第222話 マローネ司教の真意
「勝手な騒ぎを起こしてすみません」
帰りの馬車の中で、レンは同乗していたマローネ司教に頭を下げた。馬車には二人に加えてガー太も乗っていた。
行きと同じく不機嫌そう、かと思ったらおとなしくしている。
シャンティエ大聖堂にはガー太のうわさを聞き付け、その姿を一目見ようと多くの信者や野次馬がつめかけていたのだ。さすがにその中を歩いて帰るわけにもいかず、ガー太もあきらめたように馬車に乗ってくれた。
そしてそこに見送りとしてマローネも同乗したのだ。
レンが彼に謝ったのは、事前の打ち合わせと全然違う展開になってしまったせいだ。
「会議中も寝そうになってしまって」
「仕方ありません。退屈だったでしょう?」
「正直、かなり退屈でした」
「いつの頃からか神前会議は出席者の知識を競うような場になってしまって、細かい文章がどうだとか、解釈がこうなっているとか、そんなことよりもっと具体的な議論すべきだと私も思っているのですが」
どうやらマローネも神前会議に思うところがあるようだった。
「ですが結果よければ全てよし、とも言います。事前に考えていた作戦より、こちらの方が大成功でした」
マローネは微笑を浮かべて答える。
彼が考えていた事前の作戦というのは、
「神前会議まで、あの鳥に乗るのはさけて下さい。そして神前会議中、できるだけ人の多いところで、あの鳥に乗って下さい」
というものだった。
どこかへ行くときはガー太に乗っていたレンだが、王都の教会関係者の前でガー太に乗ったことはない。マローネはレンがガー太に乗れることを知ると、それを秘密にしてほしいと頼んできたのだ。
「別にいいですけど、それに何か意味があるんですか?」
「あります。神の使いに乗るというのは、それだけで重要な意味を持ちます」
ガーガーは神の使いである。それを連れて歩くのも、それに乗るのも、レンにとっては同じようなものだと思うのだが、マローネの説明は違った。
「オーバンス様がガーガーに乗れば、それこそ多くの信徒はあなたを神に選ばれた特別な存在だと思うはず。教会の上層部は、そんなことを認めないでしょう」
ガーガーを連れて歩くのと、ガーガーに乗るのとでは、与えるインパクトが大違い、ということらしい。
だからレンがガー太に乗れば、それを危険視した大司教たちは、ガーガーではないという結論が下すはず、というのがマローネの説明だった。
神前会議まで隠しておくのは、ガーダーン大司教に知られないためだ。彼がそれを知れば、必ず何か手を打ってくるはず。だが神前会議が始まった後なら、ガーダーン大司教もどうすることもできない。
そんなに上手くいくのかな? と疑問に思ったレンだったが、マローネは自信満々のようだし、ガー太に乗らないだけなら簡単だし、ということで彼に協力することにしたのだ。
しかしそれは全部無駄になってしまった。
神前会議でガー太が大暴れしたからである。
「残念ながらガーダーン大司教は終わりでしょう。次期聖堂長どころか、大司教の地位からも退かれるかもしれません」
「そんなにあれが問題なんですか?」
「大問題ですよ」
あれ、というのはガー太に襲われたガーダーン大司教が叫んだ言葉だ。
「誰かこいつをなんとかしろ!」
と彼は叫んだわけだが、その一言が大問題というのだ。
「あれを言ったのが、例えばハガロン大司教なら、何とでもなりました。ハガロン大司教は、あの鳥をガーガーとは認めていませんから。ですがガーダーン大司教はあの鳥をガーガーだと主張する立場にあったのです」
つまりガーダーン大司教はガーガー、神の使いに向かって「こいつ」とか叫んでしまったことになるのだ。これは教義に逆らうことであり、大司教としては致命的らしい。
今ひとつ実感がわかないが、日本の政治家だって失言一つで辞任することもある。彼らにとっては大問題なのだろう。
そしてこの失言で神前会議もスピード決着した。
賛成派のガーダーン大司教が失脚したので、他にガー太をガーガーだと認める者はいなくなった。さらにガー太の暴れっぷりを見て、他の者たちも重大な危険性に気付いたのだ。
もしガー太をガーガーだと認めてしまえば、誰がガー太を止めることができるのか?
というわけで、ガー太はガーガーによく似た別の鳥、ということになってしまった。
暴れるのを見て本気で別の鳥だと思ったのか、内心ではガーガーだと思いながら政治的に判断したのか、とにかく教会としてそのような結論を出したのだ。
神前会議の結論は簡単に変えられないそうだし、とりあえず問題解決でいいだろう。
「オーバンス様も、事前の約束をどうかお忘れなく」
「わかっていますよ。僕の方から、ガー太はやっぱりガーガーだった、とかは言いません」
これは最初にマローネと交わした重大な約束だった。もちろんウソではない。レンは教会での権力などに興味はないし、教会にどう思われようと手出しされない限り気にしない。互いに干渉しないのが一番だ。
教会はレンの心変わりを心配しているようだが、レンも教会が約束を守ってくれるかどうか心配している。
安心するのはまだ早いかも、と気持ちを引き締め直した。
王都郊外にあるダークエルフの集落に到着し、馬車から降りたレンは大きく体を伸ばした。横ではガー太が、同じように羽を大きく広げて伸ばしている。
とにかく問題が一つ解決したのだ。解放感を味わっていた。
「お疲れ様でしたオーバンス様。もし教会の方で何か動きがあれば、すぐにお伝えします」
マローネ司教が一礼する。彼はこれから馬車に乗ってシャンティエ大聖堂に帰る、と思っていたら、ちょっと迷った様子で言ってきた。
「……オーバンス様、一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
ちょっと警戒しながら聞き返す。教会から何か注意でもあるのか?
「個人的なお願いで申し訳ないのですが、そちらの鳥に、一度手を触れてもよろしいでしょうか?」
なんだそんなことか、と拍子抜けしたレンだが、マローネは真剣な顔をしていた。神前会議では「ガーガーではない」とされたものの、マローネも内心ではガー太をガーガーだと思っていたということか。だから最後に一度さわってみたいと。
「いいですよ」
彼にはこちらも助けてもらったし、それぐらいなら問題ないだろう。
「それぐらいならいいよね?」
「ガー」
ガー太もまあそれぐらいなら……といった感じで返事をした。マローネはずっと礼儀正しくガー太に接していたので、ガー太の方も彼をそこまで嫌っていないようだ。
「いいって言ってますよ」
「おお、ありがとうございます。では失礼して」
おやっと思った。何だかマローネの雰囲気が変わったような……?
穏やかな微笑を浮かべているのは変わらない。変わらないのだが、その笑顔がどこか違う。鬼気迫るというか、妙な迫力があるような?
マローネが一歩前に出ると、ガー太が一歩下がった。まるで怖がっているかのように。
さらにマローネが一歩進むと、ガー太はさらに一歩下がる。
互いの距離は変わらず、このままではらちが明かないと思ったのか、マローネがつかつかとガー太に近寄ると、
「クエーッ!」
いきなりガー太がマローネを蹴り飛ばした。蹴ろうと思って蹴ったというより、とっさに足が出てしまった、といった感じで。
蹴ったガー太はそのままピューッとどこかへ走り去ってしまった。
突然の出来事に呆然としていたレンだったが、ハッと我に返ってマローネに駆け寄る。
蹴り飛ばされたマローネは、数メートル飛んで地面に倒れていた。
「マローネさん、大丈夫ですか!?」
「え、ええ何とか。すごい衝撃でした……まるで最初の出会いのように……」
彼の声は小さく、後半部分は聞き取れなかった。
ガクッと意識を失うマローネ。
もしかして死んだんじゃ!? とあせったが、ちゃんと息はしている。気絶した彼の顔にはなぜか満足げな笑みが浮かんでいた。
マローネはグロステア男爵家の次男として生まれた。グロステア家は、王国西部にそこそこの領地を持つ、そこそこ豊かな貴族だった。
彼は小さい頃から優秀な少年だった。勉学も、武術も人並み以上にこなし、天才児とウワサされるほどだった。父親は息子が優秀なことを喜んだが、その喜びはマローネが大きくなるにつれて悩みに変わっていった。
優秀なのは良かったが、マローネは優秀すぎたのだ。
彼が長男ならば、何の問題もなかった。グロステア男爵家は安泰だと笑っていればよかったのだが、彼は次男だった。跡継ぎである長男は凡庸で、誰が見ても弟の方が優秀だ。このままでは将来、後継者問題が起こるのではないか、と危惧した父親は、彼が十二歳になったときに神学校への入学を勧めた。
「ありがとうございます父上。私も神の御許で、色々なことを学びたいと思っていたのです」
マローネは神学校への入学を喜んだし、その言葉にウソはなかった。だが彼の本心を知る者はいなかった。
彼は人並み以上に何でもこなす子供だったが、だからこそだろうか、何事にも興味を持てない子供でもあった。
勉学をほめられても、武術の腕が上がっても、本人は何も喜びを感じられなかったのだ。
兄が自分に嫉妬してることも知っていたが、彼はそんな兄のことをうらやましいとすら思っていた。
兄はこの家を継ぎたいと思っているから、優秀な弟に嫉妬している。それは兄がこの家に執着しているからだ。
一方、マローネはそんなものに全然執着していない。他の物にもまったく執着していないし欲望も感じない。執着や欲望がないのは良いことだと言う者もいたが、何の欲望もないのは空虚と同じだった。
神学校への入学を決めたのは、神ならば自分に道を示してくれるかもしれない、とかすかに期待したからだった。
家を継げない貴族の次男以下が、神学校に入るのは珍しいことではない。彼らが栄達を望むなら、勉強して王国の文官になるか、軍に入って手柄を立てるか、まずはどちらかが候補に挙がる。その次に目指すのが聖職者だ。世俗の権力者ではなく、教会の権力者を目指す道だ。
聖職者、ドルカ教の神父になるためには、大きく二つの道がある。
一つはどこかの教会に入り、神父の従僕となって修行を積むやり方。これは平民のやり方だ。ただし推薦をもらって神父になれる者はごくわずか、ほとんどの者は下働きのまま終わる。
もう一つが神学校に入る道。神学校はドルカ教の学校で、無事卒業できれば神父になれる。ただし入るにはそれなりの金が必要だし、在学中も何かと入り用だ。だから学生は貴族か、裕福な平民の息子ばかりとなっている。
神学校に入ったマローネは、修行にはげみ、心の底から神に祈りを捧げた。だが神は何も答えてはくれなかった。
在学中にハガロン大司教の目にとまり、彼に引き上げられたことは、他の生徒にとってはうらやましい限りだっただろう。だがマローネは今までと同じ、それになんの喜びも感じられなかった。
ハガロン大司教の部下となってからも、空虚な日々は続いた。忠実に命令を遂行したのは、他にやりたいことがなかったからだ。だが傍目からは、彼の行動は引き立ててくれたハガロン大司教に恩義を感じてのことと見えたのだろう。
いつしか彼はハガロン大司教の忠実な腹心と見なされ、若くして司教の地位まで出世した。
だがやはり彼の心は空虚なままだった。生きていることに何の喜びも見出せず、自分はこのまま死んでいくのだろうか、と絶望すら感じていた。
そう、あの日までは。
きっかけは些細なうわさ話だった。人に慣れたガーガーがいるという。
よくある話だと無視してよかったが、妙にそれが気にかかった。今思えば、それこそが神の啓示だったかもしれない。
彼は自ら申し出て、そのうわさの人間レン・オーバンスを調べに行くことにした。
そして出会ったのだ。
最初にそのお方を見たとき、マローネの全身に衝撃が走った。生まれて初めての強烈な衝撃だった。
深き知性をたたえ、それでいて激しい闘志を秘めた瞳。
一片の無駄なく鍛え上げられた体。
大地を力強く踏みしめる両足。
優美に全身を包む白い羽。
ガー太を見たマローネは一目で心奪われた。彼は生まれて初めて神の存在を感じることができた。
このような完璧な美しさを、神以外の何者が生み出せるというのか。これを神の奇跡と言わずして何と言うのか。
「ああ、神をたたえよ」
言葉には万感の思いがこもっていた。生まれて初めて神に心から感謝の祈りを捧げた。
これまで司教として、マローネは多くの信者に説法してきたが、それは多分に教科書的なものだった。学んだ言葉をそのまま語っているような。しかし今は違う。今なら自分の言葉で、神について語れるだろうと思った。
そしてマローネは悟った。
このお方、ガー太様にお仕えするために、自分はこの世に生まれてきたのだと。
マローネならば、教会の権力を使ってレン・オーバンスからガー太を取り上げることもできただろう。そうすればずっとガー太の側にいることもできる。
だが彼はすぐにその考えを捨てた。
ガー太様はそれを望んでおられない。レン・オーバンスと引き離せば、最悪、ガー太様はどこかへ消えてしまうだろう――それは洞察とかではなく、理由のない直感だった。
一目でレンとガー太の強い結びつきを見抜いたのは、思いの強さ故だったのか。両者の間に、自分の入る余地がないことをわかってしまったマローネは、嫉妬で心を揺らした。
今まで何にも執着してこなかったマローネは、誰かに嫉妬したこともなかった。
だが今ならわかる。自分に嫉妬した兄の気持ちが、異例の出世を妬んだ神学校の同級生たちの気持ちが。
嫉妬とはなんと心を乱すのか。自分ではどうしようもない思いが、とめどなくわき上がってくる。それすらマローネにとっては快感だった。強い嫉妬を感じれば感じるほど、生きていることを実感できたのだから。
いっそこのまま嫉妬に身を任せてしまおうか? なんて思ったりもしたが、マローネは自制した。
なぜなら自分はガー太様の忠実な下僕だからだ。どれほど嫉妬に身を焦がそうとも、それを押し殺し、主にお仕えしなければならないのだ。ああ、何という悲劇か!
マローネは悲劇的な自分に酔っていた。それをわかった上で、マローネは酔いを存分に楽しんでいた。今まで考えたこともなかったが、自分には被虐的な一面もあるようだ。ガー太様が、それを気付かせてくれたのだ。
ガー太に仕えると決めたマローネは、その意に沿うべく行動し始めた。
まずは教会との関係をどうするかだったが、幸いなことにレンは教会と距離を置きたがっていた。
賢明な判断だ。教会は部外者がいきなり入ってきて、どうにかできるほど甘い組織ではない。ガーガーの存在を武器に、レンが教会で成り上がろうと考えていたら止めるつもりだったが、その心配はなさそうだった。
「ガーガーではなく、別の鳥ってことにするのはどうでしょう?」
と言い出した時は驚いた。マローネにもそんな発想は全くなかったからだ。
ウワサでは粗暴な人物と聞いていたが、そんな印象は全然なく、恐ろしく柔軟な発想ができるようだ。マローネはレンの人物評価を改めた。考えてみればガー太様が選んだ相手なのだ。粗暴なだけの人物であるはずがない。
彼はレンの奇策に賛成し、それを実現すべく動いた。
これまた幸いなことに、ハガロン大司教はレンを危険視し、取り込んで利用するのではなく教会から遠ざけようとしていたので、彼はそれを後押しするだけでよかった。
気を付けたのは、自分の心を知られないことだ。マローネがガー太に心服しているのをハガロン大司教に知られれば、間違いなくガー太から遠ざけられてしまう。だから態度に注意して、ガー太のことも「ガー太様」などとは呼ばず「あの鳥」などと呼ぶように心がけた。
最後の障害となったのがガーダーン大司教だった。マローネは彼に勝つために策を練ったが、最後はガー太が自分で決着をつけてしまった。
考えてみれば当然かもしれない。しょせん人間が、神の使いをどうこうしようというのが間違いなのだ。
神前会議での暴れっぷりを見たときは、
「さすがガー太様だ!」
と喝采を上げそうになってしまった。どうにか自重したが、あの雄々しく美しい姿は、今も目蓋に焼き付いている。
ガーガーとは別の鳥とされたので、ひとまずガー太様は安泰だろう。
下僕として主のお役に立てたことに満足したが、それが彼の心に欲望を生んだ。お役に立ったのだから、少しご褒美が欲しいと思ってしまったのだ。
ガー太にふれる――ささやかだが彼にとっては大きな褒美は、しかし与えられることはなかった。ガー太に蹴り飛ばされてしまったからだ。
蹴られたマローネは、己の思い上がりに気付いた。
下僕が神に褒美を求めるなど何たる不遜!
心から反省したマローネだったが、蹴られて感じたのは痛みよりも快感だった。彼にとってガー太が与えてくれるものは、それが痛みだろうが嫌悪だろうが、全てご褒美だったのだ。
いっそこのまま蹴り殺して下さらないだろうか――恍惚となりながら、マローネは気を失った。