第231話 二人の常識
式典が終わったので帰る、と言いたいレンだったがそうはいかなかった。この後、夜には国王主催のダンスパーティーがあるからだ。
招待客は、それまで城内に用意された部屋で待つことになったが、レンだけちょっと事情が違った。さすがにガー太を城内の部屋で待たすわけにはいかなかったからだ。
ちなみに用意された部屋も明らかな格差がある。高い身分の貴族には豪華な個室が用意されるが、低い身分の貴族は大部屋でまとめて待機だ。まさに格差社会である。
レンは一応個室を用意されたが、貴族の当主や長男以外は大部屋が普通なので、これはちょっと特別扱いだった。レンはそんなことに気付かなかったが。
そしてガー太も特別扱いされた。中庭にある厩舎に入れておくよう命じられたからだ。
ロキス城には大きく三つの厩舎があった。一つは来客用。レンが乗ってきた教会の馬車もこちらにある。
もう一つが近衛騎士団用。
そしてもう一つが王族専用の厩舎だ。中庭の厩舎がこれである。
もしガー太を来客用の厩舎に連れて行ったら、たちまち野次馬が殺到するだろう。だが中庭の厩舎は王族と選ばれた馬丁以外は原則立ち入り禁止だ。こちらだと騒ぎは起きない。
王族専用なので、王族が所有する馬以外はダメだというルールもあったのだが、ガー太は馬ではないからという、わかるようなわからないような理由で受け入れられることになった。
カエデには先に待機部屋へと戻ってもらい、レンはガー太と一緒に中庭の厩舎へ向かった。
「こりゃ驚いた。本当にガーガーじゃねえか」
厩舎で出迎えてくれたのは初老の男性だった。
ここまで案内してくれた兵士から、彼がここを取り仕切っていると教えられた。馬丁たちの頭領というわけだ。
「俺もいろんな馬を世話してきたが、さすがにガーガーの世話をしたことはねえな。こいつはどう扱えばいいんだ?」
少し乱暴な口調で頭領が聞いてくるが、レンは気にせず答える。
「別に特別な世話はいりませんよ。食べ物だけ用意してもらえれば、後は僕が帰るまで待っていてもらうだけです。むしろ手出しはやめて、そのままにしておいてもらえれば」
「ふーん。確かにこいつはかしこそうな目をしてるな。しかも力強い目だ。こういう目をした馬には、余計な世話はいらないもんだが……」
レンに向かって答えた男は、続いてガー太に向かって話しかけた。
「お前にも色々と文句はあるだろうが、一応、ここは俺が取り仕切ってるんだ。短い間だが、どうか俺に世話をさせてくれや」
とガー太に向かって頭を下げたのである。
「ガー」
「おおそうか。そいつはありがたい」
ガー太の鳴き声に笑顔で答える男を見て、レンはちょっと驚いた。
「もしかしてガー太の言葉がわかるんですか?」
「いや。だがなんとなく言いたいことはわかる。かしこい馬っていうのは、こっちが誠心誠意話しかけたら、ちゃんと答えてくれるもんだ。ガーガーもそれは同じみたいだな」
何でもないことのように言う男性にレンは感心した。王族の馬の管理を任されているのだから、この初老の男性は優秀な馬丁なのだろう。多分、この道一筋何十年というベテランではなかろうか。
その長年のカンと経験、そして彼が自分で言ったように誠意ある対応がガー太にも伝わったようだ。
「ではよろしくお願いします」
この人なら大丈夫そうだと思ったレンは、後のことを任せて部屋に戻ろうとしたが、
「どうやら、もう挨拶はすんだようだな」
と声をかけられた。振り返ると、そこにはさっきまで会っていたバロワルズ国王が立っていた。
礼儀作法のことを思い出し、慌ててその場にひざまずくレンだったが、
「よいよい。この場にはお前たちしかおらん。堅苦しいのはなしだ」
笑いながら軽い調子で国王が言う。
どうしたものかと思ったレンだったが、横をうかがえば頭領も立ったままだ。王様もいいと言ってるし、とレンも立ち上がる。
「どうだ? さすがのお前もこんな鳥の世話したことはあるまい」
と国王が馬丁に向かって聞く。
「そりゃもう。どうしたものかと途方に暮れていたところです」
「レンよ。こいつは馬のことしか頭にないような男でな。余のことは尊敬もしないくせに、馬のことは尊敬しているような奴だ」
「それは違いますよ国王様。私に馬の世話を任せてくれる国王様にも感謝しております」
「ほらな。こんな調子だ。だがまあ、こんな男だからこそ安心して世話を任せられる。その鳥も預けておいて大丈夫だ」
「ありがとうございます」
と頭を下げながら、ずいぶん気さくな対応をする王様なんだなあと意外に思った。頭領も緊張した様子はないし、いつもこんな感じなのだろう。
「それと先程はすまなかったな」
「なんのことでしょうか?」
いきなり謝られたが何のことかわからず聞き返す。
もしかしてダークエルフへの態度のことか?
「近衛騎士団への当て馬に使ったことよ」
全然違った。
「実はこのところ近衛の規律がゆるんでいる、などという話が余の耳にも入ってきておってな。一度引き締めてやらねばと思っていたところ、ちょうどお前がやって来たのでな。利用させてもらった」
それで納得がいった。式典では国王は近衛騎士団をあおるようなことを言っていたが、あれはレンと彼らをぶつけるためにわざと言っていたのだ。
そして狙いは当たった。カエデに負け、ガー太に蹴り飛ばされて近衛騎士団は散々だった。失態を挽回するため、気合いを入れ直して訓練に励むことだろう。
だがレンにとってはいい迷惑だ。それで恨みを買ったのはこちらなのだから。
「これも王国のため、家臣の勤めと思って、どうか許せ」
国王が、いたずらでも成功させたかのように笑いながら言う。
許せと言われて許せるわけがないのだが、その笑顔を見ていると、仕方ないなあと許してしまいそうになるのが不思議だ。
「これは余とお前、二人だけの秘密だからな。お前にはこれからも余のことを助けてほしいと思っておる。頼りにしておるぞ」
「わかりました」
と頭を下げながら、レンは上手い言い方だなあと感心していた。
もしレンが見た目通りの若い貴族だったなら、王様は私のことを頼りにしてくれているのだ! と素直に感激していたかもしれない。
だがあいにくレンの中身は元日本人だ。
この世界の人間ではないので、国王に対する忠誠心は持ち合わせていない。もちろん偉い人だと理解しているので礼儀は尽くすが、冷めた目で見てしまうのは仕方ないだろう。
そして上司のほめ言葉を真に受けるのは危険というのは、レンが前の世界の社会人生活で学んだことだった。
王様と貴族の関係を、日本での上司と部下の関係にそのまま置き換えることはできないが、共通する部分はあると思う。
全体の利益を考えれば、部下を切り捨てることは十分あり得る、という点で。
前の世界では、業績悪化でいきなりクビを切られた派遣社員とかも見たことがある。
だからどうしても上からの甘い言葉には懐疑的になってしまうのだ。
調子のいいことを言っていても、いざという時、犠牲になるのはいつも下からだ。
上には上の苦労があるのだろうが、レンには管理職の経験がなかったので、ついつい下からの目線で考えてしまう。
だから国王の言葉もそのまま受けとらず、そうは言っても裏があるんでしょ? と疑ってしまった。
そしてもう一つ。
国王に対して批判的になる大きな理由があった。先程のカエデへの態度だ。
彼はダークエルフを完全に下に見ている。一見して寛大に見えるのも、そもそもダークエルフを人間扱いしていないからだ。
カエデのことも、言い方は悪いが「剣を扱える強い猿」ぐらいに見ているに違いない。
はっきりと口に出してはいないが、なぜだかレンにはそれがはっきりとわかってしまった。
そんな相手を好きになれるはずがないし、頼りにしていると言われても喜べなかった。
「そうだな。その詫びも兼ねて、お前に褒美をやろうではないか」
「褒美ですか?」
何だろうと思った。さっきは短剣をくれたが、他にも何かくれるのだろうか。
「その鳥だがな、余が買い取ってやろう」
「えっ?」
いやいや、それは褒美などではない。もしかしたら貴族なら名誉なことだと喜ぶのかもしれないが、レンにはもちろんガー太を売るつもりはない。どう断ろうかと考えるが、それを読んだかのように国王が言う。
「勘違いするな。何も本当に買い取ろうというのではない。もちろん売ってくれるというなら喜んで買うが、お前にそのつもりはないのだろう?」
「はい。申し訳ありませんが、ガー太を売ることはできません」
これだけは譲れないので即答する。
「わかっておる。お前にとってあの鳥は無二の相棒なのだろう? 余にも昔そういう馬がいてな……」
昔のことを思い出しているのだろうか。国王がどこか遠くを見るような目になった。
どうやら買う気がないのはその通りのようだが、では今の言葉の意味は?
「余はあれをお前から無理に取り上げようとは思わんが、他の者たちもそうとは限らん。今回のことで有名になればなおさらだ。だがそれが余に売却済みであればどうだ?」
いたずらを思いついたような顔で国王が言うのを聞いて、レンも彼が何を言いたいのかわかった。
もしレンよりも高位の貴族が、権威を笠に着てガー太を寄越せと迫ってきたとして、もしそれを国王に売るのが決まっていたとしたら? さすがの貴族も、後から割り込んでそれを奪ったりはしないだろう。
「今すぐ買い取りたいが、あいにく手元に金がなくてな。これは手付金として受け取っておけ」
ニヤリと笑った国王が、金貨を一枚、親指でピンとはじいて飛ばしてきた。
「というわけで今後、誰かにあれを売れと言われ時は余の名前を出すがよい」
「ありがとうございます」
金貨を受け取ったレンも、笑いながら頭を下げる。
さっきの言葉は素直に受け取れなかったが、この好意は素直に受け取ることができた。
そして複雑な気分になった。
多分、国王はいい人だ。さっきの言葉だって本気でレンのことを頼りにしていると言ったのかもしれない。そういう相手を嫌うのは、レンにとってつらくて難しいことだった。
あるいは、もしかしたら全部自分の勘違いなのだろうか。そう見えただけで、国王も内心ではダークエルフを差別していないとか?
わずかな希望にすがるように、レンは思い切って聞いてみることにした。
「陛下、褒美のついでに一つよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「先程、私が一緒にお目にかかったダークエルフですが」
「うむ」
「もしこの先、彼女がさらなる武功をあげたりすれば、私ではなく彼女に地位や名誉を与えて下さいますか?」
この問いに国王は少し考えてから答える。
「お前はずいぶんとダークエルフが好きなようだな?」
「そうですね。彼らには色々と助けてもらっているのです。ですから――」
「お前がダークエルフをどう思うか、それはお前の自由だろう」
言葉を続けようとしたレンをさえぎるかのように国王が言う。
「だがその考えが世の理に反していないかどうか、それは常に気にしておかねばならん。貴族は領民の模範となって彼らを正しき道に導かねばならん。その貴族が間違えば領民も道に迷う」
教え諭すように国王は言う。いや、実際に若く未熟な貴族を諭しているつもりなのだろう。
「市井の平民であれば、自分の好きなものを好きなように追求するのもよいだろう。もちろん他者に迷惑をかけてはいかんが。だが貴族であるなら、常に領民の目を意識し、自分の行動が彼らに与える影響を考えておかねばならん」
「私がダークエルフを取り立てるのは間違いということですか?」
「お前がダークエルフを優遇すれば、領民はなぜダークエルフを? と疑問に思うだろう。その答えが好きだから優遇した、では単なる依怙贔屓だ。それでは領民の不満がたまるだけだ。貴族たる者、時には自分の気持ちを我慢せねばならん」
レンの考えと国王の考えには根本的な違いがある。
レンにとってダークエルフと人間は同じ、どちらも保護されるべき領民でなければならない。
だが国王にとってダークエルフは国民でもなければ領民でもないのだ。だからまずは領民のことを考え、ダークエルフなど気にかける必要はない、ということになる。
国王の話を聞いているうちに、レンの中では怒りが薄らぎ、代わりにもどかしさが強くなった。
バロワルズ国王は賢明な人物だと思う。少なくとも自分などよりはるかに賢いに違いない。
だがそんな彼の意見をレンは決して受け入れることができない。レンにとって彼の言葉は明らかな間違いだからだ。
彼と自分とでは正しい答えがまるで違う。そのズレは生きてきた世界の違い、としか言い様がない。
この世界で生きてきた国王と、現代日本で教育を受けてきたレンとでは考えが違って当然だ。その違いを埋め、自分の考え方を理解してもらえるだけの言葉をレンは持っていなかった。
ダークエルフ差別をやめ、人間と同等に扱うことは、レンにとって間違いなく正しいことだ。しかしそれを国王にわかってもらうのは無理に思えた。何を言ったところで、わかってもらえない気がする。
国王のような賢い人間でさえそうなのだ。一般の人々に理解してもらうのはさらに難しいに違いない。それを考えると心が重くなる。
暗くなったレンの顔を見た国王は、励ますような口調になる。
「まあ自分の趣味の範疇にとどめるなら大丈夫だろう。貴族としての務めをしっかりはたすなら、誰を愛人にするかぐらいは好きにすればいい」
「いえ、そういうわけではなくてですね――」
いきなり話が別の方向に行ったのを修正しようとしたのだが、
「おじいさま!」
後ろから響いた元気な声が会話を中断させた。
「おおブレンダ。そんなに慌ててどうした?」
振り返った国王が、うれしそうな声で言う。
レンもそちらを見ると、白いドレスを着た小さな女の子が、とてとてと走ってくるところだった。
小学校低学年ぐらいだろうか。金色の長い髪のかわいらしい女の子だ。その後ろからは、
「お待ち下さいブレンダ様!」
と若いメイドが慌てて追いかけてきている。
「こらブレンダ。ミゼリアを困らせてはいかんぞ」
と国王は一応女の子――ブレンダというらしい――を叱るが、その声も顔も、かわいい孫を見る好々爺そのものである。
「おじいさまずるいです! 本物のガーガーがいるって――あっ!」
そこでガー太に気付いたのか、ブレンダが目を丸くする。
「ガーガーです! おじいさまガーガーがいます。すごいすごい!」
大はしゃぎの女の子はぴょんぴょん跳びはねる。
「おじいさま、あのガーガーさわってもいいですか!?」
「それはこっちのお兄さんに聞いてみなさい」
そこでブレンダはレンに気付いたようで、彼の顔を不思議そうに見上げる。
「どうしてこの人に聞くんですか?」
「それはあの鳥は、このお兄さんの物だからだよ」
ブレンダが驚く。
「おじいさまの物じゃないんですか? どうしてですか?」
「どうしてと言われても、その通りなんだから仕方ない。だからこのお兄さんに、いいかどうか聞いてみなさい」
国王から言われたブレンダは、レンに向かってペコリとお辞儀する。
「初めましてブレンダといいます。お兄さん、あのガーガーさわってもいいですか?」
「いいけど――」
「ありがとうございます!」
レンが言い終わるより前に、ブレンダはお礼を言うと、ガー太に向かって走り出す。
「お待ち下さいブレンダ様、危ないですよ!」
若いメイド――ミゼリアというらしい――が慌てて彼女を止めようとしたが、
「よいよい。あの鳥は子供を襲ったりしないのだろう?」
と国王はレンに向かってたずねる。
「そうですけど……」
国王の言うことは正しい。大人には冷たいガー太だが、小さな子供には甘いのだ。嫌そうな顔をしても、なんだかんだと遊び相手になってあげたりする。
「ですが、どうしてわかったんですか?」
謁見の間では、不用意にさわろうとしてきた近衛騎士を蹴り飛ばしている。あれを見ていれば、ガー太のことを危ないと思うのが普通では?
「目を見ればなんとなくわかるものだ。動物は人間と違ってわかりやすいからな」
何でもないことのように言う国王。
本当にわかるのだろうか? とちょっと疑ったレンだったが、少なくともガー太に関しては当たっている。
「うわー! すごい、ふかふかです!」
ガー太に飛びついたブレンダが歓声を上げる。
「ガー」
やめろ、くっつくな、みたいな鳴き声を上げるガー太だが、ブレンダを追い払おうとはしないし、その場から逃げたりもしない。やっぱり面倒見がいいのだ。
それにしてもあの子も物怖じしないというか。ガー太は小さなブレンダの何倍も大きいのに、全く怖がる様子がない。
「騒がしい子ですまんな。いつもあんな調子で余の言うことも聞かないので困っておるのだ」
と言いつつもバロワルズ国王の顔はうれしそうだ。
おじいさまと呼んでいたから、多分、あの子は国王の孫だと思う。今の国王も単なる孫に甘いおじいさんにしか見えない。
日本でのレンの両親は、彼が小さい頃に離婚し、父親はそのときにいなくなった。レンは顔も覚えていない。
母親もその後家を出て行ったので、それからレンは祖父母に育てられた。優しい祖父母だったので、孫に優しい老人を見ると二人のことを思い出す。
国王にも親近感を覚えたわけだが、だからこそ悲しくなる。
本当にダークエルフのことさえなければ――と思うレンだった。