第268話 見知らぬ故郷
オウル子爵領を出たレンたちは、寄り道の遅れを取り戻すため、少し急ぎ足で南へと向かった。
そして数日後、彼らはほぼ予定通りにクラストの街に到着した。この街を治めるのはグラバー伯爵という貴族で、ここを出てしばらく南に進むと、いよいよ目的地のオーバンス伯爵領へ入る。
途中で別れた兵士たちとはこの街で合流する予定だったが、彼らはレンより先に到着していたようで、遅れて現れたレンを見て安心した表情を浮かべた――と思ったら驚いた顔になる。
「レン様。そのダークエルフは?」
街へ入る直前でガー太、そしてシャドウズたちとは別れたが、カエデは一緒に連れてきた。
「この子は僕の侍女です。このまま一緒に連れていきます」
迷ったのだがカエデから目を離すのも怖いので、侍女ということで実家まで一緒に連れていくことにしたのだ。一人ぐらい侍女が増えても大丈夫だろうとは思うが、もし「ダークエルフを屋敷に入れるなど絶対許さん」と反対されたら……その時はその時だ。あらためて考えることにしよう。
護衛の兵士は顔を見合わせ何か言いたげだったが、結局、何も言わなかった。自分たちの役目はレンを実家まで連れていくことで、同行者については何も聞いていない、といったところだろう。面倒事をさけたのだ。
後は金貨一枚の臨時報酬も効いたか。預けていた金貨二十枚は返してもらったが、約束通り、一人一枚の金貨を支払った。
金貨を受け取った三人は安堵の笑みを浮かべていた。ここでレンがやっぱりやめたと言っても、三人は逆らえないのだから、本当に金がもらえるか不安だったのだろう。
レンとカエデを乗せて馬車は出発したが、街を出てすぐに止まることになった。
「どうかしましたか?」
何が起こったか見当がつくが、素知らぬ顔でレンは護衛の兵士にたずねた。
「それが、ガーガーが現れたのですが……」
街を出たところで一羽のガーガーが現れたのだ。それだけなら大して珍しくないが、そのガーガーは馬車に駆け寄ってきたのである。臆病なガーガーが、自分から馬車に近寄ってくるなど滅多にないことだ。それで御者は思わず馬車を止めてしまったのだ。
謎のガーガーの正体は、当然ながらガー太だった。
馬車からレンが降りると、そこへガー太がトコトコと近寄ってくる。
「ありがとうガー太。このまま馬車についてきてくれる?」
「ガー」
と調子よくガー太は答える。ガー太は馬車が嫌いなので、また乗せられるのではないかと警戒していたようだが、乗らなくていいとわかったので機嫌がいいようだ。
「レン様、そのガーガーは……?」
護衛の一人が恐る恐るといった感じで聞いてくる。
ガーガーは神の使いとされる聖なる鳥だ。恐れる必要はないはずだが、臆病なガーガーが人慣れしているのは異常事態だ。
「この子は僕の仲間です。このまま馬車の後ろをついてくると思いますけど、気にせずそのまま進んで下さい」
「はあ……」
納得したわけではなさそうだが、兵士たちはそれ以上質問してこなかった。カエデのこともそうだし、余計なことは聞かないようにしようと判断したようだ。
再び馬車が出発すると、レンが言った通りガー太がその後をトコトコついてくる。
兵士たちはチラチラとガー太の方を気にしていたが、やはり何か聞いてくることはなかった。
ガー太の他にシャドウズもついてきているはずだが、彼らの姿は見えなかった。こちらから見えないように後を追っているのだろう。
どこが領地の境目なのかレンにはわからなかったが、気が付けば小さな村に到着していた。ここはもうオーバンス伯爵領のはずだ。
馬車はそのまま街道を進む。
村人にとっては、街道を進む馬車など珍しくなかったが、その馬車の後ろをガーガーが歩いていれば話は別だ。
多くの村人に注目されながら、馬車は村を抜けた。
次の村でも、その次の村でも同じような光景が繰り返され、やがて馬車は目的地のオルビスの街に到着した。ここにオーバンス伯爵家の屋敷がある。
その屋敷はすぐにわかった。屋敷というか、街外れの小高い丘に城が建っているのが見える。あそこが伯爵の居城だろう。丘を下ったところに街が形成され、その周辺に畑が広がっている。
オルビスは結構大きな街だったが、街を囲む外壁などはなかった。ただ街に入る少し前のところに簡易的な関所が設けられていた。槍を持った警備兵が二人立っているのが見える。
オルビスの街は、あの関所で街に入る人間を調べ、外から来た旅人や商人からは税金を徴収しているのだ。
街や領地に入るのに、税金を取るかどうかは領主の方針次第だ。
この前までいた王都は入るのに税金を取らなかったが、これはどちらかというと少数派だった。ある程度以上の街になると、入るだけで税金を取られることが多い。
税金を取ると来訪者が少なくなるというデメリットがあるが、魔獣うごめくこの世界では、野宿は自殺行為なので、隊商の多くは朝、街を出発して、日没までに次の街に入ってそこで泊まることがほとんどだ。多少の金を支払っても安全な街を選ぶのだ。
レンの乗った馬車も関所で止められたが、すぐに動き出す。中にいるレンには聞こえなかったが、護衛の兵士がレンが乗っていることを告げたのだろう。さすがに領主の息子から税金を取ったりはしないようだ。
こうして馬車は何事もなく関所を通り過ぎ――られなかった。
「ちょ、ちょっと待て!」
関所の警備が慌てて馬車を止めたのは、馬車の後ろをトコトコついていく鳥がいたからだ。しかもただの鳥ではなくガーガーである。
「あのガーガーは何だ?」
「さあな。ご子息のガーガーらしいぞ」
関所の警備兵の問いかけに、ここまで馬車を護衛してきた兵士がどこか投げやりに答える。
「いやガーガーだぞ? どういうことなんだ」
ガーガーは臆病で人に近寄ったりしないのに、このガーガーは人を恐れるどころか堂々としている、というかふてぶてしさすら感じさせる。こんなガーガーは見たことも聞いたこともない。
「オレ達にもわからん。気になるなら中のご子息に聞いてみたらどうだ」
護衛の言葉に、警備兵の二人が嫌そうな顔になる。
レンは領内では有名人だった。乱暴者で、どうしようもないバカ息子だと。もちろん警備兵の二人も知っている。しばらく前に勘当されて、黒の大森林の飛び地へ送られたことも。それがどうして帰ってきたのかは知らないが、とにかくそんなレン相手に下手なことを言ってトラブルに巻き込まれたりするのはごめんだった。
「……わかった。通っていい」
警備兵が見ている前を、馬車とガーガーが通り過ぎていく。
馬車が街に入ると、同じように住人の注目を集めた。後ろにガーガーが歩いているのだから当然だ。
そのまま街を抜けてオーバンス伯爵の居城、オルビス城へ到着したが、その後ろには街の住人たちがぞろぞろと続いていた。彼らのお目当てはもちろんガー太である。何事かと思って、一緒についてきたのだ。
おかげで城でもちょっとした騒ぎになっていた。
城から街の方を見下ろすと、こちらに向かってくる馬車は見えても、その影に隠れてガー太は見えなかった。馬車が村人たちを引き連れて城に向かって来ているとしか見えなかったのだ。
何事だ!? と騒ぎになるのも当然だった。
馬車が城に到着すると、城門の前に武装した兵士が十人ほど待ち構えていた。
「止まれ!」
と声を上げたのは、兵士たちの中心に立つ男だった。
馬車が急停車し、護衛の兵士たちがその場にひざまずく。馬車の後ろについてきていた住民たちも、慌ててその場に平伏した。
「貴様たち、何事か!?」
「はっ! ご子息のレン・オーバンス様をお連れいたしました」
男からの質問に、護衛の兵士の一人が答える。
とりあえずカエデにはこのまま馬車の中にいるように言って、レンも馬車の外へ出た。
馬車の後についてきた街の住人たちが「領主様」「伯爵様だ」などと言いながら平伏しているので、兵士たちを率いている男がオーバンス伯爵だろう。
この世界に来てすぐの頃、伯爵には一度会っているのだが、顔をよく覚えていなかった。レンは人の顔を覚えるのが苦手なのだ。
「お久しぶりです……父上」
レンも他の人間にならってその場にひざまずく。そしてちょっとためらいながら、父上と呼びかけた。
「レンか。一度戻ってこいとは言ったが、この騒ぎは何事だ?」
「はい。おそらく私の連れてきた鳥が珍しかったので、住民たちがその後について来てしまったようです」
「鳥?」
「ええ。ガー太」
呼び声に応えてガー太が馬車の影から出てくると、オーバンス伯爵や兵士たちからどよめきが上がる。
以前、伯爵は魔獣出現の急報を受け、レンの暮らす黒の大森林近くの屋敷に来たことがあるが、その時はガー太を見ていない。レンとガー太がすでに魔獣を倒していたので、さっさと帰ってしまったのだ。
これが初対面となる伯爵は、ガー太を穴のあくほど見つめる。
「ガーガーか? いや、しかし……」
「ガーガーによく似た鳥、ということになっています。教会でそのように決められました」
「教会? そういう報告は受けていたが……」
伯爵は王都屋敷からの手紙で、一応の状況報告は受けていた。だが、ほとんどそれを信じていなかった。
レンが魔獣の群れを退治して、国王陛下からお褒めの言葉をいただいた、ぐらいならまだわかる。だがガーガーそっくりの鳥を連れてきて、それを教会に持ち込んで一悶着起こしたとか、無名の舞い手を見出して、それを国王陛下に披露して好評を得たとか――到底信じられるような話ではない。
いったいどうなっているのだ!? と思って、こうしてレンを直接呼び出したわけだが、まさか本当にガーガーを連れてくるとは……いや、ガーガーによく似た鳥か?
ガー太は他のガーガーとは見た目がちょっと違う。普通のガーガーは丸々と太っているが、ガー太はシュッと引き締まった体つきだ。
よく似た別の鳥だと言われれば、そんな気もしてくる。
「どうやら、じっくりと話を聞かせてもらう必要がありそうだな」
レンの方を見て、伯爵が重々しい口調で言った。
「……とまあ、こんな感じです」
とレンはこれまでの出来事の説明を終えた。
ここに来るまで時間があったので、レンは何をどのように言うべきか、じっくり考えることができた。
ダークエルフとの関係については必要最小限の説明で済ませ――密輸のことはもちろん、運送業関連についても話さない――後はガー太との出会いも適当にごまかした。一方、王都に着いてからのことは、ほぼそのまま話した。
ダークエルフ関係のことを話さないのは、余計な介入を防ぐためだ。密輸はもちろん、運送業も順調に推移しているが、ここで伯爵が介入してくると――例えば利益をこちらにもよこせと言ってきたりすると商売の邪魔になる。いや、金をよこせと言うぐらいならまだいいが、有用性に目を付けて私物化しようとする危険性すらある。
伯爵がこれまで通りダークエルフの利益を最優先で考えてくれるならいいが、その可能性は限りなく低い。利益を搾取しようとするか、それともダークエルフを排除して自分の配下を送り込もうとするか、いずれにしろ話してもろくな事にはならないだろう。
ダークエルフのことは可能な限り秘密にしておこうと決めていた。
「にわかには信じられん話だが……あの鳥がいる以上、ウソと片付けることもできんか」
話を聞き終えた伯爵が難しい顔で言う。
「ガー太とかいったか、あの鳥はずいぶんとお前になついているようだが?」
と質問してきたのはレンの兄、伯爵の長男のリカルドだ。
二十代後半ぐらいの大柄な男性だ。レンも伯爵もこの時代の人間としては体が大きい。体が大きいのは家系だろうか。
いかめしい顔付きの伯爵と比べたら、長男のリカルドはまじめな青年といった様子で、伯爵よりもとっつきやすく感じる。
以前、レンの屋敷に伯爵がやって来た際はリカルドも同行してきていたので、レンも彼に会っている……はずなのだが、伯爵と同じく彼の顔も覚えていなかった。人の顔を覚えるのが苦手なのは、こういう時に困る。
話し合いの席にはもう一人、伯爵の腹心――と思われる――バーナムドという男が同席していた。四十歳ぐらいだろうか。こちらは線の細い男で、戦士ではなく文官のようだ。
「リカルドとバーナムドも同席させる」
と伯爵から言われただけで、バーナムドがどんな人間なのか説明はなかったが、レンは彼のことを知っているので説明する必要がないからだろう。
そう、以前のレンなら知っていたはずだ。だが今のレンは彼らのことを知らない。
ここに来てからレンはずっとヒヤヒヤしっぱなしだった。相手はみんな知り合いばかりのはずなのに、今のレンには初対面同様の相手ばかり。どう対応すればいいのかわからない。おかしく思われてなければいいのだが……
だが他人が見れば、レンの態度は明らかにおかしかった。落ち着きなく挙動不審である。
伯爵たちもレンの態度がおかしいことはわかっている。だがそれを不審に思わなかった。
勘当同然に追い出されていた息子が、父親に呼び出されて久しぶりに帰ってきたのだ。緊張するのも当然だろうと誰もが思っていた。
「ガー太はぼ――オレにとても慣れています」
ボクと言いかけたのをオレと言い直す。以前のレンの性格を考えると、ボクよりオレの方がいいだろうと思ったからだ。
「オレだけじゃなくて人間にも慣れていて恐がったりもしません。ですが不用意に近付いたりしないで下さい。機嫌が悪いと蹴飛ばされるかもしれません」
ガー太は敵意のない相手を攻撃したりしないが、以前にマローネ司教を蹴り飛ばしたことがあるので、絶対にないとはいえない。興味本位で近付かれても迷惑なので、危険だと釘をさしておく。
もっともガー太は今、この屋敷にはいない。
顔見せは終わったので、レンが「適当にどっか行ってていいよ」と言うと、ピューッとどこかへ走り去ってしまった。今頃は街から離れて、どこか近くの平原か森にでもいるだろう。
なお走り去ったガー太を見た人々が、
「逃げ出したぞ!?」
と騒ぎだし、危うく大捕物になりかけた。
「呼んだら来ますから大丈夫です!」
と説明しても信じてもらえず、結局、一度ガー太を呼び戻している。
それもあってのことだろう。オーバンス伯爵たちの態度が、なんだか微妙だった。
何をやっているのだ! と叱りつけてやろうとバカ息子を呼び出したら、そのバカ息子がとんでもない拾い物を持ち帰ってきた、みたいな感じだろうか。レンのことをどう扱っていいのかわからず困っているようだ。
「お前が王都で色々やらかしたことは聞いている。まずはその中で一つ、一番重要なことをはっきりさせておこう」
いよいよ来たかとレンが身構える。伯爵が何を質問してくるか予想がついた。
「ラカルド子爵ともめ事を起こしたそうだな? それもちょっとしたもめ事どころではなく、教会まで巻き込んで、ラカルド子爵を殺したそうだが本当か?」
ガー太のことも、ミリアムのことも、事件ではあったが怒られるようなことではない。だがラカルド子爵との争いだけは別だった。
ミリアムを守るため必要だったとはいえ、伯爵に何の相談もなく、勝手に子爵領へ攻め込んだのは大問題だろう。レンにもそれはわかっている。
「あれはですね――」
元々ラカルド子爵の方から一方的に手出しされたこと、教会もこちらから焚き付けたのではなく、向こうから協力の要請があったことなどを、言い訳がましくならないよう注意して説明する。
裏で国王との密約があったことは話さなかった。秘密にしておく約束だし、もし話したとして、伯爵がどんな行動に出るか読めなかったからだ。
一通りの話を聞き終えた伯爵が口を開く。
「つまりお前は自分の女に手を出されたことにキレて、問答無用でラカルド子爵をぶち殺したのだな?」
「いえ、そう言われればそうなのですが、それはあまりに乱暴なまとめ方というか――」
伯爵のザックリ過ぎる要約にレンは反論しようとしたが、
「ハッハッハッ! よくやった。それでこそオーバンス家の男だ」
怒るどころか、愉快そうに伯爵が笑う。
「父上、またそのような」
と長男のリカルドがたしなめようとするが、伯爵は意に介しない。
「自分の女に手を出されたのだぞ? だったら戦争だろうが」
ああそういえば、とレンは思い出す。
オーバンス伯爵は武闘派で知られる貴族であった。というかこれでは武闘派というより脳筋だが。加えて女好きでもあった。となるとこういう結論になるのかもしれない。
「それに考えてみろ。どこかの田舎子爵にふざけたマネをされて、黙ったままでいれば、そちらの方がオーバンス伯爵家の名折れだ。当家が武門の家であることを忘れるな」
リカルドもバーナムドも納得したわけではなさそうだが、それ以上反論しなかった。伯爵の言葉にも一理あると認めたのだろう。
貴族同士の権力争いは熾烈だ。下手に弱みを見せれば、よってたかって潰されるというのが貴族社会の常識だった。
レンは心の中でホッと安堵の息を吐く。伯爵に激怒されたらどうしようかと思っていたが、思いのほか上機嫌だ。これならどうにかなりそうだと思ったのだが、安心するのはまだ早かった。
「いいだろう。今回のことに免じて、お前にやり直す機会を与えてやろう。こちらに戻ってくることを許す」
逆方向に問題が発生した。
更新再開とかいって、またまた間が空いてすみません。
やっぱりダメだったよ……ってなりかけたというか、中々安定しないというか……
落ち着いてきたのは確かなんですけど、組織って一度悪い方へ傾き出すと、その流れを簡単には止められないなあって実感してますw