第237話 奏者
「誰がいいかという話になれば、今ならジョルダンでしょうが……」
劇場の一室に、レン、ドーソン団長、マローネ司教が集まり、話し合いを行っていた。ミリアムの舞台に、奏者として誰を呼ぶかについて。
ドーソン団長が名前を上げたジョルダンは、
「今の王都で一番のヴォルン弾きは?」
と聞かれたら真っ先に名前が挙がる売れっ子の奏者だ。
ちなみにヴォルンは元の世界のバイオリンのような弦楽器で、この国ではメジャーな楽器の一つである。
舞には最低編成というのがある。最低限、これだけの楽器がなければ演奏できない、という意味の最低編成だ。
今回、ミリアムが踊る予定の誘惑のフィリアには、ヴォルン、ピヨロの二人が最低編成とされる。
ちなみにピヨロというのは木の横笛で、こちらもこの国ではメジャーな楽器だ。
最低編成が二人なら、奏者を二人そろえればいいのか、となりそうだがそういうわけにもいかない。
最低編成では音が寂しすぎるからだ。楽器が増えれば増えるほど演奏は豪華になるので、奏者が少ない田舎の村とかならともかく、多くの奏者がいる王都では、どんな舞台でもそれなりの奏者をそろえる。
だが増やせばいいというものではない。
あまりに音が豪華すぎると、舞が負けてしまうのだ。主役の舞より演奏の方が目立ってしまっては意味がない。だから舞い手の技量を基準にして、どれだけの奏者を揃えるかを決めねばならない。このあたりの調整は舞団長の腕の見せ所だ。
しかも今回は国王を招く舞台だ。ミリアムの技量も考慮せねばならないが、ある程度は豪華な奏者をそろえねばならない。そうでないと失礼になってしまう。
では誰がいいのか? という話になって、ドーソン団長がまず名前を上げたのがジョルダンだった。
「もっとも簡単に呼べる相手ではありませんが」
一流の売れっ子だから、仕事の予定もいっぱいだろう。奇跡的に予定が空いていたとしても、無名の舞い手の舞台に出てくれるとは思えない。
「では私からも話をしてみましょう」
とマローネ司教が言ってくれた。
教会の祭事で舞を踊ることがあるが、そこにジョルダンも何度か出たことがあり、マローネは面識があった。
「といっても挨拶を交わした程度ですが、話ぐらいは聞いていただけるでしょう」
ということで、早速レンとマローネの二人でジョルダンに会いに行くことにした。レンも一緒なのは、責任者が一緒に行った方がいいだろうとの判断だ。
さすがは一流の奏者というべきか、ジョルダンは王都の一角に立派な屋敷を構えていた。
呼び鈴を鳴らすと、すぐに使用人らしい若い男が出てきたが、彼はマローネを見てギョッとする。
レンたちは教会の馬車に乗り、神聖騎士の護衛付きでやって来たのだ。使用人は何事かと思っただろう。
ジョルダンに会いたいと伝えると、運良く彼は在宅だった。
「すぐにお取り次ぎしますので、お待ち下さい」
男が慌てて家の中へと戻ると、言葉通りすぐに戻ってきた。
「お会いするそうなので、どうぞお入り下さい」
神聖騎士たちは外で待機、レンとマローネの二人で屋敷に入ったのだが、使用人がおやっ? という顔をした。
レンはいつものごとく質素な服を着ていたので、マローネの使用人だと思われたのだろう。
なんでこいつも一緒に入ってくるんだ? とでも言いたそうな顔をしていた使用人だが、マローネもレンも当たり前のような顔をしていたので、結局そのまま二人をジョルダンのところまで案内した。
「お久しぶりです司教様。ようこそおいで下さいました」
部屋に入ると、一人の男が笑顔で出迎えてくれた。彼がジョルダンだろう。年齢は二十代後半ぐらいか。さわやか系のなかなかのイケメンである。
「申し訳ありません。急なお越しでしたので、何のおもてなしも用意していないのですが」
「いえいえ、お気になさらず。こちらが急にやって来たのですから」
マローネも穏やかな笑顔で応える。こちらもイケメンなので、並ぶとけっこう絵になった。
どうぞおかけ下さい、と言われたので、向かい合ってソファーに腰掛ける。
ジョルダンの前にマローネ、その横にレンが座ったが、ジョルダンはなんだこいつは? みたいな顔でチラリとレンの方を見た。
多分、彼もレンのことを使用人か何かだと思ったのだろう。それなのに何で横に座るんだ? と疑問に思ったに違いない。
「それでわざわざ司教様がお越しとは、どのようなご用件でしょうか?」
レンのことは気になったようだが、マローネが何も言わないので無視して話を進めることにしたらしい。
「もしかしたら噂ぐらいはお聞きかもしれませんが、先日、国王陛下主催のダンスパーティーで、ちょっとした騒ぎがあったのをご存じですか?」
「もしかしてあの話ですか? どこぞの貴族のバカ息子が、自分のお気に入りの舞い手を売り出そうと陛下に紹介したあげく、その舞台に招待したとかいう。我々の間でも、図々しい奴がいたものだと話題になっていますが」
心底あきれた、といった調子でジョルダンが言う。
それを聞いたレンは苦笑する。あのときの話が、伝言ゲームになって広まっているようだ。まあ、全くの的外れでもない。自分から積極的にミリアムを売り込んだわけではなかったが、宣伝になるかも? と思ったのは事実だ。
「どうやら話が誤解されて伝わっているようですね」
マローネも笑いながら言う。
「とある貴族のご子息が、陛下を舞台にお招きすることになったのは本当です。ですが、それは自分の舞い手を売り込もうとしたからではありません」
「ではどういう意図で?」
「その前にご紹介しておきます。そのご子息というのは、オーバンス伯爵家のレン様なのですが、こちらがそのレン・オーバンス様です」
「はは、ご冗談を」
隣に座るレンを紹介したのだが、ジョルダンはそれを冗談と受け取ったようだ。
「本当です。神に誓って」
「え?」
ジョルダンの顔から笑いが消える。
司教が神に誓ってと言うなら、それは冗談などではない。
「では、もしかして本当にこちらが、その……?」
はい、とマローネが答えると、ジョルダンは慌ててレンに向かって頭を下げる。
「これは知らぬこととはいえ、とんだ失礼を……」
ジョルダンの顔を冷や汗が流れた。
平民のような格好をしているくせに、それで貴族とは不意打ちもいいところだ。そんなのわかるわけがないので、好き勝手言ってしまった。
「どうかお気になさらず」
自分でも貴族らしくないのはよくわかっているので、間違われても腹が立ったりはしない。
「今日こちらに伺ったのも、こちらのオーバンス様に関わることなのです。一月後、オーバンス様が主催する舞台に陛下をお招きすることになっているのですが、その奏者としてジョルダンさんにも出ていただけないかと」
頼んできたのがマローネ司教でなければ、そしてさっきの失言さえなければ、即座に断っていただろう。無名の新人の舞台に出るなど、自分で自分の価値を落とすようなものだ。
もしかしてこの男が平民のような格好をしているのもそれが理由か? わざと私に勘違いさせて失言を引き出し、それを理由に出演させようという――などとジョルダンは深読みする。
「わざわざお越しいただいたのに申し訳ないのですが――」
言葉を選びながらジョルダンは言う。
「残念ながら、すでに仕事の予定が入っております。それを断ってというのは難しく」
事実である。人気絶頂のジョルダンには、次から次へと仕事の依頼が入ってくる。予定はぎっしり詰まっていた。
「わかっています。その仕事先には、私の方から話をしましょう。無理を言って申し訳ないですが、今回は譲っていただけないかと。金銭的な補償についてもご心配なく。こちらのオーバンス様が全額支払って下さるでしょう」
「えっ? ああ、そうですね」
急に話を振られて驚いたレンが慌ててうなずく。
無理してこちらの仕事を割り込ませるのだから、多少お金がかかるのは仕方ない。マローネの言う通り、それはレンが全額支払うつもりだ。お金の出所はシーゲルだが。
「司教様がそこまでおっしゃるとは、正直、驚いております。失礼ですが、お二人はどのようなご関係で?」
伯爵家の息子というのは権力者だが、司教をあごで使うほどの力はないはずだ。どんな理由でマローネがそこまで協力するのか、ジョルダンは気になった。
「実は今回の舞台なのですが、教会も大きく関わっておりまして」
「なんですと?」
ジョルダンが驚くが、ついでにレンも驚いていた。彼もそんなことは初耳である。
「ディラン聖堂長がご病気なのは、ジョルダンさんもご存じかと思いますが」
当然知っている。
ディラン聖堂長は、この国の教会を統べる最高権力者だ。そんな彼が病で寝込んでいるのはもちろん知っているし、ハガロン大司教とガーダーン大司教が激しい後継者争いをしていたのも知っている。そして先日、ハガロン大司教が決定的な勝利を収めたことも。
奏者として、貴族社会や教会とも深いつながりのあるジョルダンは、そちらの世界の出来事にも常に気を配っている。マローネ司教にことさら丁寧に接しているのも、彼がハガロン大司教の腹心だと知っているからだ。
しかしそんな彼でも、レンが主催する舞台に、教会が関わっているとは知らなかった。
「教会の者は皆、心から聖堂長の快復を願い、きっと元気になられると信じております。しかしそれとは別に、誠に不謹慎ながら万が一の事態にも備えておかねばなりません。ディラン聖堂長にもしものことがあれば、次の聖堂長はハガロン大司教の可能性が高いですが――」
控えめな言い方だなとジョルダンは思った。まあ、ほぼ決まりでも、まだ決まったわけではないので、断言することもできないのだろうが。
「もし聖堂長が代わるとなれば、話は教会の中だけでは終わりません。陛下とも色々な調整が必要となるでしょう」
国王と、シャンティエ大聖堂の聖堂長は、この国のツートップともいえる存在だ。どちらかが代わることになれば、色々なことを話し合う必要が出てくる。
「しかしながら、現時点で次の話をするなど、不謹慎とのそしりは免れません。そこで今回の舞台なのです。オーバンス様主催の舞台なのですが、実はシャンティエ大聖堂で行うこととなりました」
「なんですと!?」
ジョルダンが大声を上げる。シャンティエ大聖堂の舞台は、舞い手にとって頂点ともいえる場所だ。教会所属でない民間の舞い手がそこに立つのも滅多にないことなのに、それが無名の新人となれば前代未聞の出来事だ。
「舞台がシャンティエ大聖堂なのですから、陛下にはそこまで足を運んでいただくことになります。そうなると、本来ならディラン聖堂長が出迎えねばなりませんが、残念ながらご病気。となれば代理でハガロン大司教が出迎えることになるでしょう」
「なるほど、そういうことですか」
合点がいった、とばかりにジョルダンがうなずく。
今、国王とハガロン大司教が会えば、マローネが言ったように、
「すでに聖堂長気取りか。まるでディラン聖堂長が亡くなったかのような振る舞いではないか」
などと非難の声が上がるのは目に見えている。
しかし舞の舞台ということになれば、ハガロン大司教が代理で出迎えても非難されることはない。
多少強引ではあるが、上手い手を考えたものだ、と感心したジョルダンだったが、今度は別のことが気になってきた。
「事情はわかりました。では、今回の舞台は最初から全て陛下と教会が計画したもので、オーバンス様もそれに協力なさっただけということですか?」
協力も何も、そんな話は初耳である。レンとしてもマローネの答えが聞きたかった。
「いえ、最初は違いました。陛下は単にオーバンス様を気に入り、舞台への招待を快諾なさっただけです。その話をうかがい、ちょうどいい機会なので協力していただけないかと、我々の方からオーバンス様にお願いしたのです」
そんなお願いもされていない。というか、この話はどこまで本当なのだろうか。最初はジョルダンを説得するために適当に話を作っているのかと思ったのだが、もしかして自分の知らないところで、本当にそういう話になっているとか?
「オーバンス様には、これまでも色々と教会のためにご尽力いただいてきました。今回のことも、二つ返事で快諾していただきました」
だから聞いてないんですけど、と思いつつ、ここでそれを口に出すわけにもいかないので、その通りですといった感じでうなずくレン。
ジョルダンはそれを見て、マローネ司教とレンには深いつながりがあるようだと理解した。
そういえばハガロン大司教の後継者争いにも、このレンという若者が関わっていた、なんて話を聞いたことがある。あれも本当だったということか。
そして今回の舞台の裏が見えてきたことで、ジョルダンに迷いが生じていた。依頼を受けるか断るか。
売れっ子のジョルダンの元には、引っ切りなしに出演依頼が来る。その中には、自分の舞い手の舞台に出てくれ、という貴族からの依頼も多い。
だが彼は、基本的にその手の類いの依頼は全て断っている。
多額の報酬を提示されても、実力のない舞い手の舞台に出るなど、彼の奏者としてのプライドが許さなかったからだ。
彼は平民だったが、これまで舞の舞台や演奏会を通じて、多くの貴族との間に人脈を作ってきた。よほどの大貴族でもない限り、依頼を断っても問題なかった。
今回のレンの依頼も、本来なら即座に断っているはずだ。無名の舞い手の宣伝などに使われるつもりはない。
だが王室と教会が関わっているなら話は別である。ここでマローネ司教に貸しを作っておくのは、決して悪いことではない。
それでも彼が出演を迷ったのは、今回の舞台の本当の理由――国王とハガロン大司教の会談――が表沙汰にできないものだからだ。
これが王室や教会からの正式な依頼であれば、ジョルダンも断らなかった。しかし表向きは、あくまでレンが主催する舞台なのだ。
そうである以上、依頼はレンからのものであり、それを受けて無名の新人の舞台に出たとあっては、周囲から何を言われるかわかったものではない。
「金に目がくらんだんだろう」
とか、
「何か弱みでも握られたんじゃ?」
などと誹謗中傷を受けることだろう。若くして成功したジョルダンを妬む者も多いのだ。そういう連中が、ここぞとばかりに叩いてくるに違いない。
迷っているジョルダンを見たレンが口を開いた。
「もしよければ、一度ミリアム、今度の舞台に出る舞い手を一度見てもらえませんか? 実際に見て、実力不足と判断したなら断ってもらってかまいません」
「よろしいのですか?」
聞いてきたのはマローネ司教だ。
ミリアムの舞を見ずに依頼を受ければ、もし舞台が失敗しても、
「あの程度の実力しかないとは思っていなかったのだ。ちゃんと見てから決めるべきだった」
みたいにジョルダンは後から言い訳ができる。
しかし一度見てしまえば、もう言い訳はできない。
ミリアムが下手な舞を踊ってしまえば、彼女の実力を見抜けなかったジョルダンの恥になる。だから甘い判定も期待できない。
マローネはそういうことを気にしたのだが、レンにとってはむしろそっちの方がよかった。
彼は何が何でもジョルダンに出てほしい、とは思っていない。
ドーソン団長も言っていたが、舞い手の実力がなければ、一流の奏者をそろえても意味がないのだ。
レンはできる限りミリアムを応援したいと思っていたが、彼女の実力以上にゴリ押しする気はなかった。結局最後はミリアムの実力次第と思っている。
そういう意味でも、ここで一度、外部の一流の人間にミリアムの舞を見てもらいたかった。残念ながら自分には彼女の実力を見抜けそうにないので、ジョルダンの意見を聞いてみたいと思ったのだ。
ジョルダンはこの申し出を受けた。この依頼は断ることになるだろうな、と思いながら。
若い貴族にはよくいるのだ。
自分の舞い手こそが世界一だ! などと根拠もなく思い込んでしまう者が。
レンもそういう貴族の一人なのだろう。どうせミリアムとかいう舞い手は彼の愛人だろうが、欲目が入れば冷静な判断などできるわけがない。
きっと舞を見たジョルダンが、
「素晴らしい! 彼女こそ百年に一人の逸材だ」
などと褒めちぎると思っているのだろう。今までそういう貴族を何人も相手にしてきて、いい加減うんざりしていた。
いいだろう。実力を見ろというなら見てやろうじゃないか。舞の世界はそんな甘いものではない。それを教えてやろうと思った。
「さっきの話、本当なんですか?」
ジョルダンの屋敷からの帰り道、馬車の中でレンはマローネに訊ねた。国王とハガロン大司教の会談の話だ。
「本当です」
と笑顔でうなずいたマローネだったが、
「ただし順序が少し違いますが。国王陛下とハガロン大司教の会談を実現するために、オーバンス様の舞台を行うのではなく、オーバンス様の舞台をシャンティエ大聖堂で行うために、もっともらしい理由を作り上げたのですが」
「そんなことして大丈夫なんですか?」
だいぶ話が大きくなっている気がするのだが、思いつきで進めていいのかと心配になった。
「問題ありません。順序は逆になりましたが、結果は同じですので。ハガロン大司教にもこの話をしたところ、それはいい考えだ、とたいそうお喜びでした。陛下といつ会談するかは大きな問題だったのですが、それが解決できたと、オーバンス様にもお礼を申しておりました」
「お礼を言われることなんて何もしてないですけどね……」
本当に何もしていない。自分の知らないところで、そんな話が進んでいたのもさっき知ったばかりだ。
シャンティエ大聖堂で上演するというのはマローネ司教からの提案だが、それで彼に迷惑がかかっていないか、レンは少し心配していたのだ。
だが、さすがというべきか、ちゃんと自分たちの利益に結びつけているようなので、レンは感心してしまった。
3週も更新できずにすみません。
色々と用事とかが重なってしまい、書く時間はないわ、某お船ゲーでは菱餅も集められないわ、ハンターになろうと思って買った某ゲームは、まだパッケージも開けてないような状況でした。
ただ、今週でやっと落ち着いたので、やっとモン、じゃなくて書く時間が取れるようになったので、また最低週一回の更新をがんばります。
で、少しずつ書いてたら、気付けばだいぶ長くなってしまったので、二つに分けて、続きはすぐにアップします。