第223話 次なる難問
気を失っていたマローネ司教は、しばらくしてから目を覚ました。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
心配そうに訊ねるレンに、マローネは微笑を浮かべて答え、体を起こす。
いつもの笑みだ。さっき、ガー太に触ろうとしたときは妙な迫力を感じたのだが、今はそれを感じない。あれは気のせいだったのだろうか。
「すみません。まさかいきなり蹴るとは思わず」
レンの見る限り、マローネは礼儀正しく、ガー太にも特別な興味は示していなかった。そんな彼でもガー太に触りたいのかと意外に思ったが、そんな彼だからこそガー太も嫌がらないと思った。
ところがまさかの蹴りである。ガー太が何を嫌がったのか、レンにもよくわからなかった。
「いえいえ。あれはあれで、私にとっては――」
と言いかけたところで、マローネは口をつぐんだ。
「私にとっては?」
「いえいえ。どうかお気になさらず」
言いながらマローネが立ち上がる。どうやら本当に大丈夫そうだ。ガー太が本気で蹴っていたら無事ではすまなかったはずだ。なんで蹴ったかはわからないが、手加減はしていたらしい。
「そうだ。蹴られて思い出したわけではありませんが、オーバンス様はダンスパーティには、誰をお連れになるのですか?」
ちょっと不自然な話題転換だったが、レンはそれより彼の言葉が気になった。
「ダンスパーティ?」
「はい」
マローネは当たり前のことを聞いているみたいだが、レンには心当たりがない。
「あの、ダンスパーティって?」
「表彰式典の後のダンスパーティですが……ご存じないのですか?」
知ってて当たり前、といった口調でマローネが聞いてくるが、レンはご存じない。
それを伝えるとマローネは驚いたようだが、簡単に説明してくれた。
国王が功労者を表彰する式典は、毎年一回か二回ぐらい行われる。そしてその式典の後は、国王主催のダンスパーティーが開かれるのだ。王族、表彰を受けた功労者、後は少数の招待客しか参加できないパーティーだ。
そこに参加するのは当然名誉なことであり、貴族ならば知っていて当然、というわけだった。
もちろんレンは知らなかった。というかダンスパーティーとか、聞いただけで寒気がしてくるのだが……
「あの、もしその参加を断ったら……」
「陛下からのお誘いを断るわけですから、大変な失礼となりますが」
「ですよね」
逃げ道を塞がれた気がしたが、マローネの話はまだ終わっていなかった。
「ダンスパーティーなので、当然パートナーを同行させます。そのお相手が誰なのか気になったのですが」
パートナー?
音楽に合わせて二人優雅に踊る、みたいな?
お城のダンスパーティーといえば、ファンタジー作品の定番だし、この世界にあってもおかしくないとは思う。だがそれがパートナーを連れての強制参加とかひどすぎる。
ガー太も一緒に呼ばれた式典も問題だったが、後のダンスパーティーの方が問題に思えてきた。
「ちなみにパートナーってどういう人を選ぶんです?」
「一番は妻か婚約者ですね。もし決まった方がいらっしゃらないなら、家族や親戚の女性を選ぶのですが……」
最後、ちょっと言い淀んだようになったのは、レンの家庭事情を知っているからだろう。勘当されて家を追い出されたのだから、パートナーに選べるような家族はいない。
というか家族構成がどうなっているのか、レンもよく知らない。三男なので兄二人がいるのは確定だが、他に弟がいるのか、姉や妹はいるのか、全然わからない。
僕は自分のことを知らなさすぎるかも、と少し反省する。もうちょっと調べておいた方がいいだろう。
だが今はダンスパートナーどうするか、だ。カエデや他のダークエルフに頼むという手もあるが、これはダメだろう。国王主催のパーティーにダークエルフを連れて行ったら問題になるのは明らかだ。ここはやはり人間の女性を連れて行かねば。
「参考までに、マローネさんならどなたをパートナーに選びます?」
「私ですか? そうですね、もしそのような機会があれば、教会の唱歌隊か舞い手の中から、どなたかを選ぶと思います」
またもレンの知らない単語が出てきた。訊ねるとマローネが説明してくれたが、ドルカ教の祭事では、神に歌や舞を捧げることがあるらしい。その歌を歌うのが唱歌隊で、舞を捧げるのが舞い手だ。
唱歌隊には男性と女性がいるが、舞い手は女性だけ。さらに歌は一人でも複数人でも歌う場合があるが、舞は常に一人だけ。どうしてそうなっているのかは、何か故事に由来するとのことだ。
ドルカ教の神父に女性はいない。女性の聖職者は、全員が唱歌隊か舞い手なのだ。
ちなみにこの世界では神に捧げる踊りのことを舞と呼び、他の踊りやダンスとは明確に区別されている、とのことだった。
「あの、もし可能ならばなんですが、その唱歌隊や舞い手の方に僕のパートナーになっていただくのは……」
「紹介することはできますが、それはやめておいた方がいいかと」
国王主催のパーティーに、わざわざドルカ教の女性を選んで連れて行くというのは、それだけで政治的なメッセージになりかねない、というのがマローネの説明だった。国王と教会の関係というのは、色々と微妙らしい。
マローネにそう言われてしまえば、あきらめるしかない。
「これもあまりお勧めはできないのですが、どうしてもというなら民間の舞い手をパートナーに選ぶ、という方法もあります」
舞は娯楽としても成立していて、教会所属の舞い手だけでなく、民間にもいるらしい。王都には民間の劇場もあるし、貴族のパーティに呼ばれて舞うことも多いそうだ。
「有名な舞い手であれば、それなりの文化人という立場になるので、パートナーに選ぶ貴族もいます。ただ貴族の中には、舞い手を一段低く見る方もいらっしゃいますから」
アイドルやタレントを格式あるパーティーに連れて行く、みたいな感じだろうか。そしてそれに眉をひそめる頭の硬い人もいる、といった風にレンは理解した。
「そういう人たちを連れて行くとなると、やっぱり多少の謝礼を支払って、ということになるんですよね?」
「そこは普段のお付き合い次第だと思いますが」
レンには舞い手の知り合いなどいないから、もしパーティーに一緒に来てもらうなら、お金を支払ってになるだろう。元の世界にもレンタル彼女みたいなサービスがあったが、同じようなものだ。そういうサービスを利用したことがないので想像だが……
とにかくお金でダンスパートナーを雇えるなら、そっちの方がいい。レンにダンスパーティーに誘える人間の女性はいないし、いたとしてもこちらからパーティーに誘うというのはハードルが高すぎる。レンには女性を遊びに誘った経験もないのだから。
向こうがプロなら仕事として話ができるし、こっちがちょっと変でもフォローしてくれるはず。
「マローネさん、どなたかそういう舞い手の方を紹介していただけませんか?」
「すみません。民間の舞い手となると、私も紹介できるような方は知らないのです。こう言うことは貴族の方が詳しいはずなので、オーバンス様の知り合いを当たられた方がいいと思います」
その知り合いがいないので困っているのだが。しかしマローネに頼めないとなると、どうすればいいのか……。
「ただしお気をつけ下さい。民間の舞団や舞い手の中には、犯罪ギルドとつながっている者も多いと聞きます」
舞団というのは舞い手が所属する団体のことだ。大小様々な舞団があり、民間の舞い手はどこかの舞団に所属している。
「教会の祭事と違い、市井の祭りなどには犯罪ギルドが関わってきます。その影響で、犯罪ギルドと深い関わりを持つ舞団や舞い手もいるのです。それが民間の舞い手が嫌われる原因の一つとなっているのですが」
祭りや舞の興行では人と金が集まる。それは犯罪ギルドにとって大きな収入源となるのだ。
ただし一方的に犯罪ギルドが利益を吸い上げるのではなく、興行者側にもメリットがある。わかりやすいのは用心棒などだ。酔っぱらいとかのタチの悪い客に対処してもらったり。
そうやって持ちつ持たれつの関係なので、犯罪ギルドと興行者との関係は暗黙の了解となっていた。必然的に祭りに呼ばれた舞団も犯罪ギルドと関わりを持つし、それが深い関係に発展することもあった。
「犯罪ギルドですか……」
思い浮かんだのはレンの取引相手、犯罪ギルドの幹部のシーゲルだ。彼にはあまり頼み事をしたくないのだが、背に腹は代えられない。一度話を聞いてみようと思った。
その日、シーゲルは部下を何人か連れて、街の見回りを行っていた。
自分のナワバリを見て回り、揉め事が起こっていれば仲裁に入ったり、困り事があれば話を聞いてやったり、単に世間話に興じることもある。
シーゲルは犯罪ギルドの幹部だが、カタギの人間には手を出さない、話のわかる人物だと知られているので、街の住人たちも気さくに声をかけたりする。
ここしばらくの間に、シーゲルの組織は大きくなった。対立していた犯罪ギルドを壊滅させたのを皮切りに、ダークエルフたちを使った密輸を成功させ、各地の犯罪ギルドとの取引で大きな利益を得ている。
部下の数は増え、金もたんまりある。今のシーゲルの立場なら、わざわざ自分で見回りなどしなくてもいいのだが、回数こそ減ったものの、彼は見回りをやめようとはしなかった。
部下からは、
「ボスがわざわざ行かなくても」
なんて言われたりもするのだが、
「自分の足下は自分で確認する。それが大事なんだよ」
と答えて、シーゲルは見回りを続けていた。
今日のシーゲルは街中をぶらりと歩いてから、とある劇場へと向かった。明後日から、そこで新しい舞の公演が始まるのを思い出したのだ。
劇場に入ると、すぐに劇場の支配人が飛んで出てきた。
「これはこれはシーゲルさん。今日は何か?」
「いや、ふらっと立ち寄っただけだ。調子よくやってるか?」
「おかげ様でどうにか」
「新しい公演は明後日からだったよな?」
「はい。すぐに団長を呼んでまいります」
民間の舞い手は、みんなどこかの舞団に入っている。その舞団が劇場を借りて公演を行うのだ。
娯楽の少ないこの時代、舞は人々にとって貴重な娯楽だった。
貴族しか入れないような格式ある劇場から、庶民でも気軽に入れるような小劇場まで、王都では大小様々な劇場で舞が上演されていた。舞団もまた、誰もが知る有名な舞団から小さな舞団まで、多くの舞団が存在していた。
「シーゲルさん、お久しぶりでございます」
現れた舞団の団長は、シーゲルに向かって深々と頭を下げた。
「確かドーソンだったな?」
「はい。覚えていただいているとは光栄です」
ドーソンは四十ぐらいの男性で、そのままの名前のドーソン舞団の団長だった。ドーソン舞団は、数十人の舞い手を抱える中堅の舞団だ。ここの劇場では何回か上演したことがあり、そのどれかの時にシーゲルとも会っていた。
シーゲルは人の顔と名前を覚えるのが得意だったので、彼のことも覚えていたのだ。
「元気でやってるようだな」
「おかげさまで。上演しましたら、ぜひ一度劇場までお越し下さい」
「時間があったら寄らせてもらうよ」
舞が好きか嫌いかでいえば、シーゲルは好きな方だった。どちらかといえば好き、程度だったので、ヒマがあれば劇場に行くぐらいだったが。
特に問題もないようだし、挨拶だけで帰ろうとしたシーゲルだったが、その前に一人の老婆が走り出てきた。
「お待ち下さいシーゲル様! どうか私めの話をお聞き下さい」
平伏しながら声を上げる老婆。
シーゲルが口を開く前に、ドーソンの怒声が飛んだ。
「何をしているアマロワ! この方をどなたと――」
「まあ待てドーソン」
と彼を止めて、シーゲルは老婆に話しかけた。
「婆さん、俺をダルカンのシーゲルと知ってのことか?」
「存じております。そして男気にあふれた方であるとも聞いております。そんなあなた様におすがりしたく」
「いいだろう。そのクソ度胸に免じて、話だけは聞いてやる」
「おおっ!」
喜びの顔を上げた老婆――アマロワは、頼み事について語り出した。
「実は私が教えている舞い手がいるのですが、その娘の後援者になっていただきたいのです」
舞の世界は、必ずしも実力だけの世界ではなかった。大きな舞台で踊る舞い手には、必ずといっていいほど有力な後援者――パトロンが付いていた。
趣味でやるならともかく、舞台で踊るとなると舞には金がかかる。衣装代なども舞い手の自腹のことが多く、本業だけでそれらを賄うのは困難だ。そこで有力な後援者、金を出してくれるパトロンが必要となってくる。
後援者側にとっては、有名な舞い手を抱えているのがステータスとなる。高いアクセサリーと同じようなものだ。そして舞い手の後援者になるのは、舞い手を愛人にするのと同義でもある。
貴族や商人の他に、犯罪ギルドの幹部が舞い手の後援者になるのも珍しくはない。裏社会に生きる彼らにとっても、有名な舞い手を持つのはステータスとなるのだ。
「後援者ねえ……だが残念ながら、俺には舞い手を見る目がないんだよな」
今まで何人かシーゲルも舞い手の後援者になったことがあったが、いずれも舞い手としての芽が出ず、後援者の契約は打ち切った。
舞い手たちのその後は知らない。多少の手切れ金は渡してやったが、一生安泰というわけでもない。誰かいい男を見つけられればいいが、そうでなければ売れない舞い手の最後は、娼婦に身を落とすことが多い。そこまで気にしてはいなかったが。
「それにしても婆さん、弟子の後援者捜しに必死になるのもわかるが、必死になり過ぎじゃねえか?」
若い舞い手にとっては、舞の技量を向上させるのと同じか、それ以上に有力な後援者を見つけることが重要なのだ。だから必死になるのはわかるが、シーゲルに直接声をかけてくるのはやり過ぎだった。
どう考えても、いきなり声をかけて上手くいくより、不興を買ってマイナスになる危険性の方が高い。
だがアマロワには危険を冒すだけの理由があった。
「実は他に後援者になってやるという貴族様がいるのですが、その方は舞い手の後援者ではなく、身請けしたいとおっしゃって」
「悪い話じゃないと思うが?」
身請けというのは、早い話が舞い手をやめてオレの妻か愛人になれ、ということだ。そしてそれはシーゲルが言ったように、悪い話ではない。
舞い手も年をとっていく。人気が出た舞い手も、年とともに衰えていくのが常だ。だから有力者に身請けされての引退は悪い話ではない。というか舞い手の多くにとって、有力者に身請けされて妻になるというのは、理想のゴールだった。愛人はちょっと微妙だが、それでも悪くない終わり方だった。
「その舞い手は、まだ若いですが才能あふれる舞い手です。これからか伸び盛りで、本人も舞を続けたいと思っているのです」
それでシーゲルにも話が読めてきた。つまりその貴族は舞い手本人の意志を無視して、強引に身請けしようとしているわけだ。
「無粋だな」
とシーゲルがつぶやく。
舞い手の後援者には暗黙のルールがあった。あくまで舞い手を応援する、というのがそれだ。本人が引退を希望していないのに、強引に身請けしようというのは、そのルールに反する無粋なことだった。
「団長はどう思ってるんだ?」
「はあ、その決して悪い話ではないし、本人のためになるのではないかと……」
ちょっと言いにくそうにドーソンが答える。
もちろんドーソンもルール違反なのは知っている。だが舞い手が身請けされれば、舞団にもそれなりの金が入ってくるのだ。売れっ子の舞い手ならともかく、まだ未熟な舞い手を身請けしてくれるなら、そっちの方が得だと思っているのだろう。
「じゃあオレが後援者になると言ったら、それはいいのか?」
「それはもう、シーゲルさんになっていただけるのなら」
「そうか。じゃあ後援者になってやってもいい」
「おお、ありがとうございます!」
アマロワが喜びの表情を浮かべる。
シーゲルは無粋な人間が嫌いだった。無粋な貴族の鼻を明かすのは悪くない。それにこの話が広まればシーゲルの評判も上がるだろう。一石二鳥に思えた。
普通なら貴族相手に喧嘩を売るようなマネはまずいが、今回は舞い手の取り合いだ。怒った貴族が報復に出てくれば、それこそ無粋で恥知らずとなる。体面にこだわる貴族が、そこまでやるとは思えなかった。
「喜ぶのはまだ早い。まず本人に会って舞を見せてもらおうじゃねえか。もちろん下手くそだったら、この話はなしだ」
というわけでその舞い手に会うことになったのだが……
「この話はなしだな」
会って早々シーゲルが出した結論がそれだった。というのも、
「何が若い舞い手だ。ガキじゃねえか」
出てきた舞い手はどう見ても十歳すぎぐらいの子供だったのだ。
「確かにこの子はまだ小さいですが、才能があるのは本当で――」
「婆さん、そういう話じゃねえよ。このガキが天才だったとしても、ガキの後援者になったりしたら、オレが笑い者になる」
舞い手の後援者になるのは、舞い手を愛人にするのと同じである。子供の後援者になれば、子供を愛人にしたと見なされるのだ。シーゲルにそんな趣味はなかった。
「だいたいその貴族も貴族だ。こんなガキを身請けしようなんて、どういう趣味を――」
そこまで言ってシーゲルの言葉が途切れた。彼の知る人物の顔が浮かんだのだ。
まさか兄弟が? いや違うな。兄弟はそういう趣味をしててもガキには甘い。後援者になることはあっても、無理に身請けしようとはしないはず。だったら……。
「おい婆さん。舞い手を続けさせてくれる後援者がほしいんだな?」
「そうですが……」
「だったらオレの知り合いを紹介してやるよ。話のわかる男だからな。真摯に頼めば助けてくれると思うぜ」
シーゲルは笑いながら言った。