第253話 救援
ミリアムとリネットの二人は必死で走って逃げたが、しょせんは子供の足、追ってくる男たちに追いつかれるのは時間の問題だった。
だが目の前の林まではあと少し。あの中に逃げ込めば、茂みなどに隠れて逃げ切れるかもしれない。
マローネのおかげで、少しの間だが追ってくる二人の足が止まったのも幸いした。彼が稼いでくれたその少しの時間のおかげで、彼女たちは追いつかれる前に林に逃げ込めるはずだった。しかし、
「あっ!?」
リネットが足をもつれさせ派手に転んだ。
倒れたリネットが絶望的な目で前を見る。林まであと少しなのに。
男たちはすぐ後ろに迫っている。今から立ち上がって逃げても、きっと追いつかれて捕まってしまう。
ミリアムだけが逃げられて、自分は逃げられない。ところが、そのミリアムがこちらへ引き返してきた。
「どうして!?」
驚きの声を上げるリネット。
貴族令嬢のリネットは、平民は貴族のために働いて当たり前と思っている。だがそれにも限度がある。部下でもないミリアムが、どうして命がけで自分を助けに来るのかわからなかった。
「わからない」
実はミリアムにもよくわかっていなかった。
もし倒れたのがマローネのような大人だったなら、ミリアムはそのまま走って逃げただろう。だが自分と同じ年ぐらいの女の子が、あんな目で助けを求めていた。それを見捨てることができなかったのだ。
「早く立って」
ミリアムが手を差し出す。
呆然としながらもリネットがその手をつかもうと手を伸ばす。だが二人の手がつながることはなかった。
ミリアムが殴り飛ばされたからだ。
「ミリアム!」
リネットが悲鳴のような声を上げる。
「このガキが! 手間かけさせやがって」
追いついてきた男の一人が、ミリアムの顔を思い切り殴りつけたのだ。小柄なミリアムの体は数メートルほど飛ばされ地面に倒れた。
「バカ野郎! ボスが傷を付けるなって言ってただろうが」
もう一人の男が、ミリアムを殴った男を怒鳴りつけた。
「いや、つい……」
「つい、じゃねえ。ボスに何か言われたら、お前が説明しろよ。オレは知らないからな」
その言葉に、ミリアムを殴った男の顔が青くなる。ラバンの恐ろしいのは昔からだったが、近頃は特に荒れて凶暴なのだ。
「それにしてもガキが二人ってのはどういうことだ?」
「さあ……とにかく両方連れて行けばいいんじゃねえか?」
「そうだな。お前はあっちのガキを連れてこい」
男の一人が、殴り倒したミリアムを起こしに行く。
もう一人の男がリネットを起こそうと手を伸ばしたが、リネットはその手を払いのけた。
「私にさわらないで!」
リネットは恐怖を押し殺して男をにらみつけるが、男は鼻で笑っただけだ。
「威勢がいいのはいいが、あんまり手間をかけさせるなよ。お前もああなりたくはないだろ?」
男があごでミリアムの方を指す。
もう一人の男が、ミリアムを強引に立ち上がらせていた。殴られた彼女の頬は赤く腫れ、鼻と口元からは血を流していた。それを見たりネットから反抗する気力が消え失せる。男の言う通りにするしかなかった。
「こっちに来い」
男二人に前後を挟まれ、ミリアムとリネットの二人がトボトボと歩いて行く。
「……ごめんなさい」
横を歩くミリアムに向かって、リネットがぽつりと謝った。平民に謝るなど生まれて初めてのことだった。
「平気です。リネットさんは大丈夫ですか?」
「私は平気よ」
転んだ時にひざをすりむいていたが、ミリアムの怪我に比べれば全然大したことはない。
「どうして私を置いて一人で逃げなかったの?」
「わかりません。けど、放っておけなくて」
「そう……でも、ありがとう」
小さな声でお礼を言うリネット。平民に謝るのも初めてなら、平民にありがとうとお礼を言うのも初めてのことだった。
「逃げたガキも捕まえたみてえだし、護衛の二人も死んだ。お前もいい加減あきらめて降伏したらどうだ?」
「ご冗談を」
ラバンの言葉に、マローネは軽く笑って答える。
「降伏したところで殺すのでしょう? それがわかっていて降伏するバカがいますか?」
マローネの白い司教服は赤く血に染まっていたが、そのほとんどが返り血だ。マローネは最初の一人と合わせ、すでに三人の敵を倒していた。
さすがに無傷とはいかず、マローネもあちこちに傷を負っていたがどれも軽傷。息も上がって来ているが、まだまだ動くこともできる。
しかし残りの敵は十人以上いる。勝機はほとんどないが、降伏したところで殺されるのはわかっている。最後まであがくつもりだ。
勝っているラバンの顔にも喜びはない。
襲撃は彼にとっても誤算の連続だった。
部下を引き連れて教会に到着した時、目に入ったのは高級そうな馬車だった。
レンがいる! と思い込んだラバンは、よく確かめもせずに教会を襲撃したのだ。
最初に馬車の御者と神父を殺したまではよかったが、その次に出てきたのはレンではなく教会の司教だった。ここで大きな手違いに気付いたが、もう止まることはできなかった。
神父と司教では重みが全く違う。ラバンもそれぐらいは知っていた。犯罪ギルドで例えれば、下っ端のチンピラと幹部ぐらい違うのだ。司教を襲った後で言い逃れは不可能。事件が表沙汰になれば、自分は確実に殺される。ここにいた連中を皆殺しにして、証拠を消すしかなかった。
こちらはレンがいた時に備えて三十人以上で来ている。相手は司教と護衛が二人。すぐに片付くと思ったら、この護衛が手強かった。
ラバンは神聖騎士の恐ろしさを知らなかったのだ。
何とか殺すことができたが、こちらも十人以上がやられた。
神聖騎士の二人は、狂信者の呼び名に恥じぬような戦いを繰り広げ、それだけの相手を道連れにしたのだ。
そうやって、どうにか護衛を倒したと思ったら、残った司教まで手強かった。こうして追い詰めはしたものの、すでに連れてきた半分近くが殺されている。明らかに割に合わない仕事だ。
ガキ一人をさらうだけの簡単な仕事が、どうしてこんなことになってしまったのか。
標的のガキは捕まえたようだが、ラバンが不機嫌になるのも当然だった。
「ボス、ガキを捕まえたんですが、なんでか二人いて……」
「二人?」
確かに部下は同じ年頃の二人の少女を連れていた。
ラバンはここにレンの舞い手がいるとしか聞いていない。その舞い手の顔も知らないし、そもそも舞い手は一人だけと聞いていた。
「おい、この二人の内、どっちがレンの舞い手だ?」
苛立ちもあらわに、ラバンがマローネに聞いた。
これでマローネにも彼らの狙いがわかった。
ミリアムだ。それも殺すのではなく誘拐が目的だろう。もし殺すつもりなら、すでに殺しているはずだ。そしてレンの舞い手という言い方からして、誘拐の目的は彼女自身ではなく、その背後にいるレンがらみか。
脅迫か、身代金か、それとも復讐か。とにかくミリアムをさらって、レンに何かするつもりだろう。
「二人ともオーバンス様が目にかけている舞い手見習いですよ」
本当のことを言ったら、レンと無関係のリネットはこの場で殺される可能性が高い。だからごまかしてみた。二人ともレンの関係者だと思われれば、とりあえず生き延びられる可能性が高くなる。
「二人ともだと? まあ一人でも二人でも同じか。違ってたら後で殺せばいいだけだからな」
ラバンはマローネの言葉を信じたわけではなさそうだったが、言葉通り、とりあえず二人ともさらっていくことにしたようだ。
二人がすぐに殺されることはなさそうだ、と判断したマローネは笑いながら言う。
「一つ忠告しておきますが、その二人に何かあればただではすみませんよ。激怒したオーバンス様が、あなたたちを地の果てまでも追いかけて殺すでしょうね」
「そりゃ無理だな。ここでお前を殺せば、このガキをさらったのがオレ達だと知る者はいなくなる。やれ!」
ラバンの部下たちが、剣を構えてにじり寄る。すでにマローネの腕前を知っている彼らは不用意に攻撃しないが、それも少しの間だけだ。数人がタイミングを合わせてマローネに斬りかかろうとして、
「クエーッ!」
突如響き渡った鳴き声に、この場にいた全員が動きを止めた。
マローネの全身が震える。
聞き間違えるはずもない。あのお声は――
「ボス、あれを!」
部下の一人が指さしたのは教会の方だ。そこに一羽の鳥が立っていた。
「ガーガー?」
「いや、あれ人が乗ってないか!?」
ガーガーが立っていた。それも人を乗せて立っているという異常事態に、男たちからざわめきが上がる。
そんな中、マローネの口から言葉が漏れた。
「神よ……」
現れたのはもちろんガー太に乗ったレンである。王都を出てこの教会まで急行してきたのだ。
教会の表には高級そうな馬車が止まっており、御者らしき人物が殺されていた。さらに神父が殺されているのも発見したレンは、慌ててミリアムがいるはずの離れへと向かった。
そこで目にしたのが、謎の男たちと戦うマローネの姿だった。
どうしてマローネがいるのかわからないが、状況から見て、彼は誘拐犯たちと遭遇し、ミリアムを守ろうと戦っているのだろう。
ガー太の一鳴きで男たちは戦いをやめ、こちらに注目していた。彼らの顔には、あれは誰だ? という疑問の表情が浮かんでいる。
そんな男たちの中にミリアムを見つける。残念ながらすでに捕まってしまっていたが、それでもギリギリ間に合ったことに安堵する。
彼女の隣にもう一人、見知らぬ女の子がいるのもいるのも気になったが、それより注目したのがミリアムの様子だ。ガー太に乗って強化されているレンの目は、ミリアムの様子をしっかりと捉えていた――彼女が顔に怪我をしていることも。
あんな小さな女の子に暴力を――レンの中で怒りが燃え上がり、それがガー太にも伝播する。
「ガー太!」
「クエー!」
レンとガー太が男たちに向かって突進した。
あいつボスか? とレンが目星を付けたのはラバンだった。この時、レンはラバンの顔を忘れていた。彼らの中でラバンがひときわ大柄で目立っていたため、とりあえずボスではないかと判断したのだが、それがたまたま当たった。
仰天したのは男たちだ。人を乗せたガーガーが突っ込んでくるという異常事態に、誰もがオロオロするばかりだ。
ラバンも驚いていたが、距離が近付いて相手の顔がわかるとさらに驚愕した。
「レン・オーバンスか!?」
他の男たちには目をくれず、ガー太はラバンに向かってまっすぐ突進する。
ラバンも慌てて迎え撃とうとしたが、それはあまりに遅すぎた。
彼が剣を構えるより早く、ガー太は走ってきた勢いのまま、矢のような跳び蹴りを放った。
驚愕に目を見開くラバンの顔面に、跳び蹴りが炸裂した。
「がッ!?」
悲鳴を上げてラバンの巨体が吹っ飛んだ。
手加減なしの一撃だった。巨大な魔獣を蹴り飛ばすほどの一撃を、人間が受けて無事にすむはずがない。
ラバンの体は数メートル飛んで地面に落ち、それから何回かバウンドしてからやっと止まった。彼の体はピクリとも動かず、首はおかしな方向へ曲がっている。彼がすでに生きていないのは明らかだ。
「ボス!?」
倒されたラバンを見て悲鳴を上げる男がいれば、
「てめえ!」
いきり立ってレンに斬りつけてきた者も数人いたが、全てガー太があっさり蹴り飛ばす。レンも少し落ち着いていたので、今度の蹴りは手加減していた。蹴られた男たちに死んだ者はない。運が悪くて骨が折れた程度だ。
「う、動くな! このガキがどうなってもいいのか!?」
男の一人が、ミリアムに剣を突きつけながら叫んだ。
彼はレンのことを知らず、ミリアムを人質にしたところで、それがレンに通用するかもわかっていなかった。混乱する中、とっさに行動してしまっただけだ。
しかしそれでレンの動きが止まる。
「よ、よし。動くなよ……」
引きつったような笑いを浮かべ、男はミリアムを抱えたまま、じりじりと後ろに下がろうとしたが、
「がッ!?」
悲鳴を上げて、男の動きが止まった。
彼がゆっくりと後ろを振り向くと、ダークエルフが一人立っていた。
ルーセントである。そして彼の持つ剣は男の背中に刺さっていた。
「て、てめえ……裏切る……」
崩れ落ちる男に向かって、ルーセントが冷たく言う。
「ああ裏切る。当然だろ? ボスは死んだし、戦って勝てるとも思えねえ。だったら裏切るさ」
そしてレンに向かってひざまずいて頭を下げる。
「大事なお嬢様はお助けしました。どうか命だけはお助け下さい」
棒読み口調でルーセントが言う。普通ならおかしいと気付く者たちも、この状況では彼の口調の不自然さに気付くことなく、レンの対応に注目した。
レンは彼が何を言っているのかわからなかった。命を助けるも何も、ルーセントが味方なのはわかっている。襲撃のことを教えてくれたのも彼だし、そんな命乞いなどしなくても――と思ったところで、彼がどうしてそんなことをしたのかわかった。
多分、レンと知り合いだというのを、この場にいる他の男たちに知られたくないのだ。別に知られてもいいような気がするのだが、彼が隠したいというなら、そうした方がいいだろうと思って対応する。
「いいだろう。どうせ下っ端のダークエルフ一人。命だけは助けてあげます」
こちらも少し棒読み口調だった。
「ガー」
ガー太も一緒に「よくやった」といった感じで鳴いてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
平伏したままのルーセントが、声を震わせてお礼を言う。
今度は棒読み口調ではない。他の者たちにも、レンの言葉に心底安堵しての返答と聞こえただろう。だが彼が言葉を震わせたのはレンの言葉ではなく、ガー太の一声が原因だった。
ガー太の鳴き声を聞いた途端、考える前に体が動いてしまったのだ。
乱入してきた時もそうだ。ガー太の走る姿、暴れ回る姿から目が離せなかった。
前に会った時もそうだった。ガー太の前に出ると自分が自分でなくなってしまう。いったいこれは何なのか。ますます自分の行動がわからなくなるルーセントだった。
ルーセントが助けられたのを見て、残っていた他の者たちも全員が剣を捨てて、その場にひざまずいた。
最初は三十人以上いた男たちも、神聖騎士やマローネとの戦いで半数近くを失い、レンとガー太によってさらに数を減らされた。五体満足なのはルーセントを除いてもう七人しか残っていない。ボスのラバンも殺され、もはや彼らに戦う気力は残っていなかった。
ダークエルフのルーセントが許されたのなら自分たちも――一縷の望みに彼らはすがるしかなかった。
そんな男たちの中には、神に謝罪の言葉を述べる者もいる。
ガーガーは神の使いとされる鳥だ。だが臆病で人間に近寄ることはない。それが人を乗せて自分たちに襲いかかってきたのだ。
教会を襲い、司教を殺そうとした自分たちに、神が神罰を下したのではないか――本気でそう恐れている者もいたのだ。
どうやらこれで一安心と思ったレンは、ガー太から下りてミリアムの状態を確認する。
「来るのが遅れてごめん。大丈夫だった?」
声をかけるとミリアムはレンを見上げ、その目に涙が浮かぶ。ギョッとしたレンがさらに何かを言う前に、ミリアムはレンに抱きついて声を上げて泣き始めた。
どうしていいかわからないレンは、オロオロしながら大丈夫だよ、と声をかけるぐらいしかできない。
すると近くで別の泣き声が上がった。
泣き出したミリアムを見てリネットも泣き出してしまったのだが、レンは彼女のことを全く知らない。
だからこの子はどこの誰なんだ!? とうろたえることしかできない。
事情を知っているであろうマローネに聞いてみようと思い、彼の方を見たレンはまたも驚いた。
マローネが血まみれで座り込んでいたからだ。
「マローネさん!?」
レンはミリアムを抱き上げ、マローネの元に駆け寄ろうとして――リネットのことも放っておけないので、一度戻って彼女も抱き上げ、泣いている二人を抱きかかえてマローネのところへ駆け寄った。
「マローネさん……?」
レンが恐る恐る声をかける。マローネが座り込んだまま全く動かないので、死んでいるのではないかと思ったのだ。
「これはオーバンス様。申し訳ありません。安心して少し気が抜けていたようです」
マローネが顔を上げて応えてくれたので、レンは安堵の息を吐いた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。だいぶ返り血を浴びましたが、私はかすり傷だけです」
今のマローネは自分の怪我など気にならなかった。
座り込んでいたのも、助かって安堵したというより、ガー太が自分を助けに来てくれたことに深く感動し、全身の力が抜けてしまったからだった。
いや、マローネにもわかっている。
ガー太がここに来たのはミリアムを助けるためだ。おそらくレンがどこかで誘拐の情報をつかみ、ここへ駆けつけたのだろう。
結果的にマローネも救うことになったが、それは結果的にそうなったというだけで、ガー太は彼を助けに来たわけではない。彼はついでにすぎない。
だが結果的に助けられた、というだけでマローネが感動するには十分だった。ついでだろうが何だろうが、ガー太が自分を助けてくれたという事実に変わりないのだから。
そんな彼のところにガー太がトコトコと近寄ってきた。
慌てて立ち上がろうとするマローネに対し、
「ガー」
とガー太は短く鳴いた。
それは「まあ今回はお前もがんばったみたいだし、少しぐらいほめてやる」といった感じの素っ気ない鳴き声で、それだけでガー太はすぐに歩み去ってしまった。
「ガー太もほめてくれ――マローネさん!?」
レンが驚きの声を上げる。
マローネが地面にひれ伏し、体を震わせていたからだ。
「いえ、何でもありません」
マローネが小さな声で答える。それが精一杯といった感じで。
いったいどういうことなのかわからないが、しばらくそっとしておいた方が良さそうだ、と思うレンだった。
次の話はすぐとか、またウソついてすみません。いえ、言い訳させてもらうと、あの時点ですでに半分以上書けてたんですけど、残りが中々書けなくて……とになく、また間が空いてしまってすみません。
後、前の感想でご指摘があったんですけど、舞団のドーソン団長の名前を派手に間違えてるというか、途中から名前がスパッと切り替わってるというか。
自分でも何でこんな間違いをするのかわからないんですけど、前にも似たような間違いをしたことがあったんですよね……
とにかく名前は修正しておきます。