第234話 劇場
翌日。早朝にレンはお客の訪問を受けた。
ノックもなしにいきなり部屋に入ってきたのはブレンダだった。
「さあ行きましょう!」
待ちきれないといった感じのブレンダ。さすが子供、朝から元気いっぱいである。
「いけませんブレンダ様、失礼ですよ!?」
後ろでは昨日も一緒だった若いメイド――確かミゼリアという名前だったと思う――が慌てている。
元気なのはいいが、いつもこの調子だとあのメイドの子も気苦労が絶えないだろうなあ、とレンは同情した。
「早く行きましょう!」
とブレンダに手を引かれてレンは部屋を出る。行き先はもちろんガー太のところだ。
強引だったが、それでも一人でガー太のところへ行かず、まずレンを誘いに来たのだから、彼女にとっては十分我慢していたのかもしれないが。
「ガータ、ガータ! 今日も来てあげましたよ」
ガー太がいた厩舎に入ると、さっそくブレンダはガー太に向かって突進して抱きついた。
「ガー!」
帰れ! といった感じでガータは鳴くが、昨日と同じようにブレンダは全く気にしない。
「お前もうれしいんですね。ブレンダもうれしいです」
ガータは嫌そうだったが、ブレンダに乱暴するようなことはなく、遊び相手になってあげたのも昨日と同じだった。
そうやって遊んでいると国王も中庭に現れた。
「朝から相手をしてもらってすまんな」
「いえいえ。ブレンダ様の相手をしているのは、僕ではなくガー太ですから」
国王陛下というより、近所のおじいちゃんを相手にしているような感じでレンは答える。
「そうか。ではあのガーガーに褒美をやらんとな。何か好物はあるのか?」
「馬が食べるもの、人間が食べるもの、どっちもガツガツ食べてますけど、特に好物とかは気にしたことなかったですね……」
レンの知る限り、ガー太だけではなくガーガーはみんな雑食でいろんなものを食べる。野生のガーガーは草や果実に、小動物や昆虫を食べている。
後にガーガー学の権威であるズバ・バーン教授が行った調査によれば、ガーガーは雑食で、草木や果実、小動物や虫、魚など何でも食べるし、毒に対する強い耐性も持っていた。人間が食べれば死ぬ危険がある毒キノコなどもガーガーは平気で食べるのだ。
さすがに毒キノコを与えたことはなかったが、ガー太は何でもパクパク食べるので、逆に好物がわからなかった。今度、色々な食べ物を用意して、何が一番好きなのか調べてみようと思うレンだった。
「あ、おじいさま!」
国王に気付いたブレンダが、ガー太に向かって「あっち! あっちです!」と国王の方を指さす。
ガー太はブレンダを乗せたまま、言われた通りに国王の方へ歩いてくる。怒るのを通り越して諦めの境地に達したような足取りで。
「すっかり仲良くなったようじゃな」
「はい! ガータはブレンダのちゅうじつな家来ですから」
「ガー!」
という抗議の声にも、なんだか疲れがにじんでいる。元気な子供の相手はガー太でも疲れるようだ。
「そうかそうか。ではもう十分遊んだようだし、部屋に戻ろうか。そのガーガーも自分の家に帰らないといけないからな」
「ガータ帰っちゃうんですか!?」
ブレンダが驚きの声を上げる。
「このお兄さんには無理を言って泊まってもらったのだ。だからこれ以上は――」
「おじいさま、ブレンダいいことを思いつきました!」
言い聞かせようとした国王に向かって、ブレンダが声を上げる。
「ブレンダ、そのお兄さんとけっこんします!」
レンの方を指さして、いきなりそんなことを宣言する。
「せーりゃくけっこんです。そうしたら、ガータとずっといっしょにいられますよね?」
思わずレンは苦笑した。ちゃんと年は聞いていないがブレンダは小学校低学年ぐらいに見える。そんな子が政略結婚なんて言葉をどこで聞いたのだろう。この子も王族だし、もしかしたら小さい頃からそういう教育を受けているのかもしれない。
昨夜マローネ司教から教えてもらった話によれば、ブレンダはやはり国王の孫で、母親が国王の娘だそうだ。母親はとある貴族に嫁いでブレンダを生んだが、その直後、嫁いだ相手の貴族が魔獣との戦いで戦死。
死んだ貴族は当主だったので、ブレンダが息子なら父親の後を継いでいたはずだ。しかし娘だったために後継者問題がこじれた。結局、死んだ当主の弟――ブレンダから見れば叔父――がその家の後を継ぎ、ブレンダと母親は王家に出戻りということになった。
母娘を不憫に思ったのか、国王はそれからずいぶん二人を、特にブレンダをかわいがっているとのことだった。
そんなブレンダがどんな教育を受けているのかはわからないが、まあ、何にせよ子供の微笑ましい思いつきだ。笑って受け流せば――
「……レンよ」
国王がレンの方を振り返ったのだが、さっきまでと目付きが違っていた。冷たい目というのは、こういう目のことをいうのだろう。
「あの、陛下……?」
「王や貴族にとって、部下からの進言に耳を傾けるのは大切なことだ。人の上に立つ者は、下の者の言葉を聞かねばならぬ」
国王がいきなりそんなことを言い出した。
「だが無闇やたらに聞けばいいというものでもない。善意があっても間違う者もいるし、私利私欲で讒言してくる者もいる。上に立つ者は、それらを聞き分けねばならん。余にも色々な者が、色々なことを申してくる。お前のことを言う者も、な」
「僕のことをですか?」
「うむ。お前が自分の欲望を満たすため、年端もいかぬ子供をさらったり、金で買いあさっているとか、そういう話だ」
「いえ、それは――」
驚いたレンが反論しようとしたが、国王は右手を上げてそれを止める。
「もちろんそれが根も葉もない誹謗だとわかっておる。お前に嫉妬した者が、足を引っ張ろうとしておるのだろう。余にもそれぐらいの判断はつく。だがもし」
国王の目が一段と冷たくなった。レンの背筋が寒くなるほどに。
ブレンダを相手にしているときとは全然違う。長年この国を治めてきた王なのだ。いざとなればどこまでも冷酷非情になれるのだ、とその目が語っている。
「もしそのような話が真実であれば、それ相応の報いを受けてもらうぞ?」
「大丈夫です。全くの事実無根です」
と言いつつ、レンの脳裏をいくつかの出来事がよぎる。
……ちょっと誤解されそうなことがいくつかあるかも。だがそれはあくまで誤解、レンは小さな子供をさらってなどいないし、もちろんそういう趣味もない。大丈夫のはずだ。
国王からあらぬ誤解を受けそうになったが、その疑いは晴れ――晴れたはずだ――レンは帰りの場所の中にいた。
ブレンダは最後の別れの時も「せーりゃくけっこんです」とか言っていたが、きっとすぐに忘れるだろう……。
行きと同じく、帰りも教会が大型の馬車を用意してくれたので、レンとガー太はそれに乗って城を出た。
外が見えない馬車が嫌いなガー太だが、朝からブレンダの相手で疲れたのか、不満も見せず丸くなって寝ている。
レンの方は後悔していた。自分が犯したあまりに単純な間違いに。
本来なら式典が終わり、ダンスパーティーも乗り切ったので、これで自分の領地に帰れるはずだった。しかし帰れない理由が新しくできてしまった。
ミリアムの舞台だ。
昨日のパーティーで、後日、国王に舞を披露するという話になったわけだが、当然ながらそれは一大事だ。レンも最後まで見届けねばならないだろう。後は任せたと帰ってしまうのは、いくら何でも無責任すぎる。
考えてみれば当たり前の話だ。その当たり前のことに昨日は気付けなかった。
昨日のパーティーの余興として舞を披露していれば、そこで終わった話だったのに。
あの貴族が変なことを言い出さなければ――国王との話に割り込んできたドーゼル公爵の顔が思い浮かぶ。彼はレンを恨んで嫌がらせしようとしているようだが、この時点でそれは成功していたのだ。
軽はずみな行動だったと反省したが、とにかく決まってしまったのだから最後までミリアムに協力するしかない。
レンは御者に頼んで行き先を変更してもらっていた。郊外の集落へは戻らず、ミリアムのいる劇場へ。
馬車が劇場に到着すると、レンだけ下りて馬車はすぐに出発する。このままガー太を郊外まで送ってもらい、それからまた戻ってきてくれる手はずになっていた。
劇場の支配人とドーソン団長が、すぐに出てきて出迎えてくれる。
「昨日はお疲れ様でした」
丁寧に頭を下げてくる二人にレンも挨拶し、ミリアムの様子をたずねる。
「あいつも昨日は夢見心地だったようで、何を勘違いしたのか、国王様に舞をお見せするとか、不敬なことを言ってますよ」
ドーソン団長が笑いながら言う。どうやらミリアムが昨日のことを話したようだが、ドーソンたちはそれを冗談か何かだと思って本気で受け取らなかったようだ。
「ミリアムの言ったことは本当ですよ」
「は?」
「ですから、本当にミリアムが国王陛下に舞を披露することになったんです」
ドーソンと支配人がかたまった。
劇場の応接室に場を移し、緊急の話し合いが始まった。
レン、ドーソン団長、劇場の支配人に加え、ミリアムと師匠のアマロワの二人も参加している。
「というわけで、後日、舞台を用意してミリアムの舞をご覧になってもらうということに……」
一通りの事情を説明し終わったレンだったが、最後は声が尻すぼみになった。
聞いていた三人の反応が、予想していたのと全然違ったからだ。ミリアムはあんまり興味なさそうに聞いていたが、これは予想通りだ。
レンの予想では、
「国王陛下に見ていただけるなんて、何と光栄なことだろう!」
と大喜びしてくれると思ったのだが、ミリアム以外の三人は、まるで葬式の話を聞いているかのように沈んだ顔をしていた。
「お話はわかりましたが……」
ドーソンが口を開くが、その口調は重い。
「まずお聞きしたいのですが、オーバンス様はどこで国王様に舞を披露するおつもりで?」
「一応、ここでと考えてますけど」
「とんでもありません!」
突然、支配人が大声を出して立ち上がったのでレンはびっくりする。
「こんな場所に国王様をお招きするなど、そんな恐ろしいこと……それで何かあったら……あったら……」
自分で言って何を想像したのか、支配人の顔から血の気が引いて、フラリとソファーに倒れ込む。
「大丈夫ですか?」
と聞いてみるが支配人からの返事はない。本当に大丈夫だろうか。
代わりにドーソンが答えてくれた。
「この劇場をけなすわけではありませんが、それでも国王様をお迎えできるような場所ではありません。国王様は小汚い劇場だと不快に思うでしょうし、周囲の方々も不敬だと怒るでしょう」
話したときの印象だと、あの王様なら不快に思ったりはしない気がするが、絶対とは言い切れない。
また自分と彼ら三人とでは、受け取り方にずれがあるのもわかった。
レンは国王の訪問を、日本における天皇の訪問と同じよう考えていた。
もし現代日本で天皇が地方の小さな劇場を訪問したとして、それで天皇が腹を立てるとは思えないし、周囲の人間が、
「こんな古くて小さな劇場に陛下を案内するとは不敬である!」
なんて怒ることも考えづらい。微笑ましいニュースとして受け取る者がほとんどだろう。
だがこの国の平民にとって、国王が訪問すると聞くと、名誉と喜ぶよりも、無礼かもしれないという恐れの方が大きいようだ。厳しい身分制度によるものだろうか。
とにかく安易に考えすぎていたようだ、とレンは反省したが、この劇場がダメとなると、どこか別の劇場を探さねばならない。
それに問題は他にもあった。
「ご覧になっていただくミリアムの舞も、はたして国王様にお目にかけられるようなものなのかどうか……」
アマロワがためらいがちに言う。
これまたレンとは意識のズレがあるようだ。
ミリアムはまだまだ子供だし、あの国王が子供の舞に怒るとも思えない。彼女にとってはいい経験になるだろう――なんてレンは軽く考えていたのだが、師匠のアマロワにとってはそうでないらしい。
「前にミリアムの舞を見せてもらいましたけど、僕はあれを素晴らしいと感動しました。あれでも国王陛下に見せられるようなものではないのでしょうか?」
レンは他人の舞を見たこともないので、平均レベルがどのぐらいなのかもわからない。ミリアムの舞でもまだまだなのだろうか。
「オーバンス様にお見せした初春の喜びですが、ひいき目に見ていることを入れても、同年代であれほどの舞を踊れる者は滅多にいません。あの初春の喜びでしたら、国王様にもお見せしても恥ずかしくありません。ですが舞うのが誘惑のフィリアというのが……」
そういうことかとレンも納得する。
昨日マローネ司教からも言われたが、誘惑のフィリアは妖艶な女性の舞だという。ミリアムのような子供が踊る舞ではないのだ。
どうしたものかと困り果てたレンたちだったが、そこへ救いの主が現れた。
「失礼いたします」
ドアを開けて入ってきたのはマローネ司教だった。
「これは司教様! お出迎えもせず失礼を――」
ドーソン、支配人、アマロワの三人が慌てて立ち上がって頭を下げる。レンは座ったまま軽く挨拶し、ミリアムも座ったままだったが、アマロワに怒られ立ち上がって挨拶する。
マローネ司教は室内の顔ぶれを見て、何を話していたのかすぐに察したようだ。
レンがかいつまんでこれまでの話し合いの内容を説明すると、打開策を提案してくれた。
「劇場でお困りなら、シャンティエ大聖堂ではどうでしょうか?」
ドーソン、支配人、アマロワの三人が驚き目を丸くする。特にアマロワの驚きは相当なものだったが、レンにはよくわからなかった。ミリアムも特に反応していない。
レンは知らなかったが、シャンティエ大聖堂には立派な劇場が併設されていた。舞はドルカ教の祭事だから、大きな教会には劇場が併設されていることが多いのだ。
「あるいは別の解決法もあります」
あまりお勧めはできませんが、と前置きしてから、その別の方法を教えてくれる。
「ミリアムに怪我をしてもらうのです。といっても別に本当に怪我をする必要はありません。ウソの怪我です。国王陛下の期待に応えるべく無理な練習をして怪我をした、ということであれば、今回の話もなかったことになるでしょう」
舞に限らず、やる気がありすぎたり、逆にプレッシャーに押しつぶされたりして、大事な本番前に怪我をするのはよくある話だ。
ウソはよくないが、本当に困ってのことなら神もお許しになるでしょう、なんてマローネは言う。
レンとしてはミリアムに踊ってほしかったが、三人が強く反対するならマローネの言うようにウソの怪我で中止もやむなしか、なんて思ったのだが、反対の声は意外な人物から上がった。
「ウソの怪我など必要ありません。本当にシャンティエ大聖堂で踊れるなら、そんな機会を逃すなんてとんでもない」
アマロワだった。しかしその顔はさっきまでと一変していた。老婆の全身から、炎のような気迫が立ち上っている。
「まてアマロワ。シャンティエ大聖堂で踊れるといっても、ミリアムが誘惑のフィリアを踊れるかどうかは――」
「死ぬ気で練習させます」
ドーソン団長の言葉を、アマロワがきっぱりとさえぎる。
「死ぬ気でといっても、できるかどうかは別の話だ。もし国王様に下手な舞を見せることになったら、どう責任をとるつもりだ?」
「その時は私と団長が責任をとって死ねばいいでしょう」
「死ぬなんて軽々しく言うな!」
「軽々しく?」
ドーソンが怒鳴り声を上げたが、アマロワはひるみもせず睨み返す。
「舞い手にとってシャンティエ大聖堂がどういうものか、団長も知っているでしょう? 男なんだからゴチャゴチャ泣き言なんて言わず、舞い手のために命をかけたらどうなんです?」
「いや、命をかけるとかじゃなくてだな……少し落ち着こう」
ドーソン団長の言葉が小さくなる。アマロワの尋常ではない気迫に押されていた。
そう、アマロワは燃えていた。
レンは知らないことだったが、この国の舞い手にとって、シャンティエ大聖堂の舞台は聖地だった。あの場所で舞を踊るということは、自分の舞が神に認められたということなのだ。まさに聖地である。
しかも教会所属の舞い手ではない、民間の舞い手がシャンティエ大聖堂で踊ることはまずない。
一流と認められた舞い手が、一度だけでもと熱望しながらついにかなわなかった――なんて話も数多い。
なかなか踊れないから、さらに望みは強くなる。舞い手の中には、シャンティエ大聖堂で踊れたなら死んでもいい、と公言している者もいる。
昔のアマロワもそんな一人だった。彼女もかつては若く美しい舞い手で、いつかはシャンティエ大聖堂でという夢を持っていた。残念ながらその夢はかなわなかったが、あれから何十年もたって、突然その夢がかなう機会がやってきたのだ。
自分がかなえられなかった夢を、自分の弟子がかなえてくれるかもしれない――そう思った途端、忘れていた昔の情熱がよみがえってきた。
彼女にとっては国王に舞を披露するより、シャンティエ大聖堂で舞を踊ることの方が重要だった。
なんか不定期な更新が続いてしまってすみません。このところ週末に時間が取れないことが多くて、遅れてしまってます。最低週一で更新を守れるようにがんばります。