第246話 策動
男の顔には恐怖が浮かんでいた。ドアの前まで来てしばらく迷ってから、意を決したようにドアをノックする。
「……ボス、ちょっといいですか?」
返事はない。酒を飲んで眠っているのだろうか?
このまま立ち去りたいと思った男だが、そうしたらそうしたで、後で何を言われるかわかったものではない。
もう一度、さっきより強くノックする。
「ボス、お客人が――」
「うるせえぞ!」
中から怒鳴り声が返ってきて、男は身を震わせた。
「客なんぞ知るか。追い返せ!」
「で、ですがボス。その客人というのが――」
男の前でドアがいきなり開いた。中から蹴り開けられたのだ。
「うるせえと言ってんだ!」
部屋から出てきたのは、凶悪な顔つきの巨漢だった。犯罪ギルド・サイアスの幹部のラバンである。
ラバンの顔は赤く、酒臭かった。まだ昼間だがかなり酒が入っていた。ここしばらく、彼はずっとこんな調子だった。昼間から飲んだくれ、些細なことで暴力を振るう。男を含め、部下たちはすっかりおびえていた。
前々から凶暴なラバンだったが、ここまでひどくはなかった。それが変わったのは、しばらく前の会合からだった。
レンが参加した、あの幹部会である。
そこでレンにケンカを売ったラバンは、割り込んできたカエデにたたきのめされたのだが、これで彼の評判は地に落ちた。彼は暴力で成り上がってきた男だったのに、その暴力があっさり否定されてしまったのだ。
それでなくてもシーゲルの台頭でラバンの地位が下がっていたところに、あの事件がとどめとなった。
「ラバンだが、あのレン・オーバンスにケンカを売って、ボコボコにやられたらしいな」
「しょせんヤツもその程度だったってことだ。あいつはもう終わりだよ」
などといった噂が飛び交い、ラバンは裏社会で恐れられる男から、嘲笑される男に成り下がってしまった。
ラバンが負けたのはレンではなくカエデだったが、本当のことを言うのはなお悪い。ダークエルフの小娘にやられたなど、恥の上塗りだ。
どちらにしろ一対一であっさり負けたことには違いなく、彼は暴力という最後の拠り所を失ってしまったのだ。
これが犯罪ギルドの誰かに負けたのだったら、ラバンもそのままにはしておかなかった。すぐに相手のところに殴り込んで、きっちりケリをつけていたはずだ。
しかしレンは貴族である。それも名前だけの貧乏貴族ではなく、れっきとした伯爵家の息子だ。犯罪ギルドの幹部といっても、そんな貴族と正面から事を構えるわけにはいかない。
首尾よくレンを殺せたとしても、それで話は終わらない。
貴族は平民が自分たちに逆らうことを決して許さないからだ。それを許せば、自分の領地でも逆らう者が出てくるかもしれない。だから逆らう者は徹底的に弾圧し、見せしめにする。一人の貴族を殺すには、貴族社会全体を相手にする覚悟が必要なのだ。
もし貴族と争うなら、正面からではなく裏で相手の弱みを探り、そこを攻撃しなければならない。どんな貴族でも、後ろ暗いことの一つや二つあるものだ。
だが単純な暴力で生きてきたラバンは、そういう裏工作が苦手だった。しかもレンはそういうことを得意とするシーゲルと組んでいる。おまけにボスもレンの側に立ち、バカなまねはするなと強く釘を刺されている。ラバンが裏でレンのことを探ろうとしても、すぐに察知され手を打たれるだろう。
表でもダメ、裏でもダメとなると、もう打つ手がない。つまりラバンは詰みの状態にあった。本人もそれをわかっているから、こうして昼間から酒を飲み、部下に当たり散らすぐらいしかできなかったのだ。
男もそれをよくわかっていたから、ラバンの部屋に近寄らないようにしていたのだが、今は話をしなければならなかった。
「で、ですがボス。その客人っていうのが、レン・オーバンスについてのネタがあるって……」
恐怖におびえながら、部下が早口で言う。ここでラバンに怒られるのは怖いが、レンに関することを伝えず、後で怒られるのはもっと怖い。
「あの野郎に関するネタだと……?」
ラバンが少し落ち着きを取り戻したように見えた。
「どんなネタだ?」
「それが、ボスに直接伝えると言って」
「いいだろう。会ってやる。桶に水を入れて持ってこい」
「えっ?」
「とっとと持ってこい!」
怒鳴られた部下は、慌てて桶で水をくんで持ってくる。それを受け取ったラバンは、頭から水をかぶり、フーッと大きく息を吐いた。
そして客のいる部屋へと向かう。
ドアを開けてラバンが中に入ると、部屋にいた部下たちがギョッとした。ラバンがびしょ濡れだったからだ。しかし椅子に座る客は動じた様子を見せず、ラバンに向かって頭を下げる。
「どうも初めまして」
「レンに関するネタがあるようだな? もしつまらん話だったら、覚悟しておけ」
ラバンは挨拶もせず、客に向かって言う。
客――三十ぐらいの男は、それにも動揺したりすることなく、微笑を浮かべて答える。
「つまらん話かどうかは、そちらで判断していただくしかないですが、レン・オーバンスの弱点についての情報です」
「話してみろ」
ラバンに言われて男が話し出す。
まずはレンが舞の舞台を催し、そこに国王を招待して好評を得たことを説明した。
「てめえはまさか、あの野郎の自慢話をするために来たんじゃねえだろうな?」
「まさか。ここからが肝心です。レン・オーバンスは、その舞台に出た舞い手にずいぶんご執心なのです」
そしてその舞い手が、今は郊外の小さな教会にいることを伝える。
「この舞い手をさらえば痛快だとは思いませんか? 今なら警備もいないし、簡単な仕事ですよ」
「なるほどな。本人がダメなら女か」
ガードの固い本人ではなく、その家族や恋人を狙うというのは犯罪ギルドの常套手段だ。
「だがそれじゃあ結果は変わらねえ」
レンの女をさらって、犯すなり殺すなりすれば痛快だろう。相手のメンツも潰せる。だがその後が問題だ。怒り狂ったレンが本気の報復に出てくれば、貴族との全面戦争だ。それでは本人を狙うのと変わりない。
「あなたが単独で動けばそうなるでしょう。しかし他の貴族に雇われての仕事だったら?」
「仕事だと?」
「そう、いつもの仕事です。レン・オーバンスを恨んでいるのはあなただけではありません。貴族の中にも、彼のことを激しく恨んでいる方がいるのです。あなたはその方に雇われて荒事を一つこなすだけ。これなら問題ないでしょう?」
平民が貴族に逆らえば、それは社会秩序への反抗であり、他の貴族もそれを許さない。
しかしこれが貴族同士の争いなら話が違ってくる。
雇われたならず者は貴族の手駒であり、平民が貴族に逆らったことにはならない。あくまで貴族同士の争いであり、当事者の貴族はともかく、他の貴族は手駒のことなど気にしない。
「どこかの貴族に雇われろって言うのか?」
「珍しいことではないでしょう? いつもの仕事です」
男の言う通り、貴族が汚れ仕事に犯罪ギルドを使うのは珍しくない。ラバンも何度かそういう仕事の経験がある。
「レン・オーバンスの舞い手をさらってきて、雇い主の貴族に引き渡す。標的は郊外の小さな教会にいて護衛もいない。簡単な仕事だと思いますが?」
「その雇い主はどこの貴族だ?」
「それをあなたが知る必要はありません。いつものことでしょう?」
確かに貴族相手の仕事は、相手の素性がわからないことが多い。もっともレンに恨みを抱いている貴族となると限られてくる。調べればある程度は絞り込めるだろうが……。
「いいだろう。その仕事、受けてやる」
貴族同士の争いなどどうでもいい。レンに少しでも恨みを返せるなら、どんな仕事でも受けてやろうと思った。
「さすがはラバンさんだ。ただ条件が一つ。あなたの仕事は舞い手をさらって引き渡すこと。ですから殺すのはもちろん、その舞い手には傷一つつけないで下さい」
ラバンはその条件も飲んだ。
できることなら自分の手でレンと女を殺してやりたいラバンだったが、ここは相手の条件を飲んで妥協するしかなかった。
ラバンの元に男が訪れたのとちょうど同じ頃。王都にあるラカルド子爵の屋敷にも一人の男が訪れ、子爵にミリアムの居場所を教えていた。
「今こそレン・オーバンスの手から、あの娘を奪い返す好機です」
などと男が話を持ちかけるとラカルド子爵はすぐにその気になった。
話を持ちかけた男の方が、こんなにあっさりいっていいのだろうか? と心配になるぐらいだったが、ラカルド子爵の中では、すでに自分とミリアムの仲をレンに引き裂かれた、というストーリーが出来上がっている。ミリアムを救い出すのは、彼にとって当然の正義だった。
「それでお前の望みは何だ? 金か?」
「いえ、私は報酬などはいりません」
きっぱり断られたので、ラカルド子爵は男が何者なのかやっと疑問に思ったようだ。
「お前は何者だ? 報酬もなしで、なぜ私に力を貸す?」
「私はすでにとある方に雇われているのです。いえ、その方が何者なのかは知りません。ただ子爵様と同じように、あのレン・オーバンスに恨みを持つ方とだけ聞いております」
「なるほど。いたいけな少女を力ずくで奪うような男だからな。他でも悪事を働いているという訳か。自業自得だな」
と笑って納得した。
彼にしてみればレンは極悪人である。他にレンのことを恨んでいる人間がいるのが当たり前だった。この男は、その何者かの使いとしてここに来たというわけだ。正体を明かさぬ者など信用できないが、子爵の目的はミリアムを手に入れることであり、彼女をレンの魔の手から救い出せるなら他はどうでもよかった。
「いいだろう。ではすぐに人を集めて――」
「いえ、それは無用です。すでに実行役として、とある犯罪ギルドに話を持ちかけております。子爵様は、彼らから目当ての少女を受け取る準備だけしていただければ」
「いやに手回しがいいな?」
「標的がいつ場所を移動するかわかりませんので。もしレン・オーバンスの手元に移ってしまえば、救い出すのはかなり難しくなります」
ラカルド子爵が思案するような顔になる。大切なミリアムを助けるのに、犯罪ギルドなどの手を借りていいものかどうか。しかし時間がないというのもその通りだ。
「……いいだろう。お前たちを信じて任せるとしよう。だがわかっているだろうな? もしミリアムを傷つけるようなことがあれば――」
「重々承知しております。吉報をお待ち下さい」
うやうやしく一礼して、男はラカルド子爵の元を退去した。
ほぼ一ヶ月近くも更新できずにすみません。
ずっと週末に用事が入って、まとまった時間が取れずに間が空いてしまいました。
……正直に言うと、ちょいちょい余裕がある時もあって、そういう時間にコツコツ書いていればよかったんですけど、頭ではわかっていても中々実行できず、気がつけば一月近く。
今のところ、この先は最低週一回のペースに戻れると思うんですけど、色々前科があるんで、がんばりますとだけ言っておきます。