第238話 ディアンナの呪い
ジョルダンとの話を終えたレンは、結果を伝えるためにすぐに劇場へ戻った。
「――というわけで、ジョルダンさんに一度見てもらうことになったんですけど……」
レンが一通り説明したが、話を聞いていたドーソン団長とアマロワは難しい顔になった。ミリアムも一緒に聞いていてたのだが、こちらは興味なさそうな顔をしている。
「やっぱり難しいですか?」
「正直なところ、ジョルダンに認めてもらうのは、かなり難しいのではないかと……」
アマロワが遠慮がちに言う。
「……ミリアムは実力不足ってことですか?」
本人がいるのでちょっと迷ったが、思い切ってズバッと聞いてみる。
「ここ数日で、この子の舞は格段に向上しました」
レンが稽古場に顔を出した時だ。あの時、ミリアムは多少なりともフィリアの心情をつかみ、それ以前とは明らかに違う舞を踊れるようになった。
「同年代の子供で、これほどの誘惑のフィリアを踊れる者はいないでしょう。しかしそれは子供という条件付きです。大人の舞い手と比べればまだまだです。これはこの子の実力というより、やはり子供がフィリアを踊るのは難しいのです」
妖艶な大人の女性を、小さな女の子が演じるのは難しい。
もし舞に年齢制限のあるジュニアクラスとかがあれば、ミリアムの舞はかなり上手な部類に入るだろう。
しかし舞には年齢制限などない。舞台に立って舞うならば、大人も子供も関係なし、同じ舞い手として評価されるのだ。
「ふと思ったんですけど、フィリアって妖艶な女性じゃないとダメなんですか?」
レンの質問を聞いたドーソンとアマロワが、何を当たり前のことを、といった顔になる。
「いえ、僕は舞については素人なんですけど、解釈を変えるっていうんですか? 実はフィリアはもっと若い女の子だった、みたいな感じで演じたらダメなのかなあって」
レンの頭に浮かんだのは、アニメとかゲームのリメイクだった。過去作品をリメイクするときに、キャラデザや設定を変えたりすことがあるが、あれと同じようなことはできないのかな、と思ったのだ。
もっともレンの知る限り、リメイクで設定を大きく変えたりした作品は、たいがい不評だったりするのだが……
「オーバンス様。それぞれの舞には物語があり、多くの舞い手たちが積み上げてきた歴史があるのです。失礼ですが、それを軽々しく変えるようなことは――」
「いえ、待って下さい」
反論しようとしたアマロワを、マローネがさえぎった。
「オーバンス様の考えは、あながち間違いともいえません」
今回の件で、私も誘惑のフィリアについて色々と調べてみたのですが、と前置きしてからマローネが説明する。
「そもそも誘惑のフィリアの原典では、フィリアの年齢も容姿もはっきりと書かれてはいないようなのです。年齢不詳の美しい女性というだけで」
元々誘惑のフィリアはこの国で作られた舞ではなく、大陸中央の国で作られたものだ。それが評判となって他国にも広がり、ここグラウデン王国にも伝わってきたのだ。
「そうやって伝わっていく中で、清廉な神父を誘惑するのだから、フィリアは妖艶な女性に違いない、という解釈が一般的になったのでしょう。特にこの国では、ディアンナの呪いもあるので、その解釈が決まり事のようになっていますが、必ずしもそうではないのです」
「すみません。そのディアンナの呪いってなんですか?」
レンが質問すると、ミリアム以外の三人が、えっ? という顔になった。
どうやらまた知っていて当たり前のことを聞いてしまったようだ。だが仕方ない。知らないものは知らないのだ。
それにしても呪いというのは穏やかではない。
もしかして下手な舞を踊ると死人が出るとか? そういうオカルト的なことを想像してしまったレンだったが、そういうのとは違っていた。
「今から五十年ほども前のことです。まだ私がミリアムのような見習いだった頃です」
アマロワがディアンナの呪いについて説明してくれた。
今から五十年ほど前、この国にディアンナという一人の舞い手がいた。彼女はどこにでもいるような売れない舞い手だった。
転機が訪れたのは彼女が二十四の時だ。
舞い手にとっては、そろそろ先を意識し始める年齢だった。売れないまま舞い手を続けていくべきか、それとも別の道――一番いいのはどこかの金持ちの妻になること、それが無理なら愛人か――を探すべきか。
売れっ子になれるのはごく一部、三十を過ぎても舞い手を続けられる者はさらに少ない――舞い手の世界はそんな世界だ。
ディアンナも舞い手に見切りをつけ、別の道を探すべきかと悩んでいた。そんなとき隣国から一つの舞が伝わってきた。それが誘惑のフィリアだった。
ディアンナもそれを舞い――そして大ヒットした。
いわゆる当たり役というやつだ。
舞台の上でフィリアを舞うディアンナは、普段の彼女よりも何倍も魅力的に見えたという。その人気はすさまじく、当時は王都中の男が彼女に魅了され、女性ですら頬を赤らめた――などと言われている。
それから四年後。人気絶頂だった彼女は、流行病にかかってあっさりとこの世を去った。
突然の死にファンは嘆き悲しみ、嫉妬に駆られた他の舞い手に毒殺されたとか、フラれた貴族が暗殺者を雇って殺したとか、色々な噂が乱れ飛んだりした。
そして若くして亡くなったことで、彼女の名前は伝説となった。
誘惑のフィリアは人気の舞いとなり、これ以降も数多くの舞い手が踊ることになったが、次第に一流と呼ばれる舞い手は踊らなくなっていった。
どれだけ上手に踊ったとしても、
「中々うまいが、やっぱりディアンナほどじゃないな」
などと言われてしまうからだ。
どんなものでもそうだが、思い出補正ほど強いものはない。
売り出し中の若手なら別に気にしないが、一流と呼ばれるほどになればプライドもある。勝てない相手と比べられるのを嫌がり、誘惑のフィリアを踊らなくなったのだ。
誘惑のフィリアを踊れば、誰であってもディアンナの影響からは逃げられないし、彼女に勝つこともできない――これがいつしかディアンナの呪いと呼ばれるようになった。
「ディアンナが踊ったフィリアこそ、まさに妖艶な美女そのものだったといいます。だからそれ以外のフィリアなど存在しなくなったのです。これもまたディアンナの呪いと言えるかもしれません」
最後にマローネが付け加えるように言った。
この国で誘惑のフィリアを語るなら、ディアンナの存在抜きには語れない。死後五十年たった今も、彼女は多くの人々を呪縛しているのだ。
だがレンはそんな歴史など知らなかった。説明を聞いて一応は納得したが、別に変えてもいいんじゃないの? という思いは消えなかった。
「お話はよくわかりました。ディアンナさんという素晴らしい舞い手がいて、今もその影響が残っているわけですよね。でも、絶対に解釈を変えたらダメってわけでもないですよね?」
「いえ、そのような誘惑のフィリアは、もはや誘惑のフィリアとはいえないでしょう。別の舞になってしまいます」
「アマロワの言う通りです。舞い手には個性があり、その個性に合わせて舞の演出を変えることもありますが、それでも変えてはいけない部分もあるのです。フィリアを子供にするなど、そこまで変えてしまえば、もう誰もそれを誘惑のフィリアとは認めないでしょう」
アマロワとドーソンの二人は強く反対した。いつもは貴族のレンに対する遠慮がある二人が、今回はかたくなだった。
レンとしては、新しいことに挑戦するのもいいと思うし、そこまで強く反対する二人の気持ちはよくわからない。
しかし文化とか歴史とかはそういうものかもしれない。部外者にはどうでもいいと思えるようなことが、当事者にとっては大事だったりするのだ。
まあ、しょせん素人の思いつきだし、二人がそこまで反対するならやめておこうと思ったレンだったが、意外なところから援護射撃が飛んできた。
「思い切って解釈を変えてみる、というのは悪くないと思います」
とマローネが言ったのだ。
これにアマロワとドーソンの二人がびっくりする。素人のレンが言うならまだわかるが、舞の本家である教会の司教が言ったのだ。その言葉は重い。
「ですが司教様、誘惑のフィリアを勝手に変えてしまうというのは、いかがなものでしょうか?」
「ドーソンさん。本来、舞とは神に捧げられるものであり、神に捧げるにふさわしかどうかは教会が判断するものなのです」
ドーソンとアマロワが「あっ」という顔をする。
「ディアンナと同じようでなければダメだとか、教会がそれを決めるのはいいですが、他の人たちが勝手にそうだと決めてよいものではありません」
ドーソンとアマロワは、この言葉だけでマローネが言いたいことを理解できたようだが、レンには彼が何を言いたいのわからなかった。
これもレンが舞についてあまり知らなかったせいだ。
教会で上演される舞はもちろん、民間の劇場で上演される舞も、全ての舞は教会が認めたものでなければならないのだ。
誰かが新しい舞を作ったならば、まずはそれを教会に持ち込み、上演の許可を取らねばならない。
無許可の舞を勝手に上演したり、さらには上演禁止の舞を踊ったりして、それが教会にバレたら厳しい処罰が下る。最悪の場合、異端と認定されて死罪もあり得るのだ。
他でもない誘惑のフィリアも、最初は上演禁止とされた。
「神父が女の誘惑に負けるなど、教会を愚弄するものだ」
といった理由で。
ところがその数年後にドルカ教の最高権力者、教皇が代替わりすると、
「神に仕える神父もまた弱き心を持つ人間である。誘惑のフィリアは、それを教訓として教えてくれているのだ」
といったように評価が一転、上演が許されるようになり、それが話題となって一気に広まった。
これは前教皇と対立していた新教皇による、政治的な判断とされているが、とにかくどの舞が正しく、どの舞が間違っているかの裁定は教会が下すことになっている。
ところがここに例外のような存在がある。それがディアンナの呪いだ。
「ディアンナが踊った誘惑のフィリアこそが至高であり、それ以外は認められない」
というのは教会ではなく大衆が言い出したことだ。教会ではなく、大衆が舞の是非を決めてしまった、ということになる。
教会の中には、これを問題視している者がいるのだ。
またディアンナ個人についても、こころよく思っていない者がいる。年配のファンの中には、今でも彼女のことを史上最高の舞い手とほめる者が多いが、彼女は教会所属ではなく民間の舞い手だった。
教会には、
「最高の舞い手は、教会の舞い手でなければならない」
と考える者が少なからずいるのだが、そんな彼らにとっては、ディアンナも、ディアンナの呪いも認められるものではなかった。
この五十年、彼らもなんとかしてディアンナの呪いを打ち消そうと色々やって来たのだが、どれも上手くいかなかった。
強権で舞を規制すれば、ディアンナに敗北したと認めることになる。さりとて、ディアンナ以上の舞い手は教会にも現れなかった。
「ディアンナのことを覚えている者がみんな死ねば、自然と呪いも過去のものになるのでは?」
今では半分あきらめムードで、そんなことを言う者もいる。大衆の圧倒的な支持に勝てなかったのだ。
さらに教会の若手は、もうディアンナにこだわらなくなってきている。
「もう死んでしまった舞い手など、今さら気にしなくてもいいではないか」
というわけだ。
これもまた、往事を知るか知らないかの違いだ。
民間の舞い手が最高とたたえられ、教会の舞い手が二番手以下に甘んじたあの屈辱の時代も、若者にとっては過去の出来事に過ぎない。
実のところ、マローネもディアンナの呪いなどどうでもいいと思っている。彼は舞に興味もないので――ガー太以外に興味がないともいえる――民間の舞い手が一番でも何の問題もない。神にとっては、教会所属だろうが民間だろうが舞い手は舞い手、変わらないだろうとも思う。
ただ問題なのはディアンナの呪いにこだわる教会関係者の多くが高齢ということだ。もう亡くなった者も多いが、まだ生きている者は年長なので、それなりの地位に就いている者が多い。
今回、シャンティエ大聖堂で上演することについても、
「誘惑のフィリアを、民間の舞い手に上演させるなどとんでもない」
という反対意見が少なからず出たのだ。
ハガロン大司教が賛成したので、多少の反対があっても上演は可能だが、穏便に済ませられるならその方がいい。新しい解釈で誘惑のフィリアを上演するというのは、反対する者への説得材料になる。
このようにレンだけでなくマローネも賛成に回ってしまったので、ドーソンもアマロワも、それ以上反対することはできなかった。
こうしてフィリアを妖艶な美女ではなく、幼い少女へと設定を変えることになった。
明後日、奏者のジョルダンが劇場に来ることになっているが、彼にもその新しい誘惑のフィリアを見てもらうことになった。
不安はあったが、どうせ今のまま続けてもダメだというのだ。だったら一か八か、新しいことに挑戦した方がいいとレンは思っていた。