第263話 謹慎
オーバンス伯爵家の王都屋敷に連行――そう、まさに連行だ――されたレンは、そこでドノバン相手に、これまでの経緯を説明していた。
とはいえ全部正直に話すわけにもいかない。
自分が異世界から来た人間というのはもちろん話せないし、密輸関係の話もダメだ。エルフそっくりなイールのことも話せないので、南の隣国バドス王国へいった話もなし――振り返ってみたら話せることがほとんどなかった。というわけで、だいたい次のような説明になった。
田舎の領地でヒマを持て余していたレンは、気まぐれに旅に出た。その旅先で訪れた街で、魔獣によって街道がふさがれていることを聞いたレンは、現地の領主と協力し、魔獣の群れを退治した。
この時点で、我ながら無理のある説明だと思ったレンだったが、ドノバンは一応は信じたようだ。
以前のレンは、そういう無責任なことを平気でやる人間だったので、領主の仕事をほっぽり出してフラフラ遊びに出かけたりするのはありそうだし、腕に自信のある暴力的な人間だったので、魔獣退治に協力するというのもあり得る――ドノバンはそのように判断したのだ。
そこから先の説明は、だいたい本当のことだ。
魔獣退治の功績で、国王主催の式典に呼ばれたレンは、王都に来てふとしたきっかけでミリアムと出会い、彼女をパートナーにしてダンスパーティーに出席する。そこで国王に舞を披露するという話になり、ミリアムの舞台に協力する。舞台は大成功に終わったが、ラカルド子爵がミリアムを誘拐しようと教会を襲撃――以前、ドノバンに会ったのはこの時だ――ギリギリでミリアムを守ることはできたが、教会の人間に犠牲者が出てしまう。
ラカルド子爵を放置しておく訳にはいかないので、レンは彼を討つことを決意する。
事件に激怒していた教会の神聖騎士団の助力を得て、ラカルド子爵を討伐し、こうして王都に戻ってきたというわけだ。
国王との密約については、ちょっと迷ったが話さなかった。ドノバンを信用していいかどうかわからなかったからだ。勝手に行動して、こうして謹慎中というわけである。
全て聞き終わったドノバンは、はあっと大きくため息をついた。
王都に来るまでの話は、あまり疑わなかったドノバンだが、王都に来てからの話は大いに疑っていた。特に国王から親しげに声をかけられたとか、教会の司教と親しくしているとか、その部分は自分に都合よく、大げさに言っているのだろうと思っている。
昔のレンを知っているドノバンは、国王や司教にレンが気に入られるはずがない、と思い込んでいた。おそらくちょっと話しかけられただけなのに勘違いして、舞い上がっているのだろう。
できることなら「本当のことを言え!」と怒鳴りつけてやりたいところだが、それはやりすぎなので自重した。
レンとドノバンの関係は微妙だった。
ドノバンはレンを全く評価していないし、どうしようもないクズだと嫌っている。しかし彼は伯爵の息子だ。いくら勘当同然とはいえ、最低限の礼儀はわきまえねばならない。彼は王都屋敷を任される重臣だったが平民だ。やはり身分差というのは大きいのだ。
いずれにしろ、国王や教会を巻き込んだ大事件だ。これ以上は自分の手に余ると思ったドノバンは、至急オーバンス伯爵に連絡し、判断を委ねることにした。
「レン様には、一度伯爵様のところに戻っていただきます」
「それって家のある領地へ帰れってことですか?」
「そうです。すでに伯爵様からは、そのように書状を受け取っています。とにかく一度、レン様をこちらに戻せと」
オーバンス伯爵家の領地は、王都から見て南東、王国南部にある。黒の大森林は飛び地で本領からは距離がある。伯爵は王都に来ることもあるが、基本的には自分の領地にいる。当主が国の要職などに就けば王都に滞在し、領地の運営を部下に任すことになるが、今の伯爵は何の職にも就いていない。
ドノバンから報告を受けた伯爵は、事情聴取のためにとにかく一度戻ってこいと言っているのだ。
「本当ならすぐにでも向かっていただきたいところですが、陛下からは屋敷での謹慎を命じられております。その謹慎が解かれ次第、領地へお戻り下さい」
領地はレンの生まれ故郷なのだが、今のレンには見知らぬ土地だ。気が重いが、呼び出された以上、行かねばならないだろう。
夜。ベッドの上に寝転んでいたレンは眠れないでいた。
ここは屋敷の中に用意されたレンの部屋である。間取りは広々としているし、調度品も一流の物が揃っている。豪華さだけなら、今までいたダークエルフの集落よりも数段上だ。
しかし全く落ち着かない。部屋の外には見張りがいるし、これからのことを考えても不安だ。外と連絡がつかないのも困りものだった。
これまで自由にやってきたのに、いきなり囚われの身になってしまった。ただその責任の一端が自分にあることもわかっている。
派手な動きをしたら、実家の方に知られて問題になることはわかっていたのだ。しかしその問題の対処を先送りし続けた結果、こんなことになってしまった。レンは宿題とかをサボって、後で「もっと前からちゃんとやっておけば」と後悔するタイプだった。
ふと風を感じて窓の方を向くと、いつの間にか窓が開いていた。
確か閉めてたと思ったけど、と立ち上がろうとしたところで、
「うわっ」
とビクッと声が出た。
窓際に一人のダークエルフが立っていたのだ。今夜は月明かりがあるので、それが誰かはすぐにわかった。
「ゼルドさん、脅かさないで下さいよ……」
「申し訳ありません」
とシャドウズ隊長のゼルドが頭を下げる。
「どうやってここまで――」
と言いかけたレンだが、彼なら簡単なことだろうと納得する。
ゼルドたちシャドウズは、ガー太やカエデ相手に偵察、侵入といった訓練を繰り返してきたのだ。この屋敷に多少の警備があったとしても、忍び込むぐらい簡単だろう。
「領主様がお帰りにならなかったので、様子を見に参りました。勝手な行動をお許し下さい」
「いえ、助かりました」
ドアの方を気にしながら、小声で会話する。ドアの外には見張りがいるのだ。部屋は広いし、ドアもかなり分厚かったので、少し話したぐらいでは外まで聞こえないとは思うが。
レンは簡単に経緯を説明し、しばらく帰れないことを告げた。
「お話はよくわかりました。もし領主様がお望みでしたら、ここからお連れすることもできますが?」
ちょっと魅力的な提案だった。レンだってこんな所からはさっさとおさらばしたい。だがここで逃げ出しても事態が悪化するだけだろう。
「……今は大丈夫です。でも、もしもの時はお願いします」
具体的にどんな時がもしも何かはわからないが、とにかく頼んでおく。
うなずいたゼルドは、入ってきた時と同じように音も立てずに窓から出て行った。窓から外を見ても、すでに暗闇に溶け込んだ彼の姿は見えなかった。今見たのが幻覚だったのでは、と思えてくるほどだ。
状況が好転したわけではなかったが、外と連絡することができて気持ちはだいぶ楽になった。再びベッドに横になると、今度はすぐに眠ることができた。
そして翌朝。今度は別の訪問者が屋敷にやって来た。
最初に応対に出たのは下働きの男だったが、すぐに慌ててドノバンの所へ報告に来た。
「ドノバン様、お客様なのですが教会の司教様です!」
「司教様が?」
書類仕事をしていたドノバンが、慌てて席を立つ。
オーバンス伯爵家と教会の関係は薄かった。別に対立しているわけではないが、元々オーバンス伯爵家は武功で成り上がった家で、教会とあまり関わることがなかった。今の当主も教会と付き合いは重視していない。
王都の屋敷を預かるドノバンも、教会の祭事があれば寄付したりと、一応の付き合いはあったものの、やはり深く関わってはいない。顔見知りの司教は何人かいるが、これまで屋敷を訪ねてきた者はいない。それがいきなりの訪問とは大事件である。
応対に出たドノバンはさらに驚く。
「急な訪問で申し訳ありません。私はマローネと申します」
「ようこそおいで下さいました司教様。私は当屋敷を預かるドノバンと申します」
丁寧に頭を下げて挨拶しながら、ドノバンの頭はフル回転していた。
なぜマローネ司教がここに!?
白い司教服に身を包むのは、若くて端整な顔立ちの司教だった。面識のある司教は何人かいるが、彼とは会ったこともない。だがその名は知っている。次のシャンティエ大聖堂の聖堂長を確実視されるハガロン大司教の若き腹心、それがマローネ司教だ。そんな大物がなぜここに?
「レン・オーバンス様がこちらに戻られたと聞いて、挨拶がてらに参りました。取り次ぎをお願いできますか?」
「レン様にですか?」
思わず「何の用件で?」と聞きそうなったが、どうにかそれをこらえる。マローネ司教はもちろん、レンも一応は目上の存在だ。目上同士の用件に、下の者である自分があれこれ口を挟むのは失礼に当たる。
部下にマローネ司教を応接室に案内するように命じ、ドノバンはレンを呼びに向かった。
「失礼します」
ノックの返事も待たずにドアを開けると、レンは椅子に座って本を読んでいた。
やることがなくてヒマだったので、何か読める物がないかと本を持ってきてもらったのだ。ちなみに用意された本は歴史書だった。この屋敷には伯爵の書斎があって、数十冊の本があった。
本を貸してほしいと言われたドノバンは驚いた。今までレンがそんなことを言ったこともなければ、本を読んでいるのを見たこともなかったからだ。というかレンは満足に文字も読めなかったはずだ。
まさか本を盗んで売り飛ばすつもりか? と疑いながら手渡したのだが、実際にそれを読んでいるのを見てさらに驚いた。
「ドノバンさん、どうかしましたか?」
「あ、いえ申し訳ありません」
レンに聞かれて、ドノバンは何をしに来たのか思い出す。今は本のことなどどうでもいい。それより来客のマローネ司教だ。
「レン様にお客様です。シャンティエ大聖堂からマローネ司教様がお見えになっております」
来客を伝えながら、ドノバンはレンの反応を見極めようとしていた。てっきり驚くだろうと思ったのだが、レンは何事もなかったかのように、
「マローネさんが? わかりました」
と答えて、本を閉じて立ち上がる。
まるで近所の友達が遊びに来たと聞いたような反応に、ドノバンの方が驚いてしまう。さっきから驚きっぱなしだ。
「レン様、司教様とはどのような関係なのです?」
「あれ? 昨日話しませんでしたっけ? ガー太のこととかで知り合って、色々と助けてもらってるんですよ」
確かにそんな話も昨日聞いた。だがドノバンは話半分に聞き流していたのだ。ガーガーそっくりの鳥が原因で、教会の司教と知り合いになったとか聞いたが、どうせ大げさに言っているんだろうと本気にしなかったのだ。
しかし本物の司教が、それもマローネ司教ほどの大物が訊ねてきたということは、まさかあの話は本当だったのか?
気になるドノバンだったが、マローネ司教を待たせるわけにはいかないので、とにかくレンを応接室に連れて行く。
「ああ、マローネさんこんにちは」
「突然の訪問、失礼いたします」
レンとマローネが親しげに挨拶を交わすのを見て、レンの言っていたことは本当だったのか、とあらためて驚くドノバン。
このまま部屋に残って二人の会話を聞きたかったが、さすがにそれはできないので、ドノバンは一礼して応接室を出て行く。
そしてドアを閉めた途端、ドノバンはドアに耳を押し当てて中の会話を盗み聞きしようとする。普段の彼なら、どんなに気になってもそんなことはしない。相手がレンだから、どんな無礼を働くかわかったものではない、もし司教様に失礼があっては大変だ、と理由をつけての盗み聞きだ。
「陛下にお叱りを受けたとうかがいましたが?」
「ええまあ。それはよかったんですけど、まさかここで謹慎しろって場所まで指定されるとは思っていませんでした」
「それでこちらの屋敷に戻られたんですね」
納得しました、といった感じでマローネ司教がうなずく。彼はレンがずっとダークエルフの集落にいたことを知っているし、実家と色々問題があるのも察していた。それなのにどうして王都の屋敷に戻ったのか、不思議に思っていたのだ。
「まさか、わざわざそれを確かめるために?」
「それもありますが、他にもいくつか。まずはミリアムさんの次の舞台なんですが、日時が決まりました」
ミリアムの移籍の件は、レンと神聖騎士団の関係が改善したことで一気に話が進み、彼女は無事、教会所属の舞い手となっていた。教会の舞い手が民間に移ることはあっても、逆は前例がない。異例の民間から教会への移籍だった。
マローネが言うには、ミリアムが小さな子供だったのも、いい方へ影響したとのことだ。
「これが名前の売れた一流の舞い手だったとしたら、これまでしがらみやら何やらで、もっと話がこじれていたと思います。でも小さな子供ということで、反対の声はそれほど大きくなりませんでした」
声は大きくなかったと言うが、もちろん反対する者はいた。それを一人一人説得していったのがマローネだ。彼の働きがあってこそ、移籍は実現したのだ。
レンがラカルド子爵領へ向けて出陣する頃には、すでに次の舞台の練習を始めたと聞いていたが、残念ながらそちらを気にしている余裕がなかったので詳しくは知らなかった。どうやら練習は順調に進み、日取りが決まったようだ。
「五日後、シャンティエ大聖堂で上演です。同時にリネットさんも初舞台となります。舞うのは勝利の剣」
「どういう舞なんですか?」
レンは知らなかったが、勝利の剣はこれまたメジャーな舞である。話の流れも単純明快。
勇敢な戦士が、邪悪な異教徒を討ち滅ぼすべく出陣する。戦いの直前、戦士が神に祈りを捧げると、神はそれに応えて戦士の剣に祝福を与える。戦士は奇跡の剣を振るって異教徒たちを打ち倒し、神に感謝の祈りを捧げて終わる、というストーリーだ。
「なるほど……」
マローネの説明を聞いたレンは、ちょっと微妙な顔になった。
ラカルド子爵に襲われたミリアムとリネットの二人が、子爵が討伐された直後に、勝利の剣を舞う――誰だってそこに教会の政治的メッセージを読み取るだろう。
正直、そういう宣伝めいたことにミリアムは関わってほしくないのだが、舞い手として生きていくなら、そういう話に無縁でいるのも無理だろう。
「ミリアムさんは前の舞台の評判もありますし、すでにあちこちで話題になっていますよ」
ミリアムが誘惑のフィリアを舞った初舞台は、色々と話題を呼んだ。それに一役買ったのが、舞台を猛烈に批判したギブリー伯爵だった。意図したわけではないが、炎上商法みたいになったのだ。
いいのか悪いのか、実際はどっちなんだ? と多くの人の興味を引いたが、ミリアムはあれ以来、舞台に立っていない。しかも誘拐事件もあって、さらに話題になった。そこに今回の二回目の舞台である。
炎上商法に加えて品薄商法みたいになっている。
「ぜひ見たいという問い合わせが殺到して、教会もうれしい悲鳴を上げているようです」
「そうですか。色々と大変だと思いますが、よろしくお願いしますね」
レンとしては、これでミリアムが舞い手としてやっていけるなら満足だ。後のことはマローネ司教に任せておけば大丈夫だろう。
「オーバンス様は、それだけでよろしいのですか?」
「他に何か……ああ寄付のことですか? でしたら問題ありません」
民間の舞い手が大成するかどうかは、本人の実力もさることながら、後援者の資金力がものをいう。大きな舞台で主役になるためには、多額のお金が必要となる。だから舞い手は有力な後援者を捜し、彼らの愛人となるのだ。
教会の舞い手は民間の舞い手とは事情が違う。だが同じ部分もある。教会の祭事など、大きな舞台で舞を踊るのは、ほとんどが貴族や大商人といった良家の子女ばかりなのだ。彼らは自分の娘に箔をつけるため、娘を教会に預ける――寄付という名目の多額の資金と一緒に。
これは仕方のない部分もある。舞台にはお金がかかるのだ。寄付したお金は教会関係者の懐に入るが、決してそれだけではなく、舞い手の衣装代とかにも使われるのだ。
レンの見たところ、この世界の舞はショービジネスとしてまだまだ未成熟だ。
一番健全なのは、舞台のお客からの入場料だけで採算がとれることだが、残念ながら現状では無理なようだ。もっとお金を出せる観客が増えなければ――つまりもっと庶民が豊かにならなければ、そういうショービジネスは成立しないのだ。今はまだ、一部の金持ちがパトロンにならねばならない時代だった。
というわけで今回のミリアムの舞台にも、レンは多額の寄付を約束している。お金の出所は前回の舞台と同じでシーゲルだ。
「兄弟の舞い手の舞台なら、オレの舞台も同様だ。気にせずどんどん言ってくれ」
とシーゲルは二つ返事で請け負ってくれたが、向こうが本気でそう言っているのだとしてもレンの方が気にする。やはり犯罪ギルドからお金を出してもらうのはどうかと思う。
本当は自分で用意するつもりだったのだ。自分というか、正確にはダークエルフのお金だが。
彼らはレンが必要なだけの資金を用意すると言ってくれている。密輸や運送業などで、今のダークエルフたちは多額の利益を得ている。
舞台に必要な資金は、庶民ではとても出せるような金額ではないが、今のダークエルフなら簡単に出せる金額だ。
ただ王都近郊の集落には、必要最低限のお金しかなかった。この世界には銀行振込などはないから、お金が必要なら本拠地――黒の大森林の集落から、貨幣を運んでくるしかない。
すでに連絡は行っているはずだが、今回の舞台には間に合わなかった。次からはシーゲルに頼らずとも、こちらでお金を用意することができるだろう。
レンはこのように資金面のことを色々と気にしていたのだが、マローネ司教が「それだけでよろしいのですか?」と聞いたのは、お金に関することではない。
彼はレンに、
「まるで他人事のようにおっしゃっていますが、今回の舞台を利用しないのですか?」
と訊ねたつもりだった。
名の売れた舞い手は、貴族にとって武器になる。
現代日本でも、有名人を紹介できるとか、なかなか手に入らないプラチナチケットを入手できるツテがあったりすれば、それを色々と利用することができるだろう。
今回のミリアムの舞台は話題になっていて、それを見たいという人間は多い。そしてレンならば多少は席を融通できる。
「席を用意できますよ」
と持ちかければ、多くの貴族が興味を示すだろう。人脈を築くための大きな武器となるはずだ。普通の貴族なら、間違いなくそうやって舞い手や舞台を利用しようとするはずだ。
とはいえ今までの付き合いで、マローネもレンがそういうことに興味を示さないだろうとも思っていた。
そういう貴族もまれにいる。偏屈で人間嫌いの貴族が。
だがレンは別に偏屈でもないし、人間嫌いというわけでもなさそうだ。それなのにどうして人脈を築くのに消極的なのか、マローネもまだレンの性格をつかみ切れていない部分があった。