第260話 ラカルド子爵討伐(下)
ラカルド子爵軍の中に、ジレックという若者がいた。年は二十一歳。
彼はラカルド子爵の領内にある小さな村の住人だ。幼い時から体が大きく暴れん坊で、十五を過ぎる頃には大人達の身長も追い抜き、村の中で彼に勝てる者はいなくなった。
ジレックはすぐに暴力を振るうような男だったが、これは彼の性根が凶暴だったというより、有り余る若さと体力を持て余していた、というのが正しい。そんな彼が村の外の世界に憧れるのも当然だった。
そしてつい先日。
村に領主様からの使いが来た。
何やら悪い軍隊が攻めてくるので、兵士として村の若者を徴兵するとのことだ。しかも猶予はなし、今すぐだ。
村人たちは大いに困った。いきなり働き手の若い男たちを連れて行かれるのだから。そんな中、喜んだのがジレックだ。
彼にとって、これは待ちに待ったチャンスだった。ここで手柄を立てて出世するのだ。荒唐無稽な想像ではない。これまで何度か、近くの山で魔獣が出た際には、その駆除に出て魔獣を倒しているのだ。外の世界でもやれる自信を持っていた。
命令に従って領主の館に到着してみると、他の村から来た住民たちの他に、多数の傭兵団がいた。
手柄を立てて領主様の兵士に取り立てられるのもいいが、どこかの傭兵団に入るのもいいな、などと考えながらジレックは自信満々で戦場へと向かった。
戦闘開始直前になっても彼は緊張などしていなかった。手柄を立てることしか頭になかったのだが、そんな余裕も戦いが始まるまでだった。
正直なところ何が起きたのがよくわかっていない。馬に乗った敵が攻めてきたと思ったら、味方の軍勢が崩壊したのだ。彼は軍勢の後ろの方にいたので、前で何が起きているのかわからず、気がつけば味方は負けていた。
後はもう無茶苦茶だ。恐怖は伝染し、ジレックも逃げ出そうとしたのだが、混乱の中で誰かに突き倒され、踏みつけられて気を失った。
「うう……」
しばらくして意識を取り戻したジレックがゆっくりと体を起こす。あちこち痛いが、打ち身だけで骨は折れていないようだ。死んでいてもおかしくなかったのだから、これは運がよかった。
起き上がったジレックだったが、顔を上げたところでそれと目が合った。
目の前に人を乗せたガーガーが立っていた。
まだぼんやりしていた頭が急速に覚醒する――恐怖によって。
「ヒィッ!?」
悲鳴を上げたジレックはその場に平伏した。考える前に体が動いていた。
本能とでもいうべきだろうか、ジレックは一目で悟ったのだ。目の前のこの存在には勝てない、格が違うと。
ガーガーは神様の使いだ、大事にしなければならないとジレックも子供の頃から聞かされていた。だが彼はそんな教えを鼻で笑っていた。何回かガーガーを見つけたことがあったが、わざと大声を出して驚かせ、慌てて逃げ出すのを笑ったりしていた。
だがこの目の前のガーガーは違う。眼光だけで殺されると感じたジレックは、その場にひざまずいて震えることしかできなかった。
「神は慈悲深い。心から悔い改めるなら、きっとその罪をお許しになることでしょう」
朗々とした声に、ジレックはチラリと顔を上げてうかがう。
ガーガーに乗った男の隣に、もう一人馬に乗った若い男がいた。騎士ではない。鎧も身につけず、戦場には不似合いなゆったりとした白いローブを身につけている。
その男が周囲に呼びかける。
「降伏し、神に許しを請うのです」
男の声は周囲によく響いた。そしてひざまずくジレックを真似るように、他の兵士たちも武器を投げ捨て次々とその場にひざまずいた。
戦いはあっという間に終結した。
いつの間にか隣に来ていたマローネ司教が降伏を呼びかけると、生き残っていた敵のほとんどが、その場で武器を捨てて降伏してしまったのだ。
さすがはマローネさん、声や立ち姿に威厳があるなあとレンは感心する。
逃げようとした者もいたが、それらは神聖騎士団が追って、馬上から槍を突き立て次々と討ち取っていった。逃げられた者はほんの僅かだろう。
終わってみればレンたちの完勝だった。
敵軍の死者は二百近くになり、負傷者はそれ以上。
対する神聖騎士団側は軽傷者が数人出ただけで死者はゼロ。数倍の敵を相手にまさに完勝である。
後にこの戦いは周辺の土地の名前を取って、カイウの戦いと呼ばれ、史上まれな完全勝利の戦いとして語り継がれていくことになる。
「お見事でしたオーバンス殿。ガー太様はまさに無人の野を行くがごとしでしたな」
追撃を終えて戻ってきたゼルケインが笑いながら言う。
「この勢いのまま、一気にラカルド子爵を討ち取りましょう」
レンに異存はない。てっきりラカルド子爵もこの戦場に出てきていると思っていたのだが、捕虜の証言で彼は屋敷に残ったままだとわかった。だが子爵にこれ以上の兵力は残っていないはずだ。ゼルケインの言う通り、このまま一気に行くべきだろう。
問題は降伏した敵の扱いだ。特に傭兵たちをこのまま放っておくわけにはいかない。
そこでマローネは捕虜を二つに分けることを提案した。
「徴兵された領民たちの罪は問わず、この戦いが終われば故郷の村へ返すことを約束します。その代わり、降伏した傭兵たちを監視させるというのはどうでしょうか」
無罪放免を約束すれば、領民たちが裏切る心配もないだろう。しかも彼らの多くはガー太に神の威光を感じ、神罰が下ることを恐れているようだ。逆らう気力も残っていまい。
これなら大丈夫そうだということで、レンもゼルケインも同意した。
マローネが罪に問わないことを約束すると、領民たちは大いに喜び、率先して協力する様子を見せた。
彼らの中からマローネはジレックという若い男を選び出し、彼をまとめ役として、傭兵たちの監視を命じた。
喜ぶ領民たちとは対照的に傭兵たちの顔は暗い。
彼らは縄につながれ、神聖騎士団から下される処分を待つこととなったが、その未来は暗い。
降伏した傭兵は奴隷扱いだ。
どこかへ売り飛ばされ、戦場で捨て駒として使われたり、鉱山などに送られて重労働に就いたり――いずれにしろ暗い未来が待っている。
後のことは領民たちに任せ、神聖騎士団はラカルド子爵の屋敷目指して進軍を再開した。
「急報! 急報でございます!」
一人の兵士がラカルド子爵の屋敷に駆け込んできた。
ラカルド子爵の屋敷は、広さはそれなりだったが、建物は質素な作りだ。建物の周囲は高い石垣に囲まれているが、砦と呼べるほどの堅牢さもない。
屋敷に駆け込んできたのは、見張りとして傭兵たちに同行していた子爵配下の兵士だった。彼が帰ってきたということは、神聖騎士団との戦いに進展があったのだろう。
ラカルド子爵は慌てた様子で男を出迎えた。
「何があった!? 神聖騎士団は本当に来たのか!?」
「来ました!」
「それでどう――」
「お味方は大敗! 我が軍は壊滅です!」
ラカルド子爵の質問をさえぎるように兵士が叫ぶ。
「敵は少数だと聞いていたぞ。もしかして大軍だったのか?」
「いえ、おっしゃる通り少数でおそらく二百から三百ぐらいでした。しかし全員が騎兵で、しかも恐るべき強さでした。正面から待ち受ける我が軍に突撃し、これを一瞬で打ち破りました。鎧袖一触とはまさにあのこと」
「そ、それほどまでか……」
ラカルド子爵や、一緒に報告を聞いた彼の部下たちが顔色を失う。
神聖騎士団とはそれほどのものなのか、と彼らの顔色が物語っていた。
「子爵様、これからいったいどうすれば?」
という部下からの質問にも答えず、ラカルド子爵はふらふらとした足取りでどこかへ行こうとする。
「子爵様――」
「黙れ!」
呼び止めようとした部下を、ラカルド子爵が怒鳴りつける。
「しかし早急に次の手を考えませんと、敵はすぐにでもこちらへやって来ます」
「連中のことはお前たちに任せる。何とかしろ」
「はっ?」
と呆気にとられた部下たちを残し、ラカルド子爵は足早にその場を去った。
ラカルド子爵が向かったのは屋敷の離れだった。
そこの玄関の扉をドンドンと叩いてラカルド子爵が叫ぶ。
「開けろルメニア!」
離れの扉には小さなのぞき窓が付いていて、中から目だけを出して外を見ることができるようになっている。そののぞき窓が開き、若い女の声が返ってきた。
「領主様、慌てた様子でどうなさいました? そのように大きな声を出したら、他の子たちがおびえてしまいます」
この離れにはラカルド子爵の愛人たちが暮らしている。いわばラカルド子爵の後宮、ハーレムであった。
離れに自由に出入りできるのはラカルド子爵のみ。ドアも窓も施錠され、彼の許可なく勝手な出入りは禁止されている。訪問者があれば、まずはドアののぞき穴で確認するように、と命じたのも子爵本人だ。
離れにいるのは、いずれも子爵好みの十代前半ぐらいの女の子ばかり。例外が、今応対したルメニアという女性だった。
ルメニアも元はラカルド子爵の愛人として連れて来られた小さな女の子だった。
ラカルド子爵の趣味は徹底しており、十五、六あたりで興味をなくし、この後宮からは追放となる。追放といってもほっぽり出したりはせず、嫁ぎ先を見つけてやるので、ラカルド子爵は女性の趣味は悪いが面倒見はいい、などと一定の評価も得ていた。
ルメニアも成長して、どこか適当な男の元へ嫁がされるはずだったが、彼女は非常に気の利く女性だった。
子爵の意向をくみ取って、何か言われる前に率先して行動したり、他の女の子の面倒を見たりして、いつの間にか後宮のまとめ役になっていた。伯爵はそんな彼女を重宝して、性的な興味がなくなっても、管理者として後宮に残したのだ。
彼女の方も、後宮に残るのは願ったり叶ったりだった。彼女はここでの生活に満足していたのだ。
ルメニアは貧しい農家の出身で、小さい時はろくな食べ物もなく、いつも腹を空かしていた。両親から可愛がられた記憶もなく、あっさりラカルド子爵に売られた。
ここでの暮らしは、それまでと比べれば快適だった。ラカルド子爵の相手をするのは嫌だったが、飢えと寒さに苦しむことを考えれば安いものだ。基本、ニコニコ笑っていればラカルド子爵は上機嫌だし、おいしい食事にもありつけた。
誰かが泣いていたりするとラカルド子爵の機嫌が悪くなるので、彼女は他の子たちにも優しくして、笑っているように言い聞かせた。
そうやっている内に、他の女の子たちからは姉のように慕われるようになり、ラカルド子爵からはまとめ役として重宝されるようになり、こうして二十二歳になった今も後宮に残っている。
そんなルメニアは、いつもならラカルド子爵がやって来るとサッとドアを開けて出迎えるのだが、この時は対応が違った。
「あの領主様、お体の調子でも悪いんですか?」
ラカルド子爵の目は血走り、落ち着きなさそうに体を揺らしている。どう見てもまともな状態ではなかった。
「そんなことはいいからさっさと開けろ!」
「わ、わかりました。すぐにカギを開けます」
ドアのカギはラカルド子爵も持っていたが、自室に置いてきてしまったので開けられない。
すぐに開けると言ったルメニアだったが、開けるのはしばらく待った。なぜなら伯爵の後ろから、これまた思い詰めたような表情で、何人かの部下が走ってくるのが見えたからだ。
基本、離れから出ない他の女の子たちと違い、ルメニアは子爵に呼ばれて本宅まで行くことも多い。そうすると外の情報も入ってくる。
詳しくはわからないが、どうやらラカルド子爵に大きなトラブルがあったようで、ここしばらく屋敷の空気がピリピリしていたのだ。ここはカギを開けるのを待って、もう少し様子を見てみようと思った。
「子爵様、お待ち下さい!」
後を追って走ってきた部下が、ラカルド子爵に話しかける。
「どうか屋敷の方へお戻りを。これからの対応を検討せねば――」
「うるさい! お前たちに任せると言ったぞ。私はここで待っているから、お前たちで何とかしろ」
「子爵様――」
「黙れ!」
頭ごなしに怒鳴られ、部下の男は何かを決意したように大きく息を吐いた。
「わかりました。では何とかさせていただきます」
言うやいなや、男は腰の剣を抜いて、ラカルド子爵に斬りかかった。
男の行動を全く予想していなかったのだろう。よけようともせず、ラカルド子爵は肩からバッサリと斬られた。
「お前……ッ」
苦悶の表情で部下につかみかかろうとしたラカルド子爵だが、それもできずに地面に崩れ落ちた。
「ご命令通り何とかさせていただきましょう。あなたの命で」
倒れたラカルド子爵を見下ろし、冷たい声で言った男は、離れのドアへと呼びかける。
「ルメニア、見ていたな?」
「は、はい……」
震える声で答えるルメニア。
「子爵様は亡くなられた。そしてもうすぐここに新しいご主人様が来る。子爵様と同じような趣味をしているそうだ。愛想よく迎える準備をしておけ。わかったな?」
「はい。わかりました」
何が何だかわからないが、そう答えるしかないルメニアだった。
道中、何の妨害も受けることなく、レンと神聖騎士団はガムセムの街へと到着した。ここにラカルド子爵の屋敷がある。
どこがその屋敷なのかはすぐにわかった。街の中心から少し離れたところに建つ大きな屋敷がそれだろう。
神聖騎士団は屋敷を目指して街中へと入る。
住人の姿は見えないが視線は感じる。家の中に入って、こちらをじっと見ているのだろう。
屋敷の前まで行くと、門の前で数人の男たちが並んで立っていた。
彼らが手に持つ物を見て、レンが顔をしかめた。それは生首だった。
「お待ちしておりました神聖騎士団の皆様」
門の前まで来たところで、男たちの一人が声を上げ、深々と頭を下げた。
「何者か?」
「はい。ラカルド子爵にお仕えしていましたビルムと申します」
ゼルケインの馬上からの質問に、男――ビルムが答える。
「ではビルム。お前たちが持っているその首は?」
「はい。こちらがラカルド子爵様です。そして――」
生首は一つではなかった。ビルムの他にも生首を持った者がいる。
「こちらが奥方様。こちらの二つはラカルド子爵様のご子息です」
ラカルド子爵の首の他に、女性の首が一つと、若い男の首が二つ。ラカルド子爵には息子が二人いると聞いていたが、だとしたら子爵と跡継ぎの二人が死んだことになる。
「子爵様は、意図したことでないとはいえ、神に逆らった己の愚行を後悔し、死をもって償うとおっしゃって奥方と二人のご子息を手にかけると、最後に自害されました。罪は私本人にあるので、どうか領民には寛大な処置を、と言い残されて」
「なるほど話はわかった」
と答えたゼルケインが、レンの方に馬を寄せて聞いてくる。
「ラカルド子爵は死んだようですな。もっともあの男の言うように自害かどうかはあやしいですが」
「部下に殺されたってことですか?」
「そちらの可能性の方が高いと思いますが」
レンも同感だった。だがレンの狙いはあくまでラカルド子爵だ。別に自分の手で殺したいとは思っていなかったし、自殺だろうが、部下に殺されたのだろうが関係ない。彼の家族まで殺されたというのは後味が悪かったが。
「とにかくラカルド子爵は死にましたが、オーバンス様はどうなさいます?」
「どう、とは?」
なんともあっけない幕切れだったが、彼が死んだのなら戦いも終わりだろう。だがゼルケインはとんでもないことを言い出した。
「ラカルド子爵の首一つで納めますか? それとも家臣たちも皆殺しにして、街を焼き払いますか?」
「そんなことしませんよ。ラカルド子爵が死んだのならそこで終わりです。もしかして神聖騎士団はそこまでやるつもりなんですか?」
もしそうなら止めねばならないと思ったが、
「我々としてもそこまでやる必要はないと思っています。ただオーバンス殿がお望みでしたら――」
「ですから僕も望んでいません。ラカルド子爵は死んだ。それだけで十分です」
もしレンが街を焼き払えと言ったら、彼らはそれをやるというのだ。あらためてこの世界の人々の常識に驚かされる。
もちろんレンはそんなことを望んでいなかったし、レンがそれでいいならばと神聖騎士団も同意した。