第216話 もう一つの取引相手(下)
「待たせたな兄弟」
と言いながらシーゲルが応接室に入ってきたが、レンは全然待っていない。ソファーに腰掛けたところで、シーゲルがやってきたのだから。
テーブルを挟んで向かい側に、シーゲルも腰を下ろす。
リゲルとゼルドは後ろの壁際に立ったままだ。レンの常識だと三人一緒に並んで座るべきだが、ここでの常識は違う。護衛のダークエルフが一緒に座るなどあり得ないので仕方ない。
「こんなもんしかないが、まあ食べてくれ」
若くてきれいなメイドさんが、お茶とお菓子を並べてくれる。
ここで気の利いた言葉でもかけられればいいのだが、レンは何も言えず、ぎこちなく頭を下げただけ。あいかわらずきれいなお姉さんは苦手だった。
「砂糖菓子? いいんですか、こんな高級品?」
出てきたお菓子は、砂糖をまぶしたクッキーだった。現代日本ならなんでもないお菓子だが、この国で砂糖は超高級品だ。このクッキーもかなりの値段がするはず。
「俺と兄弟の仲だ。砂糖菓子ぐらいで遠慮するなよ」
「じゃあ、いただきます」
一つつまんで食べる。
甘い。甘いだけといってもいい。
多分、これを日本にいた頃に食べたのなら、甘ったるくて特においしいとも思わなかったはずだ。
しかし今は甘ったるいクッキーが、とんでもなくおいしかった。滅多に食べられない砂糖に体が喜んでいる、みたいな感じだ。
甘みは麻薬と同じ、なんてことをレンは聞いたことがあった。日本で普通に甘いものを食べていた頃は、何を大げさに言っているんだと思っていたが、こうして久しぶりに砂糖菓子を食べると、甘みの力というのを思い知らされた気がする。
大金を出して砂糖を買う人の気持ちも理解できた。
それにしても高価な砂糖菓子を簡単に出してくるあたり、やはりシーゲルはかなり稼いでいるようだ。
「元は兄弟のおかげで儲けた金だ。砂糖菓子ぐらい、いくらでも食ってくれ」
まるでこちらの内心を見透かしたかのようにシーゲルが言う。
「それで兄弟、今回は何の用で王都まで来たんだ? うちとの商売で何か問題でもあったか?」
ガトランやキリエスにも同じように聞かれた。三回目だな、と思いつつ同じように説明する。
商売ではなく、国王に呼び出されたのだ、と。
「さすがは兄弟、おめでとうと言いたいところだが、あんまりうれしそうじゃないな?」
「名誉なことだとは思うんですが、面倒くささの方が大きいというか」
「俺たちなんかと違って、兄弟は立派な貴族だろ。貴族にとって名誉は命より大事なもんじゃないのか?」
「他の貴族はそうかもしれませんけど、僕はあまり名誉に興味がないので」
より正しく言えば、この世界での名誉に興味がない、だ。レンは自分のことを、あまり自己顕示欲は強くないと思っていたが、全然ないとも思っていない。
日本で生きていた頃は表彰とかにはまったく縁がなかったが、もし人助けをして警察で表彰される、なんてことがあれば、面倒くさいなんて思わず喜んで出かけて行ったはずだ。それが小さな新聞記事になったりしたら、切り抜いて大事にとっておいただろう。
人に褒められたい、認められたいというのは、身近な人にこそなのだと思う。ここは異世界で、そこに暮らす貴族とかはレンにとって遠い人々なのだ。そういう人たちから名誉なことだとほめられても、ありがたみを感じられなかった。
「やっぱり兄弟は変わってるな。まあ変わってなければ、俺と取引しようなんて思わないか」
「その取引ですけど、問題とかはないですか?」
「ないない、順調だ。兄弟のおかげでたんまり儲けさせてもらってるよ」
シーゲルの商売が順調なのは、レンもある程度把握している。ダークエルフたちが運ぶ荷物の量が増え続けているからだ。
ダークエルフの運送屋を、シーゲルは犯罪ギルド間の取引に利用している。運ぶ荷物が増えるのはその取引が活発な証拠だ。
街から街へ、安全確実に物を運びたいというのは、表の商人も、裏社会の犯罪ギルドも同じだった。
盗品、密輸品、取引が制限されている様々な品物――犯罪ギルドが扱う商品は多種多様だったが、それを別の街へ運ぶのは、彼らにとっても簡単ではなかった。
魔獣、敵対組織の襲撃、役人の取り締まりなど、色々な困難を乗り越えねばならない。
そこでシーゲルは、レンと知り合ったのをきっかけにダークエルフの運送屋に目をつけた。レンの方も、仕事が増えるならと軽い気持ちで引き受けたのだが、そちらの仕事がレンの予想を上回ってどんどん増えていった。
シーゲルも最初は慎重だったが、何度か運送屋を利用して、これは使えると判断したら一気に動いた。積極的に各地の犯罪ギルドに取引を持ちかけ、運送量は一気に増大した。
これまでの街から街への運送は、商人も犯罪ギルドも同じようなやり方をしていた。自前で人と荷馬車を用意して荷物を運ぶ。他に方法がないので全部自分たちでやるしかなかった。
レンが考案した、というか日本の宅配便をモデルにしただけだが、それだと荷物を預けて目的地を伝えたらそれで終わり。便利さがまるで違う。
当初はダークエルフということで信用されなかったが、そのダークエルフたちがまじめに働き、口も硬いというのが知れ渡ってくると評判も変わる。
「下手な人間に任せるより、連中の方が信用できる」
近頃ではそんなことまで言われ始めていた。
各地の犯罪ギルドが自前の取引をやめ、運送屋を使うようになるのも当然だった。
その窓口となったのがシーゲルである。
最初はシーゲルの方から、あちこちの犯罪ギルドに話を持ちかけていたのが、今では向こうの方から頼まれるようになった。
頼む側から頼まれる側へ、立場が変われば力関係も変わる。
今のシーゲルは仕事を選べる立場なので、気に入らない相手の仕事は断ることだってできる。それどころか、
「あいつと取引するなら、お前のところの荷物は扱わない」
なんて圧力すら、かけられるようになっていた。
裏社会でのシーゲルの知名度と影響力も急拡大し、今のシーゲルは犯罪ギルド取引の元締などと呼ばれることもある。
そして、そんな彼が兄弟と呼ぶレン・オーバンスの名も、王都周辺の裏社会にすっかり広まっていた。なぞのダークエルフ犯罪ギルド、シャドウズを影から操る裏社会の大物として。
ここまでレンを連れてきたガチスも、そういう話を耳にしていた。だからあそこまで下手に出たのである。
シーゲルが上機嫌でレンをもてなすのも当たり前だった。
「兄弟から借りてる連中も、ダークエルフのくせによく働いてくれる。俺の部下にも見習わせたいぐらいだ」
最初、シーゲルがらみの取引も、全部マルコが管理していた。
シーゲルが取引の話をまとめてマルコに連絡、それから荷馬車を派遣してもらうといった具合に。
だがそれだと一々時間がかかるし、仕事が増えるにつれ、マルコの対応も遅れがちになった。
先ほど百人隊長のキリエスと話した際も、同じような問題が起こっているから、誰かこちらに責任者を置いてくれと頼まれた。
だがシーゲルはもっと直接的な手段を提案してきた。
「ダークエルフごと荷馬車を貸してくれ。仕事の差配はこっちでやるから」
一回一回運送の仕事を頼むのではなく、ずっと荷馬車を貸してくれと言ってきたのだ。どんな仕事をやらすかは、こちらで管理するからと。
キリエスからは、そういう提案は出てこなかった。二人の違いはダークエルフへの差別意識の違いだろう。
キリエスにとって、ダークエルフは能力の劣る劣等種なのだ。そんな連中と自分が直接やり取りするなんてあり得ない。だから人間の責任者を置け、という話になる。
一方、犯罪ギルドのシーゲルにとってはちょっと違う。元々、社会の底辺である犯罪ギルドにはダークエルフもいて――ほとんど下っ端だが――彼らを直接使うことに抵抗はない。ダークエルフを見下し、毛嫌いしている者も多いが、だからダークエルフを使わないという者は少ない。
使えるものはなんでも使う、というのが裏社会のやり方だからだ。社会の底辺に生きる者たちだからこそ、生まれとか血筋とかにこだわらない。ある意味、表の社会よりも実力本位といえた。
というわけで、マルコが忙しいならこっちで直接ダークエルフを使う、というシーゲルの提案は、犯罪ギルドでは当たり前ともいえた。
レンはマルコと相談して、この提案を受けた。
表の仕事が増えてきて、裏の仕事までマルコの手が回らなくなってきたこと、裏社会の取引は裏社会の人間に任せた方がいいだろう、という理由で。
最初はテストとして一台から始めると、シーゲルが有能だったのか、それだけ仕事があったのか、おそらくその両方だと思うが、仕事は上手く回り始め、貸し出す荷馬車の数はどんどん増えていった。
レンは人身売買と違法薬物の取引に、ダークエルフの運送屋を使うことを禁じ、シーゲルとも約束している。日本人的な価値観によるものだ。だがそれを除いても運ぶ品はいくらでもあった。
現状、ダークエルフたちが運んでいる荷物のうちの、多分、半分ぐらいが裏社会絡みだ。
王都に出入組ができて、表の商人による取引が急拡大しているが、それでやっと半々ぐらいになった。それまでずっと裏の仕事の方が多かったのだ。
一方、荷馬車の台数でみると、運送屋が保有する荷馬車のうち、およそ八割をシーゲルへ貸し出している。
荷馬車と一緒に御者と護衛のダークエルフも派遣しており、一台と一人につき月いくら、という契約で派遣している。今のシーゲル相手の商売は、運送屋ではなくリースと人材派遣業になっていた。
八割の荷馬車を貸し出しているのに、運んでいる荷物の量が半分、というのは計算が合わない気がする。
残り二割の荷馬車をマルコが管理し、表の商人相手の取引を行っているのだが、この二割の荷馬車が運ぶ量と、シーゲルのところの八割が運んでいる荷物の量がほぼ同じなのである。
この荷物量の差が、効率化の差だった。
マルコの店では、運行掲示板とか行程表とか、レンの提案によって色々な業務管理の手法が取り入れられていた。
二割と八割で同じだけの荷物を運んでいるのだから、単純計算で効率は四倍だ。レンが導入した様々な手法は、それだけの効果を発揮していたのである。
シーゲルはそういうことをやっていない。
レンが教えていないからだ。教えたところで、簡単にマネできるものでもない。マルコの店に導入する際も、何度も試行錯誤を繰り返して、今の形に落ち着いたのだ。
何もわからない人間が、やり方だけ聞いても上手くいくはずがない。レンが常駐して指導すれば同じことが実現できるとは思うが、そこまでやるつもりはなかった。
それに月いくらという今の派遣契約では、効率化しようがしまいが、ダークエルフたちが得る報酬は変わらない。むしろ効率化せず、少ない仕事で報酬をもらった方が得だといえる。ちょっとあくどい気もするが、わざわざ教える必要はなかった。
それに特別な効率化を図らなくても、まじめに働くという一点だけで、以前の運び屋たちとは雲泥の差なのだ。シーゲルもこうして喜んでいるし問題はない、はずだ。
このように仕事のやり方はお任せ状態だが、全部任せっきりというわけでもない。
人身売買や違法薬物が禁止なのは変わらないし、定期的な休みも定めている。
作業内容は全部報告させているので、違反があればすぐわかる。今のところシーゲルは約束を守ってくれているので、大きな問題は起こっていない。
「それにしても兄弟のとこのダークエルフはまじめに働くな。まじめすぎて、たまに融通が利かないのは問題だが、どうやって手なずけてるんだ?」
「別に手なずけてなんていませんよ。ちゃんと仕事をしてくれってお願いしてるだけです」
「やり方は秘密か。まあそうだろうな」
冗談めかしてはいるが、それを知りたがっているのは本当だろう。
シーゲルは派遣されてきたダークエルフたちに、何度か話を持ちかけているのだ。
「今より報酬を出すから、俺の下で働く気はないか?」
とヘッドハンティングしようとしたのである。
おそらく本気ではない。本気で引き抜こうとすれば、レンとの関係悪化は避けられないからだ。今のシーゲルにとって、それはあまりにリスクが大きすぎる。
彼が知りたかったのはダークエルフの反応だろう。そしてダークエルフたちはみんな同じ答えを返した。
即座に拒否である。
彼らは金ではなく序列によって行動している。それを金で引き抜こうというのは無理な話だ。
だが序列を知らないに人間にとって、彼らの忠誠心は大きな謎だった。
人間にも金で動かないような義理堅い者もいる。だが一人や二人ならともかく、百人千人が集まって、全員義理堅いなんてあり得ない。もしそんな集団がいれば、何か理由があるはずだ。
シーゲルはその理由を知りたいのだろう。それを知ることができれば、レンと同じことができると考えているに違いない。
もちろんレンは序列のことを話していない。これだけは誰にも話すつもりない。
今は特に問題ないと思う。レンとの関係が良好なら、向こうも無理に秘密を探ろうとはしないはず。それをやればレンとの友好関係が破綻してしまう。シーゲルにとっては大損だ。
危ないのは将来、何かの理由でレンとシーゲルの関係が悪化したときだ。その時こそシーゲルは本気でダークエルフを取り込もうとして、彼らの秘密を探ろうとするはず。
そのときに備え、こちらも対策を考えておかねばならない。そんな日が来ないのが一番だとは思うが。
「とにかく兄弟には世話になってるからな。俺にできることなら何でも力になる、といっても今回みたいに貴族様たちの世界の話じゃ何もできないが」
いくら力をつけても、シーゲルは裏社会の人間だ。国王や貴族たちが出てくるような上流階級の決まり事に手は出せない。
裏社会に生きるシーゲルも、国王からの表彰とか、名誉とか、そういうことに興味はなさそうだ。だからレンの気持ちもある程度理解してくれたようだが、残念ながら協力は期待できそうにない。
けど実のところはどうなんだろう? とレンはふと疑問に思った。
最初から自分には関係ないと思っているだけで、もし本当に国王から表彰されるとなったら、シーゲルも誇りに思って喜ぶかもしれない。考え方が根本的にレンと違う可能性もあった。
いずれにしろ、やはり今回の件は自分の力で乗り切るしかなさそうだった。
(下)は今日中とか、ウソついてすみません。
いや、これ書いたときは本当にそのつもりだったんですよ。あとちょっと書き足せば終わりって。
でも読み返すとおかしい部分があって、それを修正して、だったらここも……
とかやってたら今日になったという。
言ったことは守れるようがんばります。