第239話 呪いへの挑戦
二日後、約束通りにジョルダンが劇場にやって来た。
「ようこそ、おいで下さいました」
ドーソン団長と劇場の支配人が満面の笑みで出迎える。これを機にどうかお近づきに――なんて思いがありありと出ていたが、ジョルダンの方は素っ気なく応じた。
売れっ子の奏者なので、こういう出迎えには慣れているようだ。
劇場にいた舞い手たちも、どうにか彼の目にとまらないかと愛想を振りまくが、こちらもジョルダンは反応することなく通り過ぎる。
「まずはこちらへ――」
二人はジョルダンを応接室に案内しようとしたのだが、
「いえ、お気遣いは無用です。時間も限られていますし、さっそく舞を見せていただきたいのですが」
言葉は丁寧だが、無駄な時間を過ごすつもりはない、という強い態度でジョルダンが答える。
残念そうな二人だったが、これ以上しつこくして不機嫌になられても困る。仕方なく、言われたとおりに舞台の客席へと案内した。
「あ、先日はどうも」
先に来て客席に座っていたレンが、ジョルダンが来たのに気付き、立ち上がって挨拶する。
「本日はお招きありがとうございます」
とジョルダンもレンに向かって丁寧に挨拶した。
来たくて来たわけではない、というのが彼の本心だったが、さすがに貴族相手にそんなことは言えないので、礼儀正しく振る舞った。
「マローネさんは少し遅れるそうです」
今日はマローネも来る予定だったのだが、急に外せない用事が入ってしまったとかで、遅れるとの連絡が来ていた。
「わかりました。ではさっそくですが、オーバンス様の舞い手の実力を見せていただきたいと思うのですが」
「そうですね。もう準備はできてるみたいです」
ちょっと不安そうにレンが言う。
二日前、舞の演出を変えようと言い出したのはレンだったが、今になって不安になってきた。これで大失敗したら、言い出したレンの責任である。
この二日間、ミリアムも一生懸命練習していただろうが、その成果がどれくらいなのか、レンもまだ見ていない。うまく踊ってくれるのを祈るのみだ。
レンとジョルダンが並んで座り、その横にドーソンと劇場の支配人が座る。客はこの四人だけの貸し切り状態だ。
そしてミリアムが舞台の袖から姿を見せる。とてとてと歩いて舞台の真ん中に出てきたミリアムは、客席の四人にペコリと頭を下げる。
おやっ? という顔をしたのがジョルダンだ。
誘惑のフィリアでは、舞い手は大胆に肌をあらわにした扇情的な衣装を身に付けるものだ。ところがミリアムが着ていた衣装は、白くふんわりとしたドレスだった。扇情的どころか露出は控えめだ。
これはこれでかわいらしいが、フィリアには似つかわしくない。
急に衣装がダメになったとか、何かのトラブルか? などと思っていると、奏者の演奏が始まり、ミリアムが踊り始めた。
ここでもジョルダンは驚いた。
演奏されている曲も、踊っている舞も、誘惑のフィリアには違いないが、通常のそれとは大きく違っていた。
誘惑のフィリアは、激しくアップテンポな舞だ。内容も、演奏も、踊りも、全てが激しく情熱的なのだ。
ところが今演奏されている曲は、緩やかなテンポで、明るく優しい曲になっていた。
舞い手も曲に合わせて踊りを変えている。振り付けは変わっていないが動き方が違う。元の舞はやはり激しく情熱的であり、大人の女性の色気が前面に押し出されていた。
ところが今の舞は、大人の色気どころか、無垢な純真さを感じさせる。
これでは妖艶な女性の誘惑ではなく、初恋に戸惑いながらも必死にがんばろうとする少女のようではないか――と思ったところで、ジョルダンはこの舞の意図に気付いた。
そう、これは意図的なものだ。いくらなんでも、ここまで変えておいて、そんなつもりはありませんでした、なんてはずがない。
舞い手はまだ見習いのような子供だ。そんな子供が、元の誘惑のフィリアを踊るのはかなり難しい。だから演出を変え、妖艶な大人の女性ではなく、恋に戸惑うような幼い少女にしたのだ。
舞の演出を変えることは、そこまで珍しいことではない。舞い手の得手不得手に合わせて、舞の方の設定を変えることもある。だが、それをよりにもよって誘惑のフィリアでやるとは。
今までジョルダンは何度も誘惑のフィリアを見てきたし、演奏してきたが、彼にとって誘惑のフィリアは退屈な舞でしかなかった。ディアンナの呪いを恐れ、一流と呼ばれる舞い手が踊らないので、どうしてもそれなりの出来にしかならない。
今回もきっと同じようなものだろうと思っていたのだが、まさかこんなものを見せられるとは。
ジョルダンの隣に座るレンは、新しい誘惑のフィリアの出来映えに感心していた。新しい舞を見るのは彼も今日が初めてで、見るまでは不安だったが、見てしまえばそんな不安も消えた。
前の舞と比べてミリアムの動きがずっとよくなった気がする。ぎこちなさが消えて、自然にのびのび動いているように見える。今の方がずっとかわいらしくて魅力的だ。
自分は舞の素人だが、どっちを選ぶかと言われれば、断然、今の新しい方だ。
それにしても演出を変えると決まったのが二日前。それから二日でここまで見事に変えてきたのはすごい。ドーソンは一流の奏者を雇わねばと言っていたが、この劇場の奏者で十分なのではないだろうかと思った。
注目する二人の前で、ミリアムは新しい誘惑のフィリアを舞い終え、最後に二人に向かって一礼した。
レンは非常に満足して拍手したが、気になったのは隣のジョルダンだ。拍手もなければ、じっと黙ったまま舞台のミリアムを見ている。はたして彼の評価はどうだったのだろうと聞いてみる。
「どうでしたか? ちょっと変わっていたと思いますが……」
「いえいえ、ちょっとどころではないでしょう」
軽い笑顔になってジョルダンが答える。
「先日、オーバンス様は正直に評価しろとおっしゃっていましたが、本当に正直なところを言ってもよろしいですか?」
「はい。お願いします」
「では言わせていただきますが、全くダメですね。とても客の前に出せる代物ではありません」
ショックを受けるレン。そこまでダメだったのだろうか?
「奏者の演奏も、舞い手の動きもぎこちないし、その上、それぞれの動きがバラバラでまるで合っていません。これでは舞とはいえません。まるで練習が足りていません」
演出を変えると決めてから、練習時間は実質二日もなかった。それでもレンには上手く踊っているように見えたのだが、さすがはプロというべきか。彼の目には練習不足が明らかだったようだ。
「それはですね――」
事情を説明しようとしたレンだったが、ジョルダンの話はまだ終わっていなかった。
「ただやろうとしていることは非常に面白い。まさか誘惑のフィリアをこんな風に変えようなどと……自分で思いつかなかったことが、悔しいぐらいです」
若く優秀な奏者であるジョルダンは、新進気鋭の挑戦者でもあった。これまでの古いものを打ち破り、何か新しいことに挑戦したいと思っている人間だった。
だが思ってはいても、実際に挑戦するのは難しい。人気があってもジョルダンはしょせんは一奏者。仕事を受ければ、言われた通りに演奏するしかない。
売れっ子になったのはいいが、同じような演奏ばかりを求められ、仕事に不満を感じることもあった。そんな彼にとって今の舞台は久しぶりの刺激となった。
「オーバンス様はディアンナの呪いに挑戦しようというのですね?」
「いえ、挑戦とか、そんな大それたことは思ってないですよ。ただ新しいやり方があってもいいんじゃないかなあ、ぐらいの思いつきで」
「この誘惑のフィリアは、フィリアを幼い少女に変えていますよね? これを最初に変えようと言い出したのはオーバンス様なのですか?」
「一応、最初に言い出したのは僕です。ただマローネ司教も賛成してくれましたが」
決して自分一人で勝手に決めたわけじゃないですよ、という意味でレンは付け加えたが、ジョルダンはそれを少し違った意味で受け取った。
教会がディアンナについてよく思っていないことはジョルダンも知っている。だからシャンティエ大聖堂で誘惑のフィリアを上演すると聞いて少し驚いたのだが、まさかこんな風に演出を変えてくるとは思っていなかった。これもまた、ディアンナの呪いへの挑戦だろう。教会とレンが組んで挑戦しようというわけだ。両者のつながりは、思っていた以上に強いのかもしれない。
誘惑のフィリアは、ジョルダンにとっては退屈な舞だったが、何度か考えてみたことがある。
もし五十年前に自分がいたとしたら、どう行動していただろうか?
ディアンナの舞に魅了され、彼女の奏者を務めただろうか?
それとも彼女の舞に対抗し、他の舞い手と組んで、ディアンナの呪いを打ち破ろうと奮闘しただろうか?
どちらにしても刺激的だったことだろう。当時の王都ではディアンナが一番人気だったが、彼女に対抗意識を燃やし、何人もの舞い手が競うように誘惑のフィリアを舞ったという。王都の住人たちも大盛り上がりだったそうだ。
それでも彼女に勝つことはできず、若くしてディアンナは亡くなった。彼女の死後も挑戦はしばらく続いたが、いつしかそれは呪いと呼ばれるようになり、一流の舞い手は、彼女と比べられるのを嫌がって誘惑のフィリアを踊らなくなってしまった。
しかしレンは全く違った方向から、ディアンナの呪いに挑もうとしている。
「おもしろいですね」
そう、おもしろい。
すでに自分だったらどう演奏するか、と考えてしまっている。
舞い手の少女も、まだまだ未熟ではあるが光るものを感じさせる舞だった。自分が参加して鍛え上げれば、もっと伸びるはずだ。
「しかもこれをシャンティエ大聖堂で、国王陛下にお披露目するというのですよね?」
「そのつもりだったんですけど、ダメでしょうか?」
「先程も申しましたが、今のままではダメです。しかしもっと練習を積めば、そしてそこに私が加われば、大きな話題作として完成させることは十分に可能です」
「それってつまり、参加してもらえるってことですか?」
レンの表情がパッと明るくなる。
「はい。ですがそのためには条件が二つあります。一つは、これも先日申しましたが、今入っている仕事を断らねばなりません。本当にその調整をやっていただけるのでしょうか?」
「それは、はい。こちらで引き受けます。マローネさんも協力してくれるそうですから」
自分一人なら、彼の仕事先を回って、キャンセルしてもらうように交渉して――なんてのは無理だと思う。しかしマローネと一緒ならば、なんとかなりそうな気がする。自分と違い、彼はそういう交渉とかが大得意なのだから。頼り切りになってしまうが、向こうにも利益があるそうだし、協力してもらおう。
高額のキャンセル料がかかる場合もあるそうだが、そこはシーゲルにお願いする。遠慮なく言ってくれ、という彼の言葉を信じるしかない。
「それでもう一つの条件というのは?」
「他の奏者選びも、私に一任していただけないでしょうか?」
なんだ、そんなことかと思った。
「それならむしろ、こちらからお願いしたいぐらいです。ジョルダンさんが、いいと思える人たちを選んで教えて下さい」
どうせ誰がいいかなんて自分にはわからない。だったら一流のプロに、これはという人を選んでもらった方が間違いないだろう。
「本当によろしいのですか? オーバンス様が推薦する奏者はいないのでしょうか?」
「いませんね。お二人も、それでいいですよね?」
ドーソンとアマロワにも確認してみるが、二人とも、
「オーバンス様がそれでよければ」
という返事だったので、他の奏者選びはジョルダンに一任されることになった。
これはジョルダンには意外なことだった。
自分の舞い手を抱える貴族には、同じようにお気に入りの奏者がいることが多い。
一流の奏者と同じ舞台で演奏すれば箔が付く、というわけで、ジョルダンはよくそういう奏者を押しつけられてきた。また楽器をたしなむ貴族も多いので、親戚や知り合い、ひどい場合には本人が一緒に出るということもあった。
そんな人間の多くは技量が未熟で――優秀ならば、わざわざそんなことをする必要もない――ジョルダンは苦労してきたのだが、今回は難しい舞台になるのがわかっている。とてもではないが足手まといの面倒なんて見ていられない。
この条件を飲んでもらえないなら今回の仕事は断る――というぐらいの強い気持ちで申し出たのたが、あっさり認められたので、肩透かしを食らったような気分だ。
いや、違うなとジョルダンは思い直す。
教会と組んで、国王陛下を招くという大舞台だ。それだけ向こうも本気なのだ、と彼は気合いを入れ直した。
レンが彼の条件を飲んだのは、単に出したい奏者がいなかっただけなのだが、そんなことは知らないジョルダンは、さらにやる気を燃やした。
「ありがとうございます。それでは、すぐに誰を呼ぶかまとめます」
まず頭の固い年寄りは除外だ。誘惑のフィリアをこんな風に変えると知ったら、演奏するどころか激怒するだろう。必然的に自分と同じような若手が中心になるが、その中から誰を選ぶか――すでにこれはという奏者が何人か浮かんでいる。
自分の好きなように奏者を集められるなど、こんな機会は滅多にない。考えられる限りのベストメンバーを集めてもらうつもりだった。