第220話 ガーダーン大司教の動き(下)
神前会議までの一週間、特に何もしなかったレンに対し、教会内部では激しい動きが起こっていた。
ハガロン大司教とガーダーン大司教が賛成派と反対派に別れ、多数派工作を繰り広げていたのだ。
神前会議は、まずは出席者全員の全会一致を目指して話し合いが行われる。だが議論が紛糾して結論がでなければ、選ばれた人間の多数決で決定される。いわば判決を下す裁判官のような存在がいて、彼らは裁定者と呼ばれていた。
裁定者は九人と決められている。死去したり引退したりで欠員が出れば、その都度、新しい裁定者が大司教や司教の中から選ばれる。ハガロン大司教も、ガーダーン大司教も裁定者だ。
ちなみに二人はどちらも王都にある別の教会を管理する立場にあるのだが、聖堂長が寝込んでからは、自分の教会のことは配下の司教に任せ、二人ともほとんどの時間をシャンティエ大聖堂で過ごしている。
どちらも相手の抜け駆けを恐れてのことだ。
自分がいない間に、誰かが聖堂長から後継者指名を受けた、なんてことになったら大変である。だからシャンティエ大聖堂にこもり、お互いに監視し合っていたのだ。
他の有力者も似たり寄ったりで、聖堂長の見舞いと称して、王都に集まっていた。
今回、異例の速さで神前会議が開かれることになった理由の一つが、裁定者九人全員が、王都にいたことだった。遠くから呼び寄せる必要がなかったのである。
神前会議は最終的には裁定者の多数決で決まるが、裁定者だけで全て決まる、というわけでもなかった。
神前会議は、その名の通り神の御前で真実を争うものだ。そして神は信徒全員に平等であり、信徒なら誰でも御前に出て、神に訴えかけることができる――ということになっている。つまり神前会議は基本的に開かれた場であり、信徒なら誰でも参加して意見を述べることができるものなのだ。
もちろんこれは建前で現実は違う。実際の参加者は吟味されて誰でも参加できるわけではないし、勝手な発言も許されない。
それでも神前会議は密室で行われることはなく、シャンティエ大聖堂の大議場で行われる。興味を引く議題であれば、参加希望者が殺到して、五百人が入れる大議場が満杯になったりするのだ。
そんな会議の場で、例えば多くの神父が反対を表明したりしたら、大司教たちも彼らの意見を無視できない。
極端な話、九人全員が賛成しても、残りの参加者数百人が全員反対の声を上げたりしたら……やはり押し切るのは難しいだろう。
だから会議の前には多数派工作が行われる。
まずは誰を会議に参加させるかだ。司教には参加の優先権があって、その次に神父、それでまだ空きがあれば一般の信徒も――身元をちゃんと調べた上で――参加できる。参加希望者多数の場合は、年長者が優先される。
だからまずは自分に味方してくれる年長者に参加をお願いする。
参加者が決まった後が、多数派工作の本番だ。
ハガロン大司教もガーダーン大司教も、自分の派閥の引き締めを行いながら、中立の者へは協力を要請し、対立派閥への切り崩しを行っていた。
表面ではにこやかに話しながら、裏では買収や脅迫も当たり前だ。ただそこは教会、神に仕える聖職者を自認しているので、貴族社会で行われる買収合戦よりは多少マシだったが。
ガーダーン大司教は、シャンティエ大聖堂の自室で、部下から現時点での票読みの報告を受けていた。
今回は人に慣れているガーガーという、非常に興味を引く話題なので、参加希望者が殺到して大議場が満杯になるのは確実だ。
数は力である。参加者が多くなればなるほど、彼らの意向は無視できない。多数派工作は重要だったが、部下からの報告はよいものではなかった。
「残念ながら反対派は現状で五割を押さえています。賛成派は二割、中立が三割といったところです」
レン・オーバンスが連れてきた鳥をガーガーと認めるか?
今のところ、認めないという反対派が五割だった。反対派の代表はハガロン大司教だ。
対するガーダーン大司教は認めるという賛成派なので、自陣営が不利な状況である。
さらに肝心の裁定者も反対派が多い。
はっきりと反対を表明しているのが、ハガロン大司教を含め三人。逆に賛成を表明しているのはガーダーン大司教のみ。残りの四人はまだ態度保留だが、いずれも反対派に近いという。
最後の九人目は聖堂長だが、今は病気で寝込んでいるので会議には参加せず、多数決になった時だけ一票を投じるということだが、彼を除いても圧倒的に不利である。
だがガーダーン大司教は報告を聞いても不機嫌になるどころか、余裕の笑みを浮かべていた。
「反対派が優勢か。さもありなん、だな」
実はガーダーン大司教の心情も、反対派に近かった。
ガーガーを飼いならした、なんて話は今回が初めてというわけではない。教会の長い歴史を振り返れば、そんな話は今まで何度もあった。そしてその全てがデタラメ――カン違いとか、サギ師とかばかりだったのだ。
だから最初に今回の話を聞いた時も、下らん話と思っただけだった。
もし聖堂長が健在で、後継者問題で対立していなければ、何も考えずハガロン大司教と一緒に「ガーガーとは認めない」と言っていただろう。
だが今はハガロン大司教と激しく対立している。だから彼が反対と言えば、まずは賛成できないか考えてみるのだ。
そして探りを入れてみると、面白いことが分かった。
ハガロン大司教が、
「ガーガーとは認めない」
と言っているのに、実際に確認しに行ったマローネ司教が、
「あれはガーガーです」
と言っているというのだ。
マローネ司教はまだ若いが、その優秀さはガーダーン大司教も認めるところだ。できれば自分の部下に欲しい、とすら思っている。
そんな彼がガーガーだと言っている……興味をひかれたガーダーン大司教は、部下のダノン神父を確認に行かせた。
結果は驚くべきものだった。
ダノン神父も、付き添いの者たちも、口をそろえて、
「あれはガーガーです! 神の使いです」
と言うのだ。もう一度、別の者を行かせてみたが答えは同じ。
そこまでやって、ガーダーン大司教も部下の報告を信じた。
今回は本物か、本物と誤認するような鳥がいるのだ。少なくともでっかいニワトリやアヒルを持ってきて、ガーガーだと言っているわけではなさそうだ。
マローネ司教も自分の目で見てガーガーだと思ったのだが、ハガロン大司教はそれを信じなかったのだろう。
ならばガーダーン大司教のやることは決まっている。
その鳥をガーガーだと認めるのだ。ガーダーン大司教がそれを言い出すと周囲は驚愕した。ハガロン大司教も驚いたようだが、これ幸いと思ったのだろう、激しくこちらを非難してきた。
ガーダーン大司教も争いが大きくなるのは望むところだったので、結果的に両者の思惑は一致、争いは収まらず神前会議が開かれることになった。
一週間後という異例の速さも、両者が望んだ結果だった。
ガーダーン大司教は、ハガロン大司教の気が変わることを恐れた。もう一度調査をしに行って、もしかしたらガーガーかも? などと疑い始めたら、せっかくの好機が水の泡である。確認するヒマを与えず、早期に決着するのが望ましい。おそらく向こうも同じように思ったのだろう。
だから反対派が多いことも気にしていない。それが常識というものだ。
しかしそんな常識をひっくり返すものが現れたとしたら? 神前会議にガーガーそっくりな鳥が現れた時のことを思うと、楽しみで仕方ない。
最初の衝撃が重要なので、ダノン神父を通じて、その鳥を所有しているレン・オーバンスには、何もするなと伝えてある。後は当日のお楽しみだ。
実はガーダーン大司教も少し楽しみなのである。どんな鳥が出てくるのか? 同時に不安でもある。ダノン神父たちは、
「あれはガーガーです」
と確信しているようだが、もし似ても似つかぬものが出てきたら、破滅するのは自分の方だ。
一度自分の目で確認してみるか? とも思ったが、もしそれをハガロン大司教に知られたら、彼の気が変わるかもしれない。
「ガーダーン大司教自ら確認しただと? もしかして本物なのか?」
なんて思われでもしたら、せっかくのチャンスが台無しになってしまう。
ここは部下たちを信じて賭けに出ることにしたのだ。
ガーガーは神の使いだ。それを大司教が違うと否定したとなれば、神を否定したのに等しい。大司教にあるまじき大失態となる。
神前会議にガーガーが現れた時が、ハガロン大司教の最後の時になるだろう。
「参加者の状況はわかった。次はレン・オーバンスの方だ。調べた結果は?」
「はい。粗暴な行為を繰り返し、勘当されて家を追い出された、というのは間違いないようです」
ガーダーン大司教の問いに、部下の一人が答える。
首尾よく神前会議でガーガーだと認めさせ、ハガロン大司教を追い落とすことができたとしても、新たな問題が発生する。
ガーガーの持ち主であるレン・オーバンスが、
「ガーガーを持つ俺こそが、神に選ばれた特別な存在だ!」
なんて言い出したりしたら、非常に厄介なことになる。
持ち主がオーバンス伯爵家の三男と聞いたときは、マズいかもしれないと危惧した。
貴族は教会の庇護者であると同時に、権力争いの相手でもある。力を持ちすぎるのは困るのだ。
だが、部下の報告を聞く限り、そんな心配もなさそうだ。
粗暴で家を追い出されたのなら、実家との関係も悪いはず。家の後ろ盾がなければ、どうとでもなる。
魔獣の群れを倒したというから、武将としては中々の才能を持っているのだろう。今回の騒ぎも、魔獣討伐の褒美を与えるため、国王が彼を呼び出しだのが発端だ。
腕自慢だが頭の弱い猪武者――ガーダーン大司教は、レンをそう判断した。
ガーダーン大司教は、個人の武勇を侮ってはいない。暴力はもっとも単純でわかりやすい力だ。
しかし個人の力には限界がある。
魔獣相手にどれだけ剣を振るおうが、教会という巨大組織に剣では勝てない。
「引き続きレン・オーバンスのことを調べろ。金に弱いなら、金でその鳥を買い取ればいいし、女に弱いなら、好みの女を与えて骨抜きにしろ。ガーガーは個人には過ぎたるものだ。教会が所有してこそ、神の御意思に沿うことになる」
ガーダーン大司教の言葉に、部下たちがうなずく。もし本当にガーガーだとすれば、それは教会が保持しなければならない、というのは彼らにとって当たり前のことだった。
金か女か、それとも他の物か、とにかくレンを懐柔するのは、それほど難しくないだろうとガーダーン大司教は思っていた。
もしそれでレンが調子に乗りすぎるようなら、その時は実力行使だ。
教会は敬虔な信徒には慈愛をもって接するが、神に逆らう愚か者には容赦しない。もしレンが愚か者なら、教会の恐ろしさを思い知ることになるだろう。