第251話 再び教会へ
ドノバンは、今のオーバンス伯爵が若い頃から仕える部下で、伯爵の腹心の一人だ。伯爵の信頼も厚く、もう二十年近く王都屋敷の差配を任されている。
王都屋敷は伯爵が王都に来た時に滞在するための屋敷だが、それだけが役目ではない。
伯爵が領地にいる時は、王都で情報を収集し、それを領地へ伝えている。つまり情報収集の拠点でもある。
ドノバンも情報収集に抜かりはなく、レンが国王に呼ばれて式典に出席するという情報も、かなり早い段階でつかんでいた。
レンが魔獣の群れを倒した功績で表彰されると聞いた時は、驚いたものの、そういうこともあるかと納得した。
レンは昔、数ヶ月ほど王都の屋敷に滞在したことがあり、その時もドノバンが世話をしている。だがレンの振る舞いはとてもほめられたものではなかった。
父親の伯爵から王都で学問を学び、見分を広げよと命じられていたレンだったが、勉強するどころか遊び惚けていた。酒、女、賭け事にケンカ、犯罪ギルドの人間ともめ事を起こしたこともあり、ドノバンはその尻ぬぐい駆けずり回ることとなった。
レンは実家を勘当同然に追い出されているが、この王都での振る舞いが決定打となっていた。
はっきり言ってドノバンはレンのことを軽蔑していたし、勘当されたと聞いた時は胸がすくような思いだった。あんなバカ息子はさっさと追い出した方が伯爵家のためになる、とすら思っていた。
だがレンの人格と強さは別問題だ。彼は大柄で力も強く、ケンカも強かった。だから魔獣の群れを倒したと聞いても、それならあり得ると納得したのだ。
伯爵領への報告は、まずは本人に会ってからということで、ドノバンはレンの訪問を待った。王都に来るなら、当然屋敷に滞在すると思ったのだ。
しかしレンはいつまで待っても来なかった。それなのにレンに関する噂話は次々と伝わってくる。
ガーガーを捕まえて連れてきた。
そのガーガーが本物かどうかでシャンティエ大聖堂の神前会議に呼ばれた。
神前会議で大暴れし、そのせいでガーダーン大司教が失脚した。
それで教会からレンはにらまれることとなった。
いや、逆にハガロン大司教と良好な関係を保っている。
王城の式典にガーガーとダークエルフを連れて行った。
国王陛下の前で、レンの部下のダークエルフが近衛騎士をたたきのめした。
お気に入りの舞い手を、図々しくも国王陛下に売り込んだ。
その舞い手の舞台が大評判となっている。
等々、レンに関して信じられない話が次々飛び込んでくるので、もはやどれが本当で、どれがウソなのか確認も追いつかない。
本人に会って確認せねばと思っても、その本人の居所もつかめない。
屋敷には全然顔を出さないし、やっていることは派手なのに足取りが全くつかめないのだ。
ドノバンは伝手を頼ったり、謝礼を約束したりして、レンの居所をつかもうとした。そのかいあって、つい先ほど情報が入ってきたのだ。
「レン・オーバンスらしき人物が王城に現れ、近衛騎士団と一緒に、王城横の駐屯地に入っていったようだ」
との話を聞いたドノバンはすぐに屋敷を飛び出した。
次々と入ってくる真偽不明の情報、それでいて全くつかめない本人の動向。あせっていたドノバンは、ガセネタかどうかを考える前に駐屯地へと向かった。
近衛騎士団に来訪を告げ、レンが来ていないか確認するつもりだったのだが、その前に駐屯地から一台の馬車が出てきた。
とっさに馬車を止めたのは第六感というべきだろう。もしやと思ってみたら、本当にレンが馬車に乗っていたのだから。
やっとレンに会えたと喜ぶドノバンに対し、レンの方は対応に困っていた。
レンはドノバンのことなど何も知らないのだが、それは向こうが勝手に納得してくれた。
遊びほうけてばかりだったから、こちらの顔も覚えていないのだろうと。
過去のレンの行状の悪さにあきれるばかりだが、そのおかげで助かったといえる。
だがそんなことは序の口で、もっと根本的な問題がある。
これはまでレンは勘当同然の立場を利用して、ダークエルフや商人のマルコと組んで好き放題やって来た。
王都に来る時は、実家に知られるのではないかと危惧したが、危惧するだけで具体的な対策は後回しにしていた。それがついに現実の問題となって目の前に現れたのだ。
ドノバンはこちらのことを色々と聞きたがっているようだが、どういう風に相手をすべきだろうか?
いっそ無視して立ち去りたいとも思うが、ここで彼を無視しても、いずれ実家の方から連絡が来るのは確実だ。
実家、といっても今のレンにとっては他人の家だ。父親のオーバンス伯爵とも一度会ったことがあるが、それ以来、一度も会っていない。できることなら、このままずっと会わずに住ませたい。
「オーバンス様!」
考え込むレンに、新たに声をかけてくる者がいた。
見知らぬダークエルフが一人、声を上げて駆け寄ってきたのだ。
「なんだ貴様は!?」
怒声を放ったのはドノバンだ。
彼はレンのことを嫌っていたが、それでもオーバンス伯爵の息子である。そのレンに対し、汚れたダークエルフが声をかけるなど許せることではない。
「いいんですよ」
レンが手を上げてドノバンを止める。ダークエルフの顔に見覚えはなかったが、彼らが用もないのに声をかけてくるとは思えない。誰かの使いだろうと思ったのだ。
ドノバンは苦々しい顔で、わざとらしく大きなため息をついた。ダークエルフのことを、犯罪ギルドの関係者とでも思ったのだろう。まだこんな連中と付き合いがあるのですか? と言わんばかりの顔をしていたが、レンはそれを無視してダークエルフの話を聞く。
「失礼、しました。そこで偶然、お顔を、お見かけして」
必死に走ってきたのだろう。荒い息をしながらダークエルフが言う。
どうやら誰かの使いでここに来たとかではなく、偶然ここで会ったようだ。レンはこのダークエルフの顔を知らなかったが、向こうはレンの顔を知っていたのだろう。
「僕に何か用ですか?」
「はい。オーバンス様の舞い手のことなのですが」
「舞い手というとミリアムのことですか?」
「お名前は知りません。ただオーバンス様の舞い手を誘拐する計画があるらしくて」
レンの顔色が変わった。
「どういうことです?」
「犯罪ギルド・ダルカンのラバンという男を知っていますか? その男が誘拐を計画しているようなのです。それを知ったルーセントが、それをオーバンス様にお伝えするように、と」
ラバンのことは知っている。以前、犯罪ギルドの会合に呼ばれた際、彼とはちょっとしたトラブルを起こしている。巨漢で見るからに凶暴そうな男だったが、あの時のことを恨みに思い、ミリアムを誘拐しようというのだろうか。
ルーセントはそのラバンの下にいるダークエルフだ。犯罪ギルドの下っ端なのだが、実はかなり序列の高いダークエルフで、王都周辺でダークエルフの働き手を集めたりするのに協力してもらっている。
そのルーセントが誘拐のことを知り、レンに伝えようとしてくれたのだ。すでに郊外の集落へも連絡が行っているそうだ。ここで彼がレンを見つけたのは偶然だったが、そのおかげでいち早く情報を知ることができた。
「それで、その誘拐はいつ?」
「今日です。すでにラバンは舞い手のところへ向かっているかと」
「今日ですか!?」
仰天したレンが叫ぶ。
「ガー太!」
馬車の扉を蹴破ってガー太が飛び出してきた。
「レン様、その鳥はいったい!?」
「説明は後で!」
目を丸くしているドノバンにはそれだけ答え、レンはガー太にまたがった。情報を教えてくれたダークエルフには短くお礼を言って、すぐに走り出す。
時間はお昼過ぎ、多くの通行人で賑わう王都の道を、レンを乗せたガー太が駆け抜ける。
たちまち街中は大騒ぎとなった。
ぶつかりそうになって悲鳴を上げる人間が続出するが、ガー太はギリギリでかわし続けて誰にもぶつかったりしない。
スピードを落とさず、全力疾走だった。
この日の早朝、レンはミリアムと会っていた。それから集落に戻ったところでブレンダの訪問を受けたわけだが、この話し合いの席にはマローネ司教も同席していた。
話し合いが終わった後、マローネはシャンティエ大聖堂へと戻ったが、彼もまた予期せぬ人物の訪問を受けることとなった。
「突然の訪問をお詫びします。マローネ司教」
「いえいえ、お気になさらず。それで今日はどんなご用でしょうか? ヘレナ先生」
訪問客、ヘレナ先生と呼ばれたのは年配の女性だった。先生といっても学校の先生ではない。教会の舞い手の指導者の一人である。
「実は一つお願いがあって参りました。先日のシャンティエ大聖堂での舞台、私も拝見させていただきました。素晴らしい舞台でしたね。まさかあのような誘惑のフィリアを演じるとは思ってもみませんでした」
「ありがとうございます。そのお言葉、オーバンス様にもお伝えしておきます」
「頼みというのはその舞台のことなのです。あれを演じた舞い手、確かミリアムという少女だったと思いますが、一度、彼女に会わせていただけないでしょうか?」
やはりそれか、とマローネは思った。これまでマローネは教会の舞い手や、その指導者たちとの交流はほとんどなかった。
舞には全く興味がなかったからだ。舞の何がいいのかも全然理解できない。正直なところ、ミリアムの舞台を見て感動することもなかった。彼には音楽とか絵画とか、そういう文化面の素養が欠けていて、浅い知識しか持っていなかった。
ヘレナとも面識がなかったので、そんな彼女が突然やって来たとなると、ミリアム関連のことだろうと予想がついたのだ。
「ヘレナ先生がお会いになりたいのですか?」
「いえ。私ではなく別の人間です。もちろん機会があれば、私も一度会ってみたいと思いますが」
あの舞台以降、マローネのところには「ミリアムに会わせてほしい」という依頼が多く来ていた。
話題の舞い手に会いたいという者は多かった。依頼者本人が会いたいというのもあったが、どこかの貴族に頼まれて、というのが一番多かった。
そういう場合の答えはいつも一緒だった。
「私もあの舞い手がどこにいるか知らないのです。一応、次にオーバンス様に会った際に聞いてみますが」
ミリアムがどこにいるかは知っていたが、レンに断りもなく会わすわけにはいかないので、そのように答えていた。
レンにはそういう話があったと伝えてはいたが、会わせていいという答えは一度もなかったので、結局全て断ることになっていたが。
だがこれまでの話とは違い、ヘレナの頼みは簡単に断れない。
先ほどのレンやミリアムとの話し合いで、ミリアムを教会へ預けるという話が出たからだ。
前例のない民間の舞い手の受け入れとなれば、当然、教会関係者への根回しが必要となる。その中でも特に外せないのが舞い手の教師たちだ。
教会の舞い手を指導する教師は、全員が元教会の舞い手、つまり女性たちであり、教会の中でもある種の独立部門のようになっている。
例え聖堂長であっても、こと舞に関する限り、彼女たちの意向は無視できない。
教師たちのトップに立つのはベレイラ舞長という年配の女性だが、ヘレナも重鎮の一人で強い影響力を持っている。
ヘレナは誠実な人柄で知られており、彼女のことを尊敬する者は神父や司教にも多い。
ミリアムの受け入れについて、マローネはヘレナのところにも頼みに行くつもりだった。それが向こうから来てくれたのだ。彼女の頼みを無下に断ることはできない。
「舞い手に会いたいというのは、どなたでしょうか?」
「リネットという舞い手見習いです。私の生徒の一人です」
意外な答えだった。てっきりどこかの貴族が、ヘレナを通じて頼んできたのだと思ったのだが。
「なぜその舞い手見習いを会わせたいのですか?」
「彼女はダグオール伯爵家の令嬢なのですが、舞の才能があるということで、教会に預けられました」
教会の舞い手には二種類の人間がいる。
一つは教会が運営する孤児院出身の舞い手たち。孤児院出身の少女たちが、まともな職について収入を得るのは難しい。だから舞の才能を見込まれた少女たちは、生きていくために必死になって舞い手を目指す。
もう一つは貴族の少女が、教養の一つとして舞を習う場合。貴族の女性にとっては、舞もお稽古事の一つなのだ。教会に預ければ礼儀作法も身につくということで、花嫁修業として教会へやって来る者も多い。お稽古事の一つなのだから、本気で舞い手を目指す者はほとんどいない。教会も実家からの寄付などが期待できるので、彼女たちを大事なお客様として扱う。
同じ舞い手でも、前者と後者では立場も扱いも全然違うのだ。
伯爵家の令嬢と聞いて、さてはその令嬢のわがままかと思ったマローネだったが、
「勘違いしないでいただきたいのですが、何もリネットのわがままを聞いてほしいと頼んでいるわけではありません。私がリネットをあの舞い手に会わせたいと思っているのです」
「どういうことでしょうか?」
「私も長く教師をやっていますが、リネットの才能は本物です。あの子が本気になって舞に打ち込めば、きっと歴史に名を残すような舞い手になるはず。しかしあの子には大きな問題があるのです」
才能のある子供にはよくあることだが、自分の実力を過信することがある。
リネットもそうだったとヘレナは言う。
「同年代の見習いたちと比べても、リネットの才能は抜きん出ていました。そのため彼女は自分が一番だとおごり高ぶってしまい……。自信を持つのはよいことですが過信は禁物です。神童と呼ばれた子供が自分の才能を過信し、日々の鍛錬を怠り凡人となる。リネットもその罠に落ちかけていたのです」
これが孤児院出身の見習いであれば、ヘレナも彼女の思い上がりを正そうと厳しく指導しただろう。だが相手は貴族の令嬢、本人がやる気を出してそれを望まぬ限り、教師も厳しい指導などできない。
リネットをどう指導すればいいのか、ヘレナが頭を悩ませていたところに、ミリアムの舞台の話を耳にした。
同年代の少女が誘惑のフィリアを舞うという。それが何かの刺激になればと思って、興味ないと渋るリネットを連れて舞台を見に行った。
結果は予想以上だった。
正直、ヘレナは舞台の出来映えに期待していなかったのだが、斬新で素晴らしい誘惑のフィリアだった。そして世の中は広くて狭いとあらためて思わされた。なにしろリネットに比肩しうる天才が、こんなに近くにいたのだから。
リネットが受けた衝撃はそれ以上だっただろう。同年代では自分に並ぶ者などいないという思い上がりが、木っ端みじんに打ち砕かれたのだから。今の自分と舞台のミリアム、舞い手としてどちらが上かは明らかだった。
「衝撃を受けたのはいいのですが、それが強すぎたようで。舞台を見て以来、リネットは練習にも身が入らぬ有様。あの舞い手のことが気になって頭から離れないのでしょう。聞けばあの舞い手は姿を隠しているとか。何か事情があるとは思うのですが、将来有望な舞い手見習いのために、一度会わせてはいただけないでしょうか?」
「わかりました。そういうことでしたら、会えるように手配いたしましょう」
ミリアムに誰かを会わせるかどうかはレンが決めることだ。しかし会いたいというのが舞い手見習いの少女なら、これまでのレンの言動から考えて断ることはないだろう。しかもこの先のミリアムのことを考えれば、ヘレナに恩を売っておいて損はない。
だからマローネは会わせてもいいと独断で決めた。
「あの舞い手に会わせていただけるのですね?」
という声はヘレナではなかった。すぐ後ろの廊下の曲がり角から一人少女が現れる。
「リネット!? 盗み聞きなど伯爵家の令嬢がすることではありませんよ」
ヘレナが厳しい声でたしなめるが、現れた少女――リネットは悪びれた様子もなく、
「盗み聞きなどしておりませんわヘレナ先生。たまたま話し声が聞こえてしまっただけです」
この子がリネットですか、とマローネは少女を観察する。
年齢は十歳前後か。なるほどミリアムと同年代だ。長い金色の髪に、幼いながらも整った鼻筋は、近い将来、大輪の花を咲かせることを予感させられる。
「私は別になんとも思っていないのですが、ヘレナ先生が会え、会えとうるさくて。仕方ないので一度会って差し上げますわ」
マローネは笑いそうになるのをこらえた。このリネットという舞い手見習いの少女が、ミリアムに会いたがっているのはバレバレだ。顔を見ればわかる。しかし本人はそれを認めたくないのか、必死にごまかそうとしている。
「わかりました。ではすぐに手配を――」
「では行きましょうマローネ司教様」
「行くとは、もしかして今から会いに行くと?」
「はい。面倒なことは先にすませてしまいたいのです」
「ですが向こうにも都合がありますし」
「あら? 聞けばその舞い手は平民とか。そんな相手の都合など気にする必要はないでしょう?」
ごく当たり前のようにリネットが言う。
伯爵の令嬢として大事に育てられてきたリネットにしてみれば、平民の事情など考える必要ない、ということだろう。マローネもそれは同意する。平民の都合などこちらが斟酌する必要はない。彼が考えた都合というのはミリアムではなくレンの都合だ。
断られないとは思うが、事前にレンに確認しておくべきだろう、と思ったわけだが、まあいいだろうとあっさり考えを変える。
伯爵令嬢といっても幼い少女だ。今までの言動を見るに、レンは小さな女の子にかなり甘い。事後報告で大丈夫だろう。
「わかりました。それでは今から参りましょう」
こうしてマローネはリネットを連れ、再びミリアムのいる郊外の教会へ向かうことになった。
レンがブレンダを連れて必死の思いで王城へと向かっている頃、マローネとリネットは馬車でシャンティエ大聖堂を出発した。
また間が空いてしまってすみません。中々まとまった時間が取れず、そうなると書くのも進まずといった感じでして。コツコツと書いていけるようがんばります。