第249話 騎乗試合(上)
ギリギリセーフだった。
馬車が城門を駆け抜け、ブレンダの自室へ戻って来てすぐ、国王からの使いが部屋を訪れたのだ。
ブレンダの置手紙に気付いた国王が、念のため部屋に様子を見に行かせたのだ。
「ひ、姫様なら眠っておられますよ」
ちょっと棒読み口調でミゼリアが話す。
使いの者はベッドで眠るブレンダを見て、国王に報告するため帰っていった。
ふーっと大きく息を吐くミゼリア。
「どうにか間に合いましたね」
洋服ダンスの中から出てきたレンが言う。ここに彼がいるのを知られると、またややこしいことになりそうなので隠れたのだ。
これでどうにか無断外出はバレずにすみそうだ。御者も護衛の騎士たちも、事情を知る者は全員口をつぐむだろう。バレたら自分の命が危ないのだから黙っているしかない。
こうして今回の事件は無事(?)闇に葬られることになった。
ちなみにブレンダが寝ているのは泣き疲れてのことだ。
帰りの馬車の中、自分のやったことを全然気にしていなかったブレンダだが、そのせいでミゼリアがいなくなるかもしれないと聞くと、
「ミゼリアがいなくなるなんて、そんなのイヤです!」
とわんわん泣き出してしまったのだ。
わがままし放題のブレンダだが、ミゼリアが大好きなのは確かなようだ。これで少しは反省してくれればいいのだが……。
今回の事件の発端は、ブレンダが国王に会いに行ったことから始まる。部屋に国王は不在だったが、机の上には書類が置かれたままだった。何げなしにそれをパラパラめくった彼女だったが、その書類の中にレンに関する調査資料が含まれていたようなのだ。
「というか、陛下の部屋に勝手に入っていいんですか?」
「もちろんダメです。ですがブレンダ様は特別なので」
国王の部屋に自由に出入りを許されているのは、数人の側近とブレンダだけらしい。どこまでも孫娘には甘い国王のようだ。
とにかくその資料を読んでレンの居所を知ったブレンダは、自分で御者、護衛の騎士、メイドのミゼリアに出発を命じて、レンの集落までやって来たのだ。
まだ小さいのに素晴らしい理解力と行動力といえるだろう。問題は間違った方向にそれが発揮されていることだったが。
命じられたミゼリアもおかしいと思ったようだが、馬車も準備されているし、国王が命じたのだと思い込んで城を出てしまった。御者や護衛の騎士にしても同じだろう。おかしいとは思いながら、他の者が何も言わないのでそのまま行動してしまった。
「まさかブレンダ様がそこまでなさるとは思ってもみませんでした。これからはもっと気をつけるようにします」
ミゼリアも反省しきりだった。彼女も被害者の一人といえるが、ブレンダを止めるのが彼女の役目でもある。本当に気をつけて欲しい。
再発防止をお願いして、レンはさっさと帰ることにした。ブレンダが寝ている間がチャンスだ。起きたらまた何を言い出すかわかったものではない。
ガー太は馬車に残ったままだ。ここまで来たその馬車で、また集落まで送ってもらう手はずになっている。
申し訳ありませんでした、と深々と頭を下げるミゼリアに見送られ、部屋を出たレンは馬車へ戻ろうとしたのだが、
「これはこれは。レン・オーバンス殿ではありませんか」
廊下の先から歩いてきた男に挨拶された。
ガッシリした体格で鋭い目つきをした男だったが、レンには誰だかわからない。ただ男が身に着けている鎧には見覚えがあった。男は部下を連れていたが、全員が同じ鎧を着ていた。近衛騎士団の鎧だ。
「失礼しました。そういえばちゃんとしたご挨拶もしていませんでしたな。近衛騎士団副団長のゼナディスです」
言葉は丁寧だったが、視線には敵意がこもっている。
初対面の相手に憎まれる覚えはない、といいたいところだったが近衛騎士団には恨まれる心当たりがあった。
「レン・オーバンスです」
挨拶したレンは相手の敵意には気付かぬふりで、そのまま通り過ぎようとしたのだが、ゼナディスは逃がしてくれなかった。彼はレンの前をふさぐように立ち、部下たちもレンを囲む。
「せっかくお会いしたのも何かの縁。ちょうどいい機会だ。我々に少し稽古をつけてもらえませんか?」
「稽古だなんてそんな。僕は近衛騎士団に指導できるような人間じゃありませんから」
「ご謙遜を。そんなに時間は取らせないので、少し付き合ってもらいたい」
レンはどうにか断ろうとするが、ゼナティスは譲らない。
近衛騎士団とは、以前の式典でもめ事を起こしている。
国王に腕試しを命じられたカエデが、近衛騎士の一人をぶん投げているし、国王に命じられてガー太に乗ろうとした近衛騎士が蹴り飛ばされたりしている。
……今思い返しても自分は悪くない。文句があるなら国王に言ってほしいが、彼らにそんな主張は通じそうにない。
騎士団長のドーゼル公爵に恨まれているのは知っていたが、副団長や他の騎士にもこんなに恨まれていたのか、と気分が暗くなるレン。
しかしこれは彼の考えが甘かった。
王の盾を自認する近衛騎士団は高いプライドを持っている。レンはそれを粉々に打ち砕いてしまったのだから、恨まれるのが当たり前だった。
団長のドーゼル公爵はレンを激しく恨み、
「どんな手を使っても構わん。あの男に、我々に逆らったことを後悔させてやれ」
と副団長のゼナディスに強く命じていたが、それがなかったとしてもゼナディスはレンを狙っていただろう。
王の前での恥辱を、ゼナディスは忘れていなかった。近衛騎士がダークエルフに負けたなど許せるわけがない。
こんなところで会うとは思っていなかったが、ここで会ったが百年目、逃がすわけにはいかなかった。
ゼナティスと押し問答を続けるレンは、困った立場に追い込まれていた。
彼らに付いて行くなんてごめんだ。ろくな目には遭わないのはわかりきっている。しかし向こうも引き下がりそうにない。ここで言い争っていれば、騒ぎを聞きつけた国王が助け船を出してくれるかもしれない。だがそうなると今度は、なぜレンがここにいるのか説明しなくてはならない。
国王の孫娘の誘拐未遂事件がバレるのと、近衛騎士団について行くのと、どっちがマシかと考えたレンは、仕方なく彼らに付いて行くことにした。気分はヤクザに絡まれた一般人である。
向かった先は城外だった。王城に隣接するように近衛騎士団の駐屯地があり、彼らはそこへ向かった。ここは訓練場も兼ねている。
駐屯地へ入ろうとしたところで、ちょっとした騒ぎが起きた。
城の方から何かが走って来たのである。
「ガー太!」
レンが喜びの声を上げる。またもやピンチになったのを察してか、ガー太が助けに来てくれたのだ。もしかしたらせまい馬車の中が嫌で飛び出してきただけかもしれないが、とにかくこれで一安心である。
さっきまで不安でしかたなかったが、ガー太にふれた途端に心は落ち着いた。これでもう大丈夫、いざとなったらガー太に乗って逃げ出すこともできる。
突然のガー太の登場に駐屯地はちょっとした騒ぎになった。ゼナディスも驚いたが、すぐに何かを思いついたようで、レンに向かって言ってきた。
「これはちょうどいい。聞けばオーバンス殿はその鳥に乗って魔獣の群れを倒したとか。ぜひ騎乗での戦いを我らにご指南願えないだろうか。こちらも馬に乗っての一対一の試合形式でお願いしたい」
「ガー太に乗っての試合ですか? それならいいですけど」
レンにとっては願ってもない話だ。自分一人で一対一の試合なら断固拒否だ。剣とか槍で近衛騎士相手に勝てる気がしない。しかしガー太に乗ってなら、逆に負ける気がしない。試合したいというなら、やってあげてもよかった。
一方、副団長のゼナディスもこれを好機と捉えていた。
相手がどこかの平民ならともかく、レン・オーバンスも立派な貴族だ。練習試合という名目なら多少のケガは許容範囲だろうが、やり過ぎれば責任問題になる。
しかし騎乗試合なら話が違ってくる。騎乗戦闘は生身の戦いよりも危険だ。落馬しての大ケガも珍しくない。レンが大ケガしても言い訳が立つのだ。
ゼナディスは騎乗戦闘に絶対の自信を持っていた。
この世界には馬も騎士もいるが、彼らの騎乗戦闘技術や騎兵戦術はまだまだ未発達だった。騎兵は人間相手の戦闘では大きな力を発揮するが、魔獣相手の戦いでは使えない。馬が魔獣におびえてしまうからだ。
つまり使える場面が限られてしまうのだ。
騎兵を育成し、維持していくには多額の資金が必要だが、魔獣との戦いに使えない騎兵を維持できるだけの余裕を持つ者は少ない。そのため騎兵は主戦力とはならず、まだまだ未発達な部分が多かったのである。
グラウデン王国の騎士団といえば、王家直属の近衛騎士団と、ドルカ教会の神聖騎士団の二つが筆頭だ。後は有力な貴族が有する騎士団がいくつかあるが、どれも前の二つに比べると規模も練度も数段落ちる。
レンの生家のオーバンス伯爵家も、当主やその近習は馬に乗るが、騎士団と呼べるような集団は持っていない。
ゼナディスは式典の際、レンがガー太に乗るのを見ている。鞍もなしに見事な騎乗だと感心したが、ただ乗るのと乗って戦うのとでは全然違う。そして騎士団がいないのだから、満足な騎乗戦闘の訓練などできるはずもない。
一方、近衛騎士団では騎士同士の騎乗戦闘の訓練もしっかりと行っている。
ゼナディスが勝利を確信したのは、そういう理由からだった。
「試合のルールとかマナーとか、僕は何も知らないんですけど……」
「問題ありません。近衛騎士団の試合ルールを、いきなり守れといっても無理でしょう。そもそも乗っているのも馬ではなく鳥ですからな。自由に戦ってもらって結構」
こちらも好きにやらせてもらうので――とこれは口に出さず、心の中でゼナディスが笑う。
レンはその言葉を聞いて安心した。細かいルールとかがあれば面倒だったが、何でもありなら望むところだ。好き勝手やらせてもらおう。
広い訓練場に出てきたレンは、ガー太に乗って試合相手の騎士と向かい合う。十分に加速できるよう、互いの距離はかなり離れている。
周囲には近衛騎士たちが試合見物に集まっていたが、友好的な視線はほとんどない。
対戦相手の騎士は重武装だった。金属製の全身鎧を着込み、大型の馬上槍を構えている。馬上槍は練習用の木の槍だったが、あれが当たれば無事ではすまないだろう。
対照的にレンは軽装だった。鎧は身につけず、選んだ武器も小型の槍だ。
本当はいつものように弓を使いたかったが、それだと手加減が難しい。鎧の隙間から相手の急所を狙うこともできるが、それだと相手に大ケガをさせる危険がある。馬を狙って射るという手もあるが、それだと馬を傷つけてしまう。
そこで用意された武器の中から、扱いやすそうな小型の槍を選んだ。
近衛騎士団の騎乗試合には二つの形式がある。
一つは駆け試合。
ある程度の距離を置いてから開始し、両者は相手に向かって走る。そしてすれ違いざまに攻撃し、相手を落馬させれば勝ちとなる。どちらも落ちなければ、そのまま走り抜け、ある程度の距離を置いてから再スタート。決着までそれを繰り返す。
もう一つは自由試合。
近距離で立ち、互いの武器を打ち合わせて試合開始となる。これも相手を落とせば勝ちで、自由試合なので細かいルールはない。ただし馬への攻撃は禁じ手だ。
馬を狙ってはいけないのは駆け試合も同じだ。これは貴重な軍馬を傷つけないためのルールである。
もしレンが弓で馬を狙うような戦法をとっていたら、さらに一悶着起こっていただろう。
今回の試合は駆け試合となったが、これはゼナディスの指示だった。
騎兵の突撃はものすごい迫力だ。初見だとその迫力に圧倒され、まずまともな対応はできない。レンは騎兵の突撃を見たことはないだろうと考えたゼナディスは、ビビったところを一撃で叩き落してやれ! と試合に出る部下にハッパをかけていた。
「双方構えて!」
審判役の騎士が声を上げた。
相手の騎士が槍を構えるが、レンは特に構えたりしない。槍を持った右手はだらりと下げている。
「始め!」
騎士は試合開始の合図と同時にレンに向かって突進した。ゼナティスに言われた通り、一撃でたたき落としてやるつもりだった。
だが迎え撃つレンは冷静だった。
ゼナディスがにらんだ通り、レンは騎兵の突撃を見たことなどない。だがレンは騎兵よりも巨大な魔獣と戦ったことがあるのだ。自分一人ならともかく、ガー太に乗った状態で騎兵を恐れたりしない。
試合前、レンは騎兵相手にどう戦うか考えたのだが、出した答えはいつもと同じ。すなわちガー太に任せる、である。
レンはそれを実践した。向かってくる相手に槍を投げつける。
相手の騎士はあせらず反応し、飛んできた槍を自分の槍で跳ね飛ばす。フルフェイスの兜に隠れて顔は見えなかったが、騎士は軽く笑っていた。
騎兵の突進を受けた者がパニックになって、武器を投げてくるのはよくあることなのだ。しょせんは素人、一撃で決めてやる――と勝利を確信した騎士の視界が、黒い影におおわれた。
なんだこれは!? と思う間もなく、胸のあたりに強烈な衝撃を受けた。
「がはっ!」
悲鳴を上げた騎士が、手綱を離して落馬する。地面に叩き付けられ気を失うまで、騎士は自分に何が起こったのかわからなかった。
周囲からどよめきが上がる。やられた本人はわからなくても、周りで見ていた騎士たちには何が起こったか見えていた。
レンが武器を投げつけ、それを相手が打ち払ったところに、ガー太が飛び蹴りを喰らわせたのだ。
バカな。ガーガーが空を飛ぶだと!? いやガーガーも鳥だし、あれぐらいは飛ぶのか? いやいや、そんなことはどうでもいい――ゼナディスは自分が混乱していることに気付き、心を鎮めるために大きく深呼吸する。
まさかあのような不意打ちを仕掛けてくるとは。だがわかっていればやりようはある。
「次、前へ出ろ!」
「え?」
ゼナディスの声にレンは驚く。てっきり今ので終わりだと思ったのだが、すでに次の騎士が出てきている。
どうせこちらの言い分など聞いてくれないだろうし、仕方ないとあきらめ、レンは投げた槍を拾って開始位置へと戻った。
週一回の更新を目指すと言いつつ、間隔が不規則になってしまってすみません。
ちょっと時間の余裕ができたので、この週末は更新がんばろうと思います。