第214話 利害調整
翌日、レンは今度は王都の外壁の中へと向かった。
ちなみに王都ロキスといっても、どこまでが王都なのか実はあいまいだった。
最初に王城が築かれ、その周囲を広い外壁で囲って街が作られた。城塞都市というやつで、この世界では一般的だ。本来の王都はこの城塞都市だけを指す。
だが時間とともに王都の人口は増え、壁の中に収まり切らなくなって外へとあふれ出す。王都のすぐ横には川が流れているが、今ではその川向こうにも街が作られている。
壁の外の街の広さは、当初の城塞都市と比べて十倍以上。現在では川の向こうも含め、壁の外の街も全部入れて王都と呼ぶことが多い。
ただし壁の外と中では明確な格差が存在しており、中へ入るには門で検査を受けねばならない。レンが王都警備隊と組んで出入組を作ったのも、この検査を簡略化するためだった。
一台や二台ならともかく、ダークエルフの乗った荷馬車が大量に王都へ来るようになれば、きっと王都警備隊から目をつけられる。だから先手を打ったのである。
最初に運送屋をやり始めたジャガルの街では、これが後手に回ってしまった。
マルコは問題をわかっていたが、
「そんな急に取引が増えたりしないだろう」
と思って対応を後回しにしていたら、彼の予想を超えて取引は急増、役人に目をつけられてしまった。
そこからマルコは関係者に話をしに行ったり、贈り物を届けたりと、色々苦労したようだ――などとレンはまるで他人事のように思っていたが、本来、そういうのはレンの仕事なのだ。
貴族同士で話し合って、利益の調整をするのだ。
しかしレンがそれを嫌がり、
「マルコさんの方で何とかなりません?」
と頼んだのだ。
頼まれたマルコの方は複雑だった。
レンに任せれば話は早いが、貴族同士の決めごとにマルコは口出しできない。レンが不利な約束をしてしまうと、後で苦労するのはマルコだ。
一方、マルコが自分で動けば大変だが、話の内容は全て把握できる。
迷った末に、マルコは自分で動いて自分で解決したのだった。
その経験を生かし、王都では事前に手を打った。人や物の出入りを管理する王都警備隊、その百人隊長と知り合いになれたので、彼らに協力してもらった。
今日会いに行った相手は、その王都警備隊の協力者、内回りの百人隊長キリエスだった。
内回りは壁の中を受け持つ部署だ。
昨日会ったガトランは外回りの百人隊長。彼にも郊外で土地を用意してもらうなど、色々と協力してもらっていたが、外壁の門番は内回りの担当だ。
話をつけるのはやはり内回り、ということでキリエスにはガトラン以上に協力してもらった。根回しとか手続きとか、色々ややこしいこともあったらしいが――必要とあれば、それなりの金も用意しないといけない――そのあたりもキリエスとマルコにお任せだったので、あまり詳しくは知らない。
とにかく出入組は作られ、上手くいっているようだ。今のキリエスは、その出入組の実質的なトップでもある。
「ようレン。久しぶりだな」
昨日のガトランと同じように、キリエスも笑顔でレンを出迎えてくれた。場所は街中にある王都警備隊の詰め所だ。
昨日、ガトランに頼んで連絡してもらっていたので、キリエスに驚いた様子はない。
「ガトランから聞いたぞ。国王陛下から、お褒めの言葉をいただけるそうじゃないか」
「それなんですけどね……」
レンは昨日話したのと同じように、何があったのかを簡単に説明する。
「それで王都に来たのか。俺はまた、商売の方で何か問題があったのかと思ったぞ。そっちじゃなくてなによりだ」
「僕にとってはよくないですよ。出入組の方はどうですか?」
出入組は王都の壁の中と外を行き来する荷運びだ。組員のほとんどが、元王都警備隊の隊員だ。
年を取って引退した者や、若いがケガなどで辞めざるを得なかった者など、特に後者は王都警備隊でも問題とされていた。社会保険などがないこの世界では、蓄えなしに仕事をクビになったら即、路頭に迷う。
昨日まで肩を並べていた仲間が、いきなり生活に困窮するのだから、王都警備隊の士気にも関わる問題だ。
それを解決できるかもしれないというので、キリエスはレンの提案に乗ったのだ。
もちろんレンの方にもメリットはある。
王都の外門で、荷物の出入りをチェックするのは王都警備隊の仕事だ。だから元王都警備隊の人間を雇えば、やり取りがスムーズになると考え、実際にそうなっている。
王都までダークエルフが運んできた荷馬車は、王都近郊に作られた作業場で、出入組の人間に引き渡す。それから出入組で積み荷と目録のチェックを行い、正しいことを確認してから壁の中へ持ち込むことになる。
もし目録と積み荷に齟齬があれば、そのことが明記され、報告される。
積み荷の目録は、門を警備している王都警備隊にも提出され、必要な額の税金をきっちり支払っている。
不正な処理は行っていない。
王都に限らず、大きな街では入ってくる人や物に関税をかけている。門番と癒着して関税をごまかす、なんて不正はあちこちで行われているが、レンはそれをやらなかった。
全部きっちりやっておいた方が、後々まで考えれば得になると考えたからだ。一度不正に手を染めてしまえば、相手と一蓮托生になってしまう。そこまでズブズブの関係になるのは嫌だった。あくまでちゃんとした仕事としてやるべきだ。
キリエスもそれに賛成してくれた。ただし彼の理由はちょっと違っていて、
「まあ、うちも一枚岩じゃないからな。他のところから突っ込まれたときに、不正がない方がやりやすい」
どうやら王都警備隊にも派閥があるようで、敵対する派閥から問題視されたときのため、きっちりやっておいた方がいいと判断したようだ。
派閥といえば、出入組のトップも派閥で決まった。
最初、レンはキリエスをトップの組長に、ガトランをナンバー2の副長にと考えていたのだが、キリエスがそれを断った。
「俺じゃ無理だ。もっと上の人を呼んでこないとダメだ」
キリエスなら能力的にも問題ないと思っていたのだが、
「門番は大きな金が絡むからな。慎重にやらないとマズいんだよ」
王都の中に入る荷物は、外門で王都警備隊にチェックされる。
だが検査内容は門番のさじ加減なので、そこで不正や癒着が頻発する。
門番になれば稼げる、というのは公然の秘密だ。そしてそういうおいしい仕事には、色々な人間が群がってきて利権が作られる。
出入り組は利権に影響を与えるほどの組織ではないが――現状、扱う荷物の量は全体から見ればごくわずかだ――無関係ともいえない組織だ。
だからもっと上の人間を呼んできて、利害調整をやってもらわないとダメだ、というのがキリエスの主張で、そんな彼が呼んできたのが王都警備隊の内視長だった。内視長というのは、内回りのトップだ。
王都警備隊のトップは総長、その下が副総長、その下に外回りトップの外警長と、内回りトップの内視長が並ぶ。つまり二人いるナンバー3の一人を引っ張ってきたのだ。そしてこの内視長が、キリエスが属する派閥のボスらしい。
内視長は、どこかの貴族らしいがレンとは面識がない。名前を借りただけで、出入り組の実務には一切関わっていないので、わざわざレンが会う必要はなかった。
キリエスやマルコからは、
「一度ぐらい会っておいてほしい」
と頼まれたのだが、都合が合わないと断った。単に面倒くさかっただけだが。
だが会わない代わりに口出しもしなかった。王都警備隊との調整などは、全部キリエスにお任せ状態である。
というわけで出入り組のトップは内視長となり、キリエスがナンバー2の副長、ガトランはその下のナンバー3の役職になった。
内視長は名前だけのトップだが、毎月かなりの報酬を支払っている。キリエスに言わせると、
「これも必要経費だ」
ということなので。
ガトランも必要なときに協力してもらっているが、普段は出入組に関わっていない。組織はキリエスが一人で動かしているといってよかった。
そのキリエスの手腕か、出入組は立ち上げからここまで、大きな問題もなく順調に業務をこなしている。
「警備隊での評判も上々だ。働いてるのは前の同僚、現役の連中も彼らが苦労してたことは知ってるんで、余計な口出しはしてこない。もしかしたら将来、自分たちがお世話になるかもしれないしな」
「それはよかったです」
困っていた人の助けになれたと聞けば、やはりうれしい。
「内視長も鼻高々だ。最初は、ダークエルフ相手の商売なんかできるか、みたいに言ってたのに、今は、俺が考えたんだ、みたいに自慢してるよ」
レンはあいまいに笑う。どこにでもそういう人はいるものだ。
「というわけで仕事は順調なんだが、順調すぎて問題が起こってるな」
「どういうことです?」
キリエスが妙な言い方をしたので、レンは意味がわからず聞き返す。
「あちこちの商人から、仕事の引き合いが来ててな。うちと商売がしたいそうだ」
王都の商人にとっても、安定した運送手段の需要は高い。しかもジャガルの街で運送屋をやり始めた時と違い、王都では王都警備隊と手を組んでいる。商人たちから見れば、王都警備隊がダークエルフを下働きに使っている、と見えるので忌避感もそれほど強くないのだ。
ダークエルフと商売するか、ダークエルフたちを使っている王都警備隊と商売するか、似ているようだが与える印象は全然違った。
だから出入組を使ってみたいという引き合いが多く来ているそうなのだ。
それは問題などではなく、いいニュースに思えたが、
「けどお前らの方の窓口がいない。お前か、あのマルコって商人か、それが無理なら誰か他の人間を責任者としてここに常駐させろ。ダークエルフばかりじゃ話にならん」
今、運送屋の窓口はマルコに集中している。他に人間がいないからだ。ダークエルフたちは能力があっても、営業のような仕事はできない。相手の人間が、
「ダークエルフなんかと話ができるか!」
と怒り出すからだ。残念ながら、そういう差別意識を簡単にどうにかすることはできない。
けどマルコさんに頼むのも……
マルコはジャガルの街を中心にあちこち回って、王都にもちょくちょくやって来ているようだが、キリエスはそのちょくちょくでは足りないといっている。しかしこれ以上、王都に来る回数を増やすのも難しい。
それどころか、マルコはこれから南のロレンツ公国にも行かねばならない。王都に来る回数を増やすどころか減りそうだ。
マルコの仕事の負荷も限界、というかすでに限界を超えている。王都での仕事を増やすのは無理だ。
かといってレンが王都に来て、商人の相手をするというのも……はっきりいって嫌だ。営業のような仕事は、人付き合いが苦手な自分には向いていない。
日本でサラリーマンをやってた頃からそうだったが、レンは仕事熱心な人間ではない。サボって楽して給料がもらえるのが一番、というタイプだ。
対してマルコは仕事人間だった。商売が大好きで、休む間もなく働き続けている。しかも仕事を抱え込もうとするタイプで、何でもかんでも自分でやろうとする。密輸のことがあるので、簡単には人を増やせないという事情もあるが、マルコは自分の仕事を分担できるような人間を雇おうとしてこなかった。
レンはレンで、余計な人間を増やしたくないので、今までマルコに任せっきりにしていた。マルコのがんばりに甘えていたともいえる。
だが、それも限界だろう。
勉強したダークエルフは事務職も立派にこなせるが、人間相手に仕事をする営業職や、お偉いさんの相手をすることになる責任者は無理だ。能力ではなく差別のせいで。
業務の拡大を目指すなら、マルコの仕事を分担できる人間を探す必要がある。だが能力はともかく、信頼できる人間となると難しい。
「わかりました。今度一度、マルコさんと相談してみます」
改善を約束して、あともう一つ頼み事をしておく。
「教会から連絡が来たら、僕のところへ伝えてもらえませんか」
王都に来る途中で教会の人間に会って、その連絡先としてキリエスの名前を出したのだ。事後承諾になったが、キリエスはあっさりうなずいてくれた。
「別にいいが、お前わざわざ郊外でダークエルフたちと一緒にいるのか?」
「そっちの方が気楽なので」
「……まあ、それがお前のやり方ならいいか。連絡が来たらすぐに伝えよう」
キリエスは何か言いかけたようだが、結局何も言わず、伝言を引き受けてくれた。
一通りの話は終わったので、レンは別れの挨拶をして王都警備隊の詰め所を出た。入り口で待っていたゼルドとリゲルと一緒に、三人で通りを歩く。
「あいかわらず、すごい人出ですね」
リゲルが感心したように言う。
そうだね、と応えたレンだったが内心はちょっと違う。
確かに王都は賑やかで人通りも多い。通りには商店が建ち並び、屋台なども多く出ている。ジャガルの街も人が増えているが、王都の人の多さは圧倒的だ。
だがレンは現代日本の東京を知っている。あの殺人的な人込みを知っていれば、これぐらいの混雑では驚かなかった。
後は特に用事もない。屋台でも覗いて、ちょっとぶらぶらしながら帰ろうか、などと思っていると、
「領主様、つけられています」
ゼルドが前を向いたまま、小声で話しかけてきた。
思わず振り向きそうになったが、ギリギリこらえてレンもまっすぐ歩き続ける。
ガー太に乗っていればカンも鋭くなるが、今のレンは人並み程度、尾行と言われてもまったくわからない。
「つけられてるって誰に?」
「わかりません。三人組のようですが、どうしますか?」
一人だったらもちろん逃げる。だが今はゼルドとリゲルがいた。シャドウズ隊長のゼルドは、カエデを除けばダークエルフの中でもトップクラスに強い。リゲルだって、並みの人間よりも強い。
相手が三人なら、どうにかなるだろう。
「相手が誰か、できれば確かめたいですけど」
「わかりました。ではその角を右に曲がって下さい」
言われた通りに右に曲がる。進むのはレン、ゼルド、リゲルの順番だが、進む道はゼルドが指示する。
ゼルドにも王都の土地勘はないはずだが、指示に迷いはなく、レンは彼について進んでいった。