第236話 フィリアの気持ち
「そうだ。こちらもついで、というわけじゃないんですけど」
レンにはシーゲルに頼みたいことがもう一つあったのだ。
「腕のいい武器職人って知りませんか? それも金次第で、どんな仕事でもきちんとやってくれるような」
「武器職人? 何を頼むつもりなんだ?」
「ダークエルフ用の剣を作ってもらおうと思って。それも特製の」
なるほど、とシーゲルはそれだけで事情を察したようだ。
腕のいい職人を探してほしい、というのは以前から商人のマルコに頼んでいたのだが、残念ながら上手くいっていなかった。
何人か見つけてもらったのだが、全員、
「ダークエルフなんぞに剣を作れるか!」
と断られてしまったのだ。
腕のいい職人は自分の仕事に誇りを持っているので、金を積まれてもダークエルフのために剣を作ったりしないのだ。
レンにとって、それは間違った誇りだったが、彼らにしてみれば正当な誇りだった。
金を出せば引き受けてくれる職人はいるだろうが、技量がなければ意味がない。
そこでシーゲルに聞いてみた。
犯罪ギルドの人間なら、金次第でどんな仕事でもやってくれる一流の職人を知っているのではないかと思って。
はたしてシーゲルからは、心当たりがあるとの答えが返ってきた。
「オレの方で調べて、後で兄弟に連絡しよう」
と引き受けてくれたので、後は連絡待ちとなった。
「じゃあ、まずはこれを渡しとく」
最後にシーゲルから革袋を渡された。
受け取るとずっしり重い。中には金貨がつまっていた。
「とりあえず、そんだけ持っていてくれ。足りなくなったら遠慮せずに言ってくれよ」
お礼を言って受け取ったレンは、そのお金を持って劇場へと向かった。
ドーソン団長に会ったレンは、どうにか資金の目処がついたことを伝え、もらってきたばかりのお金をそのまま彼に手渡す。
てっきり喜んでくれると思っていたのに、ドーソンは喜ぶどころか、なんだか恐がるように金を受け取った。
出所は犯罪ギルドだし、そういう反応も仕方ないかと納得する。レンだって本当はそういうお金を使いたくはなかったが、背に腹はかえられない。
だがドーソンの真意はちょっと違っていた。彼が恐れたのは犯罪ギルドではなくレンだった。
国王主催のダンスパーティーに出たかと思えば、犯罪ギルドの幹部から大金を引き出してくる。この方は本当に何者なのだ? と畏怖の念を強くしたのだった。
とはいえ金が用意できたのは大きい。シーゲルが出すと言い切ったのでお金の心配はなくなり、まず衣装作りがスタートした。
ミリアムの体の寸法を測り、デザインを決めて衣装を作ることになる。ただ今回は完全に一から作っていると時間が足りないので、既存の服の中からいいものを選び、それを手直しすることになった。
それでも時間的にはギリギリだったが、そこは金の力にものを言わせ、腕のいい職人を何人も雇って間に合わせることになった。
ミリアムは朝から晩まで猛特訓を続けていた。
大変そうだとレンは思ったが、本人はそれをつらいとは思っていない。一流のスポーツ選手でも、練習が嫌な選手や、練習が苦にならない選手がいたりするが、ミリアムは後者のタイプだった。舞の練習ならいくらでも耐えられる。
それに今までのミリアムも重労働を続けてきていた。見習いだったので、日中はずっと下働きで、空いた時間に舞の練習という生活だった。それが一日中、舞の練習になった。彼女にとって苦痛ではなく幸せだった。
しかし練習量は増えても、あまり成果は出ていなかった。
誘惑のフィリアは、動きそのものは難しい舞ではない。大きくわかりやすい動作が多く、踊るだけなら見習いでも十分踊れる。ミリアムも動きは全部覚えていた。
「ダメだダメ! 今のあんたは音に合わせて動いてるだけ、そんなんじゃ舞とは呼べないよ」
練習中のミリアムに、アマロワの叱責が飛ぶ。
「フィリアの気持ちを理解して、フィリアになりきって舞うんだよ。お前は気持ちが入らなきゃ踊れない舞い手なんだから、フィリアをちゃんと理解しなきゃダメだ。彼女と同じ気持ちになって、神父を誘惑する気で踊るんだよ」
と厳しく叱るアマロワも、それが難しいことは承知していた。
普通の舞い手なら、フィリアの気持ちを理解するのは簡単なのだ。
舞い手の世界は厳しい世界だ。売れっ子になって成功するのはごく一部。後は売れないまま年を重ねて消えていく。だから舞い手たちの競争も熾烈だ。
役を巡っての脅迫やいじめ、有力な後継者を得るために誘惑したり寝取ったり、それはもう競争というより何でもありの戦いである。
だからこそ、愛した相手に振り向いてもらおうと、全身全霊でぶつかっていくフィリアの気持ちを理解するのは簡単だった。多くの舞い手は、大なり小なりフィリアと同じような気持ちを持っていたのだから。
観客たちにとってもそれは同じだ。時代が変わっても、世界が変わっても、恋とか愛とかいうのは普遍的なテーマであり、多くの人の共感を呼ぶ。だから誘惑のフィリアも人気作となった。
しかしそれを理解するのにミリアムは幼すぎた。
初恋も知らないような少女に、フィリアの気持ちを理解しろというのは難しい、というのはアマロワもわかっていたのだ。
どうしたものかと頭を悩ませたアマロワは、ちょっと切り口を変えてみることにした。
「ミリアム。別に人じゃなくても、物でも何でもいい。これが欲しいとか、これだけは取られたくないとか、そういうことを想像してみな」
「欲しいもの……」
ミリアムは考えてみるが上手くいかなかった。
彼女が好きなものといえば舞だ。だが今の彼女は思う存分、舞を踊れている。フィリアとは逆に好きな物に満たされていたので、神父に恋い焦がれるフィリアの気持ちは想像できなかった。
そうやって悩みながら練習していると、レンが稽古場に顔を出した。
「お疲れ様です。調子はどうですか?」
「これはオーバンス様」
アマロワが深々とお辞儀をする。
「すみません。劇場に来たんで、ついでに様子を見に来たんですけど練習中でした?」
「いえいえ、大丈夫です」
本当はがっつり練習中だったのだが、レン相手に文句を言うわけにもいかない。ちょうどいい、一回休憩にしようと思ったアマロワはミリアムや奏者たちに言う。
「ちょっと休憩するよ。ミリアム、お前もこっちに来て挨拶しな」
練習をやめたミリアムは、言われた通りにレンのそばに行こうとしたのだが、その前に稽古場にいた他の舞い手たちが動いていた。
「これはオーバンス様、よく来て下さいましたね」
「初めまして。私、ザビーナと申します」
「ゆっくりしてらして下さいね」
舞い手たちは笑顔でレンを取り囲み、次々と挨拶や自己紹介をしてくる。
彼女たちも含め、舞団の関係者は全員、レンがミリアムの後援者となって大金を出したことを知っていた。さらに国王とコネがあり、ミリアムのために大舞台を用意したことも。
だったら自分も――と他の舞い手たちが考えるのも当たり前で、どうにかレンに気に入られようとこびを売ってきたのだ。
囲まれたレンはしどろもどろになった。普通の男なら美女に囲まれてウハウハなのだろうが、女性が、それも色気のある美人が特に苦手なレンにとって、若く美しい舞い手に囲まれるというのは拷問みたいなものだ。
嫌な汗を浮かべつつ、愛想笑いでこの場を切り抜けようとするが、それを許してくれるほど舞い手たちは甘くない。彼女たちも極上の獲物を逃すまいと必死なのだ。
「さすがはオーバンス様、人気者だねえ」
アマロワが苦笑を浮かべる。
金払いのいい後援者は、どの舞い手も喉から手が出るほど欲しい。若い頃の自分もそうだったので、彼女たちの気持ちはよくわかる。
意外だったのはレンの態度だ。女性たちに囲まれて困っているようにも見えるが、もしかしてあまり女慣れしていないのだろうか? それとも、やはりミリアムのような幼い娘にしか興味がない、とか?
などと考えていたアマロワの横では、レンに近寄れなくなってしまったミリアムがムッとした顔になり――どうして今、私はムッとしたのだろうと、自分で自分を不思議に思った。
他の舞い手たちとレンが仲良くしていても――彼女にはそう見えた――自分には関係ないはずなのに、なぜか嫌な気持ちになる。
あっ! と思った。自分の気持ちがなんなのか、答えがわかった気がしたのだ。アマロワが言っていたではないか。
「フィリアは好きな相手に自分を見てほしいと思いながら舞うんだ。お前も同じ気持ちになって舞いなさい」
何度もそう言われたが全然わからなかった。それがやっとわかった気がする。
今の自分もレンにこっちを見てほしいと思っている。そのためにはどうすればいいのか? 自分には舞しかないのだから、上手に舞を踊って見てもらうしかない。きっとフィリアという人も同じような気持ちだったのではないか。
ミリアムの気持ちは、子供心の嫉妬や独占欲だったが、それでも今までわからなかったフィリアの気持ちが少しは理解できたのだ。
「お師匠様。もう一回いいですか?」
「うん?」
なぜかミリアムが非常にやる気になっている。アマロワにも一目でわかるほどに。
オーバンス様に挨拶もせず練習を続けるのは無礼だけど……
チラリとレンの方を見ると、まだ舞い手たちに囲まれて動けないでいる。だったらいいかと練習を再開することにした。どうやらミリアムが何かをつかんだようだ。この機会を逃したくはなかった。
奏者が演奏を始め、音楽に合わせてミリアムが舞を踊り始める。
さっきまでと同じ誘惑のフィリアを。だがさっきまでとは違う誘惑のフィリアを。
なんで急に? と驚くアマロワだったが、すぐに理由に思い当たった。
ミリアムとレンを交互に見て、そういうことかと笑いを浮かべる。小さくても舞い手は舞い手ということだ。
レンは囲まれたままだったが、それでもミリアムが踊り始めたのに気付いてそっちを見た。
ミリアムもレンがこちらを見ていることに気付いた。目が合って、彼女は小さく笑みを浮かべる。楽しそうな、そしてどことなく勝ち誇ったような笑みを。