第243話 成長
舞台中央に立つミリアムが客席に向かって一礼すると、奏者の演奏が始まり、音楽が流れだす。
ミリアムが右手を上げて舞が始まったのだが――
「!?」
最初は目の錯覚かと思った。だが何度かまばたきしても、同じように見える。レンの目には舞台のミリアムが急に大きくなったように見えた。
ピンと伸ばした指先も、顔の表情も、彼女の動きがとてもはっきり見える気がする。最前列の席とはいえ、舞台の上とは距離があるのだが、まるで目の前で踊っているかのように。
最初にミリアムの舞を見たときは感動したし、それからも何度か練習中の彼女を見ていた。しかし今のミリアムの舞は、これまでのものとは別物だった。
何が違うのか言葉では上手く説明できないが、とにかく彼女の動きに引きつけられて目が離せない。
ふと、昨日のジョルダンの言葉を思い出した。
「オーバンス様、あの子はすごいですね」
と彼は言っていた。もしかして、あれはこのことなのだろうか? しばらく見ないうちに、ミリアムの舞は劇的な変化をみせていた。
レン以外の観客もそれは同じようで、舞が始まるまでざわついていた場内はシーンと静まりかえり、誰もが彼女の舞に集中している。
そしてミリアムの舞も別物なら、奏でられる音楽も別物だった。
今流れている曲は、元の誘惑のフィリアの曲をアレンジしたもので、レンも何度か聴いたことがある。ただしその時に演奏していたのは、ドーソンの舞団に所属する奏者だった。
ジョルダンと彼が選んだメンバーによる演奏を聴くのはこれが初めてなのだが、同じ曲なのに音がまるで違う。
音の迫力というか広がりというか、これまた素人のレンには上手く説明できないのだが、とにかく響いてくる音が、以前に聞いたものと全然違う。
これが一流のプロの実力かと思った。
これまで聴いていた舞団の奏者による演奏も、プロの演奏には違いないのだが、聞き比べればその差は歴然だ。
ドーソン団長やアマロワが、外部の一流の奏者を雇うべきだと言っていた理由が、レンにもやっと理解できた。正直、ここまで違いがあるとは思っていなかった。
そしてミリアムの舞は、そんな素晴らしい演奏に負けていなかった。
ドーソン団長やアマロワは、舞い手と比べて奏者の実力が高すぎると、舞が演奏に負けてしまうとも言っていたが、今ならそれもわかる。舞が下手で演奏が上手だと、踊りが音楽から浮いてしまうだろう。
だがミリアムの舞は演奏と融合し、一つに溶け合っているかのようだ。
レンの目は舞台に釘付けになっていた。
劇場には、レン以上に舞台に釘付けになっている者がいた。
フィリア狂いことギブリー伯爵である。
舞が始まるまでは少ししんどそうにしていた伯爵だったが、舞が始まるやいなや、彼は食い入るような目で舞台を見つめている。
その手は、男を堕落へといざなう魔性の手。その目は、男を誘惑する魔性の瞳。彼女が舞い始めれば、もう目をそらすことはできない――五十年前、誘惑のフィリアを踊るディアンナをたたえた言葉だ。伯爵はその言葉を思い出していた。
今から五十年ほど前、初めてディアンナの舞台を見たときのことを、ギブリー伯爵は今でもはっきりと思い出せる。
当時十七歳の青年だった彼が、父親と一緒に初めて王都を訪れた時のことだ。
王都の広さ、豊かさ、人の多さに圧倒されながらも、いつか自分が父の後を継いだときには、領内を王都に負けぬぐらい発展させてやる――そんなことを思う血気盛んな若者だった。
ディアンナの舞台を見に行ったのは、父親が知り合いの貴族に招待されたからだ。一緒にということで息子の彼も誘われたのだが、彼は最初、それを断ろうとした。
それまで領内の祭事などで何度か舞を見ていたが、別に面白いとは思わなかったし、他に見るべきものはたくさんあると思っていた。
だが父から、
「貴族たるもの文化にも精通していなければならんぞ。お前が今まで見てきた舞と、王都の一流の舞は別物だ。一度見ておけ」
と言われて渋々行った舞台で、彼は人生を変える出会いを果たす。
ディアンナが踊ったのは、もちろん誘惑のフィリア。舞が始まると彼の目はディアンナに吸い寄せられ、まばたきするのも忘れるほど彼女だけを見ていた。
舞が終わる頃には、伯爵はすっかり恋に落ちていた。恋した相手は、ディアンナが演じるフィリアだ。
初めて誘惑のフィリアを見た伯爵の中で、架空の人物のフィリアと、それを演じるディアンナは一体化し、舞台の上の彼女が理想の女性となったのだ。
すぐに二回目、三回目と舞台を見たかった伯爵だが、残念ながら領地に帰らなければならず、すぐにまた来ようと思いながら王都を去った。
ディアンナが流行病で急死したのは、それから数ヶ月後のことだった。
以来五十年。ディアンナの幻を追い続けた五十年だった。
もう一度、彼女の舞を見たいと願った伯爵は、王都に屋敷を構えて、誘惑のフィリアを見続けてきた。フィリア狂いなどと呼ばれても気にしなかった。とにかくもう一度、同じような舞が見られればよかった。
だがそれはかなわぬ夢だった。
有名な舞い手から無名の舞い手まで、誘惑のフィリアを踊ると聞けば劇場に足を運んだが、ディアンナに匹敵するような舞い手はついに現れなかった。
彼女のような舞い手は二度と現れない――五十年たって、さすがのギブリー伯爵もあきらめるしかなかった。近頃は体調も悪く、劇場へ行くこともなくなった。
今日、ここへやって来たのも伯爵本人が望んだからではなく、配下の者たちに強く勧められたからだ。
フィリア狂いなどと呼ばれる伯爵だが、意外なことに部下や領民たちからは慕われていた。
伯爵が誘惑のフィリアにはまり、領内の統治をおろそかにしていたのなら、下からの評価は最悪だっただろう。だが伯爵は貴族としての責任を忘れておらず、合理的でもあった。
舞に集中したいが、領主の務めは果たさねばならない――この難題に対して伯爵が出した答えは、有能な人材を育て上げて全部任せる、というものだった。しかも伯爵はそれを実現した。彼は人を見抜く目を持っていたのだ。
身分にかかわらず有能な人材を抜擢し、領内のことは彼らに任せ、伯爵は隠居同然で王都へと引っ越した。伯爵の暮らしは舞だけに向けられており、それ以外の生活は質素だった。
部下たちはよく働き、領内は豊かとなった。変わり者として知られる伯爵だったが、有能な領主でもあったのだ。
もし伯爵が誘惑のフィリアを見ていなければ、今の何倍も領地を発展させ、名領主として歴史に名を残していたかもしれない。
自分の生活が豊かなら領民はそれでいい。趣味に没頭するギブリー伯爵は、彼らにとってはちょっと変わっているが尊敬すべき領主であった。
そんなこんなで配下の者たちは伯爵のことを慕っていたが、その伯爵が最近めっきり元気をなくし劇場にも行かなくなってしまった。心配した部下たちは今日の舞台のことを聞きつけ、これが気晴らしになればと自分たちで動き始めた。
舞の世界ではギブリー伯爵は有名だったので、力を貸してくれる貴族が何人かいた。そのおかげで伯爵は今日の舞台に招待されたのだ。
伯爵は今日の舞台にも期待しておらず、行くのもおっくうだったのだが、部下や知り合いの貴族の気遣いを無下にもできず、こうしてシャンティエ大聖堂までやって来た。
疲れをにじませ客席に座っていたギブリー伯爵だったが、舞台の幕が上がると、その様子は一変した。
あのときと同じだった。初めて見たディアンナの舞台と。舞が始まった途端、ディアンナは別人へと――フィリアへと変わった。目の前で踊る舞い手も――伯爵はミリアムの名前も知らなかった――五十年前のディアンナと同じように変わった。
あれから五十年。ついに、ついに現れたのか!?
ギブリー伯爵は食い入るように舞台のミリアムを見つめ続けた。
舞が始まるまで、劇場内はざわついていたが、ミリアムが踊り始めると観客は彼女に集中し、場内は静まりかえった。
だがしばらくすると、また場内がざわめき始めた。
ミリアムが踊るのは誘惑のフィリアだが、観客たちが知る誘惑のフィリアと明らかに違っていたからだ。
フィリアという妖艶な女性が、清廉な神父を誘惑する。最初はフィリアを拒む神父だったが、彼女の魅力にあらがうことができず、ついには彼女の誘惑に負けてしまう、というのが誘惑のフィリアの筋書きだった。
だがミリアムが踊るフィリアは妖艶な女性などではなかった。見た目通りの恋もまだ知らないような幼い少女だった。
そもそも最初から違っていた。誘惑のフィリアは肌をあらわにした扇情的な衣装が定番なのだが、ミリアムが身につけた白いドレスは扇情的とは逆、乙女の純真さを象徴するかのような服だった。
流れる音楽も違う。
本来の誘惑のフィリアの音楽は、激しさの中に、どこか不穏な響きを潜ませている。まるで将来の破滅を暗示するかのように。
だが今の演奏は、基本の曲こそ同じだが大胆なアレンジがなされていた。曲は明るく穏やかで、それでいてわずかに郷愁を誘うような響きがある。
ディアンナの誘惑のフィリアを見た者は、みんな自分がフィリアに誘惑されたような気持ちになったという。だから王都中の男が彼女に恋したなどと言われた。
だがミリアムの誘惑のフィリアは、多くの観客に全く違う印象を与えた。
観客の中には夫婦そろって来ている者たちもちらほらいたのだが、妻の多くは昔を思い出し、ミリアムに幼かった自分を重ねていた。彼女たちにも、恋に恋するような子供の頃があったのだ。
昔のことを思い出すのは、男性も同じだった。
ミリアム演じるフィリアは年上の男性に恋心を抱くが、男なら誰でも年上のお姉さんに憧れたことがあるものだ。彼らはそんな記憶もおぼろげな過去を思い出していた。
また娘を持つ親たちの中には、自分ではなく、自分の娘とミリアムを重ねる者もいた。
あの子もいつかこんな恋をするのだろうか、などと未来を思う親がいれば、あの子にもこういう子供時代があったなあ、となつかしい過去を思い出す親もいた。
貴賓席から舞台を見ていた国王も、ミリアムを自分の孫娘に重ねていた。
従来の誘惑のフィリアとは異なる内容にざわついた場内だったが、やがてミリアムの舞に引き込まれるようにざわめきは消え、観客は彼女の舞に集中した。
これまでの誘惑のフィリアでは、男女の生々しい愛情や欲望が描かれていた。
しかしミリアムの誘惑のフィリアでは、まるでおとぎ話のような微笑ましい愛情が描かれていく。
年上の神父に恋した幼いフィリアは、自分の恋心に戸惑いながらも、まっすぐな思いを相手にぶつける。
神父はフィリアの思いを受け止めるが、それは誘惑に負けたわけではない。小さな女の子に告白されて、
「わかった。それじゃあ十年後、君が大きくなったらね」
と優しく受け止めただけだ。フィリアもそれで喜んで満足する。
終わり方も違った。
従来ならばフィリアと神父は結ばれるものの、最後は破滅を予感させるような終わり方になっている。
だがミリアムの誘惑のフィリアは明るい未来を予感させる終わり方だった。将来、大きくなったフィリアが思いを成就させるのか、それともかなわなかった初恋として青春の一ページにしまわれることになるのか、そこは見ている観客の判断に委ねられたが。
今まで誰かと付き合った経験などないレンも、なんだか切ない気分になってしまった。
最後は右手を高く上げたポーズを決め、ミリアムの舞が終わった。
演奏も終わり場内は静寂に満たされたが、次の瞬間、割れんばかりの拍手が起こった。ほとんどの観客が立ち上がり、スタンディングオベーションでミリアムをたたえる。レンも自然と立ち上がって拍手していた。
ふと、舞台の上のミリアムと目が合う。
レンが軽くうなずくと、ミリアムも笑顔で応えてくれた。言葉はなかったが、言いたいことは通じ合った気がする。
舞台は大成功といってよかった。だが客席をよく見回せば、不満げな観客がチラホラいることに気付いただろう。全員が老人だったが、中でも最も不満をあらわにしてたのが他でもない、フィリア狂いことギブリー伯爵だった。伯爵は不満というよりも怒っていた。激怒していた。
なんだこのふざけた誘惑のフィリアは!?
あまりの怒りに伯爵の体は震えていた。
最初こそ、これは! と期待した伯爵だったが、すぐにその期待は裏切られた。期待は失望へと変わり、失望は怒りへと変わった。
伯爵は誘惑のフィリアの大ファンだったが、それはあくまでディアンナが踊った誘惑のフィリアについてだったのだ。彼にとってはそれが正統であって、それ以外は邪道だった。
もしレンがギブリー伯爵の話を聞けば、
「ああ、そういう人種なのね」
とすぐに納得したはずだ。
なぜなら現代日本で彼と同じような人間を何人も見ていたからだ――主にネットで。というかレンも同じようなことを思ったことが何回かある。
例えば、昔大好きだった名作アニメがリメイクされた、と思ったらストーリーが悪い方へ改変されていた時。
例えば、連載初期から追っているマンガがアニメ化されたら、意味不明なアニオリのキャラが追加されていた時。
昔の方がよかった、原作の方がよかったという原典至上主義者、原作原理主義者が必ず騒ぎ出す。
レンも昔大好きだったアニメがリメイクされ、それが改悪――個人の感想だ――されていたので、ネットの掲示板へ原作レイプだとボロクソに書き込んだことがある。
問題は改善なのか改悪なのかは、個人の感想に依存する部分が大きいことだ。そして中にはとにかく原作こそが最高で、一切の改変を許さないという過激派もいる。
ギブリー伯爵は、五十年もの間一つの作品を追い続けた筋金入りの「信者」であり、原作――この場合はディアンナの舞――こそが最高であると信じる過激な原作原理主義であった。
彼にとって、大胆なアレンジとは原作に対する冒涜でしかない。作品自体の善し悪しは問題ではない。改変そのものが許されざる罪なのだ。
今見たミリアムの舞など、伯爵にとっては原作の良いところを殺しまくった駄作である。
話を変えるなら誘惑のフィリアの名前を使わず、オリジナル作品として発表すればいいのだ。それをせず好き勝手にいじくるなど、名作の名前を使った売名行為でしかない。断じて許せるものではない。
ギブリー伯爵ほどではないが、同じように不快に思っている者は他にもいた。いずれも高齢の貴族で、ディアンナのファンであることも共通している。
もちろんディアンナのファンであっても、ミリアムの舞を評価した者もいた。
「ディアンナの誘惑のフィリアとは違うが、これはこれでいいではないか」
といったように、それはそれ、これはこれと分けて考えたのだが、そういうわけにはいかない人たちもいたのである。
今回の舞台は、全体的に見れば好評で間違いなかった。しかし一方で強烈なアンチも生み出していたのだ。