第264話 取り成し
「ミリアムの舞台、見に行ければいいんですが」
「さすがに謹慎中に見に行くことはできませんからね。ですが国王陛下も本気で怒ったわけではないでしょうし、案外、謹慎もすぐに解かれるのではありませんか?」
マローネ司教は、レンと国王の密約を知っているので、謹慎も見せかけだけのものだろうと思っていた。
「もしそうなったとしても、また別の問題があるんですよね」
レンは父親から、伯爵領へ戻ってくるよう命じられているのだと話す。
「向こうへ戻られたら、どうなるのですか?」
「わかりません」
父親と会ったら何を言われるのか、レンの方が教えてほしい。
伯爵に怒られるだけならまだいい。問題はその後だ。
「さっさと黒の大森林へ戻って、そこから出てくるな」
と追い出されればいいのだが、しばらくここでおとなしくしろ、と言われて実家で謹慎とかになったら最悪だ。
実家から出られなくなったら、その時は本当にゼルドたちに救出を頼むべきか。
だが逃げ出せても、その後どうするかという問題がある。この世界に来てから色々やってきたが、それは貴族の身分、領主の地位あってのことだ。もし完全に伯爵家との縁を絶ち切ったとしたら、周囲の人々やダークエルフたちは今まで通りに付き合ってくれるだろうか?
はっきり言ってレンは自信がない。貴族という肩書きをなくした途端、周囲のダークエルフや人間たちから、相手にされなくなる危険はある。
日本でも似たような話は聞いたことがあった。大企業の社員だった頃は周囲の人間がチヤホヤしてくれたのに、調子に乗って独立した途端、全く相手にしてくれなくなったとか。周囲は大企業の肩書きを見ていたのに、本人はそれを自分の実力と勘違いしてしまったというわけだ。
この世界だと、そういう手のひら返しとかは、もっと当たり前に起こるだろう。何しろ生きるだけで大変な世界だ。他人に同情している余裕なんてないし、いざとなれば人殺しもためらわない。
レンがそんな風に悲観的に思ってしまうのは、つい先日、ラカルド子爵の最期を見たからだ。彼も最期は部下に裏切られあっさり殺された。彼の場合は自業自得なので、ああなって当然とも思うが……
自分はダークエルフたちに恨まれているとは思わないが、無条件で助けてくれると思うほど楽天的にもなれなかった。
貴族の身分を失っても、これまで通り変わらずいてくれると断言できるのは、ガー太とカエデぐらいだろう。
まあガー太とカエデがいれば十分だ。もし本当にみんなに見捨てられたとしたら、ガー太とカエデと一緒に諸国漫遊の旅にでも出よう。異世界水戸黄門のように。
「オーバンス様は、やはり実家には戻りたくないのですね?」
「正直なところ、こちらにいる方が気楽でいいですね。気楽にやり過ぎた結果、こうなったわけですけど……」
実家とはいっても、今のレンにとっては他人の家だ。家族も赤の他人だ。そんなところへ帰りたいとは思わない。
前のレンは実家を勘当同然に追い出された問題児だった。そのせいで色々と苦労もしたが、もし前のレンが家族に愛される優等生だったとしたら、きっとレンはそんな人物に転生したことにもっと罪悪感を覚えていただろう。
嫌われ者だったからこそ、レン・オーバンスを演じて、周囲をだまし続けていることにあまり罪悪感を覚えないのだ。
「実家がお気に召さないのであれば、我々が協力できるかもしれません」
「我々というと教会がってことですか?」
「そうです。今のところレン様個人は別として、教会とオーバンス伯爵家の関係は深くありません。むしろ付き合いは最低限でしょう。ですがオーバンス伯爵が教会を嫌っているとも聞きません。もし労せず教会と関係を深められるというなら、伯爵様も賛成なさるでしょう」
実家と教会の関係については考えたこともなかった。このあたり、普通の貴族ならまずは相手と自分の家の関係を第一に考えるのだが、レンにはそういう部分が抜け落ちている。
ただこれまでの経験からして、貴族は基本的に全方位外交だ。可能な限り人脈を広げて味方を増やそうとしている。実家と教会がすでに敵対しているならともかく――あるいは敵対していても関係改善のため――教会との関係強化には、賛成こそすれ反対はしないだろう。
「教会からレン様を窓口として、関係強化を打診することもできます。そうすれば、すぐに王都に行けと言われるのではありませんか?」
「それはありがたいですけど……代わりに僕は何をすれば?」
「特に何も。今まで通り親しくお付き合いさせていただければ」
最初、レンは教会を避けようとしていた。ガー太がらみで色々と面倒なことになりそうだったからだ。
だが今はその心境もだいぶ変化している。
これは教会への印象が変わったのではなく、マローネ個人の影響が大きい。
穏やかで人当たりのいいマローネは、人付き合いが苦手なレンでも苦にならない相手だ。そして彼にはこれまで色々と助けてもらっている。前の世界でも友人のいなかったレンにとって、頼れる友人ってこんな感じなんだろうな、と思えるほどの相手だ。
前の世界の三十歳を合わせると、レンの方が二十代のマローネより年上で、年下の彼に頼ってばかりなのはどうかとも思うが、それはさておき。
たまに教会に力を貸してくれと頼まれるかもしれないが、それぐらいなら全然問題はない。
「でも僕はずっと王都にいるんじゃなくて、できれば自分の領地に帰りたいんですけどね」
「黒の大森林の方ですね? でしたらそちらと王都を定期的に往復するとか、他にも色々とやり方はあると思いますよ」
できればずっと自分の領地に引きこもっていたいが、それでも見知らぬ実家より王都の方がマシだろう。
この先どうなるかまだわからないが、とにかくマローネは力を貸してくれるというのだ。この先に光明が見えた気がした。
国王は困っていた。他でもないレンの処遇についてである。
先日の面会で彼はレンを怒鳴りつけ、謹慎を命じた。連絡もろくに寄越さず、不遜な態度を取ったレンが悪いとは思うが、自分も少し熱くなりすぎたと反省していた。
レンは不名誉となるのを承知で、こちらの頼みを二つ返事で引き受けてくれたのだ。そもそも事件の発端がレンにあるとしても、見事に事件を解決した功績には報いねばならない。
だが一度口に出した以上、国王の言葉は簡単にはくつがえせない。もし国王の命令がコロコロ変わってしまえば、家臣たちは何を信じていいのかわからなくなる。国王の言葉は重いのだ。
こういう時、普通なら仲のいい貴族が取りなしに現れるはずだ。
「彼も十分反省しているようです。どうかお怒りをお収め下さい」
と懇願されれば、渋々ながらといった感じで、国王はレンの謹慎を解いただろう。
だがあきれたことに誰もレンを助けようとはしない。それどころか貴族の間では悪口ばかりが飛び交っている。レンがドーゼル公爵の恨みを買っているのは知っていたが、まさか助けてくれる貴族が誰もいないとは思わなかった。
あいつの人間関係はどうなっているのだ? と心配になるほどである。
「陛下。よろしいでしょうか?」
悩む国王のところに、部下の一人がやって来た。
「なんだ?」
「ダグオール伯爵が、陛下に面会を求めているのですが」
そんな約束はなかったはずである。それにダグオール伯爵は王都ではなく自分の領地にいたはずだ。わざわざ王都まで出てきていったい何の用が――と考えたところで思い出す。
そういえば伯爵も今回の事件の当事者だったな。
レンの舞い手がラカルド子爵にさらわれそうになった時、もう一人別の舞い手見習いがいて事件に巻き込まれたはずだ。それがダグオール伯爵の娘だったはず。
だとすると……
しばらく考えてから国王が口を開く。
「よかろう。ダグオール伯爵と会おう」
「陛下には御機嫌うるわしく」
国王に向かって一礼するダグオール伯爵は、四十ぐらいの中年男性だった。中肉中背、これといった特徴のない男で、一見すると貴族というより、どこかの中堅の役人のように見える。
だがその風貌にだまされてはならない。国王は彼が中々のやり手であることを知っていた。
「久しいなダグオール伯爵。元気にしていたか?」
「おかげさまで。体はこの通り健康ですし、陛下の賢明なる治世のおかげで、我が領内も安定しております」
「では何の用があってここへ来た?」
「先日起こった、とある事件についてのことで」
やはりそうかと思った。
おそらくダグオール伯爵は教会の意向を受けて、ここへ来たのだろう。
今回の事件で教会はレンに協力していたが、表立ってレンの擁護はできない。そもそもラカルド子爵の処遇を巡り、教会が国王の権利に口出ししてきたため、ややこしいことになったのだ。ここで教会がレンの処遇に口を挟めば、またややこしいことになるだけである。
そこで教会は自分たちが動くのではなく、ダグオール伯爵に働きかけて、彼を動かしたのだ。
伯爵は自分の娘を教会に預けるなど、教会との関係を深めている。と同時に国王との関係もおろそかにしていない。国王と教会、二大勢力のどちらとも関係を深めつつ、上手くバランスを取っているのだ。そこが国王が彼を中々のやり手と見るゆえんである。
国王の推測は当たっていたが、完全な正解でもなかった。
ダグオール伯爵に教会からの働きかけがあり、それで彼が動いたのは事実である。
レンと一緒に戦った神聖騎士団は、なぜか彼のことを非常に高く評価するようになり、謹慎を命じられた彼を助けるべきだと騒ぎ始めたのだ。
彼らの意向を無視できない教会は、しかし自分たちが表立って動くわけにもいかず、ダグオール伯爵に動いてもらうことにしたのだ。
だが実はそんな働きかけがなくても、伯爵は自分から動くつもりだったのだ。彼はレンに強い興味を持っていたのだ。
きっかけはもちろん、娘のリネットを助けてもらったことだ。
正直、ダグオール伯爵は娘のリネットのことを、あまり大事に思ってはいなかった。親子の情がないとは言わないが、家の利益とどちらが大事かと問われれば、迷わず利益の方だと言い切れるぐらいの存在だった。
とはいえ助けてもらったことには感謝しているし、お礼の一つも言っておかねば、こちらが無礼者になってしまう。と思ってレンに会おうとしたのだが、相手はなかなか捕まらなかった。
レンの生家のオーバンス伯爵家と、ダグオール伯爵家は、家格でいえばほぼ同等だ。だがこちらは伯爵家の当主、向こうは伯爵家の三男。当主の方から会ってやると言っているのだから、普通なら喜び勇んでやって来るはずなのに、レンからの反応は全くなかった。
そうこうしているうちに事態が大きく動き、レンはラカルド子爵を倒してしまった。
ダグオール伯爵も、ラカルド子爵をそのままにしておくつもりはなかった。娘のためではなく、自分のメンツを守るために。きっちり落とし前をつけさせてやると考えていたのだが、その前にラカルド子爵はあっさり殺されてしまったのだ。
驚いた伯爵は、あらためてレンの事を調べさせた。
それで浮かび上がってきた人物像は、予想とはずいぶん違っていた。てっきり力だけが自慢の猪武者かと思っていたのだが、レンは巧みな立ち回りを見せ、国王と教会の両方に上手く取り入っていた。
これは簡単なことではない。他でもない伯爵自身が、国王と教会の両方に取り入ろうと苦労していたのだから。
どこまでが偶然で、どこまでが計算なのかわからないが、レンは国王陛下の知遇を得て、次期聖堂長が確実となったハガロン大司教とも関係を深めている。特にハガロン大司教の方は、彼のライバルだったガーダーン大司教の失脚にも一枚かんでいるようで、かなり深い関係のようだ。ハガロン大司教の腹心が、レンのところに頻繁に出入りしているという情報もあった。
これはただ者ではないかもしれんな――と俄然、レンへの興味が増したところへ、教会から使者が訪れたのだ。
「ダグオール伯爵の方から、国王陛下にレン・オーバンスの取りなしをお願いできないでしょうか」
使者が語った依頼は、伯爵にとって一石二鳥だった。
ここでレンを助けるために動けば、教会とレンの双方に恩を売れると考え、ダグオール伯爵は自ら王都までやって来たのだ。
伯爵はレンと国王は裏でつながっていると考えており、激怒したというのもお芝居だろうとおもっていた。しかし彼は慎重だった。もし本当に国王がレンに激怒していたら、ここで擁護するのはやぶ蛇となる。
というわけで国王の顔色をうかがいながら、彼は慎重に話を切り出す。国王が本当に激怒していたら、さっさと領地へ帰るつもりで。
「陛下にお願いしたいのは、レン・オーバンスの処遇についてです。今回、彼は陛下の命に背きました。これは許されないことですが、彼にも言い分があると思うのです」
国王は不快な顔を見せず、逆に「続きを話してみろ」というような様子を見せている。
大丈夫そうだと判断したダグオール伯爵は話を続けた。
一番悪いのは、最初に手を出したラカルド子爵であり、レンは被害者でもあること。貴族としての誇りを傷付けられたレンは、反撃に出なければならなかったこと。そして自分の娘を救ってもらった恩義もあるからと彼を擁護し、
「陛下のお怒りはごもっともですが、どうか寛大な処置をお願い致します」
最期に深々と頭を下げるダグオール伯爵。
「伯爵にそうまで言われてはな。レンのことを許すわけではないが、多少はあやつの事情も考慮してやるか」
どこかわざとらしい国王の口調に、伯爵は自分の推測が合っていたと確信した。
お礼を述べて、国王の前から退出した伯爵だったが、やるべき事はまだ終わっていない。というかこれからが本番だ。
教会とレンには、自分のおかげで彼の謹慎が解かれることになったのだ、と高く恩を売りつけねばならない。
一方、レンを嫌っている人々にも対処せねばならない。何をやったのか、まだ詳しくはわかっていないのだが、レンはドーゼル公爵やその一派からかなり敵視されているようだ。ここでレンを助けたとなれば、自分も公爵から憎まれかねない。
公爵たちに対しては、教会へ言うのとは逆に、
「娘のこともあり、ここで何もしなければ私の信義が問われてしまいます。それで一応、陛下にお目にかかって彼を擁護したのですが、どうやら陛下は最初から彼の謹慎を解くつもりだったようです。私の言葉が影響したわけではありません」
と自分の行動をできるだけ過小に話さねばならない。
面倒くさいが、そういうのはダグオール伯爵の得意技だった。
国王からの「謹慎を解く」という通知を、レンはうれしさ半分で受け取った。
謹慎が解けて自由に出歩けるようになるのはうれしいが、今度は望まぬ実家帰りが待っている。それでうれしさ半分だ。
屋敷を預かるドノバンは、謹慎が解けたと聞くと、すぐに実家へ戻るように言った。レンが嫌だと言っても、無理矢理馬車に押し込めそうな勢いだった。
このままだと本当に強制送還になりそうだったが、それを止めてくれたのがマローネ司教だ。
ドノバンにとってはいまだに信じがたいことだが、レンとマローネ司教が親しくしているのは事実のようだ。そんなマローネ司教から、
「領地へ戻られる前に、オーバンス様にはいくつかお願いしたいことがありまして」
と言われれば、ドノバンもそれ以上は押し切れず、マローネ司教の言う「お願い」を片付けてから、ということになった。
実のところ、教会関連でレンが自分でやるべきことはほとんどない。要望だけ伝えて、後はマローネ司教にお任せ状態だからだ。
屋敷まで迎えに来てもらった教会の馬車に乗ると、レンはマローネに頭を下げた。
「口添えしていただき、ありがとうございます」
マローネのおかげで何日か、帰るまでの時間を延ばすことができたのだ。
「いえいえ。謹慎が解かれて何よりです」
レンを乗せた馬車が向かったのはシャンティエ大聖堂でなく、王都郊外のダークエルフの集落だった。
謹慎が解かれたことを喜ぶゼルドに、レンは微妙な笑顔で応え、しばらく実家に帰らねばならないことを伝える。
「領主様がよろしければ、我々もご一緒したいと思うのですが」
「さすがにそれは難しいんじゃ……」
これまでレンがどこへ行くにしても、ゼルドたちシャドウズの隊員が護衛として同行していた。だが今度の行き先は貴族の家だ。ダークエルフを何人も連れて行くのは難しいだろう。
「ならば距離を取ってついていきます。向こうに到着した後は、現地に我々がいればそこへ、いなければ適当に野営します」
こともなげにゼルドは答える。魔獣の徘徊するこの世界では、たった一泊の野宿も命がけだが、彼らなら魔獣の一体や二体は平気だろう。現地でどうなるかわからないが、ゼルドたちが一緒だと心強いので、彼の言葉に甘えて同行してもらうことにした。
後はカエデだったが、
「しばらく出かけるけど一緒に行く?」
と聞いたところ、行くと即答だったので、カエデも連れて行くことにした。
カエデを連れていったら問題になりそうな気もするのだが、置いていっても何をするかわからないので心配だ。同じ心配するなら近くにいる方がいいと判断した。
カエデ一人ぐらいなら、一緒に実家へ連れて行っても大丈夫だろう。多分……。
ガー太ももちろん一緒だが、今から屋敷にガー太やダークエルフたちを連れ帰れば、またドノバンが大騒ぎするのは明らかなので、彼らにはこのまま集落で待機してもらって、王都を出てから合流することにした。
ちなみにドノバンは以前にガー太を目撃しており、
「以前見たガーガーのような鳥はどうなさったのですか?」
と興味津々の様子だったが、マローネ司教に預けていますとごまかしておいた。面倒なことは、だいたいマローネの名前を出せば何とかなる、というのをレンも学んでいた。
ダークエルフとの打ち合わせを終えたレンは、次の訪問先へ向かった。
この話で第四章終わり、のつもりで書き始めたんですが、いつものように見積もりが甘く終わりませんでした……。
多分、後2話ぐらいだと思います。
それとまた間が空いてしまってすみません。
正直に言うとそこまで忙しいわけではなかったんですが、細かい用事がちょこちょこ入って、気付いたら今日になってたみたいな感じで。
とにかく早く四章を終わらせるように頑張ります。