第233話 ダンスパーティー(下)
国王や貴族たちに、どうにかごまかしながらガー太のことを話していたレンだったが、ミリアムのことを忘れたわけではなく、ちゃんと彼女のことも気にしていた。だから二人連れの男が彼女に話しかけようとしているのにもすぐ気付いた。
「すみません陛下。ちょっと失礼してもいいですか?」
「どうかしたのか?」
「いえ、僕の連れが……」
この時のレンは、二人の連れの男が悪意を持ってミリアムに近付いてきたとは思っていなかった。ここが街中ならまずそっちを考えただろうが、国王陛下主催のダンスパーティーだ。人さらいがいるわけないし、きっとあの二人も一人でいる小さな女の子を心配して声をかけてきたのだろうと思っていた。
「ずいぶんかわいらしいパートナーのようだが、あれはおまえの妹か?」
「いえ、あの子は知り合いの舞い手で」
「舞い手見習いか?」
「いえ、一応見習いではなく舞い手です」
レンが後援者になった時点で、ミリアムの立場は見習いから一人前の舞い手へと変わっている。まだ舞台に立つのは先になるだろうが。もちろんレンがごり押しすればすぐにデビューできるが、そんなことをする気はなかった。
「まだ小さいですけど、とても上手ですよ。というわけですみませんが、ちょっと行ってきてもよろしいですか?」
「ああ構わんぞ」
国王のお許しが出たので、レンは早足でミリアムのところへ向かったのだが、その後ろに国王がついて来たのに気付かなかった。
近付くと、ミリアムと男たちの会話が聞こえてきた。なぜか今ここで舞を踊るとかいう話になっているような……?
よくわからないが、とにかく声をかけようとしたところで、レンより先に声をかけた者がいた。一緒に来た国王である。
「それなら余も見せてもらおうか」
ちょっと面白そうに国王が言うと、二人の男がギョッとしたように振り向く。それは驚くだろう。レンも驚いていたのだから。
「お前もそれでよいな?」
とこれはレンに聞いてくる。
「何がいいんでしょうか?」
「よい座興だ。その子に舞を踊ってもらおうではないか。あのガーガーといい、ダークエルフといい、お前の連れてきた者には驚かされてばかりだからな。この小さい舞い手も、余を驚かせてくれるのだろう?」
面白がる口調で国王が言う。
「ミリアム、本当に踊れるの?」
二人の男相手に踊ると言っていたミリアム。別に嫌そうには見えなかったが……
「はい。踊れます」
「だったらいいのかな……」
国王の前で舞を踊るのはとても名誉なことのはずだ。前の世界で考えれば、天皇陛下の前で踊りを披露するようなものか。
ダンスパーティーの余興だと国王も言っているし、もし失敗しても問題にはならないだろう。
「わかりました。じゃあすぐに準備を――」
「お待ち下さい」
と制止の声がかかる。
そっちを向いたレンは、思わず「げっ」と声を上げそうになってしまった。
声をかけてきたのはドーゼル公爵だった。今日の式典でレンが恥をかかせてしまった近衛騎士団団長だ。
彼はこちらを恨んでいるだろうから、ミリアムの舞を止めに来たのだ、と思ったレンだったが、続く彼の言葉は予想と違っていた。
「仮にも陛下の前で舞うとなれば、舞い手の方にも準備が必要でしょう。それもこんな子供となれば、いきなり御前で踊れというのはいささか酷では?」
なんだかミリアムのことを気遣うようなことを言う。もしかしてレンのことは憎くても子供には関係ない、とミリアムのことを心配してくれているのだろうか。
「何もそこまで大げさに考えることはあるまい」
「いえいえ陛下。舞い手にとって陛下の前で踊るのは一生に一度の大舞台。それなりの準備をする時間を与えてやるべきでしょう」
国王が、それも一理あるなという顔になる。
「ちゃんと舞台を準備させてから、ご覧になったらよろしいのでは? 何しろこのレン・オーバンスが連れてきた舞い手、きっと陛下を楽しませてくれるでしょう」
自分の名前が出てきてレンがピクリと反応する。言ってることはそんなにおかしくないと思うが、なんだか含みのあるようにも聞こえる。
「お前もそちらの方がよいだろう?」
とドーゼル公爵がレンに聞いてくる。
もしこれが他の人間の提案なら、レンもすぐに「はい」と返事をしていたはずだ。
ちゃんと舞台を準備して、それから国王に見てもらう。とてもいいことのように思える。
しかし言い出したのが他でもないドーゼル公爵というのが気にかかる。何か裏があると思うのだが、それがなんなのかわからない。
黙ったままではいられないし、まさかドーゼル公爵があやしいから嫌です、とも言えない。
「わかりました。そういうことでしたらまた後日、ちゃんと準備をしてから見ていただければ」
迷った末にレンは彼の提案を受け入れた。
ドーゼル公爵が何か企んでいるとしても、ミリアムがキッチリ練習して舞を踊ればいいのだと割り切った。国王も後になってから、
「やっぱりあれは無しだ」
なんてことは言わないだろう。
「では一ヶ月後ぐらいでよいな。その娘がどんな誘惑のフィリアを踊るのか、私も陛下に同席させてもらうとしよう」
「うむ。余もその娘がどんな誘惑のフィリアを踊るのか楽しみにしておるぞ」
と話がまとまってしまったが、そこでレンは気になることが出てきた。
二人が言う誘惑のフィリア。さっきミリアムが男たちと話していたときも、そんな名前が聞こえたような気がしたが、もしかして超絶難度の舞だったりするのだろうか?
「ミリアムはそれを踊れるんだよね?」
「はい。踊れます」
どんな舞かは知らないが、彼女がそう言うなら大丈夫なのか?
気になるレンだったが、ここで国王がこの話題は終わったとばかりに、
「ところでレン。さっき途中まで話していたあのガーガーのことだがな――」
話をガー太に戻されてしまったので、ここではそれ以上ミリアムに聞くことはできなかった。
ダンスパーティーが終わったのは、日付も変わろうかという頃だった。
「若い頃ならまだまだ宵の口だが、老体にはつらい時間になってきた。余はここで失礼するが、皆はまだまだ楽しんでいってくれ」
と挨拶した国王が、みんなに見送られて退席する。
ダンスパーティーはそれからもまだ続いたようだが、レンは国王がいなくなってすぐ、待ってましたとばかりに大広間を出たので、いつまで続いたのかはわからない。
どうにか最後まで一曲も踊らずにすんだ。
もちろんレンから誘うことはなかったが、女性の方から、
「よろしければ一曲踊りませんか?」
なんて何度か誘われたし、それを見た周囲の貴族たちから、
「これはうらやましい」
「女性の誘いを断るわけにはいかんぞ」
などと囃し立てられたりもした。しどろもどろになりながらも、どうにか断ることができたが、思い返しても冷や汗が出る。よく断れたものだ。
もし断り切れなかったらどうなっていたか。見知らぬ女性と、多くの人が見ている前でダンスとか、想像するだけで恐ろしい。
国王の終わりの挨拶を聞いたときは、心底ホッとしたレンだった。
ダンスパーティーの開始からしばらくの間は、ミリアムと二人、こっそり料理を食べているだけだった。あのまま平和に終わってくれればよかったのだが、国王に見つかってガー太の話になった後は、他の貴族たちにも次々と話しかけられてしまった。
そこからは一人と話し終わっても、すぐに次の者が話しかけてきての繰り返しで、休む暇もなかった。
もうガー太のことを何回話したのかもわからない。ガー太を売ってくれというのも何回も言われた。
「あのガーガーを売ってもらえないだろうか。金ならいくらでも出す」
なんていうのはまだいい方で、
「私があのガーガーを買い取ってやろう。ありがたく思え」
なんて上から目線で言ってくる貴族もいた。レンには誰が誰だかわからなかったが、多分、身分が上の貴族なのだろう。
そんなわけで、さっそく王様からもらった褒美が役に立った。
「すみません。実はもう国王陛下に売るように言われ、手付金もいただいているのです」
さすがに国王の名前を出されたら、それ以上の無理強いはできない。貴族たちもそれで諦め、レンは大いに王様に感謝した。
その一方、国王からは新たな命令を与えられてしまったのだが。
「そうだレン。今夜は帰らず城に泊まっていくように」
「お城にですか?」
そんな話は聞いていなかった。遠方から来ている貴族もそれぞれ宿を取り、ダンスパーティーが終われば帰るはずだ。もちろんレンも帰るつもりだった。
「実はブレンダから頼まれてな。すまんが明日もあの子の相手をしてやってくれ」
きっとあの子が、明日もガー太と遊びたいとか言ったに違いない。王様というか、孫に甘いおじいさんはそれを断れなかったわけだ。どういうやり取りがあったのか容易に想像がつく。
というわけでレンは今夜は帰らず城に泊まることになった。本当はさっさと帰りたかったのだが、王様の頼みを断って恨まれても困るし、小さな女の子を悲しませたくもない。ガー太には悪いが明日もあの子の相手を頑張ってもらおう。
カエデとミリアムの二人は、付き合わせても悪いしこのまま帰ってもらうことにした。そのミリアムは、今は一緒にいない。パーティーの途中で寝てしまったので、給仕をしていたメイドに頼んで、先に部屋に運んでもらっていた。
レンもそうなのだが、彼女も朝日が昇る前に起きて、日が沈んだら眠るような生活だ。夜更かしに全然慣れていないのだ。
王様より先に帰るのはマナー違反だが、一時的な退席なら問題ない。酔ったのでちょっと夜風に当たってくる、みたいなのは大丈夫で、ミリアムもちょっと休んでくるということで部屋へと戻った。ぐっすり寝ていたので最後まで戻ってこなかったが。
部屋に戻るとカエデとミリアムはソファーで並んで寝ていて、マローネ司教が待ってくれていた。
彼に今日帰れなくなったことを伝え、二人のことをお願いする。
「そうですか、ブレンダ様があの鳥と遊びたいと……」
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
なんとうらやましい、と思っているマローネだったが、それを表に出すことはなく、レンも彼の内心には気付かなかった。
「陛下はことのほかブレンダ様をかわいがっておられるようなので、その頼みとあれば断れないでしょうね」
やはり王様はあの子をだいぶ可愛がっているようだ。
マローネには二人を連れ帰ってもらい、翌日、あらためて迎えの馬車を寄越してもらうことになった。
後はミリアムが国王に舞を披露することになったことも話した。ドーゼル公爵が口を挟んできたのが気になっていたレンだったが、話を聞いていたマローネ司教の顔が難しいものになった。
「――という訳なんですが、やっぱり何か問題があります?」
「私の邪推ならばいいのですが、ドーゼル公爵様はミリアムが失敗すると思ったのではないでしょうか。ダンスパーティーでの余興ならば、多少失敗しても何の問題もありませんが、正式に陛下を招待したのにつたない舞を披露したとあっては、陛下に対して失礼ですし、舞い手本人はもちろん、オーバンス様にとっても恥となります」
「じゃあミリアムがちゃんと踊れれば問題ないわけですね?」
「そのちゃんと、というのが難しいのです。相手に悪意があれば、本当は上手く踊れたのに、とんでもなく下手だったと悪評を広めることだってできます」
この世界にはビデオなんてないので、評価するには自分の目で見るしかない。だから人の噂、口コミが大事なのだが、権力者がその気になれば悪い噂を広めることもできるのだ。
「それに踊るのが誘惑のフィリアというのが……」
「その舞だと何か問題があるんですか?」
話の中でその名前が何度か出ていたのを思い出す。やっぱり難しい舞なのだろうか?
「ご存じないのですか?」
意外そうな顔を浮かべるマローネ。どうやら知ってて当たり前の有名な舞のようだ。
「すみません。舞のことはあまり知らなくて。ミリアムに会うまでは、舞を見たこともなかったので」
「そうですか。誘惑のフィリアというのは――」
マローネが簡単に説明してくれた。
誘惑のフィリアというのは、フィリアという女性を主人公にした舞だ。
あるところにフィリアという美しい舞い手と、若く清廉な一人の神父がいた。フィリアは彼に恋するが、信仰に生きる神父は彼女の告白を断る。しかしフィリアは諦めずに彼を誘惑し、神父も彼女の魅力に逆らえずついに結ばれる、といったストーリーだ。
「作られた当時は教会でも色々と問題になったのですが、今は人気作として数多く上演されています」
「難しい舞なんですか?」
「踊り自体はそれほど難しくありません。問題なのはフィリアが妖艶な女性とされていることです。清廉な神父を誘惑できるような魅力を持っている女性なのです」
レンにも何が問題かわかってきた。
妖艶な女性なのに、それを小さな女の子が踊るのは確かに難しいだろう。
原作はお色気キャラなのに、実写化されたら色気のないアイドルがキャスティングされたようなものか。いやちょっと違うか――なんてどうでもいいことが思い浮かんだ。
だがこれで国王が楽しみにしていると言った理由もわかった。彼は幼いミリアムがどんな誘惑のフィリアを踊って見せてくるのか、それを楽しみにしていると言ったのだ。
そしてドーゼル公爵はミリアムが失敗すると思ったに違いない。だから後日、正式な場所で披露するよう提案したのだ。
いつの間にかドーゼル公爵も一緒に見に来るような話になっていたが、きっと彼はミリアムの舞を見た後で、どうしようもなく下手だったとか、派手にネガキャンするつもりなのだ。
失敗すればレンの恥になるというが、それはどうでもいい。貴族の間での評判なんて気にしていないからだ。しかしミリアムに悪い評価がつくのは大問題だ。彼女の舞い手としての将来にも関わってくる。
やっぱりドーゼル公爵の提案に乗ったのは失敗だったかも……
とにかく明日、帰ったら劇団に行って相談してみようと思った。
下は週末に、とか言っておいて1日(正確には2日)遅れですみません。
でも1日ぐらい誤差ですよね!?
……すみません。予定を守れるようにがんばります。