第267話 寄り道
レンは王都を出て、自分の生まれ故郷であるオーバンス伯爵領へと向かっていた。とはいえそれは前のレンの生まれ故郷だ。今のレンの故郷は異世界日本であり、オーバンス伯爵領は見知らぬ土地だった。
一行はいつもと同じ顔ぶれだった。
ガー太に乗ったレンに、カエデとシャドウズのダークエルフたちが同行している。
王都を出た時は違った。
レンは馬車に乗せられ、護衛にはオーバンス伯爵家の兵士たちがついていた。
伯爵家の王都屋敷を預かるドノバンはレンのことを全く信用しておらず、護衛の兵士たちに強く命じていた。
「レン様が逃げ出さないように、決して監視の目をゆるめるな」
レンとしてはたまったものではない。王都からオーバンス伯爵領まで、普通に馬車で行けば一週間ほどかかる。その間、ずっと監禁同様だなんて耐えられない。
というわけでレンは護衛の兵士たちを買収した。
ちょっと提案があるんだけど、と彼らに話を持ちかけたのだ。
「伯爵領の手前まで別行動をとりませんか? そうすれば皆さんに金貨一枚ずつ支払いますよ」
御者と護衛兼見張りの兵士二人はその誘いを断った。
金貨一枚で十万円以上の価値がある。下っ端の兵士にとっては大金だったが、もしレンが逃げ出せば厳しい処罰が下されるかもしれない。そんな危ないことはできなかった。
そこでレンはもう一つ条件を加えた。
「じゃあ皆さんに金貨を二十枚ほど預けておきます。もし僕が逃げ出したら、そのお金は自由にして下さい」
三人で割れば金貨七枚ほど。それならば、と彼らは取引に応じた。
レンとは別行動をとり、場所と日時を決めておいて、伯爵領に入る手前で合流する。
もしレンが約束通り現れれば、彼らは労せず金貨一枚の追加報酬を得る。
もしレンが逃げ出せば、彼らには厳しい処罰が下るかもしれないが、いくらなんでも処刑とはならないだろうし、金貨七枚もらえるなら釣り合うと判断したのだ。
こうしてレンは馬車から降りて、ガー太やダークエルフたちと合流することができた。ちなみにレンが兵士たちに渡したお金は、ゼルドが用意してくれたものだ。
そのゼルドがレンに訊ねた。
「それでどうします? このまま逃げるのですか?」
ちょっと心が揺らいだレンだったが、逃げるのは最後の手段としてとっておく。
ただ途中で寄りたいところがあった。
話は一ヶ月ほど前にさかのぼる。
荷物を運んでいたダークエルフの荷馬車が魔獣の襲撃を受けたのだ。荷馬車には護衛も付いており、単体の魔獣なら難なく撃退できただろうが、この時は十体ほどの魔獣の群れに襲われた。
レンはダークエルフたちに対して、荷物より身の安全を優先するよう命じている。危ないと思ったらすぐ逃げろ、というわけだ。
ダークエルフの運送屋は、この世界で唯一といっていい保険制度を設けていて、途中で荷物が破損、紛失した場合は補償金を支払うことになっている。だがお金よりも人命優先がレンの方針だ。
ちなみに、この保険制度も少しずつ進化していた。
最初はレンの思い付きから始めたもので、あまり深く考えずに全額補償にしていた。これには宣伝の意味もあった。
始めた頃は信用もなく、ダークエルフなんかに大事な荷物を預けられるかと拒否する商人も多かったので、何かあれば全額補償しますよ、ということで客を呼び込んだのだ。
だが運送業は短期間で急拡大し、運ぶ荷物の量も格段に増えた。ダークエルフたちの真面目な仕事ぶりで、利用者の信頼も勝ち得た。
いまだにダークエルフだからと毛嫌いする商人もいるが、そういう商人を相手にしなくても、十分やっていけるようになったのだ。
そうなると今度は全額補償が負担になってきた。とんでもなく高価な荷物を運んでいて、それに何かあれば大損害だ。
そこで保険制度も見直すことにした。
基本的に運ぶ荷物の価値によって掛け金が決まるが、それに上限を設けた。どんなに高価な品物であっても、一定額以上の補償金を支払わないようにしたのだ。
もし上限を超える保険をかけたいというなら、その時は応相談だ。特別警戒態勢で荷物を運ぶことになるだろう。
このように経験を積み重ね、運送業はさらなる効率化を図っていたが、それでも危険なことに変わりはない。
一ヶ月前に起こった襲撃事件もそうだった。
魔獣の群れに襲われたダークエルフたちは、これはかなわぬと見てすぐに逃げ出したのだが、逃げ切ることができなかった。
御者一名、護衛五名の商隊だったが、二人が死亡し、さらに二人が重傷を負った。
彼らが襲撃を受けたのは、オウル子爵の領地のすぐ近くだった。オウル子爵は、はっきり言えば小貴族で、領地は山間の狭い土地だけで、村も一つしかない。生き残った四人は、その唯一の村まで逃げて助けを求めた。
これが人間なら、彼らは温かく村に迎えられただろう。しかし彼らはダークエルフだった。
村人たちは見ず知らずのダークエルフを村に入れるなどとんでもない、と反発し、彼らを追い払おうとした。
もしそうなっていれば重傷の二人は間違いなく死んでいたはずだ。
しかしそれを止めた者がいた。騒ぎを聞きつけたオウル子爵本人が出てきて、ダークエルフを助けるよう命じたのだ。
反対する村人たちにオウル子爵は言った。
「魔獣に襲われれば人間もダークエルフも関係ない。そういうときはお互い様で、助け合わねばならない」
他でもない領主直々にそう言われては、村人たちも従うしかなく、渋々ながらダークエルフたちを助けることにした。おかげで重傷だった二人は命を取り留めることができたのだ。
この事件の報告を聞いて、レンは感動した。
ダークエルフ差別が当たり前の世界で、人間と同じようにダークエルフも助けるというのは中々できることではない。そういう人がいることがうれしかった。
報告を聞いたレンはすぐにでもお礼を言いに行きたかったのだが、王都滞在中だったので自由に動けなかった。そこで商人のマルコにお礼をしておいてほしいと伝えたのだが、そちらもまだ実現していない。
レンが王都へ向かったのと同じ頃、マルコも南へと旅立っていたからだ。
南の隣国バドス王国へ行って、運送路を拡大するのが彼の仕事だ。こちらもすぐには帰ってこれず、オウル子爵へのお礼は手つかずのままだった。
というわけで、この機会にオウル子爵に会っておこうと思ったのだ。人付き合いの苦手なレンだったが、これはもう人としての問題だ。苦手とかいってられない。
オウル子爵の領地へ向かうと、目的地のオーバンス伯爵領へは遠回りになるが、レンはガー太に乗っているし、ダークエルフたちも健脚だ。多少の遠回りは問題ないとしてレンたちはオウル子爵領へと向かった。
話に聞いていた通り、オウル子爵の領地は狭かった。山間の土地といえば、しばらく前に行ったラカルド子爵の領地もそうだったが、オウル子爵の領地はあそこよりももっと狭い。山間の小さな集落といった感じで、村人全部合わせても数百人だろう。しかもオウル子爵の領地はこの小さな村が全てで、これでは貴族というより村長の方が近いかもしれない。
そんな小さな村なので、レンたちが到着するとすぐに騒ぎになった。
ガーガーに乗った人間が、ダークエルフたちを連れてやって来たのだ。騒ぎにならない方がおかしい。
「僕はレン・オーバンスという者です。オウル子爵にお目にかかりたいのですが」
畑仕事をしていた農民の一人に声をかけると、おびえた様子で、
「領主様なら、屋敷におると思いますが……」
「いえ、その屋敷がどこかわからなくて……」
領主の屋敷なら、村で一番大きな屋敷だろうと思うのだが、ここから見る限り、村の建物はどれも似たり寄ったりの小さな家ばかりで、どこが領主の館なのか判断できなかったのだ。
「あ、あれが領主様です」
農民が指さす方向を見ると、数人の男たちがこちらに向かってくるのが見えた。
「お前たちは何者か?」
男たちの一人が声をかけてきたので、レンはガー太から下りて答える。
「私はレン・オーバンスと申します。オーバンス伯爵家の者です」
貴族だと告げた方が話が早いと思って名乗ったが、それは正解だったようだ。こちらを警戒していた男たちの態度がゆるんだ。
「これは失礼した。私はこの地を治めるオウル子爵だが、我が領地に何用かな?」
最初に声をかけてきた男がオウル子爵と名乗るのを聞いて、レンはやっぱりなと思った。子爵は謹厳実直といった感じの老人で、レンが想像していた通りの人物だったからだ。
レンはオウル子爵に来訪の目的を伝える。
「そうか。あのダークエルフたちはオーバンス伯爵家に雇われていたのか」
「いえ。伯爵家ではなく私個人が……雇っている者たちです」
正確にはレンが雇用しているわけでもないが、そのあたりの関係を正確に説明すると話が長くなるので、ここはレンが雇っていることにした。
立ち話もなんだということで、レンはオウル子爵の屋敷に案内された。屋敷といっても、他の村人の家と変わらない普通の家だった。これだと言われない限り、領主の屋敷とはわからないだろう。
「見ての通り貧しい領内でな。満足なもてなしもできないが」
「お気になさらず」
と答えてから、レンは話を切り出す。
「遅くなりましたが、今日はあらためてお礼にうかがいました」
「わざわざご足労いただいて申し訳ないが、お礼ならもう十分にいただいている」
「そうなのですか?」
もしかしてマルコが先に来たのだろうか? と思ったレンだったが、
「ダークエルフたちには、魔獣の群れを退治するのに協力してもらったからな」
「ああ、そういう事ですか」
今回のように荷馬車が魔獣の群れに襲われた場合、すぐにダークエルフによる魔獣討伐隊を出すことになっている。
目的は荷馬車の奪還と、街道の安全確保だ。魔獣の群れがいる限り、その道は荷馬車が通れないので、退治する必要が出てくる。群れの規模があまりに大きければ討伐は見送りだが。そこまで大規模だと周辺の貴族や、王国が対処することになるだろう。
今回のように十体程の群れなら、ダークエルフだけで十分対処可能なので、急報を受けた彼らはすぐに討伐隊を組織して送り出した。
一方、自分の領地のすぐそばで魔獣の群れが現れたと聞いたオウル子爵も、すぐに行動に移った。放置すれば村が襲われる危険があるのだから、素早く対処せねばならない。
だがオウル子爵の領地はこの村一つだ。村人の中から戦える人間を集めても限度があり、小規模な群れでも単独での討伐は厳しい。そこで子爵は周辺の貴族たちに魔獣の群れのことを知らせ、共同で対処しようとした。
そこへダークエルフの討伐隊がやって来た。普通の貴族であれば、ダークエルフの集団を警戒し、話も聞かずに追い返していた可能性が高いが、ここでもオウル子爵は柔軟に対応した。
「魔獣を倒してくれるなら、それが人間だろうがダークエルフだろうが関係ないだろう」
とダークエルフたちを受け入れ、村人たちで組織された討伐隊と一緒に共同で魔獣討伐に向かったのだ。
村人たちはダークエルフなんかと一緒で大丈夫か? と不安がっていたが、討伐は問題なく成功した。しかも実際の戦いはダークエルフたちが先陣を切り、そのまま魔獣の群れを討伐したのだ。後ろに控えたオウル子爵たちは出番なしで終わった。
これまた普通の貴族であれば、
「ダークエルフ風情が余計なことを。お前たちがいなくても、我々だけで勝てたはずだ」
などと逆ギレしていた可能性が高い。自分より下に見ているダークエルフに助けられたなど素直に認められないからだ。
だがオウル子爵はダークエルフに感謝の意を伝えている。そして、それをもって「お礼はすでに十分もらっている」と言っているのだ。
子爵がそう言うのなら、とここで引き下がってもよかったが、レンは遠慮されると逆に何かしてあげたくなるタイプの人間だった。
レンとオウル子爵の間で、
「これ以上の礼など必要ない」
「そんなことを言わずに、何か困ったことなどありませんか?」
といったやりとりが繰り返され、
「わかりました。ではお礼ではなく、共同して事業を立ち上げるというのはどうでしょうか?」
とレンは提案してみた。
「先日、助けていただいたダークエルフもそうですが、私は彼らとともに運送業を営んでいます。それに協力してもらえませんか?」
「そんなものに私が協力できるとも思えんが……具体的に何を?」
「領内に荷物を保管したり仕分けしたりする倉庫を置かせてもらえませんか?」
ダークエルフ運送業の流通網は広がり、今や王都を中心として、王国中へ荷物を運ぼうとする勢いだ。そうなってくると荷物を集積、保管、仕分けする倉庫というか物流拠点が必要になってくる。距離が近ければ最初から最後まで一台の荷馬車で運べばいいが、距離が遠くなればなるほどそれは非効率的になっていく。
長距離輸送では一回一回荷物を運ぶより、どこかに集めてまとめてから一気に運んだ方が効率がいい。そして運んだ先で仕分けしてそれぞれの配送先へ、というのがやはり効率的だ。現代の宅急便でも同じようなやり方をしている。
だからあちこちに物流拠点となる大規模倉庫があれば便利なのだが、これが中々難しい。ここでも問題になってくるのがダークエルフ差別だ。倉庫が建てば多くのダークエルフが出入りすることになるが、現地の人間がそれを嫌がる。
現在、倉庫として利用できるのは、黒の大森林近くのレンの屋敷と、王都近郊の集落ぐらいしかない。あともう一つ、王都のすぐ近くに物流拠点があるが、そこは王都警備隊と共用なので少し違う。
王都近郊の集落は、魔獣に襲われた廃村を丸ごと買い取って整備したが、これは運がよかった。廃村は森の中にあって、近くに人間の村などもなく、完全に忘れ去られた存在だった。その話を聞いたマルコが、土地を管理していた役人に多額の賄賂を渡して買い取ることができた。
ただこの時代は、まだまだ個人の土地所有権はあいまいだった。土地の権利を買ったといっても、国王や貴族がその気になれば、簡単に取り上げられてしまう。
ダークエルフの集落も、役人の気分一つで潰される危険があったが、王都警備隊との取引が増大しているので、多少は安心できるようになった。集落を潰すことは王都警備隊の商売を邪魔することになる。そんな危険を冒してまで、森の中の集落をどうこうしようという役人はいないだろう。
とにかく金で集落を手に入れられたのだから、同じように金で各地に倉庫を建てればいいのでは? とレンは思ったのだが、マルコはそう簡単ではないと言う。
「王都の近郊は国王陛下の直轄地ですが、さすがの陛下も広大な領地全てを把握されていないので、実際の管理は役人たちが行っています。ですから付け入る隙がありました」
管理している役人にとっては、自分の土地ではない。だから金でどうにかできたとマルコは言うのだ。
「ですが地方へ行けばそういうわけにはいきません。小屋を建てるぐらいならともかく、大規模な倉庫となれば、必ずその土地を治める領主の耳に入ります」
貴族は名誉や外聞を気にする。自分の領地に汚れたダークエルフの拠点を作ると聞いて、それを許す貴族はまずいない。貧民街にダークエルフが住み着くのとは訳が違うのだ。
「それでも金で解決できるかもしれませんが、足下を見られて、どれだけかかるかわかったものではありません。最悪、金だけ取られて、すぐに追い出されたりするかもしれません」
個人の権利は弱いし、それがダークエルフとなればなおさらだ。金だけだまし取られたと訴えても、誰も相手にしてもらえないだろう。
「レン様が話をまとめて下さるのなら、話は別ですが……」
貴族同士の約束となれば、簡単には反故にできない。だからレンが出て行って、相手の貴族と交渉して契約できれば、ダークエルフたちの倉庫を建てるのも可能だろう。
だがそれでもかなり難しい交渉となるだろう。レンはそういうことに全く自信がなかったので、今まで何もしていなかったのだが、ダークエルフを助けてくれたオウル子爵ならば、と話を持ちかけてみたのだ。
「荷物運びの拠点というわけか……」
運送業の事など何も知らないオウル子爵だったが、倉庫の利便性は何となく理解できた。軍隊が動く際も、どこかに食糧などの補給拠点を作れば、その後の部隊運用が楽になる。荷物運びも同じようなものだろう。
だがそんな倉庫が建てば、多くのダークエルフが領内を行き来することになるだろう。それは望ましいことではない。
傷ついたダークエルフを助けたのも善意だけではない。魔獣の情報を仕入れるという目的もあった。彼は他の貴族と比べてダークエルフへの嫌悪感が薄かったが、それでも得体の知れない連中だと思っているので、できれば領内には入れたくない。
だが彼の領地は狭く貧しかった。贅沢を言っていたら生きてはいけない。だから魔獣討伐のためダークエルフも利用した。オウル子爵はそれを恥とは思っていない。領主は何より領地を守らねばならない。そのためなら利用できるものはなんでも利用して当然だ。
だからレンの提案を即座にはねつけることはせず、損得を考えてみた。
ダークエルフを受け入れることが利益になるなら考えてもいい。
「倉庫というが、具体的どの程度のものを考えているのだ?」
「そうですね……」
この場で思い付いた提案なので、レンも具体的な計画は持っていない。だから当たり障りのない答えを返す。
「最初は小規模なものになると思います。それで取引量が増えるようなら、その時はあらためてご相談するということで」
「まずはお試しというわけか。いいだろう。それなら一度やってみるか」
領地の利益となるなら続ければいいし、ダメならやめればいい。
問題が起こればすぐに取り止める、という確約をオウル子爵は求めてきた。レンにも異存はない。
何しろレンにとっても初めてのことだ。重大な問題が起これば中止もやむを得ないし、失敗しても次につながる経験になるだろう。
こうして倉庫の建設が決まった。そこから先の実務は……またマルコに任せることになるだろう。彼の仕事を増やしてしまうが、倉庫の重要性はマルコも理解しているはずなので、反対されることはないだろう。
どうも、お久しぶりです。
1つ前の更新が5月のゴールデンウィークの時ですから、我ながらこんなに間が空いていたのかとビックリしています。
その前も一ヶ月空けての更新で、余裕が出てきたから再開とか書いてたんですが、余裕とか気のせいだったみたいです……
あれからも色々あってというか、あれからの方が色々あったというか、とにかく色々あって更新できずすみませんでした。
今度こそ、落ち着いて来たと思うので更新を再開しようと思います。
長く間が空いてしまいましたが、あらためてよろしくお願いします。