第265話 断髪式
ダークエルフの集落を出て、次にレンが向かったのは犯罪ギルド・ダルカンのボス、ギブラックの屋敷だった。
本当はミリアムのところへ行くつもりだったのだが、シーゲルから伝言が入っていたのだ。もしレンの謹慎が解かれたなら、お願いしたいことがあるので連絡してほしいと。
シーゲルは、ボスの屋敷にいるとのことで、レンはそちらへと向かうことにした。マローネ司教も同行する。
「いいんですか? 僕が会いに行くのは、犯罪ギルドの人間なんですけど」
「問題ありませんよ。教会は全ての人々に門を開いておりますから」
犯罪ギルドのボスの屋敷に、マローネ司教が行くのはマズいだろうと確認したのだが、彼は構わないと答えた。
レンは知らなかったが、王都では教会と犯罪ギルドは普通に付き合いがあった。別にそれを隠してもいない。
マローネが言った通り、教会は全ての信徒に門を開いているという建前で、犯罪ギルドの人間も受け入れている。一般庶民もそれが当たり前なので気にしていない。
犯罪ギルドのメンバーも、普段は悪事に手を染めているくせに、信心深い教徒が多かったりする。あるいは悪事に手を染めているからこそ、少しでも罪を軽減したいという思いがあるのかもしれない。
ただしこれらは表向きの事情だ。教会と犯罪ギルド、両者を結びつけている最大の理由は金である。
犯罪ギルドは、何かにつけて見栄を張る。だから幹部の結婚式や葬式などは、金をかけて盛大にやる。このあたりは日本のヤクザにも通じるものがあるのだが、とにかく大きな金が動く。
そして結婚式や葬式は教会の管轄だ。つまり犯罪ギルドの結婚式や葬式は、教会にとって大きな儲けになるのだ。犯罪ギルドは教会のお得意様ともいえる。
またそういう付き合いもあるので、犯罪ギルドも滅多なことでは教会に手を出さない。両者は持ちつ持たれつの関係だった。
とはいえ、さすがに司教のような大物が、犯罪ギルドの屋敷を訪れるというのは滅多にない。かなり異例のことだったが、レンはそういう事情は知らなかったので、マローネさんがいいならいいか、と軽く受け止めた。
「それに、その犯罪ギルドの方ですよね? この前の遠征で協力してくれたのは」
ラカルド子爵の討伐に向かう際、レンはシーゲルに頼んで食糧を輸送してもらった。おかげで軍勢は大助かりだったが、レンはそのことをマローネ司教には伝えていた。
さらにレンは、そのことを神聖騎士団にも伝えるつもりだった。
シーゲルは、ラバンのことで教会に目をつけられていないか心配していた。だからより積極的に協力してくれたのだ。事件の首謀者はラカルド子爵だったが、その手先となって働いたのはダルカンのメンバーなのだ。教会がその気になれば、犯罪ギルドの一つや二つ簡単に潰すことができる。
それで少しでも恩を売ろうとしたわけで、レンとしてはそれをちゃんと神聖騎士団にも伝えておいてあげようと思ったのだが、マローネに反対された。
「神聖騎士団はラカルド子爵を討つ気ですが、手先となって動いた犯罪ギルドのことなんて気にしていません。ここでオーバンス様がその話を持ち出すと、逆効果になる可能性があります」
シーゲルのことを伝えた結果、
「そうか、犯罪ギルドも協力していたのか。だったらそいつらも潰すか」
なんて言い出したら本末転倒である。だからシーゲルのことはマローネにだけ伝え、他の教会関係者には教えていない。きっと食糧はレンが用意してくれたと思っているだろう。
「オーバンス様の協力者がどういう方なのか、少し興味があります」
というわけでマローネと一緒に教会の馬車に乗り、レンは王都にあるギブラックの屋敷へと向かったのだ。
そして屋敷の前に馬車が到着し、中からレンが下りる。
門番が二人いたが、どうやら彼らはレンの顔を知っていたようで、
「こ、これはオーバンスさん! ようこそおいで下さいました」
と驚きの声を上げ、頭を下げる。教会の馬車からレンが出てきたので、かなり驚いたようだ。
続いて馬車から降りてきたマローネを見て、門番は誰だこいつは? みたいな顔になる。マローネ司教の顔は知らないだろうが、白い僧服で教会の人間というのはわかるだろう。それがどうしてレンと一緒なのか、理由が思い付かないようだ。
「シーゲルさんに呼ばれてきたんですが」
「あ、はい! すぐにご案内します」
マローネのことは気になるが、余計な口出しは無用と判断したのだろう。門番の一人がレンを屋敷の中へ案内してくれた。その後にマローネも続く。
門番は何か言いたそうにしていたが、レンが何も言わなかったので、そのまま二人を屋敷の中へ案内した。
応接室に通され、マローネと並んでソファーに腰掛けると、すぐにシーゲルが現れた。
「すまねえ兄弟。わざわざ足を運んでもらって――」
と言いかけたところでマローネに気付いたようで、シーゲルがギョッとなる。
「兄弟、こちらの人は? 教会の司祭様だよな……?」
「初めまして。マローネと申します」
「教会の馬車でここまで送ってもらったんです。それでまあ、ついでというか。マローネさんも、一度シーゲルさんに会ってみたいというので」
微笑を浮かべて挨拶するマローネのことを、レンがシーゲルに紹介する。ついでに司祭ではなく司教だと訂正しておくと、シーゲルは驚き、失礼しましたと何度も頭を下げて謝った。
司祭と司教では地位が全然違う。それを間違うなど失礼なことだった。
「どうかお気になさらず。それよりこちらこそ、急な訪問をお詫びします。オーバンス様とお付き合いがあるという方が、どういう方なのか少し興味があり、失礼ながら同行させてもらいました。もし込み入った話でしたら、すぐに退出いたしますが?」
「いやいや、兄弟がいいっていうならオレは別に構わないが、そちらこそいいんですか? 司教様がこんな所に堂々とやって来て」
「教会は全ての方々に門を開いておりますので」
全く動じる様子のないマローネを見て、シーゲルも落ち着きを取り戻したようだ。
「それで司教様がわざわざやって来たってことは、やはり先日の事件のことですか? 教会はオレ達をどうするおつもりで?」
「誤解しないで下さい。教会は事件の首謀者であるラカルド子爵を討ち取って、それでよしとしています。手先となって働いた犯罪ギルドをどうこうしようとは思っていません」
などとやりとりしているところにボスのギブラックが入ってきて、最初にシーゲルが入ってきた時と同じようなやりとりが繰り返された。
最初は、いよいよ教会が自分たちを処罰するためにやって来たのかと身構えた二人だったが、マローネの話を聞いて、少なくとも現時点では大丈夫のようだと安心する。
それでやっと本題に入れた。
シーゲルが頼みたいことがあるというので、ここまでやって来たのだ。
「兄弟に頼みたいっていうのは他でもない、これのことなんだが」
自分の頭を指さしながらシーゲルが言う。
何のことかと思ったレンだったが、すぐに思い出す。そういえばシーゲルとギブラックの二人には頭を丸めてもらう約束だった。しかし二人が頭を剃った形跡はなく、髪は元のままだ。
もしかして、やっぱり髪を切るのが嫌になったとか?
「勘違いしないでくれよ。髪はすぐに切るつもりだったんだ」
レンの表情を読み取ったようにシーゲルが言う。
「そこからはオレが説明しましょう」
後を引き取るようにギブラックが話し出す。
「前回お会いした後、こいつと一緒にすぐにハゲになるつもりだったんですが――」
彼の説明によると、レンとの会談を終えて帰ってきたところに、次々と訪問者がやって来たそうだ。付き合いのある犯罪ギルドの人間たちだった。
ギブラックのやらかしは、すでに裏社会に広まっていた。
貴族の女に手を出したのだ。部下が勝手にやったことですまされるはずもなく、ギブラックがレンに謝罪に行ったと聞いた者は、
「責任を取ってギブラックは殺されるだろうな」
と考えた。そしてその後のことも。
彼が殺されれば――そして一緒にシーゲルも殺されれば――王都の裏社会の勢力図は激変する。どこの犯罪ギルドも事件の行方に注目していたのだ。
ところがギブラックもシーゲルも、五体満足で帰ってきたというではないか。他の犯罪ギルドのボスや幹部が、慌てて彼の元を訪れたのはそういう理由だ。
「死ぬつもりで会いに行ったんだが、なんとか許してもらえてな。その代わり髪を切って謝罪することになった」
この世界では、反省のために頭を丸めるという風習がなく、話を聞かされた人間は一様に驚いた。
当然、どうしてそんなことになったんだ? と聞かれたが、ギブラックにもシーゲルにもよくわかっていない。元は異世界の風習なのだから、どこからその発想が出てきたのか誰にもわかるはずがない。
そしてわからないからこそ、この話は裏社会に広まり話題になった。
ギブラックやシーゲルのところには、真偽を確かめる訪問が相次いだ。最初は対応していた二人だったが、何度も同じ説明を繰り返すのが面倒になり、シーゲルは一計を案じた。
「いっそのこと髪を切る日時を決めて、それを知らせればいいんじゃないですか? 気になる奴は見に来いって」
「いいかもしれんな。コソコソ隠れてやるようなのは性に合わんし、派手にやってみるか」
とギブラックも賛成したので、二人は付き合いのある犯罪ギルドに、自分たちの方から事件の顛末を伝え、
「やらかした詫びを入れるため、二人揃って髪を切ってハゲになることにした。もしヒマだったら見に来てくれ」
と誘いをかけたところ、ほとんどの相手から「見に行くので日時が決まったら教えてくれ」と返答があった。
最終的にどうなるのか。本当に髪を切っただけで終わるのか。多くの人間が興味津々だった。
「――というわけで派手にやろうって話になったんだが、だったら兄弟にも来てもらった方いいかと思ってな」
これまでの経緯を話し終えたところで、シーゲルはレンにも参加を頼んできた。
「他の連中の目の前で、オレとボスの二人が兄弟に頭を下げて髪を切る。その方がはっきりするだろ?」
「そりゃまあ……」
元々、こんな話になったのは、シーゲルたちがレンに謝罪して責任を取ったというのを、はっきりと周囲に知らせるためだった。ならば彼の言う通り、多くの人の前でやった方が効果的かもしれない。
「みんなの前で髪を切るとか、断髪式みたいだな……」
ポツリとつぶやくレンの横で、マローネ司教が口を開く。
「もしオーバンス様が出るというなら、私も参加しましょうか?」
この発言に驚いたのは、レンよりもシーゲルたちの方だった。
「いや、わざわざ司教様に出ていただくようなものじゃ……」
「今の話でだいたいの事情はわかりましたが、謝罪して、二度とこのようなことを起こさないと誓いを立てるのですよね? でしたら教会の出番だと思いますが」
日常の小さなもめ事から、国と国との戦争まで。この世界では教会が間に入って、争いを仲裁するのはよくある話だった。そして最後は神の前で、双方とも遺恨を残さないと誓うのが定番だ。それが必ず守られるという保証はないが、当人同士の約束よりも、教会を入れた方が重みが増すのは確かである。
「そりゃ教会が間に入ってくれるっていうなら、オレ達としてもありがたい話ですが、司教様がわざわざそれをやって下さるんで?」
ギブラックが疑わしそうに聞く。
平民同士のもめ事なら、街の教会の司祭が仲裁に入るのが普通だ。司教のような大物が出てくるのは、貴族同士のもめ事などだ。
レンは貴族だが、もう一方の当事者は犯罪ギルドだ。そこへ司教が出てくるのは、やはり異例だろう。
「オーバンス様が関わっているのですから、私も協力させていただきます。何か問題がありますか?」
「問題なんてとんでもない! 司教様が来てくれるなら、こちらも箔がつくってもんです」
ギブラックの言葉は本音だった。隠さず派手にやるつもりだったところへ、司教のような大物を呼んでくれば、これ以上ない宣伝になる。反対する理由はなかった。
「というわけですがオーバンス様、いかがでしょうか?」
「いや、まあ……マローネさんがいいなら、僕もそれでいいですけど」
いつの間にかレン抜きで話が進んでしまい、イヤだと言い出しにくい空気になっていた。まあちょっと面倒だとは思うが、別にイヤというほどではないし、それで構わないが。
「ただ僕はすぐに領地へ帰らねばならないんで、あまり日程に余裕がありません。大丈夫ですか?」
「だったら明日でどうだ?」
「明日ですか!?」
シーゲルがいきなり明日を提案してきたので驚く。早い方がいいのは確かだが、急すぎだろう。
だが犯罪ギルドというのは基本的に即断即決だ。ボスがすぐやれと言えば、すぐに動く。そういう組織なのだ。
「兄弟や司教様が明日で大丈夫だっていうなら、すぐに準備しますが?」
レンやマローネも反対しなかったので、断髪式は急遽明日、行われることになった。
そして次の日。
ギブラックの屋敷には多くの人間が集まっていた。
犯罪ギルドのボスや幹部たちと、その護衛といった面々で、いずれも凶悪そうな面構えばかりだった。
そこへ教会の白い馬車が到着し、中からレンとマローネ司教が下りてくると、大きなどよめきが上がった。
強面ばかりが並ぶ様子に、レンはドン引きだったが、マローネはいつもと変わらず落ち着いていた。おかげでレンもどうにか平静さを装うことができた。
今日、ここへやって来た犯罪ギルドの人間は、レンに加えてマローネ司教もやって来ると聞いてはいた。だが多くの人間は半信半疑だった。教会とはそれなりに付き合いのある犯罪ギルドでも、司教クラスの人間には会うのも難しい。それをこうして屋敷まで呼んだのだから、犯罪ギルド・ダルカンの力を見せつけられた気分だった。
ちなみに彼らにとっても「明日やる」というのは寝耳に水だったが、そこは即断即決の犯罪ギルド、話を聞いたほとんどの者たちが出席していた。
断髪式は屋敷の庭で行われた。
レンの前にギブラックとシーゲルの二人がひざまずき、ラバンの不始末を謝罪して、深々と頭を下げる。
レンがそれを許すと答えると、マローネがそれを引き取って、
「神の前で謝罪はなされ、受け入れられました。これは神への誓いとなります。三人とも、そのことを忘れぬように」
と朗々とした声で告げる。
適当な思い付きで始まった断髪式なのに、マローネの声を聞いていると、なんだか歴史ある儀式のように思えてくるのが不思議だった。
そして次は、いよいよ髪を切ることになったのだが、
「じゃあまずは兄弟から。ズバッとやってくれ」
とシーゲルからハサミを渡される。
ギブラックとシーゲルの二人は、あぐらを組んで地面に座り込み、その二人の髪をレンはチョキンと一房ずつ切る。
次にマローネ司教にハサミを渡し、彼も同じように二人の髪を切る。
その次は来客に渡して、といったように一人一人少しずつハサミを入れていく。
本当に相撲の断髪式みたいになったなあ、とレンは少し感心しながらその様子を眺めていた。
引退する力士の断髪式も、招待客が少しずつハサミを入れていくので、それと全く同じだ――とレンは思っているが、実際は少し違う。大相撲の断髪式では、最後に師匠が力士の頭の大銀杏を切り落とすのだが、今回は招待客が全員ハサミを入れ終われば、後はプロの散髪屋がきれいに頭を剃る手はずになっている。レンは大相撲の断髪式をテレビでチラッと見たことがある程度だったので、詳しい手順などは知らなかった。
そしてこのやり方だが、発案者はレンではなくシーゲルである。
「どうせ集まってもらうんだったら、みんなに切ってもらうってのはどうですか?」
とシーゲルが言い出し、ギブラックも面白そうだと賛成した。レンも反対しなかったので、こういうことになった。
日本と異世界で同じような発想が出てきたわけだ。
こうして断髪式は大盛況のうちに終了し、レンとシーゲルたちのケジメもついた。
他の犯罪ギルドの面々には、今回の事件でレンと犯罪ギルド・ダルカンとの関係にヒビが入り、王都の裏社会の勢力図がまた大きく変わるのではないか、と予想した者も多かったのだが、二人が殺されなかったことで、関係にヒビが入るどころか、両者の関係の深さを印象づけることとなった。
そして断髪式である。
今回の断髪式は裏社会で大きな話題となった。後にそれを真似する犯罪ギルドも現れ、いつしか裏社会の風習として定着していった。
すなわち抗争などで敗北した側が、ボスや幹部たちの頭を丸め、教会の司祭を呼んで神の前で謝罪するというのが、裏社会の手打ちの儀式になったのだ。
犯罪ギルドの抗争では人が死ぬのも当たり前だが、相手を皆殺しにするような凄惨な抗争はまれだ。ほとんどの抗争は適当なところで手打ちになる。その際、決まり切った手順があるというのは、誰にとっても都合がよく、ちょうど断髪式がそこへ収まったのだ。
呼ばれる教会にとっても、都合の悪い話ではなかった。
今回のマローネにも、わざわざ来てもらった謝礼として、シーゲルは多額の寄付を教会へ行っている。これが前例になったので、断髪式に司祭を呼ぶ際は多額の寄付をするのが暗黙のルールとなった。
しかも大物を呼べば呼ぶほど箔がつくので、多額の寄付を約束して高位の司祭を――あるいは今回のように司教を――呼ぼうとする。教会には割のいい収入口となった。
レンは全く意図せず、日本の伝統文化の一つを――ゆがんだ形で――異世界に広めることになったのだ。