第23話 ガー太乱入
「レオナがオーバンス伯爵様に取り入ることができたのは、うれしい誤算だな」
言葉通りのうれしそうな顔でダールゼンが言った。
集落に戻ってきたリゼットの報告を聞いてのことだ。
レオナがオーバンス伯爵に連れて行かれたと聞いても、悲しむダークエルフはいなかった。
彼女が嫌いだったわけではない。彼女が集落に大きく貢献できそうなので喜んでいるのだ。個人より全体の利益を重視するダークエルフなら誰でもそう考える。ダールゼンも、もし同じような立場に立たされたなら、同じように行動しただろう。
「はい。さすがはレオナだと思います。しかし大丈夫でしょうか?」
リゼットが心配そうな顔で言う。
「何がだ?」
「伯爵様に気に入られたのはいいとして、この先も上手くやっていけるかどうか……」
伯爵の愛人になれたとしても、本当に重要なのはその先だ。伯爵と良好な関係を築きつつ、いかに集落の、そしてダークエルフの利益につなげていくか。
レオナが優れた狩人なのはリゼットも知っている。彼女を一人前に育ててくれたのがレオナなのだから。
だが今からレオナが向かうのは人間の貴族の家である。そこでレオナが上手くやっていけるかどうか、リゼットは心配だった。
「レオナならば大丈夫だろう。お前もレオナが以前何をしていたか知っているだろう?」
「ザウス帝国で娼婦をしていたと聞いています」
ダークエルフ社会では、あまり職業差別という意識がない。みんなの役に立つならば、どこで働こうが一緒と考えるからだ。
娼婦だろうがなんだろうが、それで金を稼いで貢献できるなら立派なことなのだ。汚い金とか、そういうことも言わない。ある意味、非常に合理的だ。
もちろん進んで娼婦になりたい者は少なかったが、娼婦だからといって嫌われることもなかった。だからレオナも娼婦だったことを隠していなかった。
「ただの娼婦じゃないぞ。あいつは高級娼婦として、色街のトップにいたんだからな」
レオナが働いていたのは、ザウス帝国のログダットという街だ。
ザウス帝国はグラウデン王国の北に位置する隣国で、国土面積や人口は王国の数倍という大陸西方最大の国だ。
ログダットはその帝国内の交易路にある街で、行き交う商人や旅人も多い大商業都市だ。当然ながら色街の規模も大きく、数千人の娼婦がいるといわれている。
レオナはそんな色街で娼婦たちのトップまで上り詰めた高級娼婦だった。そこまでいけば、娼婦といっても単に体を売るだけの商売ではなくなる。
巨大な色街には娼婦にも格付けがあり、高級娼婦となれば客も選べる。貧乏人の相手などせず、貴族や大商人などが相手となる。その代わり娼婦の方にも知識や教養、礼儀作法などが要求される。
色街は徹底的な実力社会ともいえる。どこまで行けるかは娼婦の腕次第だ。レオナも自分の実力だけで最底辺から成り上がった。とはいえダークエルフのトップはやはり異例中の異例であり、ログダットでは今でも伝説の娼婦としてレオナが語り継がれているほどだ。
そんな彼女がログダットから去ることになったのは、客同士のけんかが原因だった。酔っぱらった客同士が彼女を巡ってけんかになったのだが、そして運悪く片方が死んでしまい、単なる酔っぱらいのけんかですまなくなってしまった。しかも双方が貴族だったのが話を大きくした。
けんかの話を聞いたレオナは、すぐにログダットから逃げ出した。
その場に彼女がいたわけではなく、客同士が勝手にやったことだったが、そんなことは関係ないとわかっていたからだ。貴族同士の争いとなれば、周囲の人間も責任を負わされる。
レオナの読みは正しく、彼女には貴族をたぶらかした大悪女として賞金もかけられた。
そうやってザウス帝国にいられなくなった彼女が、黒の大森林の集落に逃げ込んできたのが十年ほど前のことで、それ以来、彼女は優秀な狩人として暮らしてきた。
狩人は決して安全な仕事ではないが、魔獣の徘徊する黒の大森林での狩りは、普通の森と比べてはるかに危険だ。集落に近づいた魔獣を狩るのも狩人の仕事だが、レオナはその仕事も見事にこなした。
ダールゼンはそんな彼女に、狩人として秘訣を聞いたことがある。返ってきた答えは、
「私にとっては娼婦も狩人も同じよ。獲物の心理を読み取り、行動を予測し、それにあわせて行動するだけ」
といったものだった。そんな彼女ならば、オーバンス伯爵のところでも上手くやってくれるはずだとダールゼンは信じていた。
ただ、これで領主様に対する切り札を失ってしまったな、とも思った。彼はレオナにレンを誘惑させることも考えていたのだ。すぐにやらなかったのは、まずは彼の性癖を見極めてからと思っていたからだ。
いかに手練手管が優れていても、相手が徹底的なダークエルフ嫌いだったらどうしようもない。幸いなことに領主様はダークエルフに好意的だが、人間の趣味趣向は多様だ。
領主様は教育を施すからダークエルフの子供たちを預けるように言ってきた。もちろん好意はあるだろうが、ダールゼンはそれだけではないと受け取った。
きっと子供たちは人質の意味も兼ねているのだ。一見すると気弱にも見える青年だが、一人で魔獣と戦う実力も持っている。単なるお人好しではないとダールゼンは読んでいた。
さらにもう一つ、別の意味があるかも知れない。
領主様はどうやら大人の女性に苦手意識を持っているようだ。そして人間の中には大人より子供の方に興味を示す者がいる。もしかすると領主様もそういう趣味を持っているかもしれない。
ダールゼンはそれを調べるようロゼに命じていたが、レオナと違ってこちらは心配だった。
ロゼがまじめで優秀なことは知っているが、まじめすぎるのも問題だ。特に男女の関係は微妙だから、繊細な立ち回りが要求される。直情径行なところがあるロゼには苦手な分野だろう。レオナも色々教えていたようだが、はたしてどこまで理解してくれたのか。
上手くやってくることを祈るしかなかったが、この数日後、彼の心配は現実となった。
レンはゆっくりと目を開けた。話し声が聞こえて目が覚めたのだ。
「まずは領主様の服か、私たちの服、レオナさんはどちらを先に脱がせと言っていたでしょうか?」
「どっちでもいいんじゃ?」
「いえ、こういうことは手順が大事とも言っていました」
「そこまでは覚えてないよ」
「……私もです」
「では、領主様の服から脱がせましょう」
枕元ではロゼ、リゲル、ディアナの三人が話している。
レンはぼんやりとそれを聞いていた。目は覚めたのに意識がはっきりせず考えがまとまらない。まるでまだ夢の中にいるようだ。
なんだか甘い匂いがすると思った。
枕元に置かれた香炉からは白い煙が上り、それが室内に立ちこめていたが、そこまで意識が回らなかった。
「目が覚めたのですか?」
ロゼが聞いてきたので、レンは何か答えようとしたのだが、上手くしゃべれなかった。
「ちゃんと効いているようですね。ご安心下さい。一時的にぼんやりするだけで、すぐに元に戻るとのことです」
ロゼとリゲルがベッドの上に乗り、レンの上着を脱がせる。ディアナは二人の後ろで心配そうな顔をしていた。二人はズボンも脱がせ、レンは下着姿になった。
「次は私たちです」
「うん」
リゲルはさっさと服を脱いで下着姿になったが、ロゼは自分の服に手をかけたところで、顔を赤くして止まっていた。ディアナは泣きそうな顔になっている。
それでもロゼは意を決したような顔で、服を脱ぎだした。
ヤバイとレンは思った。やはり意識がはっきりしないが、とにかくこれはヤバイと思い、どうにか口を開く。
「ロゼ……」
「大丈夫です領主様。全て我々にお任せ下さい。経験はありませんが、レオナさんからしっかりと教えてもらっています」
頭のどこかで、じゃあ任せちゃうか、という声がして、レンはそれを必死に打ち消す。
任せたら犯罪者だと思い、いやここは異世界だから合法だと思い、そうじゃないと慌てて打ち消し――などとレンの考えもまとまらない。それでもとにかくヤバイと思い、なんとかしようとあせるのだが、体は動かなかった。
屋敷の庭で丸くなって眠っていたガー太が、ぴくりと顔を上げた。
じっと見つめる先は屋敷の二階にあるレンの部屋だ。
おもむろに立ち上がったガー太は、軽く助走してから、一気に加速して屋敷の方へ突進した。
「ガー!」
屋敷の壁にぶつかる寸前で地面を蹴り、跳び上がって垂直の壁を駆け上がる。石造りの壁には、小さな出っ張りや隙間があったが、ガー太はそこに爪をかけながら二階まで登り、最後はレンの部屋の窓枠をつかんで、閉められていたよろい戸に体当たりした。
木製のよろい戸は丈夫な作りだったが、ガー太はそれを一撃で粉砕し、室内に突入する。
驚いたのは中にいたロゼたちだった。
「ガー太様!?」
まだ魔獣が突入してきた方が反応できただろう。まさかガー太が現れるとは思っていなかったロゼたちは、驚き立ちすくむだけだ。
ガー太はそのままロゼに向かって突進し、彼女に体当たりを――
「ダメだ」
食らわせる寸前でピタリと止まる。小さな声だったが、レンの言葉に反応したのだ。
「ガー」
「大丈夫だよ」
心配そうにのぞき込んできたガー太に触れると、まるで霧が晴れていくように、レンの意識は急速に覚醒していく。
「さて、これはどういう――」
体を起こしたレンは、三人を問い詰めようとしたのだが、ロゼの上着がはだけているのを見て、慌てて目をそらす。
「まずちゃんと服を着て」
「も、申し訳ありません」
顔を赤くしながら、ロゼは服の乱れを直す。
レンはあらためて三人に事情を聞こうとしたが、そこへ邪魔が入った。
「レン様!? 今の音は何事ですか?」
部屋の扉を叩いているのはマーカスだ。ガー太が窓を突き破った音で目が覚めたのだろう。
レンはロゼたちに小声で「隠れて」と言ってから、部屋の扉を開ける。
「ご無事でしたか。今の音はいったい? それにこの煙は……?」
「えーと……」
矢継ぎ早に聞いてくるマーカスに、どうにか言い訳を考える。
「ダークエルフから、よく眠れるからって、なんていうのか、香りの出る木? みたいなのをもらったんですが……」
「お香ですか?」
「そうそう、それです。で、それを使ってみたんですけど、この匂いにガー太が反応したみたいで、窓を突き破って入ってきてしまって」
マーカスは室内にいるガー太と壊れた窓を交互に見て、なんともいえない顔になる。
「ダークエルフにもらったよくわからない物を、軽々しく使うのはどうかと思うのですが」
「そうですね。もう使いません」
「……事情はわかりましたが、どうしましょうか?」
「今日はもう遅いから、部屋の片付けとかは明日にします。僕はこのままガー太と一緒に寝るんで、マーカスさんも気にせず寝て下さい」
「わかりました」
まだ少し釈然としない顔をしていたが、マーカスはそれで引き下がってくれた。
部屋のドアを閉めたレンは、大きく安堵の息を吐く。
「さてと、それじゃあ今度こそ説明してもらおうかな?」
三人を代表する形で、ロゼが口を開く。
「ダールゼンさんから言われたのです。領主様は大人の女性が苦手かもしれないと。もしかしたらもっと若いお前たちぐらいの子が好きなのかもしれなから、それを確かめるように、と」
大人の女性が苦手なのはその通りだが、後の部分には異議を唱える。
「僕にはそういう趣味はありません」
二次元世界に関しては、やっぱり○学生は最高だぜ! とかネットに書き込んだりもしていたが、リアルで小さい子供に手を出したいと思ったことはない。
正直に言えば、ロゼぐらいの年の美少女なら、少なからず性的魅力を感じているが、それを言い出すと話がややこしくなるので、ここはきっぱりと否定しておく。
「僕はどうでしょうか? 女性ではなく男性に興味がある方もいるそうですが?」
「それはない」
リゲルの問いかけもきっぱりと否定する。これに関しては二次元でもそういう趣味はなかった。だがリゲルを見ていると、彼ほどの美少年なら正直……
いやいや、ないない!
レンは慌てて否定する。取り返しのつかない方向へ進みそうなので、きっぱりと念入りに否定する。
「この煙は?」
「ダールゼンさんから預かりました」
焚いたお香の原料は、とある魔獣の爪をすり潰したものだった。その魔獣は麻痺毒を持っていて、焚くことで効果を薄めて使うことができる。ロゼたちが平気なのは、ダークエルフの方が高い耐性を持っているからだった。
「レオナさんからは、奥手な相手にはこちらから積極的にいくのも手だと言われていたので、今夜はそれを実践したのです」
「わかりました。とにかく僕にはそういう趣味はないから、もうこういうことはしないでほしい。約束してもらえる?」
「いえ、ダメです」
「なんで!?」
ここは約束して終わる流れだろうと思ったのに、ロゼはそれを否定した。
「我々がここで約束しても、上から命じられれば実行します」
「ああ、そうだったね……」
ダークエルフは上からの命令が絶対なのだ。
「正直に言ってくれてありがとう。じゃあ、ダールゼンさんには僕から話すから、それまではやめてもらえる?」
「わかりました。すみませんでした」
三人は頭を下げ、自分の部屋へと戻っていった。
それを見送ってから、レンは大きく息を吐いてベッドに座った。
「ガー」
慰めるように鳴いたガー太にレンはよりかかる。
「ありがとうな」
そういう話題が苦手だからって、うやむやにしたのがまずかった。はっきり言っておかないから、ダールゼンが深読みして余計な気を回したのだ。
権力者には金でも女でも何でも差し出す。ここは汚職が当たり前の世界なのだから、気をつけなければいけない。
レンは自分が清廉潔白な人格者などと思ってはいないが、しっかりとけじめはつけるべきだろう。例えそれがこの世界の常識だとしても、飲み込まれてはいけないと思った。
この世界の常識とは違う常識を持つ――おそらくは、それがレンが持つ最大の武器なのだ。それを失ってしまえば、レンはこの世界で単なる小物に成り下がり、転生した意味も失ってしまうだろう。それだけは嫌だった。