第229話 腕試し
バロワルズ国王は在位三十年を越えるが、彼の治世下でグラウデン王国は安定を保っていた。
北のザウス帝国とは対立関係にあり、何度も小競り合いを起こしてるが、諸外国と同盟関係を結んで対抗している。
大規模な魔群の襲来もなかった。魔獣は自然災害みたいなものだから、これは単に運がよかっただけと言われたりもするが。
国内では治安や貴族たちの動向によく目を配り、大きな内乱などは一つも起こっていない。これは利害調整に長けた、彼の政治手腕によるものだ。
総じて彼の治世は高く評価されている。
穏やかな人柄で知られるバロワルズ国王だが、若い頃は一流の剣士としても知られていた。さずがに六十を超え、往年の力強さは失われてしまったが、武術好きなことに変わりはない。
腕自慢を呼んで話を聞いたり、武術大会を開いたり――若い頃は自分も参加したり――するのは彼の趣味だった。
レン・オーバンス、そして彼の配下のダークエルフが魔獣の群れを倒したと聞いて、会いたいと呼び出すのは当然の成り行きだった。
本来、ダークエルフなどを王城に入れるのは言語道断、近習の者たちも反対したのだが、王の武術好きを知っている彼らは、止めても無駄だろうと早々にあきらめてしまった。
そして彼は呼び出したダークエルフ――カエデに興味津々だった。
この場にいる者の中には、彼女の見事な銀髪を物欲しそうに眺める者もいたが、国王にはいわゆる「エルフ趣味」はほとんどなく、カエデの銀髪にも興味はない。
彼の興味はその強さにある。本当にこんな小娘が強いのか?
強さは見た目だけではわからない、というのはバロワルズ国王もわかっているが、体格が強さに大きく影響するのも事実である。
「レンよ。正直に言って、余にはそのダークエルフが、魔獣を倒せるほど強いとは思えぬ」
重臣たちや近衛兵の中から、かすかな笑い声が起こる。
彼らにしてみれば、ダークエルフがここにいること自体が許せない。国王の言葉は、彼らの内心を代弁してくれたように聞こえたのだが、
「そこでだ。実際に強いか、この場で腕試しというのはどうだ?」
ざわめきが上がる。
国王の前で腕前を披露するというのは、兵士にとっては大きな栄誉だ。それをこともあろうにダークエルフに許すなど、常識外れだった。
「……構いませんが、どうすればいいのでしょうか?」
ちょっと考えてからレンが返答する。
普段のレンなら、こんな答えは返さなかったはずだ。
とてもお見せできるようなものではありません、とかなんとかごまかして断っていたに違いない。
武勇を疑われるのは戦士にとって恥だし、その主にとっても恥だ。だがカエデは他人にどう思われようとも気にしないだろうし、レンも気にしない――とまではいかないが、それより問題なくこの場を乗り切ることを優先しただろう。
国王にガッカリされても別に構わなかった。むしろそれで興味を失ってくれるなら、そちらの方がありがたい。
それなのに断らなかったのは、先程からの国王や、その他の人間たちのカエデに対する態度が原因だ。
ダークエルフを露骨に見下す彼らの態度に、レンも腹を立てていて、目にもの見せてやれと少し攻撃的になっていたのである。
慌てて家臣たちが国王を止めようとするが、
「お前たちも、あのダークエルフが本当に強いか知りたいだろう?」
と言われて引き下がった。
彼らもまたカエデの強さを疑っていたのだ。だったらここで化けの皮をはがし、汚れたダークエルフを王城からたたき出してしまえと考えを変えたのだ。
「ドーゼル。誰か選んで、このダークエルフと立ち会え」
「はっ!」
と勢いよく返事をしたのは、近衛騎士団長のドーゼル公爵だった。もちろん彼もカエデを叩きのめしてやると意気込んでいる。
「バルドック、前に出ろ」
呼ばれて一人の若い近衛騎士が歩み出る。
「その者は確か……」
「はい。先日もご挨拶申し上げましたが、これは私の遠縁にあたる者です。将来、ひとかどの騎士になってくれると期待しております」
身の程知らずのダークエルフを倒すと同時に、自分の身内も売り込み一石二鳥、とドーゼルは計算したのだ。
だがバルドックを選んだのは、必ずしも身内びいきというわけではなかった。
バルドックの身長は180センチほど。この世界では170センチのレンでも大柄な方だが、そのレンより彼は頭一つ高い。また鎧の上からでも、鍛えられた体つきをしているのもわかった。彼はパワーで押し切るような戦いを得意とし、近衛騎士団の中でも上位の実力者だった。
カエデと並んで立てばまさに大人と子供。誰もが彼の勝利を疑っていなかった。レンともう一人、彼女の戦いをその目で見たことがあるエッセン伯爵を除いて。
特にレンの方はカエデの勝利を疑っていなかった。
しばらく前まで、レンは一対一でカエデに勝てる人間などいないと思っていた。だが先日、南のロレンツ公国で、カエデと互角に戦える人間と出会ってしまった。彼は魔人と呼ばれる特別な人種だった。
さすがは異世界。カエデのようなダークエルフもいれば、そんな彼女と互角に戦える人間もいるのだ。
だが魔人は普通の人々から恐れられ排斥されていた。よりにもよって近衛騎士団に魔人がいるとは思えない。そして相手が魔人でなく普通の人間なら、カエデの勝ちはゆるがない。
それより相手の心配をしていた。
「いいねカエデ。できる限り手加減するんだよ? できればケガさせないように」
立ち会いは練習用の木刀で行われることになったが、木刀でも当たり所が悪ければ死ぬ。そしてカエデにとって戦いとは殺し合いだ。
本気でやったら、間違いなく相手を殺すまで叩きのめすだろう。
レンはここにいる者たちを見返してやれ、とは思っていたが、さすがに対戦相手を殺してしまえとまで思っていなかったので、カエデに手加減するように言い聞かせていた。
できればケガさせず相手の木刀をはじき飛ばすぐらいで――カエデは面倒くさいとか言って不満そうだったが、どうにかわかってくれた。
両者の立ち会いは、そのまま謁見の間で行われることになった。元々十分な広さがあったので、戦うのに問題はない。
国王が実際に腕前を見たいと言い出すのはよくあることなので、家臣たちも慣れたものだ。すぐに場所が空けられ、前に出たカエデとバルドックが向かい合う。
バルドックには実戦経験もあり、それなりの修羅場をくぐって来ていた。だから油断は禁物とわかっていたが、相手はどう見ても子供、やはり油断があった。だが油断していなかったとしても、結果は変わらなかっただろう。
「始め!」
審判の号令と同時にカエデが動いた――のだがその動きを目で追えた者はほとんどいなかった。レンもだった。ガー太に乗っていればカエデの動きも見切れるのだが、乗っていないと無理だ。
バルドックも同じだった。
カエデが消えたと思ったら、カツーンと乾いた音が響いた。
「えっ?」
彼の口から間抜けな声が出る。
気が付いたら自分の木刀がなくなっていた。一気に踏み込んできたカエデにはじき飛ばされたのだ。
カエデはレンの方を振り返り、どうだとばかりに笑う。
バルドックの方はしばし呆然としていたが、自分の木刀が飛ばされたことを認識すると、怒りと羞恥で顔を赤くする。
このまま終わってたまるか! と彼は素手のまま、こちらに背を向けているカエデに襲いかかった。
これは腕試しの立ち会い。本来なら木刀を飛ばされた時点で勝負ありだ。だが審判もまだ事態を認識できていないのか、勝負ありの声はかからない。
だったらまだ勝負は終わっていないし、相手は勝ったつもりで後ろを向いている。この好機を逃すわけにはいかない。
バルドックは勘違いしていた。
カエデにとって戦いは殺し合いだ。相手を殺すか、完全に戦闘能力を奪ったと判断するまで、彼女は気を抜いたりはしない。剣をはじき飛ばしただけで相手はまだ動けるし戦える。だから彼の動きにちゃんと注意を払っていた。
もしカエデが本気だったなら、つかみかかってきたバルドックの脳天に木刀を振り下ろしたか、あるいは彼の顔を蹴り上げていたか。いずれにしろ十分に反撃できた。
それをしなかったのは、レンからできるだけケガさせないようにと言われていたからだ。どうしたらいいのか、ちょっとだけ考えたカエデは、動かずに少し腰を落としてバルドックを受け止めた。
バルドックは勝利を確信した。油断した相手はこちらの動きに反応できていない。後はこのままぶつかって押し倒してしまえばいい。動きの速さには驚かされたが、組み付いてしまえば体格差が物を言う。
押し倒して上に乗り、顔でも一発殴ってやれば降参するだろう。いや、こちらは不意打ちで恥をかかされたのだから、もう二三発ぐらいは殴ってやるか――などと思いながらカエデに覆い被さるようにぶつかったバルドックは、異様な衝撃にまたも驚く。
動かない!?
相手は小柄な少女だ。ぶつかった勢いで簡単に倒せるはずだ。だがその相手がびくともしなかった。まるで大木にぶつかったような感じだった。
さらに力を込めて押すが、やはり相手の体はビクともしない。
近衛騎士たちも、バルドックがカエデに組み付いた時点で彼の勝利を確信していた。ところが両者が組み付いたまま動かない。
何で動かないんだ? と周囲がざわつき始めたところで動いた――カエデが。
カエデは組み付いてきたバルドックの下に両手を回し、彼の体を軽々と持ち上げた。
驚いたのはバルドックだ。鎧を身につけている今の自分の重さは百キロを余裕で超える。それを軽々と持ち上げるなど、この小さな体のどこにそんな力が!?
バルドックを持ち上げたカエデは、それを無造作に放り投げた。
「うああああっ!?」
悲鳴を上げながらバルドックは飛んだ。その先にいたのは仲間の近衛騎士たちだ。
とっさのことで彼らも受け止めることができず、三人ぐらいが巻き添えになって一緒に転倒する。
「勝負あり!」
やっとというべきか、ここで審判が勝敗を告げた。どこかやけくそ気味の声で。
だが、それに近衛騎士団長のドーゼル公爵が食ってかかる。
「まだだ! まだ終わっていない!」
「し、しかし……」
誰が見ても勝敗は明らかだったが、審判は近衛騎士だったので、ドーゼル公爵の言葉を無視できない。
「バルドック! こんなダークエルフ相手になんたる無様だ。さっさと立たんか!」
投げられたバルドックだったが、仲間が下敷きになってくれたのもあって軽い打ち身程度。起き上がることはできたものの、その顔からは戦意が消えていた。
彼もやっとわかったのだ。目の前にいるダークエルフの小娘が、見た目通りの存在ではないと。はっきり言って勝てる気がしなくなっていた。
「お待ち下さい団長」
ドーゼルに声をかけたのは、四十ぐらいの鋭い顔つきの男だった。
近衛騎士団の副団長を務めるゼナディスだった。
「残念ながら今の勝負はバルドックの負けです。不意打ちとはいえ負けは負け、ここは潔く認めるべきでしょう」
「貴様、何を勝手なことを――」
「陛下も余興としては、十分楽しまれたのでは?」
反論しようとするドーゼルを無視するように、ゼナディスはバロワルズ国王に問いかける。
「うむ。なかなかに楽しめたぞ。そこのダークエルフ、見事であった」
バロワルズは上機嫌で答え、褒め言葉をカエデに与えた。これが普通の兵士とかであれば、国王の言葉に感謝感激だっただろうが、あいにくカエデには意味のない言葉だった。完全無視の彼女の代わりに、
「はい! ありがとうございます」
慌ててレンが頭を下げる。
カエデの実力は見せつけることができたし、レンの気もだいぶ晴れた。ここぐらいが潮時だろう。これ以上やったらやり過ぎになってしまう。
だがまだ気持ちが収まらない者がいた。ドーゼル公爵だ。
ここで終われば近衛騎士団が、何より自分の身内がダークエルフの小娘に負けたことになる。そんなことが許せるわけがない。
彼は「まだ勝負はついておりません」と国王に言おうとしたが、
「お待ち下さいドーゼル団長。これ以上やってもし負けたら、それこそ騎士団の恥。団長の責任問題にもなりかねませんぞ」
そっと耳打ちしたのはゼナディス副団長だ。責任問題、という言葉にドーゼル公爵は反応した。
それで少し落ち着きを取り戻したドーゼル公爵は、小声でゼナディスに反論する。
「だがこのまま負けを認めれば、それこそ近衛騎士団の汚点ではないか」
「バルドックは油断して負けたのです。ダークエルフと侮って油断するなど、近衛騎士としてあるまじき失態ですが、実力で敗れたわけではありません。陛下のいつもの余興ですし、言い訳は何とでもなります」
しかし、とゼナディスは小声ながら声に力を込める。
「次はそうはいきません。もう一度戦って負ければ、今度こそ言い訳もできません。陛下の目の前で、近衛騎士がダークエルフに実力で負けたとなれば、団長の責任問題まで発展しかねません。そんな危険を冒してまで戦う必要がありますか?」
これを聞いてドーゼル公爵は考える顔になった。
公爵にとって本当に大事なのは近衛騎士団の名誉ではなく、自身の名誉だ。
ゼナディスが言うように、これ以上の失態を重ねれば自分の進退問題にまで発展するかもしれない。ならばここは一度引き下がる方が得策か? 国王の見ている前で、ダークエルフに恥をかかされるなど我慢ならぬ屈辱だが、国王が見ているからこそ、これ以上の失態は避けねばならない。
考えた末、ドーゼル公爵は保身を優先した。
だが最後にゼナディスに一言いっておく。
「いいだろう。ここはお前の進言を入れて引き下がってやる。だがこのままでは終われんぞ?」
「わかっております」
当然とばかりにゼナディスはうなずく。彼もまたはらわたが煮えくりかえっていたのだから。
それでも引き下がるように進言したのは、彼の戦士としての部分が、このまま戦っても勝てないと冷静な判断を下したからだ。
近衛騎士団長はドーゼル公爵だが、彼が家柄だけで今の地位にいるのは公然の秘密だ。
この世界での公爵というのは、多くの国で王族や、王族に極めて近い血筋を持つ貴族のことだ。公爵家の当主が、王家が断絶した場合の継承権を持つことも多い。ドーゼル公爵家は、先代当主がバロワルズ国王のいとこであり、グラウデン王国でも指折りの名家として知られる。
一方のゼナディスは弱小貴族の生まれながら、武功を上げ、実力で副団長まで成り上がった男だった。その剣の腕は近衛騎士団でも一二を争う。副団長の彼が実質的に近衛騎士団を束ねているというのも公然の秘密だった。
そんな彼だからこそわかった。
バルドックが油断していたのは確かだが、それがなくても彼ではあの銀髪のダークエルフに勝てなかっただろう。
自分が戦っても負ける、とまでは言わないが勝てる自信はない。あの小さな体であの力と速さ。まるで魔人のようなデタラメさだ。
レン・オーバンスとかいったか。あの男は一体どこであんな化け物のようなダークエルフを見つけてきたのか。
ここは一度引き下がるが、このままでは済まさぬ――と彼はレンの名前を心に刻んだ。
もしレンがそれを知ったら、
「逆恨みはやめて下さい!」
と抗議しただろうし、実のところゼナディスもこれが逆恨みに近いとわかっていたのだが、それでもこのまま済ますわけにはいかなかった。