第247話 貸し出し
「そうか。上手くいったようだな」
部下の報告を聞き、満足そうにうなずいたのは白い司教服に身を包んだガーダーン大司教だった。
「ラカルド子爵に犯罪ギルド、どちらも上手く動いてくれたようで何よりだ」
両者にミリアムの情報を提供したのはガーダーン大司教だった。彼もまたレンのことを激しく憎む一人である。
レンも参加した神前会議でガー太に襲われ、大失態をさらした彼は次期聖堂長を巡る争いから脱落した。
その原因がレンである。レンに裏切られたのだ。
あの事件以後もレンの行動を追っていた彼は、レンとマローネ司教が良好な関係にあることを知っている。つまり両者は最初から組んでおり、こちらをだまして罠にはめたのだ。
政敵のハガロン大司教はもちろん憎いが、今はそれ以上にレンが憎い。
なにしろレンは式典で国王と懇意になり、その後の舞の舞台も大成功させた。自分をだました男が高笑いしている様子を想像するとはらわたが煮えくりかえるようだ。
このままではすまさん――怒りをたぎらせているところへ入ってきたのが、レンの舞い手が郊外の教会で休養しているという情報だった。関係者以外には秘密にしているようだが、ガーダーン大司教であれば、その情報を手に入れるのは簡単なことだった。政争に敗れたとはいえ、まだそれぐらいの影響力は残している。
これは復讐のチャンスだった。もちろん舞い手一人を殺したぐらいで彼の気は収まらないが、ささやかな気晴らしにはなる。
だがガーダーン大司教本人が動くわけにはいかなかった。こちらが向こうの動向を探っているように、ハガロン大司教もまたこちらの動きを探っているはずだ。ここで派手に動けば察知される恐れがあった。
そこで彼はレンに恨みを持つ貴族や犯罪ギルドに目をつけた。ガーダーン大司教はレンのことを調べ上げ、王都での交流関係をかなり正確につかんでいたのだ。
自分が動くのは最低限にして、他の誰かを動かせばいい。
当初の予定では、舞い手をほしがっているラカルド子爵、レンに恨みを持つ犯罪ギルドに加え、舞を見て激怒したギブリー伯爵にも動いてもらう予定だった。
ギブリー伯爵が舞い手の情報を仕入れ、その情報を元にラカルド子爵が犯罪ギルドを使ってミリアムを拉致した――というのがガーダーン大司教が最初に立てた筋書だった。これなら事件が表沙汰になっても、自分の名前が出てくることはない。
しかし意外なことにギブリー伯爵は話に乗ってこなかった。
ガーダーン大司教は、レンが主催した舞台を見ていないが、斬新な誘惑のフィリアが披露され、それを見たギブリー伯爵が激怒した――と聞いている。
だから彼も簡単に話に乗ってくると思ったのだが、
「あの誘惑のフィリアが話にならん駄作だったのはその通りだ。だが、だからといって舞い手本人に危害を加える? そんなことができるか!」
話を聞いたギブリー伯爵はそのように激怒し、彼のところへ行った部下は慌てて逃げ帰ってきた。
フィリア狂いと呼ばれるような変わり者の貴族だ。話が通じないのも仕方ないか、とガーダーン大司教は早々にあきらめ、彼を除外して計画を進めることにした。もちろん自分の名前が出てこないように細心の注意を払いながら。
彼としては、この計画が上手くいこうが失敗しようがどちらでもよかったのだ。
完璧に成功すれば、レンの舞い手はさらわれ、犯人も不明ということになる。誰かにさらわれたのか、本人が逃げ出したのかもわからない。そして話題の舞い手が消えたとなれば、レンにとって大きな痛手となるだろう。
もしラカルド子爵が拉致したことが露見しても問題ない。レンとラカルド子爵が争うのを高みの見物だ。
拉致が失敗する可能性はほぼないと思うが、例え失敗しても被害を受けるのは実行犯の犯罪ギルドだけ。やはりガーダーン大司教が損することはない。
唯一の懸念は時間だった。レンが舞い手をどこかに動かせば拉致は格段に難しくなる。その前に動く必要があったので、ガーダーン大司教は素早く行動した。
ラカルド子爵と犯罪ギルドに情報を提供し、両者の間も取り持った。
決行は今日の夕方。
後は結果を楽しみに待っていればいい。
ミリアムを教会の舞い手にしようというレンの計画は、意外なところから反対された。
他でもないミリアム本人が嫌だと言い出したのだ。
この日、レンはミリアムの意見を確認してみようと思い、彼女がいる郊外の教会を訪れていた。一応の確認のつもりだった。反対されるとは全く思っていなかったのだ。
教会の舞い手になり、しかもマローネ司教が後ろ盾になってくれれば身分は安泰だ。これからは好きなだけ舞に打ち込める。ミリアムが断る理由がない――そう思ったのだが、
「――というわけで今の舞団から教会へ移ろうって話があるんだ。僕は悪い話じゃないと思うけど、ミリアムはどう思う?」
ミリアムに事情を説明したレンは、彼女が喜んでくれると思っていた。だが話を聞き終えたミリアムは喜ぶどころか、不満そうな顔で黙り込んでしまった。
「どうかしたの?」
「レン様は私にあきたんですか?」
「はい?」
いきなりそんなことを聞かれてレンが面食らう。
「お師匠様が言っていました。レン様にあきられたらお前は捨てられる。だからあきられないようにがんばりなさいって」
「いや、飽きるって……」
この席にはミリアムの師匠のアマロワも同席していたので、レンは非難がましい目で彼女の方を見る。
「私は舞い手として当たり前の心構えを教えただけですが」
レンの視線にひるんだ様子もなく、言葉通り当たり前のような顔でアマロワが答える。
レンはため息をつきたくなった。子供になんてことを教えるんですか、と言いたいところだが、きっとアマロワの方が正しいのだろう。それがこの世界の常識なのだ。
舞い手が生きていけるかは後援者次第。だから舞い手は後援者に捨てられないように努力しなければならない。それは子供であっても変わらない。
アマロワがそれをミリアムに教えるのは、師匠として当然の務めだった。
そのアマロワだが、彼女にはすでに教会へ移籍の話をしている。
教会に移れば、ミリアムはアマロワの下から離れることになる。だから彼女は反対するだろうと思ったのだが、
「教会にですか……。そうですね、その方がいいかもしれません」
話を聞き終えた彼女は反対することもなく、あっさりそう答えた。無理している様子もなく、本心から言っているように見えた。
「いいんですか? 僕はあなたに反対されるんじゃないかと思っていたんですが」
「そうですねえ……しばらく前なら反対していたでしょう。私はあの子を、自分の果たせなかった夢を果たしてくれるように育て上げるつもりでしたから。でもそれは大きな見込み違いでした」
レンは彼女の言葉に驚いた。
この前の舞台は大成功だったし、彼女がミリアムを見限る理由がわからない。
「ミリアムには才能があると思いますけど?」
「その通りです。あの子の才能は、私の遙か上をいっていました。私の夢などあの子にとっては通過点。あの子はもっと上に行ける。だから教会に移れるならその方がいいでしょう」
アマロワの言葉には、ミリアムを手放すことへの寂しさと、自分の役目は終わったのだという満足感の両方が混じっているようだった。
彼女の言葉にレンは納得し、自分の考えが間違っていなかったと安心した。やはりミリアムは教会に行くべきなのだ。
それがまさか本人が嫌だと言い出すとは。
いや違う。ミリアムは話をおかしな方向に誤解しているだけだ。レンが飽きたとか捨てるとかいう話ではないのだ。
どうやって彼女にそれを説明しようかと考えていると、横にいたマローネ司教が口を開いた。彼もレンと一緒に来ていたのだ。
「ミリアムさんの言うことにも一理ありますね」
「マローネさん!?」
まさかマローネがミリアムに賛同するとは予想外だ。というかマローネには一番最初に話をして承諾してもらっている。それがなぜ急に反対に回るのか、理由が全然わからない。
「いえ、私はミリアムさんが教会に来ること自体には賛成です。ですが周囲がそれをどう思うかに考えが至りませんでした。うかつでした」
「どういうことです?」
「少し考えてみて下さい。ミリアムさんは初舞台で大成功を収めました。しかも国王陛下がご覧になった舞台で。普通の貴族であれば、そんな舞い手を手放すはずがありません。それなのに教会に移籍するとなれば、何か裏があるに違いないと思うことでしょう」
マローネが何を言いたいのかレンにもわかってきた。
「私はオーバンス様のお気持ちを存じていますから、ミリアムさんが教会に移るのはよいことだと思います。しかし事情を知らぬ者は色々と邪推することでしょう。教会が無理矢理ミリアムさんを奪ったとか、それこそ彼女に何か大きな問題があり、オーバンス様が彼女を捨てたのではないか、とか」
レンは彼の話を理解するため、日本の芸能界に置き換えて考えてみた。
デビュー曲が大ヒットした若手のアイドルがいたとする。そのアイドルがいきなり業界最大手の芸能事務所に電撃移籍したら? きっと大ニュースになるし、あることないこと様々なゴシップ記事が書かれることだろう。大きなイメージダウンにつながるかもしれない。
舞い手も評判が大事なのは変わりない。おかしな噂が広がって、ミリアムの将来に悪影響を及ぼしたりしたら本末転倒だ。
「いきなり教会に移るのではなく、最初はもう少し別の手を考えた方がいいかもしれません」
「別の手って、マローネさんには何か考えがあるんですか?」
「そうですね……」
しばらく考えていたマローネが口を開く。
「アマロワさん。民間の舞団では、たまに舞い手の貸し借りがあると聞きますが本当ですか?」
「はい。よくある話ですが……」
公演で人手が足りないとか、急なケガや病気で舞い手が踊れなくなった時などは、他の舞団から舞い手を借りることがある。
逆に仕事がなく人が余っている時に、他の舞団に舞い手を貸し出すこともある。
困った時はお互い様というわけで、民間の舞団ではそうやって舞い手を融通することがよくあるのだ。
一方、教会には舞い手の貸し借りなどない。自前で全てまかなえるので、民間から舞い手を借りることなどないし、民間を下に見ているので、頼まれても舞い手を貸し出したりもしない。
「ではこうしましょう。ミリアムさんの所属は今のまま、さらなる修練を積むために教会に貸し出したということで」
レンタル移籍という言葉がレンの頭に浮かんだ。
「ですが司教様。そんな話は聞いたこともありませんが……」
「確かに前例がないかもしれませんが、ないならないで作ればいいだけです。今回を前例にしましょう」
不安そうなアマロワに対し、マローネがこともなげに答える。
どんな組織でもそうだが、組織が大きくなればなるほど、前例がないことをやるのが難しくなってくる。前の世界で社会人経験があるので、レンもそのあたりのことはわかっているつもりだ。
それを簡単に、前例がなければ作ればいいと言ってしまうのだから、やっぱりマローネさんはすごいなと感心する。
「オーバンス様もそれでよろしいですか?」
「マローネさんがやってくれるというなら、お願いします」
「お任せ下さい」
「あと思ったんですけど、もしこの話がうまくいったら――」
レンが何かを言いかけたところで止まる。
「なんでしょうか?」
「いえ、なんでもありません。まずは今の話が上手くいくがどうかです」
ちょっと思いついたことがあったのだが、今言った通り、まずはミリアムの処遇をどうするかだ。思いつきの話はまた今度でいいだろう。
話がまとまるまで、ミリアムにはもうしばらくこの教会にいてもらうことにした。
ここは王都郊外にある小さな教会で、いるのは年老いた神父一人だけ。少し離れたところに小さな集落があり、週に何日かはそこからお手伝いさんが来てくれるが、基本的に身の回りのことは全部自分でやらないといけない。
ミリアムは舞団で下働きをしていたので、自分のことは自分でできるし、ここでの暮らしに問題はなさそうだ。
ドーソン団長からは、早くミリアムを戻して下さいと頼まれているが、悪いがもう少し待ってもらおう。
ミリアムを残し、レン、マローネ、アマロワの三人は引きあげることにした。
前の話の後書きで、ペースを戻しますとか書いておいて、いきなりまた間が空いてすみません。
いや、あの時点では落ち着くと思ってたんですけど、見通しが甘かったです……
今度こそ本当に落ち着いて元に戻れる思うんですけど、オオカミ少年になりつつあるので、やっぱりがんばりますとだけ言っておきます。