第248話 招かれざる客
ミリアムのいる教会を出たレンは、ガー太に乗ってダークエルフの集落に戻った。
教会には朝早くに集まっていたので、集落に戻ったのはまだお昼前だった。そして彼が戻ってきたのとほぼ同じタイミングで、一台の馬車が集落にやって来た。
ここにはダークエルフの馬車が引っ切りなしにやって来るし、この頃はマローネを乗せた教会の馬車もやって来る。
しかし今日やってきたその馬車は、それらの馬車とは全然違っていた。
六頭立ての大きな馬車で、車体には豪華な装飾が施されている。一目で貴族のものだとわかる立派な馬車だ。しかも馬に乗った騎士が二名、護衛に付いている。
誰だろう? とレンは思った。
ここに来るからにはレンに会いに来たに違いない。だが彼がここにいることを知っている人間は限られているし、しかもここはダークエルフの集落だ。こんな立派な馬車の持ち主なら、ここには来ずにレンを呼び出すはず。
連絡を受けて屋敷から出てきたレンの前に、その立派な馬車が停車する。
護衛の騎士の一人が、レンに向かって訊ねる。
「馬上から失礼します。貴殿がオーバンス様ですか?」
「そうですけど、そちらは?」
聞き返したレンの質問には答えず、護衛の一人が馬から下りて馬車の扉を開ける。中から下りてきたのは小さな女の子だった。
「ブレンダ様!?」
見覚えのあるその子は、国王の孫娘のブレンダだった。しばらく前に式典のために王城に行った際、ガー太をとても気に入ってくっついていた女の子だ。
「ブレンダ様、お待ち下さい!」
続いて中から出てきたのは若いメイドだ。十代前半のこちらの顔にも見覚えがあるが、名前はなんといったか。
「お兄さん! ガー太はどこですか!?」
開口一番、ブレンダはいきなりそんなことを言ってきた。
「ブレンダ様、ご挨拶もなしに失礼ですよ」
メイドの少女がブレンダに注意するが、された方は聞いてもいない。期待に目を輝かせてレンを見ている。
「ブレンダ様、まさかガー太に会いにわざわざここまで?」
念のために確認すると、ブレンダは元気よくうん! とうなずいた。
「だってお兄さんがぜんぜん来てくれないから、ブレンダが会いに来ました」
「大丈夫でしたか?」
ここは王都郊外で治安はいい。だが魔獣が現れる危険はある。護衛の騎士が二名いるとはいえ、小さな女の子が来るには危険な場所だ。
「大丈夫です。ミゼリアもいっしょです」
自信満々にブレンダが答える。それでレンも思い出した。メイドの少女がミゼリアだ。
しかしそのメイドの少女がいざというときに頼りになるのだろうか? とミゼリアの方を見ると、彼女は不安そうな顔で周囲を見回している。
周りにいるのはダークエルフばかりなので、不安で仕方ないのだろう。彼らのことを知っているレンは、ここが下手な人間の街よりも安全だとわかっているが、彼女にはわからない。彼女にとってダークエルフは汚らわしく恐ろしい存在に違いない。
彼女にここは安全だと教えてあげたいが、レンが何を言ったところで無駄だろう。ミゼリアにとってはそれが常識なのだから、簡単には変えられない。
「それにしても、よく陛下がお許しになりましたね?」
とこれはミゼリアに聞く。
ブレンダがガー太に会いに行きたいと言い出すのはわかる。しかしそれを聞いた国王が、外出を許可したというのが意外だった。いくら護衛をつけたとはいえ、かわいい孫娘を王都の外へ送り出すとは。
「それはブレンダ様が――」
「おじいさまにはお手紙をわたしてきました」
ミゼリアが何か答えようとしたが、その前にブレンダが答える。
「手紙ですか?」
かわいい孫からの手紙というのは、なるほど効果的かもしれない――などと納得しかけたレンだったが、
「はい。おじいさまの机に、ちゃんとお手紙をおいてきました。ガー太に会いに行ってきますって」
……は?
いや、まさかそんなわけないだろうと思いつつ、レンはブレンダに訊ねる。
「あのブレンダ様。お手紙だけじゃなく、ちゃんとおじいさまとお話はしたんですよね? ここに行きたいって言って、おじいさまは許してくれたんですよね?」
「ううん。ガータのところに行ってきますって、お手紙をおいてきただけです」
ブレンダは首を横に振って、なんでもないことのように答える。
顔から血の気が引いたのはレンだ。慌ててミゼリアを見ると、彼女も真っ青な顔になっている。つまり彼女も事情を知らなかったのだ。当然だ。知っていたら絶対に止める。無許可で城を抜け出すなど、許されることではない。
つまり周囲の人間がみんな勘違いしていたのだ――ブレンダが郊外へ行くのを国王が許可したと。
ブレンダは国王に外出を伝えたと言っている。そして普段から国王が彼女に甘いことはみんな知っている。だったらそんなこともあるだろうと思ってしまった。
誰かがちょっと確認していれば防げた事態だった。しかし誰もがおかしいとは思いながら見過ごしてしまい、彼女はここにいる。
「すぐに城へ戻りましょう!」
叫ぶようなレンの言葉に、ミゼリアがこくこくと頷く。
現状は誘拐である。ブレンダが望んだから、なんて言い訳は通らない。彼女を止めるべきだったのを見逃し、城外へ連れ出しただけで重罪だ。
こうなれば、とにかく一刻も早く城へ戻るしかない。国王がブレンダの置き手紙を読む前に帰れたら何とかなる――かもしれない。
だが当のブレンダが嫌がった。
「イヤです! ガータと遊びます」
これが普通の子供なら、泣こうがわめこうが無理矢理連れ帰ればいい。レンも子供を泣かせたくないが、そんなことをいっている場合ではない。
だが相手は国王の孫だ。
レンを含め、この場にいる誰より身分の高い彼女を、力づくでどうにかしようとしてケガでもさせたら、それはそれで大問題である。
ここでブレンダを説得するのは困難と見たレンは、さっさとあきらめて別の手段を取ることにした。
「ガー太! ガー太、来てくれーッ!」
基本的にガー太はこの集落にはいない。いたらダークエルフたちに囲まれたりするので、それを嫌がりいつも近くの森とかにいる。
しかしレンとは通じ合う何かがあるので、例えば彼が集落を出て行こうとすると、自然とそれに合わせて出てきてくれたりする。
この時もレンの必死の叫びが通じたのだろう。すぐに森の奥からガー太が現れた。
木立の間を颯爽と駆け抜け、こちらに来てくれたガー太だったが、レンの側にブレンダがいるのに気付いたところで急ブレーキ、「じゃ、また」といった感じで森へ戻ろうする。
「待って!? 非常事態なんだから!」
レンの必死の呼びかけに、ガー太は嫌そうな顔をしつつも、レンのところまで来てくれる。
「ガー太!」
ブレンダがうれしそうな顔でガー太に抱き着く。そんな一人と一羽をまとめて馬車に乗せる。ガー太は馬車も嫌いだったが、これまた必死になって頼み込んだ。
そしてレンたち一行を乗せた馬車は城へと急いだ。
馬車は事故を起こさぬように注意しつつも、かなりのスピードで走り、車内は激しく揺れた。
レンはこれまで馬車の乗り心地を気にしたことはなかった。乗った回数が少ないし、その時もゆっくり走行していたので、それほど気にならなかったのだ。
しかし未整備の道でスピードを出せば激しく揺れる。この世界ではまだサスペンションが開発されていないからだろう。レンはサスペンションを開発しようと決意したが、問題は名前だけで詳しい仕組みを知らないことだ。確かバネみたいなヤツだった気がするが……。
このように馬車はひどい乗り心地だったが、レンもミゼリアも文句は言えなかった。
事態は一刻を争うのだ。御者や護衛の騎士たちも事情を理解しているので――バレれば彼らも厳罰は免れない――全員の顔が引きつっていた。張本人のブレンダを除き。
ガー太に抱き着いたブレンダは、キャアキャア言いながら、むしろ揺れるのを楽しんでいた。
馬車は来た時の数倍のスピードで城へと帰っていった。