第241話 ダルカンの会合(下)
「そのレンって奴の顔、一回見てみたいもんだな」
そんなことをギブラックが口にしたのはしばらく前のことだった。
別に本気で言ったわけではない。会話の中で出てきた軽口だった。貴族が犯罪ギルドのボスに会うなど普通はあり得ない。しかしシーゲルが、そのレンという貴族のことをずいぶん親しげに話すので、軽く言ってみただけだ。
「わかりました。一度兄弟に頼んでみます」
とシーゲルが答えても、どうせ無理だろうと思っていた。兄弟などと呼んでいるのも、シーゲルが一方的に言っているだけだと思い込んでいた。
ところがそれから数日後、シーゲルが言ってきたのだ。
「兄弟が来てくれるそうです。今度の会合の時でいいですか?」
いいぞと答えたギブラックだったが、本当に来るのか? とまだ半信半疑だった。彼はシーゲルのことを高く買っており、すぐばれるようなウソをつくような男ではないと知っていたが、それでもにわかには信じられなかった。
そして今日、本当にレンを連れてきてしまった。
何か大きな弱みでも握っているのか? とも疑ったが、二人の様子を見ていてもそんな風には見えない。本人相手にも兄弟などと呼んでいて、本当に親しげに見える。
いずれにしろ犯罪ギルドの人間と堂々と付き合い、こうして会合に乗り込んできたのだ。よほどの大バカ者か、それとも計り知れないほどの大物か、とにかくただ者でないのは確かだ。
「わざわざありがとうな兄弟」
「もういいんですか?」
笑顔のシーゲルにレンが聞き返す。
元々、挨拶だけでいいという話だったが、本当に挨拶しかしていない。もちろん早く帰れるのはうれしい。
「ああ。いいですよねボス?」
「そうだな。十分だ」
とシーゲルに答えてから、ギブラックはレンに向かってまた頭を下げる。
「今日はご足労願って申し訳ない。こいつがあなたのことを、ずいぶん親しげに話すんで、だったら一度オレも会ってみたいと軽い調子で言っちまったんだが……」
「いえいえ、お気になさらず。シーゲルさんには色々とお世話になっているので」
彼にはミリアムがらみで多額の資金を出してもらっている。その対価がこれなら安いものだ。
「それじゃあ僕はこれで――」
「ちょっと待てや」
帰りますと言いかけたところで、後ろから野太い声がかかった。
強面の男が一人、部屋に入ってきた。ここにいるほぼ全員が強面なのだが、その中でも特に凶暴そうな顔をしており、体も大柄なので迫力もすごい。
レンの身長が170センチぐらいだが、それでもこの世界では長身の方に入る。そのレンより男は頭一つ高く横幅も広かった。ちょっと太り気味だが、それが男の迫力を増している。
「ラバン、お前また飲んでるのか?」
あきれたようにギブラックが言う。彼が言うように凶暴そうな男――ラバンの顔は少し赤らんでいた。
ラバンは犯罪ギルド・ダルカンの中でも、その凶暴さと残忍さで恐れられている男だった。見た目通り腕っ節も強く、暴力で幹部まで成り上がってきた男だ。
そのラバンが、レンをにらみつけながら言う。
「こいつが貴族だって言うけどよ、本物かどうかわかったもんじゃねえ」
「ラバン! 客人に失礼だぞ」
ギブラックが鋭い声で言う。
本物か? などと疑われれば、普通の貴族なら激怒して剣を抜いてもおかしくない。
確かにレンが本物の貴族だという証拠はない。だがウソをつくにはリスクが高すぎる。
平民が貴族を詐称すれば間違いなく死罪だ。身分に関わることなので貴族たちも決して許しはしない。偽者だとバレれば、地の果てまで追われることになるだろう。
そしてもしこのレンが偽者だった場合、バレる可能性は非常に高い。ギブラックもレンについて調べていたのだが、彼は今の王都で色々と噂になっている。名前も知らないような田舎貴族ならともかく、そんな有名人を騙ればすぐにバレる。
シーゲルがそんなウソをつくとも思えないし、だまされているとも思えない。だからレンは本物だと考えるのが妥当であり、ギブラックもそう信じていた。
実のところラバンもそれはわかっていた。彼は凶暴だったが、そこまで頭は悪くない。しかし頭ではわかっていても、感情がそれを認めたがらなかった。
レンを連れて来たのがシーゲルでなければ、ラバンももう少し冷静でいられたはずだ。シーゲルだったので頭に血が上った。ラバンはシーゲルのことをひどく嫌っていたからだ。
ラバンが暴力で成り上がってきたのと対照的に、シーゲルは頭を使って成り上がってきた男だ。必要とあれば暴力もためらわないが、それは非効率的なので最低限にして、頭で金を稼いできた。
ラバンから見たシーゲルはちょっと金稼ぎが上手いだけの軟弱者だし、シーゲルから見たラバンは単なる暴力バカである。そんな二人の仲がよいはずがない。
それでも少し前までは、二人の関係はそこまで問題になっていなかった。
裏社会では、結局最後にものをいうのは暴力だ、という考え方が強い。だから周囲はラバンをシーゲルより格上と見なしていた。ラバンはそれで自尊心を満たしていたし、シーゲルの方も、
「そう思いたいなら勝手に思っとけ」
ぐらいに思っていたので、両者が激しくぶつかることがなかったのだ。
それが変わったのはレンの登場によってだ。
しばらく前、ダークエルフの荷馬車が襲われる事件があり、レンは犯人を捜して王都までやって来た。そこでレンはシーゲルと組み、事件の背後にいた犯罪ギルド・サイアスを壊滅させた。
レンがやったのはそこまでだったが、潰れたサイアスの縄張りと残党を取り込んだのがシーゲルだった。これで彼の名前と勢力が一気に大きくなった。
そして周囲のシーゲルへの評価も一変した。
これまでは金稼ぎが上手いだけの男だったのが、やるときはやる男に変わったのだ。
今のシーゲルの力はダルカン幹部の中でも群を抜いている、というかボスと他の幹部全員まとめて相手にしても、互角以上に戦えるだけの力を持っている。
普通、部下がここまで大きな力を持てば組織は割れる。部下を恐れたボスが粛正するか、その前に部下の方が裏切るか。
そうならなかったのはボスのギブラックの度量の大きさ故だ。
「あいつも大物になったもんだな」
と笑うだけで、彼は今まで通り特に何もしなかった。
「気をつけた方がいいのでは?」
などと言う部下がいても笑い飛ばした。シーゲルが裏切るなど、全く考えていないようだった。度量が大きいともいえるが、単なる脳天気ともいえる。
だがシーゲルの方も裏切るつもりなどなかった。
「ボスが何か言ってくるんじゃありませんか?」
などとこちらも心配してくる部下がいたのだが、
「ボスはそんなことを気にするような小さい人間じゃねえよ。だから俺はボスのことが好きなんだ」
と言って今まで通りボスに忠誠を誓っていた。
両者の関係が維持されたので、犯罪ギルド・ダルカンもそのまま維持されたのだが、これに我慢ならなかったのがラバンだった。
それまではラバンの方が上に見られていたのに、シーゲルが実は強大な力を隠し持っていた――実態はレンとダークエルフたちだったが――ことで、二人の評価は逆転した。今や誰に聞いてもシーゲルの方が格上と言うだろう。
ラバンはシーゲルを激しく憎み、レンのことも憎んでいた。レンからしてみれば逆恨みもいいところだが、彼にとっては正当な怒りであり、その怒りがレンを前にして爆発したのだ。
「こいつが本物か偽物か、オレが確かめてやる」
頭に血が上ったラバンが、レンの胸ぐらをつかもうと手を伸ばす。
レンは平然と立ったまま――のように見えて、実はラバンの凶悪な視線にビビって動けないだけだった。
「おいラバン――」
さすがにこれはシャレにならないと、ギブラックが声を荒げてラバンを止めようとした。貴族に手を出したりすれば、どんな報復があるかわかったものではない。
横にいたシーゲルも二人の間に割り込もうとした。
だが二人より前に動いた者がいた。
ラバンの太い腕を、小さな手がつかんで止める。
「ああ?」
ドスのきいた声を上げ、ラバンが手の主をにらむ。
彼の手を止めたのは小柄なダークエルフの少女――カエデだった。
ラバンの顔が怒りで一気に赤くなる。
よりにもよって下等なダークエルフが手を出してくるなど、彼にとっては到底許せることではない。
「このガキ――」
つかまれた腕を振りほどき、このダークエルフを殴り殺してやる、と思ったラバンだったが、その動きが止まる。つかまれた腕がびくともしないのだ。
こいつ!?
自分の腕をつかんでいるのが、ただのガキではないことにラバンはやっと気付いた。
ラバンは暴力の中で生きてきた男だ。本来なら、一目でカエデの異常さを見抜いてもよかった。しかしこの時まで、彼の目にカエデは入っていなかった。
多少の酒が入っていても、ラバンは油断していなかった。
レンは体が大きく、しかもかなり鍛え上げられた体つきをしているのにも気付いていた。そして彼が連れていた男のダークエルフ、そいつからも濃密な暴力の気配が漂っていた。どちらも油断できる相手ではない。
だがこの二人に目がいったことで、残りの一人が目に入っていなかった。
「うおっ!?」
カエデに腕をぐいっと引っ張られ、ラバンの体がよろける。
こいつ化け物か!?
ものすごい力だった。怪力の自分が、腕を振り払うどころか、踏み止まることもできない。 引っ張られて前に傾いたラバンめがけ、カエデの右足が動いた。
スパーンという小気味いい音とともにカエデの右の回し蹴りがラバンの側頭部にヒットし、ラバンの巨体が糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
一撃で意識を刈り取ったのだ。
カエデが、どうだと言わんばかりの笑顔をレンに向ける。
「よ、よくやってくれたねカエデ」
レンも笑顔になってカエデの頭をなでると、カエデもうれしそうに笑う。人一人蹴り倒したばかりとは思えない無邪気な笑みだ。一方、レンの笑顔は若干引きつっていた。
やり過ぎでは? と言いたいレンだったが、そうは言えない事情があった。
ここに来る馬車の中で、レンたち三人は危険に備えるよう話し合っていたのだ。
「犯罪ギルドに乗り込むのですから、決して気を抜かないで下さい」
と言い出したのはゼルドだった。
「そ、そうだね」
少し緊張しながらレンが答える。
犯罪ギルドの会合といってもシーゲルもいるし大丈夫だろう、と余裕があったレンだが、馬車に乗り、いよいよ目的地が近付いてくると急に不安になってきたのだ。
だからだろう、カエデに言ってしまった。
「もし襲われそうになったら頼むよ」
「うん!」
とカエデは元気よく返事をしてくれたわけだが、それが今の事態を引き起こしたとも言える。カエデは言われた通りにレンを守ってくれたのだから、それをほめるしかない。
「ハッハッハッ! さすがは兄弟、あのラバンを一撃とは恐れ入るよ」
大きな笑い声を上げたのはシーゲルだ。凍り付いたようになっていた部屋の空気が、彼の笑いで動き出す。
目の前の光景が信じられず、呆然としていたギブラックや他の幹部たちが、ハッと我に返ったようになる。
幹部の中には、カエデの銀髪を見て、
「こんなガキが愛人か? 趣味が悪いな」
とか
「女連れでやって来るとは、いいご身分だな」
などと思っていた者もいたのだが、すでにそれが間違いだったと気付いていた。
レン・オーバンス、噂通りの恐ろしい男だ。
「いい一撃をくれてやったことだし、それでこいつの無礼は忘れてくれ。頼むよ兄弟」
ちょっとおちゃらけたように頭を下げるシーゲルに、レンは「ええ」とうなずく。
無礼とかは気にしていないし、忘れてほしいのはむしろレンの方だ。蹴られたことを恨みに思わないでほしい。
「そうだな。酒癖の悪いこいつには、いいクスリになっただろう。ハッハッハッ!」
ちょっと無理矢理な感じだったがギブラックも笑い声を上げ、つられたように他の幹部たちも笑う。
それでこの場はどうにか収まった。
後日、とある噂が王都の裏社会を駆け巡った。
あのレン・オーバンスがダルカンに乗り込み、生意気な口をきいたラバンをボコボコにした――という噂である。
これによりレンの名は、ますます王都の裏社会に広まることとなった。