殺とかの危険すら……
この家には何の未練もないし、個人的には貴族の身分もいらない。だがダークエルフの商売関係など、なんだかんだ貴族の身分は有用なのだ。それを失うような事態は避けたい。
「というわけだレン。お前にもう一度チャンスをやる。上手くやってみせろ」
「わかりました父上」
そうだ。上手くやらねばならない。上手い具合に失敗して、また黒の大森林に追放されなければ。
というわけで長男リカルドの下で働くことになったレンだったが、すぐに仕事を割り振られたりはしなかった。
「いきなりお前に任せられるような仕事はない。しばらくはこれで遊んでいろ」
とリカルドからは少なくない金を手渡された。
弟の苦労をねぎらって――などという金でないことはレンにもわかる。
金を手渡されたレンが、浮かれてバカ騒ぎをしないかどうか確かめるつもりだろう。
見え見えのトラップだ。こんな罠に引っかかるようなバカがいるのかと思うが、きっと以前のレンはこんな罠に引っかかるようなバカだったのだろう。金をもらえば、喜々として酒場や娼館に繰り出していたに違いない。
だったらお望み通りに酒場にでも行ってバカ騒ぎしてやろうかとも思ったが、それだとあまりにわざとらしい気もする。
よくわからなくなってきたので、しばらくはおとなしくしておくことにした。
それにレンにはずっとここで気になっていることがあった。ちょうどいいので、それを調べてみることにする。
さて、どうやって調べようかと思っていると、その調べ物が向こうからやって来てくれた。屋敷の廊下を歩いていると声をかけられたのだ。
「お久しぶりですレン様」
深々とお辞儀をしてきたのはダークエルフの女性だった。
カエデではない。この屋敷にはもう一人ダークエルフがいるのだ。
ちなみにカエデだが、レンの付き人だという説明は、特に問題なく受け入れられた。
多分、ガー太のインパクトが大きすぎて、カエデのことを気にする余裕がなかったのだろう。そしてもう一つ、先に彼女がいたから、二人目のダークエルフはあまり問題にされなかったのだ。
普通、貴族の屋敷にダークエルフはいない。汚れた存在とされる彼らを、家に入れる貴族などいるはずもない。しかし彼女はその例外だった。
「お久しぶりですレオナさん」
とレンも挨拶を返す。
彼女の名はレオナ。レンとも面識がある。元は黒の大森林の集落で、狩人として暮らしていたダークエルフの女性だ。
そんな彼女がここにいるのは、オーバンス伯爵が彼女を気に入って連れ帰ったからだ。
以前、魔獣出現の急報を受け、黒の大森林の屋敷に伯爵がやって来た時のことだ。すでに魔獣はレンとガー太が倒しており、伯爵はすぐに帰ってしまったが――そのため伯爵はガー太を見ていない――その際、伯爵はレオナを気に入って連れ帰ってしまったのだ。
レンとしても複雑な心境だったが、他でもない彼女もそれを望んでいると聞いて黙認した。集落のダークエルフのため伯爵に取り入る、いわゆるハニートラップに近い。
だが彼女はダークエルフだ。人間ならともかく、ダークエルフの女性がハニートラップを仕掛けたところで、上手くいくのだろうかとレンはずっと疑問だった。
一応、集落のリーダーであるダールゼンからは、
「オーバンス伯爵様の屋敷から追い出されることもなく、上手くやっているようです」
と報告を受けていたが、これも半信半疑だった。
序列があるダークエルフ同士には、ウソも忖度も存在しない。だが人間との間には存在する。
ダールゼンが悪意で自分をだまそうとしていると思ったことはない。だがこちらを気遣ってウソの報告を上げる可能性はある。
だからここへ来たらレオナの置かれた状況を、自分の目で確かめようと思っていた。
「えーと……あれから調子はどうですか?」
女性と話すのが苦手なレンだったが、今回ばかりは逃げるわけにはいかない。勇気を出して話しかけた。
レオナの目線の高さはレンとほぼ同じだ。この時代、女性としてはかなり大柄な部類に入る。
「おかげさまでつつがなく。伯爵様からは過分なご寵愛をいただいていますし、他の方々、特に奥方様からは大変よくしてもらっています」
にっこりと笑うレオナ。うれしそうに笑っているように見えるのだが本心だろうか?
特に奥方様からよくしてもらっているの部分。貴族は愛人を持つのが当たり前と聞くが、普通に考えて、ダークエルフの愛人を受け入れる妻がいるだろうか?
これはあれか。やっぱりこちらに気を遣ってウソをついているのか? などと深読みするレンだったが、
「レオナ様。よろしいでしょうか」
若い使用人らしい男がレオナに声をかけてきた。そして声をかけた後で、彼女の話し相手がレンだと気付いたようだ。
「こ、これはレン様。大変失礼いたしました」
ペコペコ頭を下げて、逃げるように立ち去ろうとした男をレンが呼び止める。ビクッとして動きを止めた男を見てレンは苦笑する。
オレの話に割り込んできたな、と難癖を付けられるとでも思ったのだろう。もちろんレンにそんな気はない。
「オレのことは気にせず、レオナさんに用があったんでしょう?」
「そうですが……よろしいのですか?」
いいですよと言っても、男はやっぱりビクビクしていたが、レオナが「何のご用でしょうか?」と訊ねてやっと口を開いた。
「あの、前に相談した返礼品の」
「ああ。ゴラムさんにお返しするっていう。どうでしたか?」
「はい! 教えていただいた酒ですけど、大変気に入ってくれたみたいで。ありがとうございます」
「それはよかったです。きっとゴラムさんなら気に入ってくれると思っていましたけど、こればっかりは飲んでもらわないとわかりませんから」
「本当にありがとうございました」
などと何度もお礼を言って男は立ち去った。
レンはそれを唖然としながら見ていた。
これが人間の女性ならわかる。当主の愛人に使用人がペコペコするのもわかるし、お世話になったらお礼を言うのも当然だ。
しかしレオナはダークエルフである。というか、ダークエルフに丁寧に接する人間を、レンはこの世界に来て初めて見た気がする。
「レオナさん、今のは……」
「お世話になった方への返礼品は何がいいかと相談を受けたので」
「いえ、そうじゃなくて」
レンが言いたいことを察したかのように、レオナが軽く笑って答える。
「言ったでしょう? 皆さん、大変よくしてくれていますって」
どうやら彼女の言ったことは本当だったらしい。百聞は一見にしかず。今の使用人の丁寧な態度が全てを物語っている。
さらに質問しようとしたレンだったが、そこへ今度は別の人間が通りがかった。
きらびやかな衣装を身につけた中年の女性だった。後ろに数人のメイドを従えている。
「奥方様」
と言ってレオナが深々とお辞儀をする。
奥方様ということは、この女性がオーバンス伯爵の妻か。そしてここでレンは重要な問題に気付いた。もしかして彼女が自分の母親なのだろうか? 自分でもあきれたが、父親の伯爵への対応は色々考えていたのだが、母親のことは全く頭になかった。
「あらレオナ。ちょうどよかったわ。今からお茶をいただこうと思うの。あなたもいらっしゃい」
「わかりました。ご子息とのお話が終わり次第、奥方様の部屋に参ります」
「レンのことなどどうでもいいでしょう。一緒に来なさい」
「申し訳ありません奥方様。私はご子息に大変なご恩があるのです。ですからこちらのお話を優先させていただきたく」
「恩? お前がレンにどんな恩があるというの?」
「私がここに来ることができたのも、元はご子息が私を伯爵様に紹介して下さったおかげです。奥方様に出会えたのも、ご子息のおかげといえます。ですから、なにとぞ」
そう言ってレオナが頭を下げると、奥方と呼ばれた女性は、仕方ないわねえといった感じでため息をつく。あきれつつも、親愛の情がこもったようなため息を。
「お前は律儀ね。わかったわ。さっさと話を終わらせてから、私の部屋に来なさい」
「ありがとうございます」
そして女性はメイドたちを連れて歩み去った。最後まで彼女はレンの方を見ようともしなかった。その冷たい態度も気になったものの、レンが何より驚いたのはレオナとの会話だ。
さっきの使用人の態度にも驚いたが、今度の驚きはそれより遙かに大きい。
あの女性は貴族だ。同じ人間でも貴族と平民には身分差があるのに、ダークエルフとまるで友人のように親しげに話すなど、いったいどうなっているのか。女性に従っていたメイドたちも、当たり前のようにそれを受け入れていた。
これが伯爵本人ならまだわかる。愛人相手に親しげに話すこともあるだろう。しかし今のはその伯爵の妻なのだ。夫の愛人のダークエルフに、親しげに話しかける貴族の妻――レンが知るこの世界の常識ではあり得ないことだ。
驚くレンに向かって、レオナが笑みを浮かべる。まるでいたずらに成功したかのような笑みを。
「ですから言ったでしょう? 皆さん、大変よくしてくれていますって」