第213話 不遜
いきなりのガー太訪問に集落はちょっとした騒ぎとなり、寝ていたはずのダークエルフたちがみんな家から出てきたりしたのだが、ガー太の方はそれを察知すると、さっさと一羽で森の中へと逃げていった。
あいかわらず、ダークエルフに囲まれるのは嫌らしい。
ダークエルフたちはみんなガッカリしていたが、とにかくレンたちは歓迎され、すぐに家が一軒用意された。
元々その家にいたダークエルフたちには別の家に移ってもらった。これが人間なら、いきなり出て行けと言われて不満爆発だろうが、ダークエルフたちは気にしない。それにこの集落は仕事の宿舎として使われている。自分の家というより、寝るための場所のようなものなので、そこを代わってもらっても大きな問題はない、はずだ。
とにかくせっかく用意してくれた家だ。王都にはしばらく滞在することになるし、この家を活動拠点として使わせてもらおう。
久しぶりに屋根の下で寝られるのもうれしかったが、それ以上にうれしかったのはお風呂に入れたことだ。
レンは前世の習慣から一日一回は風呂に入りたいが、この世界の人々も風呂好きだ。汚れが魔獣を呼ぶ、などと言われていることもあって、多くの人々が毎日お風呂に入っている。もしかすると日本人以上に風呂好きかもしれない。
街や村には公衆浴場も整備され、貧しい人でもお風呂に入れるようになっている。
ただ日本と違うのは、温泉の人気が全然ないことだ。
日本人なら自然の中の露天風呂と聞けばワクワクするだろうが、魔獣うごめくこの世界では、外でお風呂に入ると聞けば恐怖の方が先に来る。旅行もおいそれとはできないので、湯治などの風習もない。
ただレンの屋敷にいる執事のマーカスや、家庭教師のハンソンは、一度温泉に入ってその魅力に取りつかれた。多くの人々は温泉を知らないだけで、のんびり入れる温泉でもあれば、たちまち大人気になると思うのだが。
一方、ダークエルフにはお風呂に入る習慣がなかった。水を恐れる彼らは、その延長で風呂にも入らなかった。汗をあまりかかず、体臭もほとんどない彼らは、汚れたときに水浴びするぐらいで問題なかったのだ。
しかしレンによってその習慣も変わりつつあった。
レンの屋敷で温泉に入ったダークエルフたちは入浴の楽しさに目覚め、お風呂に入るようになったのだ。それは交流を通じて他の地域へも広がり、風呂に入るダークエルフは徐々に増加している。
この集落の家にもちゃんとお風呂が作られ、おかげでレンも入浴することができたのだ。
久しぶりにお風呂に入れたレンは、ゆっくりと休むことができた。
翌朝、レンのところに一人のダークエルフがやってきた。
「初めまして領主様。リデイラと申します」
と頭を下げたのは若い女のダークエルフだ。見た目はレンと同じく十代後半ぐらいに見えるのだが、実年齢は五十をすぎているそうだ。
ダークエルフたちは十代後半から二十代前半ぐらいで体の成長が止まり、五十代後半ぐらいから老化が急速に進み出す。若く見えるリデイラも、実はもうかなりの老人なのだ。
今はこのリデイラが集落のリーダーだったが、この集落はダークエルフの出入りが激しいので、リーダーもころころ変わる。
「リデイラさんとゼルドさんはどっちの序列が上なんです?」
「私です」
「僕は前にルーセントさんに会ったんですけど、彼とはどちらが?」
ルーセントは王都に住むダークエルフだ。以前、王都に来たときに会ったが、彼の序列はかなり高いようで、自分より序列の高い者に会ったことはないそうだ。
「ルーセントの方が上です」
やっぱり彼の方が上らしい。
本当はルーセントにここのリーダーをやってもらうのが一番だと思っている。序列によってリーダーが代わるのは、ダークエルフにとっては当たり前のことなのだろうが、それでも一人のダークエルフがリーダーをやり続けた方がいいはずだ。
この集落を作る際に、それを彼に持ちかけてみたのだが断られていた。
ルーセントが恐れているのは、序列が人間に知られることだった。だから彼は自分の周囲のダークエルフたちに、
「序列のことは秘密にしろ。可能な限り集団も作るな」
と命じていた。彼自身、有言実行して、他のダークエルフを従えることもなく、とある犯罪ギルドの下っ端をしている。
「そんな私がいきなりここのリーダーになれば、どんな理由で? と疑念を抱かれます」
もっともな言い分だと思ったので、レンも彼をリーダーにするのはあきらめた。
ルーセントは表に出ず、裏から色々と協力してもらっているが、彼の本心は違うのではないか、とレンは疑っていた。ダークエルフたちがまとまって行動することに、今も反対なのではないだろうか?
レンもルーセントも、ダークエルフの序列は秘密にするべきだという点は一致している。だが彼とは根本的なところで違いがあるようだ。
おそらくルーセントはこれまで通りのやり方で秘密を守ればいいと思っている。ダークエルフたちは集団にならず、ひっそりと社会の片隅で暮らしていけばいい、と。
これまではそれでバレなかったんだから、これからもそれでいいだろう、と考えているようだ。
レンは違う。いずれダークエルフの秘密は人間にバレると確信している。
それは百年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。どこかの好奇心あふれる人間が、ダークエルフに興味を覚えて調べ始めたら、すぐにバレてしまうかもしれない。
前の世界でもそうだったが、人間の好奇心は底なしだ。ダークエルフがどれだけ隠そうとがんばっても、人間がその気になれば必ずバレる。そうなっていないのは人間の思い込みと無関心によるものだ。
ダークエルフを汚れた劣等種だと決めつけ、彼らのことを知ろうともしない。だから序列の秘密は守られてきた。
だからこのままでいいとは思えない。今のうちに何とかすべきだ、とレンは考えているのだが、それが上手くいくかどうかわからない。
それにこの考えも後付けだった。
当初レンが考えたのは、黒の大森林に隠れて暮らすダークエルフたちの生活を、少しでも豊かにできないか、ということだけだった。
それで密輸をやり始めた。さらに働き口を増やそうと運送屋もやり始め、役に立つと思って教育環境も整え始めた。それが気が付いてみたら大集団になっていた、といった感じだ。
少人数で密輸をやっていたときは金儲けのことだけ考えていればよかったが、ここまで規模が大きくなると、それ以外のことも考えねばならない。
大げさでもなんでもなく、ダークエルフ全体の未来に影響する。
これまでバラバラに身を潜めていた彼らが、一つの大きな集団になりつつあるのだ。この動きに気付く人間が出てくれば、ダークエルフに無関心ではいられないだろう。ダークエルフの秘密がバレる危険性は、日々高まっているともいえる。
一度立ち止まるべきか、このまま進むべきか――レンが選んだのは後者だった。
このまま行けるところまで行くしかない。これは競争だ、とレンは思っている。
序列のことを知られ、人間社会から徹底的に排除されるのが先か、ダークエルフたちが人間に対抗――まではいかなくても、簡単には潰されないような力を得るのが先か、そういう競争だ。
ただしゴール地点がどこなのかはレンにも見えていない。正しい道を進んでいるのかもわからない。それでも正しいと信じて進むしかなかった。
「――それでは領主様。仕事がありますので、失礼していいでしょうか」
挨拶を交わし、簡単に情報交換などをした後で、リデイラが切り出してきた。
ダークエルフたちの朝は早い。集落のダークエルフたちは日の出とともに起きて、すぐに仕事に取りかかる。彼女にも自分の仕事があるのだ。
「ちなみにリデイラさんは何の仕事を?」
「荷馬車の護衛です」
「じゃあ、しばらくしたらいなくなるんですか?」
「はい。数日のうちに、ジャガルへ戻ることになると思います」
荷馬車が出発すれば護衛の彼女もここを出て行く、ということは数日のうちに集落のリーダーも交代するということだ。今のところ集落のダークエルフたちに頼み事もないし、リーダーが代わっても特に問題ないだろう。
リデイラが話を終えて出て行くと、レンもすぐに家を出た。
まずは王都警備隊に挨拶に行くつもりだった。
「久しぶりだなレン。来る前に連絡をくれればよかったのに」
「すみません。突然押しかけて」
「別にいいが、わざわざ王都までやって来るとは、何かあったのか?」
王都警備隊の外回りの百人隊長ガトランは、突然の訪問に驚きながらも笑顔でレンを迎え入れてくれた。
外回りは王都の周辺地域を警備する部署で――王都の外壁内を受け持つのは内回りだ――ガトランとは前回王都に来た際に知り合った。
事前の連絡もなしで王都警備隊の駐屯地を訪れたが、運良くガトランがいてくれた。ダークエルフの集落から駐屯地までは、ガー太に乗れば十分ぐらいで行けるので、空振りでもそれほど問題はなかったが。
「ちょっと国王陛下に呼ばれまして――」
レンは王都に来た事情を説明する。魔獣を倒した功績を、国王が表彰するというので呼び出されたのだ。
「それはおめでとう、と言いたいところだが、あんまりうれしそうじゃないな?」
「名誉なことだとわかっているんですが、それ以上に問題があって」
「そういや前もそんなこと言ってたな。だったら俺の時みたいに、手柄を譲ればよかったんじゃないか?」
「そうしようと思ったんですけどね……」
レンがガトランと知り合ったのは、魔獣の群れに襲われていた彼の部隊を救ったのがきっかけだ。だがレンはその事実を公表せず、それどころか魔獣の群れを倒した手柄も、全てガトランに譲ったのだ。
今回も同じようにしたつもりだったのだが……。
「なるほど。俺とは違って、バカ正直な奴がいたってことか」
「それだけじゃなくて、教会にも呼び出されました」
「教会? 何をやったんだ?」
「ガー太について話を聞きたい、みたいな。ガー太のことは覚えてますか?」
「あのやたら迫力のあるガーガーだろ? 忘れろっていわれても忘れられねえよ」
以前、ガトランを助けた際にガー太に乗っているところも見られているので、彼にはガー太のことを隠す必要はなかった。
「あれを教会が知ったら、そりゃ呼び出すだろうな。多分、献上しろとか言われるぞ」
「もう言われました」
王都に来る途中、教会から派遣されてきた人間に会ったことを伝える。
「で、どうするつもりなんだ? お前のことだ、おとなしく差し出すつもりはないんだろ?」
ちょっと迷ったが、レンは秘策について話すことにした。実はガー太はガーガーじゃなかった作戦だ。これまでの付き合いもあるし、ガトランになら話しても大丈夫だろう。
「ガーガーじゃないときたか。そりゃいい」
ガトランは楽しそうに笑いながら言う。
「俺もこの目で見てなきゃ、人を乗せて魔獣と戦うガーガーなんか信じられないからな。教会のお偉いさんも、あいつを見たら納得するかもしれないな」
「だといいんですけど……」
「もし俺にできることがあれば言えよ。できる限り力になるぞ」
「ありがとうございます。でもいいんですか? 僕に協力して、教会に逆らったりしたらマズいんじゃ……」
「よくはないな。けど今回に限っては大丈夫だろ。間違ってるのは向こうなんだから」
「間違い?」
「ガーガーは神の使いだ。それがお前のところにやって来たってことは、それこそが神の思し召しだ。俺もそのおかげで命を救われたしな」
そこまで言って、ガトランの目が厳しくなる。
「それをお前から取り上げようっていうのは、神に逆らうことだ。人間の都合で神の使いをどうこうしようなんて不遜にすぎる。きっと神罰が下るさ」
冗談ではなく本気で言っているようだった。
教会の上層部にはちょっと批判的かもしれないが、ガトランもドルカ教の信徒であり、神を信じているのだ。
ドルカ教を信じていないレンだったが、彼が当然のように神罰が下るというので、なんだかそれを信じそうになってしまった。
また先週も更新できずにすみません。
このところ週末に用事が重なって隔週みたいになってますけど、最低週一回の更新を守れるようにがんばります。